ねてはゆめ、おきてはうつつ まぼろしの
「飴持ってないか? 2つ3つ貰えると助かるんだけど」
「どーしたの蔵人? うん、持ってる持ってる。ちょっと待っとき♪」
――1時間目の授業が始まる前――
俺は澪に、授業もこれからというのに飴なんてものを無心していた。
「珍しいじゃん。優等生なんでしょ?」
一応、校内での菓子類は禁止されている建前。
澪はスカートのポケットから、キューブ状のキャンディーが2つ個包装された物を取り出すと、それを大阪のおばちゃんか、……はたまた、人目を忍んで薬物を手渡すドラッグ・ディーラーさながらの剣呑さを無駄に漂わせて、それを俺にくれた。
「……別に、俺が舐めたい訳じゃないんだけど、まぁ」
贔屓目に見ても目立つ澪と、地味な俺とのやりとりを遠巻きに訝しむように
けれどもなんだか、浮かれた姦しさたっぷりと言った感じで話し合う、彼女の級友たちから感じる……居心地の悪さ。
「んん? 千影がノドでも痛めてんの? って今日休みだったか」
「うん……まぁ、飴が要る理由は、もっと瑣末な事でさ」
そこから始まった、飴の代金代わりと云わんばかりの――澪の事情聴取の巧みさに
俺は成す術も無く、阿呆の如く
今朝の出来事を素直に白状してしまっていた。
話終えて視線を上げて――澪の顔を見てみれば……
そこにあったのは般若の形相。
「蔵人ォ!?」
澪の張り上げた声にクラスの皆が、驚いたかの様子で、こちらを見る。
「……ちょっと、ツラぁ貸しなさい」
「ハ……イ」
* * *
「あんたね! なんで……そこまで千影が、頑張って見せたのに……どーして! さっ! と手ぇ出して! ズバっ! と、チューのひとつもかましてみせることができないの! その上、言うに事欠いて『幼馴染としての関係にヒビが入るのは困る』 ……あ゛?」
仲の良いらしい級友らに口裏合わせを頼んで、
俺を校舎裏に引っ張り出した澪の御立腹さ加減は凄まじいもので……俺には、その捲し立てられる言葉の嵐に、返す言葉も見つけられないでいた。
「し、仕方がないだろう。……いや、お前が何に怒ってくれているのかは……まぁ、分からんでも無い気もするし――想像つかないでも……ないけど。苦手なんだよ、そう言うの……経験値無いんだって」
「んんなもん……私にも千影にだって無いわッ! 朴念仁の無欲キャラがもて囃される現代と思うなよと……声高に申し上げる! 座禅組んで木魚ポクポク叩いてる お坊さんの価値観なんて、ニッチも良いところだっつーの! どーして……あんたともあろう奴が、腹のひとつも決められない!」
怒り狂う彼女の剣幕が鳴りを潜めた頃には……とうの昔に授業は始まって、既に半ば頃を回っていた。
重ね重ねの澪からのお叱りに、俯いてしまいそうになっていると、
――彼女は。
ふぅふぅ……ぜぇぜぇ……と、乱れた息を整えて
「……あんた、今日はメッ……チャ! 千影の御機嫌を取れ。私は、イオナのバカを〆に行く」
気が良いんだか、物騒なんだか。
判断付かない事を口にして――足音も猛々しく、校舎へと戻って行った。
* * *
(……とは言われても。朝のアレは本当に……俺が悪いのか)
澪の奴の剣幕のタダならなさを、思えば――俺の過失は多分にあるのだろう。
現に俺は、『キモい』と難じられても仕方のない……芽生えた下心の命じるままに
千影の胸に手を伸ばそうとしてしまっていた訳だ。
そこには弁明の余地は無いし、その気も無い。
けれども、だからと言って――
澪のいう通り……怯えた様に目を瞑る千影に迫って、
流れに無責任に身を任せて、思った通りの事を成せば良かったのに! と言う、その……澪の論調も
少々……冷静になって考え直してみれば、理解し難いものがある。
あの状況下で、無体を押し通そうとしていた俺を――千影が許容してくれるか……そうでないかなんて……分かるハズもないじゃないか。
あそこで踏み留まるきっかけを与えてくれた、イオナに……深甚な感謝の念すら覚える。
少なくとも俺と千影の関係に、破局する展開が訪れる事を避けさせてくれた上に――互いに考える時間までもたらしてくれた訳だ。
けれども、きっとこんな……嵐が過ぎ去ったのを見計らって
心の中で舌を出すかの考えを仮にもし、澪が知ったなら――きっとまた、烈火の如く怒り狂ってみせてくれるに違いない。
「……はぁ……分からん。奇妙千万……奇天烈すぎる」
「――どうかしたんか? 橘くん」
コンクリートの非常階段の影に隠れるようにして、この手の事に関しては――てんで役立たずな頭をフル回転させながら、物思いに耽る俺に
授業から抜け出して油を売っていた3年グループが、間の抜けた声。
「……いいから。お前たちは、渡した薬舐めてろ。それで……あの薬の影響は、完全に無くなるから」
「――本当に……本当に……ありがとう。橘くん。これから……なんかあった時には……なんでも言ってくれ。大した役になんて……立てないかも知れないけど……俺たち……橘くんのためなら……なんだって協力するからさ」
澪から調達した飴を砕いた、見た目にも綺麗なキャンディーの破片。
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