怪しい来客
「我々は、何も特別なことをする必要などありません。ただ、周りの困っている人に手をさしのべる。ひとりひとりが、ほんの少しだけの善意を周囲に振り撒いていく。それだけで、世の中は変わるのです」
スーツ姿の山川は、聴衆に向かい静かな口調で語っている。同じくスーツ姿の省吾は入口付近に立ち、場内に目を配っていた。
今夜の集会に参加している信者の数は、全部で十人ほどだ。先週より、さらに数が減っている。
理由は、いちいち考えるまでもない。朝永がいないせいだ。最近では信者から、朝永さんはいつ戻るんだ? という問い合わせまで来る始末だ。
その答えは、省吾の方が知りたかった。
「同時に、悪は滅せねばなりません。この世界に住む人々ひとりひとりが、ひとつずつ悪を潰していく……それもまた、世の中を変えていくことでしょう」
山川とて、自分が朝永に比べて人気も人望もないことも理解している。
にもかかわらず、壇上に立ち信者たちに語り続けている。その姿は、滑稽であり哀れでもあった。
「勘違いしないでください。私は何も、町に出て悪い人間を殺せと言っているのではありません。己の内に潜む悪を滅する……それこそが、我々の為すべきことです。一日一善、そして一悪一滅を心がけていきましょう」
その時、突然ドアが開く。入ってきたのは、ふたりの男だった。片方は、スーツ姿の中年男だ。中肉中背、ドスの利いた面構えである。派手さは無いが、全身から「俺は堅気ではないぞ」というメッセージを発している。
もう片方は若く、十代後半から二十代前半だろうか。革のジャンパーを着て、場内にいる者をねめつけながら歩く姿は、映画に登場するチンピラそのものだ。
闖入者たちは、入口付近の空いていた席に座り込み、無言のまま話を聞いていた。明らかに場違いだ。
省吾は、二人組をじっと監視している。こんな連中が信者だとは思えない。必ず、何か仕出かすだろう。
やがて講演が終わり、山川は控え室へと引き上げる。と、二人組は素早く反応した。立ち上がり、控え室のドアをノックもせず開け、ずかずか入っていく。
省吾もまた、すぐに入っていった。素早く動き、ふたりの前に立ちふさがる。
「御用件は、何でしょうか?」
静かな口調で尋ねると、中年男は置かれていたパイプ椅子に座り込んだ。上目遣いで省吾を睨むように見つめ、口を開く。
「私、大原興業の若林貴文という者でして、町内会の役員もしております。実は私の町内に、お宅らに献金した挙げ句に何もかも失った……そんな方がいましてね。相談を受け、ここに来た次第です」
言いながら、名刺を机の上に置く。落ち着いた口調だった。町内会などと言っているが、そんな人間がチンピラのような若者を引き連れて来るはずがないのだ。間違いなくヤクザだろう。もしくは半グレか。
「それは、言いがかりではないのですか?」
対する省吾は、穏やかな態度を崩さない。相手が何者かはわかった。あとは、向こう側の持ち札が何なのかを探る。本当に、かつて信者だった人間の依頼を受けて来たのか。あるいは、こちらの内情を知らず単純に脅せば金を出すと踏んでいるのか。
「言いがかりかどうか、判断するのはあなたじゃありません。それにね、実際に自己破産にまで追い込まれた人がいるそうではないですか。これは、宗教法人としてはまずいですよね」
若林は、低い声で凄む。一方、省吾は山川を横目で見てみた。だが、おろおろした様子で成り行きを見ているだけだ。口を出す気はないらしい。
ならば、自分が仕切るしかないらしい。
「なるほど。では後日、その自己破産にまで追い込まれた方を連れてきてください。こちらも、顧問弁護士を同席させます。話は、それからですね」
答えると、若林の目が細くなった。
「それで済むと思っているんですか?」
「はい? 何のことです? はっきり言ってくれませんかね」
とぼけた表情で聞き返した。無論、何が言いたいかなどわかっている。
