朝永の野望
省吾の目の前には、朝永が座っている。普段、プライペートでは小洒落た格好をしている彼だが、今日はまるで違っていた。普段、集会にて講演する時のような地味なスーツ姿である。
そんなふたりは、白土市の駅前にあるカラオケボックスの一室にいた。言うまでもなく、どちらにも歌う気配などない。
まず会話の口火を切ったのは朝永であった。
「よく来てくれたな。いやあ、この辺りは窮屈だよ。ろくに遊べもしない」
「朝永さんは、ここいらで寝泊まりしてるんですか?」
省吾の問いに、朝永は顔をしかめて頷いた。
「そうなんだよ。しかも、俺だけじゃないんだ。上の連中は、みんな白土支部に来てるんだよ。ちょいと面倒なことになっちまってな」
言った直後、朝永は声を潜めて語り出した。
「ここだけの話だが……うちの爺さん、もう長くねえぞ。そろそろ、あの世逝きだ」
爺さんとは、オルガノ救人教会の教祖・六波羅法聖のことだ。もちろん本名ではないだろう。
朝永は、陰に回ると六波羅を爺さんなどと呼んでいる。その呼び方からもわかる通り、朝永は教祖に対し絶対の忠誠心を持っている……というわけではないのだ。
最近、体調を崩しているという話は聞いていた。ただ、そこまでひどいとは知らなかった。
「ほ、本当ですか?」
「ああ、間違いないよ。あと半年もたないのは確実だって、医者も言ってる。下手すりゃ一月で棺桶タイムだな。まあ爺さんも、これまでの悪さのツケをようやく払うことになったわけだ」
そこで、朝永はプッと吹き出した。何が面白いのかは不明だが、自分の吐いたセリフでウケているらしい。
だが、すぐに真顔になり話を続ける。
「そうなるとだ、教団は分裂する。これまた、間違いねえ話だよ」
「分裂、ですか?」
「ああ。アホな幹部連中は、跡目が誰になるかで戦々恐々としてるみたいだが、跡目が誰になろうが分裂する。既に、根回ししてる奴もいるからな」
朝永は、自信満々の表情で断言した。省吾はというと、神妙な顔つきで聞いている。分裂は間違いない、とは言い切れないが……実のところ省吾も、分裂してもおかしくないだろうとは思っている。
現在、教団は全国に支部を展開させている。その中には、本部の意向を無視し好き勝手なことをやっている支部もあるらしい。
教祖の六波羅が元気なうちは、そうした問題は出てこなかった。しかし、教祖さまが死んだとなれば、様々な問題が噴出してくるだろう。中には、多くの信者を引き連れ脱会する支部長がいてもおかしくはない。
その時、疑問が浮かぶ。分裂騒動が起きた時、朝永は誰に従うのだろう。
「じゃあ、朝永さんは今後どうするんです?」
「決まってんだろ、教団からは、おさらばすんだよ。実を言うとな、既に警察の内偵も入ってるらしいぜ。ずらかるなら今しかねえよ」
ビクリとなった。この男が、そこまで知っているとは……。
だが、すぐに思い直した。ずらかる、ということは教団から抜けるということだ。おそらく、今まで貯め込んできた金で高飛びでもするのだろう。余生は、南の島で過ごすのかもしれない。
つまりは、この男との縁が切れるということだ。
「そ、そうですか」
平成を装い答えた。が、続いて予想もしなかったセリフが飛び出る。
「次は、未来を教祖にするよ。なんたって、あいつは本物の能力者だからな」
この瞬間、省吾は自分が甘かったことを思い知らされた。朝永には、静かな余生を送る気などないのだ。まだまだ、悪どい商売を続ける気らしい。
「しかも、頭もいい。普通、あの年頃のガキがあんな能力を持ったら、大人の言うことなんざ聞かねえもんだ。ところが、未来は大人の言うことをちゃんと聞く。たいしたもんだよ」
朝永は、なおも語り続けている。省吾は内心では動揺していたが、平静を装い相槌を打った。
「そうですね。未来は本当に素直な子です」
「実はな、未来の前にも能力を持つガキがいたんだよ。だがな、すぐに図に乗るんだよな」
そこで、朝永は大げさに溜息を吐いた。少しの間を置き、再び語り出す。
「ガキってのは、すぐに調子に乗る。挙げ句、大人をナメきった態度を取る。それくらいなら、まだいいよ。そういうガキは、こちらの言うことも聞かなくなるんだ」
