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僕の都市と君の都市1

 施設長は言った。

「私が若い頃は電車というものがあってね。新幹線なんかもあったな。それに似ていますね。この乗り物は」

 頭上の金属の車輪が一回転する音と、それに連動するかすかな振動がキューブのなかに降り注ぐ。構造も動力源も僕には検討もつかなかいが、四十の都市を通過する頃にはこういうものかとすんなり受け入れた。それでも四方のガラスに映る都市の個性は本当に千差万別で、映画のようにずっと鑑賞していられた。乗車賃のほかに見物料の徴収について場内アナウンスで流れても、僕らふたりはきっと鵜呑みにして財布を出してしまうだろう。それくらい未知で見応えがあった。

 齢八十を超えた施設長は、いまだに感心の渦にとらわれ、そこから抜け出せないようだった。白い眉毛の下、皺の寄った瞼の奥のつぶらな黒目は、いつにも増して輝きを反射している。

「三年前に施設に強盗が入った時、私はここで死ぬと思ったんですよ。なんせ相手は片手に鉈、もう片方に爆弾を持っていたんですから。これまでの行いを神が評価したとしても、相討ちが相場かなとも思いました。しかし、まあ、今になってわかりましたよ。ああ、きっと今日というこの日があったからこそ、私は今まで死ななかったのでしょう」

「死ななくてよかった、だろ。普通は」

 施設長は今日のためにわざわざ一張羅を買ったことを僕は知っている。小さい子たちを寝かしつけた後、この都市とそこに住む人々について入念に下調べをして、見送りの際に僕が恥をかかぬよう配慮してなお老体に鞭打ちながら上京したのだ。貧しい施設を切り盛りするのでせいいっぱい、新品を設える金はないので、隣町で催された新興教会のバザーで木製のハンガーに吊るされて日光を浴びていた深緑の一着を施設長は喜んで買った。

「君には礼を言わなくてはいけないね。このようなところまで私を連れてきてくれてありがとう」

 僕は少しの間押し黙った。孤児だった自分を拾ってここまで育ててくれたことについて感謝すべき場面だとわかってはいたが、いざ自分が口にすると一気に白々しくなることを危惧して気が引け、結局今日の今日に至るまでなにひとつ感謝を伝えられなかった。素直に言える日は当分訪れないだろうという予感とともに、いつものようにふてくされた顔をして呟いた。

「どういたしまして」

「君は優秀だから、どこへいってもうまくやれますよ」

 施設長の顔を見る。途端に気取っていた気持ちが揺らいだ。

「……本当に、俺は優秀なのかな」

 尖った口調の独り言のような問いかけに、施設長は今までと変わらぬ穏やかな声で話し始める。

「優秀ですよ。一の教えから十を閃き、細い綱を器用に渡る利口さなんてものはあなたにはないとは思いますし、不要だとも思います。しかし、思い出してください。あなたには折れない芯があります。適性検査の結果が散々だった夜、他の同志と打ち上げを開いて慰めあったことがありましたね。私や他の子は混ぜてもらえませんでしたが、心だけはあなたたちに寄り添って泣いていました。適性検査をした人間を恨めしく思ったりもしましたよ。けれど、その晩、あなたは宴のあとで何事もなかったように机に向かっていましたね。あなたを見ていると、こんな言葉を思い出すんです。ーー追い風は走る理由にはならない」

 施設長は俺の両の手を自分の乾燥した手でかき合せると、歯を見せないで笑った。

「大丈夫ですよ。ダメになったら、いつでも戻ってきなさい」


 それが施設長との最後の別れだった。僕を都市へ送り届けた一ヶ月後、風邪を拗らせて寝込んだ施設長は「明日の献立は魚がいいですね。カルシウムを摂ればすぐに元気になりますよ」と笑って言い残し、翌朝眠るように息を引き取ったらしい。

 ーー施設の東の方角にある教会の墓地の奥、白の石に薄水色の名前が入れてあるわ。それが施設長の墓よーー休暇ができたら、会ってあげてねーー施設長ね、あなたがそっちでうまくやれるかとても心配していたのよ。だから近況報告も忘れずにねーー

 電話先でそう告げられたが、本当に知りたかったことはそんなことじゃないと思って、僕は何も言わずに通信を落とした。真っ暗な個室で、荷ほどきがいまだに終わっていなかった段ボールを蹴り飛ばした。何が知りたいのか、あるいは何を施設長に語りたかったのか、自分自身がわからなかった。胸の中の暴力的な風雨は止む気配をみせない。生活は退廃的になったが、授業だけは出席し続けた。


 心は形を作る。

 強い意思は骨を作る。

 想像は海のように広く、滑らかに。


 操作性リングを指に通し、エモーショナルトラックをガンガン鳴らす。思考の伝達を助けるプラグを足首に差し込み、人工知能が今か今かと息を飲んでいる気配が感じ取れたら、聖なるスープ・ドロップに指先から浸す。視界が一気に明るくなる。長方形の箱・パゴダの中で、僕は深く息を吐く。天井と足元にまで視認性パネルを配置する人もいると聞くが、道具に対して頭の処理が追いつかない気がして僕は最低限の枚数に絞っている。そのパネルが僕の深層心理とリンクして都市を作り出す。


