夜の蜘蛛
中学生としては……ちょっと大金な、まとまった稼ぎを得たとのことで、
それを代金には届かないものの、受け取って貰いたい。
――と、言うのが彼女からの申し出だった。
俺にしてみれば、日頃着る学生服に対する無理難題な注文に加え、ガラクタとして取って置いたプリテンショナーを用いた装置の開発に協力してくれた、彼女への謝礼で贈ったつもりの――修理した中古ミシンたち。
それの対価を貰ってしまったとあれば、これはもう……お話にもならない。
だからといって、それを突き返そうにも相手は――人に借りを作ることや、折り合いをつけるということを……とことん不得手とする女子、一ノ瀬 紬。
(……君は、俺か)
杓子定規に測ったみたいな自身のテリトリーを堅守する、その人となりは――きっとこれを彼女に聞かせたなら、悲鳴を上げること間違い無しだろうけど。
俺には巣を張る蜘蛛か、なにかのように思えた。
俺も人に借りを作った時などは――少々、気持ちが落ち着かなくなる性分だけに。
……その心地と言うものは、理解できなくはないけれど。
けれど、それとこれとは――話は別。
今日まで彼女と繰り返した、仕事の対価を受け取って貰おうとするたび発生した、激しい応酬を思えば――これから始まるだろう、そのやりとりに頭が痛くなる。
「……橘くん?」
唐突に彼女が俺を呼んだ。
どうやらアレコレと考えている内に俺は意識もせず、笑ってしまっていたらしい。
「いや、ごめん。なんでもない」
「そう」
俺の言葉に彼女が小さく返す。
千影たちが待つ部屋へと向かう間、ふたりして無言で廊下を歩いていると
「……あの……ね? 橘くん」
皆が待つ部屋に向かう途中で一ノ瀬さんが、言葉を――選び選びといった風で。
物音ひとつ聞こえない この宿の廊下であっても、聞き取るのに難儀する
消え入りそうな声で……何かを切り出し始めた。
* * *
「――え?」
言葉の意味が理解できずに、間の抜けた声で俺は聞き返していた。
「傷つくなぁ……これでも結構私、勇気を振り絞ったんだけど」
苦笑を浮かべる一ノ瀬さん。
「……まぁイイです。で、改めてお話させて貰うと私、橘くんのことが好きみたい」
日頃の彼女からは想像もできない、凛としてそれでいて、淡々とした様子。
いつものオドオドとした表情でないことから察すると、いわゆる〝LIKE〟であって〝LOVE〟ではない……と、そういう話なのだろうと思った。
「これは多分……逮捕された叔父さんから、私を助けてくれた橘くんに……
「なんて言えば良いのかは……分からないんだけど……え~っと
「麻疹? みたいに? 一過性の感情を抱いてる……そんなものなのかな?
「……って、思っていたんだけど――なんだか違ったみたい」
胸の内を吐露しようと試みたものの――それを人に上手く伝える術を持ち合わせない
俺と同じく不器用な彼女が、四苦八苦といった感じで言葉を紡ぐ。
「――で、ここからが本題」
「うん」
彼女の言葉に、どう応えるべきか――戸惑いを覚えて、足を止めてしまいそうになっていた俺に、続けられた言葉は『本題』
なんとも事務的な響きが込められた面喰らうもの。
「私、一ノ瀬 紬は……橘 蔵人氏に対して、同盟の締結を申し入れたいと思います」
そして その後に続けられた内容は、さらに……俺を困惑させるのに充分なものだった。
* * *
処理する情報としては、あまりに重たいタスク。
悪い方ではないハズだと……自分では思ってきた俺の頭は、その負荷に耐え切れずにデッドロックを引き起こして――部屋へと向かう足は完全停止。
沢山のペットボトルを抱える一ノ瀬さんが、足を止めた俺に向き直ると――湯上りで、ひとつに括って垂らした長いポニーテールが、右に左にと揺れた。
そんな俺の様子を嗤うみたいに、華やかな笑顔をみせて一ノ瀬さんは続ける。
「私ね……星山さんのことも、来栖さんのことも、結城さんに……やっぱり、ちょっと苦手な感じはあるけど――柊先輩のことも好き
「柊先輩に関しては……ちょっと……分からないけど……他のみんなは、橘くんのことを好きなんだと思う
「私が、橘くんに選んで貰えるとは思えないし、こんな事を伝えて――みんなとの……今の関係に水を差したくも無いし……だからね? 臆病で……狡賢い私は、
「橘くんと……ふたりになれた この機会を生かして――密約を結ばせて戴きたいと思うの。
「こちらが橘くんに提示する条件は、私にできることの無条件での提供」
「橘くんに私が求める条件は――私の……貴方に対する気持ちを知っておいてくれること」
胸襟を閉ざすみたいに、互いに飲み物を抱えたまま。
一ノ瀬さんは、おたつく素振りも見せずに、こちらが狼狽えそうになるほど真摯に――目を覗き込んでくる。
彼女の提示してきた内容。
……それは恐らく。
いつも彼女と繰り返す、対価のやり取りのせめぎ合いを放棄して。
一ノ瀬さんのやりたいように世話を焼かせよと……
つまりは、そういう――無条件降伏めいたものを勧告されているに他ならない。
そして こちらは、それに対して。
彼女からの御好意を知った上で……他の皆との波風を立てない様に心掛けよと、申しつけられている訳……なのだろうけど。
これはあまりに俺にとって都合の良過ぎる、アンフェアな取引。
「俺は……千ka」
「泣きます――それ以上言ったら」
彼女は正確に、相関の全て把握した上で。
できるだけ……波風を立てないように、穏便に。
逃げの口実を口にしようとした俺を
退路を断つようにピシャりと、言ってのけた。
いつもブクマ有難うございます。
夜の蜘蛛は不吉の先触れみたいに
扱われますが~
最近では色々解釈もありますようで
どうなんでしょうね。
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