確かにその通りだ。子供という生き物は、放っておくとどんどん増長してくる。だが、未来にはそれがない。何があろうとも、省吾らに対する敬意を忘れない。言いつけられたことほ守るし、あの年頃にしては珍しいタイプだ。
朝永も同じことを思っていたらしい。続けて出てきたセリフにも、それが現れていた。
「しかし、未来は違う。ちゃんと分をわきまえている。あいつは、周囲のフォローがないと生きられないってことをわかってるんだ。だからこそ扱いやすい」
そこで、朝永の顔つきが一変した。軽薄な雰囲気が、完全に消え去る。
「次はな、未来を教祖に据える。で、脇をお前ら三人で固めていく。お前らは、未来とも上手くやれてるからな。あいつの手綱を握って、おとなしくさせておけるしな」
言いながら、朝永はニヤリと笑った。その時、省吾は口を挟む。
「あの、未来の前にいたガキってのは、どうなったんですか?」
「あんまりにもワガママなんでな、俺がレッドカード出した。どっちもチョロいもんだったよ。得体の知れない能力はあっても、しょせんガキさ。油断したところを、一瞬で殺したってよ。今まで、ふたり始末した」
予想通りだった。この男は、相手が子供だろうと容赦しない。虫を潰すような感覚で、人を殺せる。本当に恐ろしい人間だ。
だからこそ、聞かねばならないことがある。
「ひとつお聞きしたいんですが……朝永さんは、何を目指してるんですか?」
「何を、って……どういうことだよ?」
「いや、あの……朝永さんは、相当の金は貯め込んでますよね。株や投資信託なんかもやってるでしょうし……」
これこそが、以前からの疑問だった。詳しくは知らないが、朝永は相当の金を貯め込んでいるはずだ。金は、さらなる金を生みだす。放っておいても、ある程度の収入はあるだろう。
つまり、今の朝永には、あくせくする必要ほないはずなのだ。
「ああ、やってるよ」
予想通り、朝永は即答した。省吾ほ、さらに質問を続ける。
「そういったものが生み出す利益だけで、遊んで暮らせるのではないですか? なのに、これ以上ヤバい橋を渡る……俺には、わからないです」
「金利で生きる、か。それが出来りゃあ、苦労しねえよ」
そこで、朝永は溜息を吐いた。少しの間を置き、語り出す。
「この際だから、教えてやる。俺はな、中学校もろくに行ってねえんだよ。オヤジはヤクザにもなれねえチンピラだったし、オフクロは俺を捨てて逃げちまった。最底辺の家に生まれたんだよ。そんな奴はな、野垂れ死ぬのが関の山だ。俺がこんな風にしてられんのは、はっきり言って運がよかったからだ。個人の能力なんか、たかが知れてる」
意外な告白だった。
この男は、自分の能力に絶大な自信を抱いていると思っていた。ところが、そんな朝永の口から「運がよかったからだ」などというセリフが飛び出るとは……。
動揺している省吾に、朝永はなおも語り続ける。
「今の世の中を、目ん玉開けてよーく見てみな。あっちこっちに壁があるんだよ。上級国民さまの築いた壁だ。俺みたいな下級国民は、どうあがいても乗り越えられないように出来てんだ。結局、日本社会は上級国民が仕切っているのさ」
確かにその通りだろう。だが、それと今の状況と何の関係があるのだろうか。省吾は、固唾を呑んで話を聞いていた。
次の瞬間、朝永の口からとんでもないセリフが飛び出す──
「俺は、もっともっと上に行きたいんだ。自分の運が、どこまで持つか。中学もろくに行ってないような身分の俺が、上級国民の築いた壁をぶっ壊せるか……もし壁がぶっ壊れたら、その時に世の中はどうなるんだろうな。そいつが見てみたいんだよ」
そこで言葉を止め、ニヤリと笑い省吾の肩をポンと叩いた。
「だから、お前らにはとことん付き合ってもらうぜ」
この時、省吾は異様なものを感じていた。
今までは、朝永を利益のみ追い求めていくタイプだと思っていた。彼にとって、もっとも重要なものは金であり、思想的なものには何の興味もない。ある意味では、最強の俗物ではないかと見ていたのだ。
それは間違いだった。あの男は、金のみを追い求める俗物ではない。俗物よりも遥かにタチの悪いものだ。
朝永は、欲望に憑かれている。それも、物欲や性欲といったわかりやすいものてはない。あえて言うなら、権勢欲が近いだろうが、微妙に違う気もする。
