橘の鬼子
千影たちの様子を窺うと、放心した表情で3人は河原でかたまって座り込んでいた。
そちらに足を向けて、千影と澪に挟まれるようにして座るイオナにそっと耳打ちしてから立たせ、手を引いて川の中へと進む。
イオナ自身も気づかない内に粗相していた失禁の跡を洗い流させ、俺は全身に浴びた獣の血を洗う内に、お隣のお爺ちゃんも猟銃を見つけ出して帰り支度を始めた。
俺たちが身体を洗う下流に倒れた、2頭の獣から流れて薄まっていく赤い血は――次第に暗くなる夜の気配に呑み込まれて、見えなくなっていった。
* * *
「橘さん家に謝られる理由があるか……お孫さんが来てくれんかったら、こっちが危なかったとぞ。下手撃ったら……いや、下手は撃ったんだよ下手は。まあ、お恥ずかしながら……お孫さんに助けて貰えなんだら、みっともねぇ話になるとこだった訳よ。あとちょっとで、今頃うちは……葬式の準備で、てんやわんやよ」
そんな風に呵々と笑うお隣のお爺ちゃんの家に、俺と我が家のお爺ちゃんとお婆ちゃんは、翌日菓子折りを持ってお見舞いに出かけた。
橘家から田畑を挟んで、たっぷり500メートルは離れたお隣さん宅。
縁側に座るお爺ちゃんのランニング・シャツから覗く、枯れ木の様な肩には痛々しいガーゼと紙絆創膏で養生された跡。
傷の方は、診療所で診て貰った結果――やはり爪が掠めた程度でしかなかったというお話で、抗生物質を飲んで安静にしていれば2週間程で治るだろうとのお話だった。
「蔵人言うたか? ……鬼子じゃな?」
こういう場合、どういった反応をするべきなのかも良く分からず、伏し目がちに俯いていると――お隣さんは、俺の顔を覗き込むように身体を傾けて愉快そうに笑った。
傷も浅い怪我人の見舞いとはいえ、長居が傷に障ってはなんだからと、お見舞いの品をお渡しして挨拶を済ませると、早々に引き上げる事に。
今回の件に……限って言えば。
特にこちらが負い目を感じる理由も、やましさを覚える理由も無かった訳ではあるけれど。
当事者の一人のお隣のお爺ちゃんを交えての――縁側での口裏合わせで
熊と血しぶき巻き散らす、大立ち回りを繰り広げたのは、地元猟友会に籍を置くお隣さんが警戒して周っているところ出くわした、あの2頭を――死闘の末に切って落とした……と、こういう筋書きで行こうということになった。
「他人様の手柄を横取りするみたいで恰好の悪さ……なあ? 世が世で、これが昔話だったら主人公になれたかも知れんとぞ」
バツの悪い表情を浮かべて、お隣さんはボヤいておられたけれど――じきに駐在所の巡査の検分まで受けることになるだろう、悪目立ちの種にしかならない今回のこと。
こちらとしては有難い。
一も二も無く、ご提案をお受けすることにした。
「……すまんかったな……蔵人」
帰りの畦道の途中。
俺にひとり、千影の迎えに行かせたことをどうやら気に病んでいる様子の――我が家のお爺ちゃんから、そんなことを言われた気もしたけれど……。
家に近づくにつれ聞こえて来る、千影たちの姦しい声で俺の両足は重さを増して――
俺はお爺ちゃんからの言葉を聞き流してしまっていた。
* * *
「なんか……らぐい? まァ繋がるだけましか……おーい! おーい! 聞こえますかァ? つむぎぃ? つむぎちゅぁあん? 愛してるぅ~@ 愛してるのおぉ~っ! ……おーい」
「あ、はい……ちょっと待って下さいね画像が、まだちょっと……あ、来ました。こんばんわ来栖さん ……あと、愛してるはヤメて下さい」
「えぇ……愛してるダメ? んでもって澪でイイって。まぁ、その内に案件って奴か。ん? お風呂上がったところだったん? あの変態は……、――、……来ないな、よし」
「な、なんか……あるんですか?」
「ああ、うん。あのバカに今のあんたの――パイルのパジャマ姿なんて見られようものなら、面倒臭いしさぁ。2~3日後にはすっげぇイイ顔して、あんたをキャラにしたエロ漫画描き上げてる気がするんよ……まあ、それはイイや」
「よ……良くはない……ですけど……いいです、ハイ」
「そっちはどんな?」
「どんなと言われましても……型紙の切り出し終わったところで……まだ、だいぶかかります……多分。そちらは? イオナさん……どころか――なんだか橘くんも星山さんの気配もしませんけど」
「あ、それ聞いちゃう? 聞いちゃうかぁ……しっかたないにゃあ~@ 紬ぃに聞かれちゃったもんなぁ~♬ 仕方ない仕方ない♪ 特別にィ……ここだけの話だぞォ♡」
「え!? えッ?! ……な、なんかマズかったです……か??」
「んんにゃ♡ 蔵人はねぇ? 今日、熊に襲われかけた私たちを助けるために大立ち回りsi」
「く! 熊ッ!!」
「そうそう♪ ……いや、マジだって。マジマジ。そんな目で見んなって。千影かイオナにでもあとから聞ゃ、答え合わせできることじゃんよ」
「え、えぇっと……そ、そ、それで? 皆さんご無事なんですか?」
「うん? うん、こっちの川で私たちが『あきゃきゃきゃきゃ♡』……って、おサルさんみたいな声上げて遊んでたところでさ? 鉄砲担いだお爺ちゃんが来たんだわ。なんか最近、この辺りで熊が出るぅ~。危ないから、暗くなる前に早く帰れぇ~って、注意してくれたんだけどさ? マジで丁度出たんよ。しかも2頭」
「は……はい」
「いやぁ、まぁ……もう固まっちゃうよね。檻もなんもないところで熊とか見た事ないし。そんでお爺ちゃんに、なんか言われたのは覚えてんだけど……私らも頭、真っ白になっちゃってるしさ? イオナは河原に座り込んで動かなくなっちゃうし、腰も抜けちゃうし」
――ごくり。
「そうこうしてる内にさ? お爺ちゃんが熊に鉄砲撃ったんだけど……外しちゃってさ? 肩怪我させられて動けなくなって――」
「え……えぇ?」
「もう、頭ん中パニックだよね。私たちも熊さんに美味しく食べられちゃうんかーい! ってさ」
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