マスクレンジャー(2)
語り終えた時、省吾は不思議な気分を味わっていた。話している最中に気分が悪くなり、途中で吐いてしまうのでは……と、最初は思っていた。
ところが、自分でも驚くくらいにすらすら語れた。むしろ、語り終えた気分は悪くない。長い間、自分ひとりの胸に秘め誰にも言えなかったもの……それを吐き出せたおかげで、ようやく楽になれた気がする。
正岡の方は、平静な表情のまま耳を傾けていた。省吾が当時の記憶を語っている最中、ほとんど口を挟むことがない。時おり相槌を打つ以外、話の邪魔になることはしなかった。
省吾の話が終わると、正岡は呆れたような顔つきで口を開いた。
「マスクレンジャー、か。ふざけた名前だな。他の奴からこんな話を聞いたなら、バカ言うなってブン殴ってるところだ」
さすがにムッとなった。省吾は、正岡を睨みつける。
「本当なんですよ。信じられないなら、信じなきゃいいでしょうが」
低い声で凄むと、正岡は苦笑しつつ手のひらを前に突き出す。まあまあまあ、と相手をなだめるジェスチャーだ。
「いや、信じるよ。気にさわったなら謝る。実はな、ふたりが死んだ後に通報してきた奴がいるんだ。たぶん、そのマスクレンジャーたよ」
「はあ? なんですかそれ?」
思わず聞き返していた。あんなことをやった後に、わざわざ警察へ知らせたというのか。
「俺に聞かれてもなあ。とにかく、あのふたりが殺された直後、警察に通報してきた奴がいたんだよ。お前らの代わりに正義を執行したぞ! なんて、ふざけたことを一方的にまくし立てた挙げ句に切っちまったらしい。しかもだ、被害者宅の固定電話からかけて来たんだぜ。最初はイタズラかと思ったんだが、念のため近くの派出所にいる若いのを行かせたらよ、着くなりゲロ吐いちまったってわけだ。ま、バラバラ死体と御対面じゃ仕方ないわな」
それは仕方ないだろう。警官といえど人間である。しかも若い新人警官だったとなれば、なおさらだ。あんな悲惨な状態の遺体を見て、平気でいられる者など、そうそういるものではない。
それにしても、あのマスクレンジャーが立て続けにふたりの人間を殺していたとは。しかも、両方ともにオルガノ救人教会の信者である。いったい、何が目的なのだろうか。教団に対し、何か恨みでもあるというのか。
驚きのあまり言葉が出ない省吾に向かい、正岡はさらに話を続ける。
「鑑識の連中は、さっそく部屋中の指紋を調べた。DNA検査のため、毛髪なんかも調べてみたんだよ。だが、今んとこ犯人に繋がりそうなものは出て来ていない」
「奴は、確か白手袋をはめてました。指紋の採取は無理です」
省吾が口を挟むと、正岡は口元を歪めながら頷いた。
「まあ、そうだろうな。実際、指紋は出なかった。だがな、問題はこっからだよ。次に俺たちは、付近の防犯カメラを調べてみたんた。ところがだ、事件のあった時間帯に、ふたりの家に出入りした人間はひとりもいないんだよ。それらしき人物は、防犯カメラに映っていなかった。これが、どういうことかわかるか?」
そんなことを聞かれても、わかるわけがない。
「俺に言われても、わかりませんよ。どういうことなんです?」
「つまりだよ、このマスクレンジャーは道路を使っていないんだ。防犯カメラってえのは、たいがい道路に向けられているからな。それに映っていないんだぜ。念のため、死角がないかあっちこっちからチェックしてみたが、そんなものははなかった」
さらに混乱した。道路を使っていない……では、どうやって出入りしたというのだ。
「じゃ、じゃあ、テレポートでもしたって言うんですか?」
思わず出た言葉に、正岡は苦笑する。
「テレポート。か。そいつをやられちゃあ、警察もお手上げだよ。可能性があるとすれば、上だな」
言いながら、正岡は天井を指差した。
「上って、空ですか? 空を飛んで来たんですか?」
「うーん、空とは微妙に違うんだよな。調べてみたんだが、当時ヘリコプターが飛んでたっていう記録はない。パラグライダーで飛んできたなら話は別だが、これも帰る時は使えないからな」
ヘリコプターにパラグライダーときた。そんな言葉が、この刑事の口から出てくるとは思わなかった。
つまり、この刑事は全ての可能性を考えているのだ。バカバカしい可能性であろうと、一応は考慮した上で不可能だと判断している。
しかも、続いて正岡の口から出たのは、さらに飛躍した単語だった。
「お前、パルクールって知ってるか?」
「ビルの谷間を跳び移ったり。高い塀をよじ登ったりするアレですよね」
唖然となりながらも、一応は知っていることを答える。しかし、パルクールとマスクレンジャーと、いったい何の関係があるというのだろう。
「そうだ。あんなことして何が楽しいのか知らねえが、やる奴がいる。マスクレンジャーは、そのパルクールの要領で被害者宅に出入りしたんじゃねえか……と俺は思ってる」
想像もしていなかった話を聞かされ、省吾は衝撃のあまり何も言えなかった。あのマスクレンジャーは、塀をよじ登り民家の屋根を飛び移って移動するというのか。