確かなことはひとつ。朝永の欲は止まらない。周囲のものを取り込み、どんどん肥大化していく。最終的には、その欲望が朝永自身をも呑み込んでしまうだろう。
かつて日本には、テロを起こしたカルト教団の教祖がいた。その教祖が求めていたのは、金ではないのだろう。当時、多数の信者の財産を教団名義にしていたと聞く。その額は、莫大なものだ。黙っていても、相当の額の金は入って来ている状態だったのだろう。にもかかわらず、テロを起こしたのだ。
では、何を求めていたのか……それは、本人でなくてはわからないだろう。ただ、それは金より厄介なものかもしれない。
省吾にわかるのは、その教祖と同じものを、朝永が求めていそうな気がすることだけだ。
ふと、正岡の言葉を思い出した。
(さもないと、取り返しがつかないことになるぞ)
そう、このままだと取り返しのつかないことになる。自分が、ではない。省吾自身、畳の上では死ねない身であると承知している。
これまで、多くの罪を重ねてきた。地獄を見たあの日から……一般社会からはぐれ、転がり落ちるように生きてきた。犯した罪の数は、あのマスクレンジャーより上かもしれない。
そんな己の行く末は、警察に捕まり絞首刑になるか、あるいは裏社会の人間に消されるか、ふたつにひとつと決めていた。それでやむ無し、とも思っていた。普通の幸せなど、自分には無縁のものだと……。
だが、未来はどうだ?
あの子は、このままいけば自分と同じ運命をたどることになる。
それでよいのか?
・・・
「ちょっと待てよ……お前、何なんだ?』
若林貴文は、怯えた表情で後ずさった。この男、裏社会の住人である。血を見るような場面にも立ち合ってきたし、それなりに修羅場を潜ってもいた。
しかし、今は顔を引き攣らせ後ずさっている。
自宅でくつろいていた若林の前に異様な姿の怪人物が出現したのは、夜の九時過ぎである。顔をすっぽり覆う白いマスクを被り、白いジャージの上下を着ている。体格は中肉中背で、若林とさほど変わらない。背筋をピンと伸ばし胸を張った姿勢で、リビングに立っている。言うまでもなく、こんな同居人はいない。
若林は唖然となっていた。ここは、マンションの十階だ。入口はオートロックであり、ドアにも鍵をかけている。おいそれと入ってこれる場所ではないはずだ。
では、どこから入って来たのか。それ以前に、この超不審人物ほ何者なのか──
「私の名はマスクレンジャー。神を愛し、神に愛された男だ。君は、一般市民に寄生し利益を吸い上げる団体の幹部らしいな。その罪、万死に値する。よって、今より正義を執行する!」
若林の抱いていた疑問に、自らの口で答えてくれたマスクレンジャー。直後、彼は天を仰ぐ。
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
わけのわからない事を叫ぶマスクレンジャーを、若林は呆然となりながら見ている。同時に、少しずつではあるが自身の置かれた状況を理解してきた。目の前には、狂人としか思えない者がいる。どうやって室内に侵入したかは不明だが、自分に危害を加えようとしているのは確かだ。
若林は、すぐに動いた。彼は、そばに置かれていた椅子を持ち上げる。木製の頑丈なもので、それなりに重さもある。
椅子を、マスクレンジャーの顔面めがけ一気に振り下ろした。しかし、相手は避けない。それどころか、ぶんと拳を振ったのだ──
次の瞬間、椅子は粉々に砕け散る。残るは、若林の手に握られた椅子の足だけだ。
常人なら、愕然となり固まってしまう状況ではあった。しかし、若林は次の行動に移る。すぐさま寝室へと駆け込み、ベットの下に隠してあるものを手にする。
それは拳銃だった。無我夢中で握りしめ、追って来たマスクレンジャーに銃口を向ける。トリガーに指がかかった。だが、安全装置ががかっており弾丸は出ない。
その一瞬が命取りとなった。安全装置を外すよりも早く、マスクレンジャーの一撃が若林を襲う。
鞭のような蹴りが手を打った。手首が砕け、若林は拳銃を落とす。続いて、マスクレンジャーは手刀を振り下ろした。
その手刀で、若林の腕はへし折れる。苦痛のあまり悲鳴を上げたが、マスクレンジャーほ止まらない。
恐怖の時間が始まった──