「我々もね、わざわざここまで来てるんですよ。ただでは帰れません」
若林の方もさすがであった。そのものズバリという危険なキーワードを、おいそれとは口にしない。最近は、誠意を見せろというお決まりのセリフすら使いづらくなっている。
「だから、何を言ってるのかわかりません。何が望みなのか、はっきり言ってください」
省吾は、すました表情で言葉を返した。途端に、後ろの若者がドスンと足を踏み鳴らす。
「てめえ! ナメてんのか!」
威勢よく吠えた若者だったが、すぐに若林が立ち上がる。
「お前は黙ってろ!」
怒鳴った直後、パンチが飛んだ。若林に殴られ、若者は派手に倒れる。
そんなふたりを、省吾は冷めた目で見ていた。これは、ヤクザがよくやる茶番だ。ターゲットの目の前で、自分の手下を殴る。暴力に免疫のない人間がターゲットならば、萎縮してしまいヤクザの言いなりになるのだ。ターゲットに手を上げてしまえば、傷害で訴えられてしまう。しかし、手下に手を上げる分には何の問題もない。
もっとも、省吾は暴力に慣れている。ヤクザの手口も知っている。したがって、表情ひとつ変えずに見ていた。
若林も、そのことに気づいたらしい。じろりと省吾を睨んだ。
「あなたも、こっちの世界にゲソつけたクチのようですね。だったら、わかるでしょう。ウチらはね、ナメられたら終わりなんですよ。知らぬ存ぜぬで、済ませられないですからね」
ゲソつけた、とはヤケザ用語である。要は、こちらの世界に片足つっこんでましたね、ということだ。だが、省吾は素知らぬ表情で言葉を返す。
「何のことでしょうね。ともかく、その自己破産したという人を連れてきてください。話は、それからです。さあ、お引き取りください。でないと、不法侵入で警察呼びますよ」
「なるほど、そうですか。そちらさんは、徹底的にやり合う気なんですね。いいでしょう。今日は引き上げます。しかしね、後悔することになりますよ」
そう言うと、若林は立ち上がった。ドアを開け、静かに出ていく。
次いで、若者も立ち上がった。省吾を睨みながら、若林の後に続く。
「大原興業の若林、といっていたね。奴らは何者だろう?」
ふたりが出ていくと、山川はホッとした様子で口を開く。どうやら、こういうやり取りには慣れていないらしい。
「おそらくヤクザでしょう。あるいは、半グレかもしれません」
省吾は、そっと答えた。それにしても、この山川は頼りない男だ。朝永なら、あの程度のチンピラなど、あっさりと追い払っていた。以前にも、押しかけてきたヤクザらしき男たちに、すました顔で対応していたのを覚えている。もっとも、後で省吾らが動き後始末をしたのだが……。
「私はどうすればいい?」
そんな気持ちに気づいたのか、山川はすまなそうな顔で聞いてきた。
「大丈夫ですよ。あとは、我々に任せてください」
省吾が答えると、山川は悲しけな表情を浮かべ下を向いた。
ややあって、口を開く。
「暴力、か」
呟くような声だった。クソが付くくらい真面目な山川も、この後に何が起きるか承知しているのだ。省吾が何も言えずにいると、山川はさらに言葉を続ける。
「結局、暴力には暴力で応えるしかないのか。悲しいな」
言った後、くすりと笑った。無論、おかしくて笑ったのではないだろう。そこにあるのは、おかしさとは真逆の感情だ。悲しみを通り越し、笑うしかないという心境なのだろう。省吾は、そうした人間を何度も見てきている。
山川に憐れみを感じたが、だからといって奴らを放っておくわけにはいかない。必ず、何か仕掛けてけるはずだ。
仕掛けてくる前に潰す──
「とにかく、山川さんが心配することはありません。奴らは、我々が何とかします」
明るい表情を作り、そう答えた。すると、山川は頷く。
「わかった。君に任せるよ」
言った後、もう一度頷いた。その首肯は、自身を納得させるためのもののように思えた。