普段なら、バカ言うなと一蹴するところだ。しかし、省吾の裡に潜む何かが言っている。
あいつなら、それが可能だ──
「参考のため、パルクールやってるガキに現場付近の画像を見せて聞いてみた。道路を通らず、この家に行けるか? ってな。そのガキは、こう言ってたよ。不可能ではない。チンパンジー並の身体能力があれば可能だとさ」
固唾を飲んで聞いている省吾に、正岡はなおも語り続ける。
この刑事は、わざわざパルクールの選手に意見を聞いたのだ。つまりは、あらゆる可能性を考慮した上で、選択肢のひとつひとつを丹念にチェックしているのだろう。先ほど話したヘリコプターやパラグライダーにしても、その可能性を真剣に考えた上で、選択肢から外したのだ。
圧倒されている省吾だったが、話はさらにとんでもない方向へと進んでいった。
「ところで……お前、白鳥由栄って知ってるか?」
「何ですかそれ? 昭和のアイドルですか?」
いきなりの問いに、省吾は目を白黒させた。思わずボケたことを口走る。
一方、正岡は苦笑しながらかぶりを振った。
「バカ、違うよ。白鳥由栄ってのはな、男だ。それも、有名な犯罪者だ。昭和の脱獄王なんて呼ばれた男さ」
「脱獄王、ですか」
「ああ。こいつはな、本当にとんでもねえ男なんだよ。調べれば調べるほど、嘘くせえ話が次々と出てきやがる。だがな、ほとんどの話が実話なんだよ」
その白鳥とマスクレンジャーと、何の関係があるんだ……と言いかけたが、すぐに思い直した。正岡という男は、ここでつまらない話はしない。恐らく、マスクレンジャーに繋がる何かがあるのだ。
「どんな話があるんですか?」
「脱獄王って聞けばわかる通り、刑務所からの脱走を四回も成功させてる。だが、それだけじゃねえんだ。白鳥は身長百六十センチそこそこの体格だったらしいが、化け物みたいな身体能力の持ち主なんだよ」
そこで、正岡はテーブルのウーロン茶に手を伸ばした。喋り続けて、喉が渇いたらしい。つられて、省吾もアイスコーヒーに口をつける。その時になって、自分の口の中が乾ききっていたことに気づいた。緊張によるものだろう。
少しの間を置き、正岡は再び語り出す。
「白鳥は、看守の前で素手で手錠をねじ切って見せたんだ。その切られた手錠は、今もどっかの刑務所に保管されてるらしい。他にも、六十キロの米俵を片手で持ち上げたり、ほとんど垂直の塀をよじ登ったり出来たそうだ」
「何なんですか、そいつは……」
「本当、何なんだとしか言いようがねえよな。俺たちの常識なんか、軽く超えちまってる。ひょっとしたら、突然変異なのかもしれねえよ。オリンピックに出てたら、金メダルいくつ取っていたんだろうな」
確かに、正岡の言う通りだ。
商売柄、省吾も手錠を扱うことがある。言うまでもなく、頑丈に出来ているのだ。
たまに映画などで、脱獄した囚人が手錠を石で殴って壊すシーンがあるが、現実には非常に難しい。数日がかりの作業になるだろう。その手錠を、素手でねじ切るなど、もはや人間技ではない。
「マスクレンジャーも、白鳥と同じタイプなんだと思う。人体を素手でバラバラにしたり、建物の屋根や塀の隙間を飛び移って移動する……もはや人間じゃねえよ。そんな俺たちの常識じゃ計れねえような化け物が、殺人を繰り返しているんだ」
そこで正岡は言葉を止め、懐から名刺を取り出した。省吾の前に乱暴に突き出しながら、さらに話を続ける。
「俺はな、このマスクレンジャーだけは絶対に逮捕してえんだ。だから、こいつに関する情報を掴んだら、すぐに知らせてくれ。どんなつまらんことでもいい。最近の被害者ふたりがお前らの教団だったってえのは、たぶん偶然じゃねえぞ」
省吾は頷くと、名刺を受け取った。すると、正岡は再び語り出す。
「ここまで話に付き合ってもらった礼にだ、お前にひとつ忠告させてもらう。まあ、黙って聞いてくれや」
いったい何を話すつもりだろう。省吾は顔を上げる。
正岡の顔つきは、またしても変化していた。
「今、俺はお前とは休戦中のつもりだ。だから、お前をどうこうするつもりはない。お前が、あのインチキ教団でろくでもないことをしてるのもわかっている。だがな、俺が狙っているのは、あくまでマスクレンジャーだ」
「正岡さん……」
「しかしな、他の連中にそんなつもりはない。オルガノ救人教会は、既に警察から目を付けられているんだ。いずれ、マスコミも騒ぎ出す。本格的な捜査が始まるのも、時間の問題だ。これ以上のことは、俺の口からは言えねえが……どういう状況かはわかるな?」
省吾は頷いた。恐らく、証拠集めのため密かに動いている刑事もいるのだろう。正岡は、そのあたりの事情を知っている。その上で、忠告してくれているのた。
「だから、今のうちに足洗うことを考えとけ。あの教団も、もう長いことはない。やり直すなら、今しかねえんだ。さもないと、取り返しのつかないことになるぞ」
 