 感情の起伏を恐れないこと。

 山を生み谷を生む。

 希望はあってもなくてもいい。

 多種多様の街は、多くの種を救うだろう。


 描いた街は、頼りない芝生で覆われている。

 歩き進めると、想像の十分の一の数のアパートメントが建っている。新築のはずなのに古めかしい木造だ。金属の階段と手すりはもう錆びついているし、絶対にキイキイと不気味な音を鳴らすだろう。色あせた赤いトタン屋根が目印の僕の城。入居させる前に雨漏りをしないか点検した方が良さそうだ。

 都市学生にまつわるまことしやかな噂の中に、貧乏人は絶対に抜擢されないというものがあったが、この産物を見る限り、あながち間違いではないかもしれない。

 一つ目の部屋の扉の前で、鍵がかかっていることに気づいた。鍵を作り忘れたかもしれないと焦った俺の耳に、春風のように優しい声が聞こえた。

「ズボンのポケットに入れときましたよ」

 この声を聞いて、「君は忘れっぽいから」と苦笑する声が頭の中で自動再生された。いつもの口癖だった。弾かれたように走り出して、あの人の姿を探した。鍵を取り出して全ての部屋に入り、無限に広がる芝生の端から端まで見通したが、それはそうだ、施設長がこんなところにいるわけがなかった。ここは選び抜かれた都市の一画に過ぎない。

 コンクリートの土間に腰掛けて、初めて作った都市をしばらく眺めていた。学校に評価依頼を出さねばならない。貧相な都市だが、耕せば畑として使えそうだ。施設長はそうやって食べ物を増やした。

 そして、ふと思い当たった。

 僕はここに来るまで、追い風とともにいた。



 早朝のキューブは比較的空いている。第83都市までの三年分の定期情報は、着用している制服のどこかにインプットされている。だからこの都市に住む学生は、みんな制服をきちんと着る。非常に合理的な仕組みだと思いつつ、しかし、やっぱり不完全だ。

 同じキューブで鉢合わせる女子生徒は、Tシャツの上に黒いパーカーを羽織った姿で立っていた。肌の色が透けないタイプの黒タイツにスニーカーともサンダルとも言えない奇妙な靴を一応履いている。髪型はストレートだが、たまに風で煽られると奇抜な色の毛束が目を引く。ここまでくると、学校指定のシンプルな白いスカートの方がかえって浮いていた。

 彼女を見かけたのは、今日が最初ではない。時折見かけては見て見ぬふりを決め込んでいたが、今日ばかりはその手は通用しそうになかった。

 足を閉じて座る僕の目の前で、彼女は仁王立ちしていた。彼女の細い足のラインから恐る恐る視線をあげると、案の定彼女は俺を見下ろし完全に僕をロックオンしていた。

「あなたと私の都市、きっと近いわよね?」

 女はそう言った。

「そうだと思います」

「じゃあ今からあなたの都市に遊びに行ってもいい?もしくは私の都市で遊んでもいいけど」

 僕はあえてキューブ内のモニタが示す時刻を細目でみやる。

「今から学校ですよね」

「そうよ。学校の時間よ。だから誘ってるの」

 言い切った彼女の真っ直ぐな瞳を凝視しても、彼女の目的は微塵もつかみとれそうにない。僕が二の句を継げられずにいると、彼女は断りもなく隣りに腰掛けた。足を組む。香水の匂い。

「ここに住む人ーー特に都市学生って頭がいいから、会話をしててもすぐに気の利いたレスポンスが返って来るでしょ。あれってどうなのかしら?市販されているパズルのピースなのよね。目的の絵があって、それを完成させるママゴト。あなたママゴトやったことある?」

「……小さい頃、よく付き合わされたかな」

 彼女は共通項を見つけたことに目を見開いて大げさなほどに驚いた。

「私もよ。特に二番目の姉が好きだった。その姉はいまでもママゴトしてる。結婚したの。去年。披露宴の準備に二年かけるんだって。狂ってるでしょ。その間に別れないことを両親は願ってる」

 僕は奇天烈な彼女の存在が普通の一般家庭で生成されたことに失礼ながら驚いた。

「良くも悪くも本当に人の心をえぐる言葉に出会ったら、誰しも一瞬固まるのよ。いざっていうときに頼りにならない脳みそが、保存済みの過去データを引き出せと命令して、早急に事象を照らし合わせる。無意味なのにね。そこでわかることはたったひとつ。これは応用問題だってこと。つまり解決する方法はそう簡単には見つからないワケ。だから、人は無理やり忘れようとしたり、誰かに責任をなすりつけたり、開運グッズに縋ったり、いろいろ試してみる。それはとても賢いやり方よ。視野を広く持ち、目の前の試練をちっぽけなものへ変える……いわばイリュージョンね。器用ってのは得ね。もっとも愚かなやり口は、その傷がいつか消えるはずだと信じて祈り続けること。これは救いようのないバカね。額をクレンザー付きタワシでゴシゴシ擦ってあげたいほどバカ……」

 ほんのわずかの間、キューブの金属音が聞き取れた。彼女が一呼吸置いたからだ。天高くそびえる都市が生み出す影と、意地でも大地を照らそうとする太陽の光が、一秒おきにせめぎあいながら交互にキューブを包み込む。

 テロップと共に流暢なアナウンスが流れる。

 ーーこのキューブは、第30都市まで快速で運行いたします。その次の特化都市育成科学園の第38都市までこの扉は開きませんーー

 気持ちのいい天気の日に乗るキューブは、あの日を思い出していつもより増して憂鬱になる。誇って見せられる都市を作れなかったくせに。

「ーーけどね、その祈りが都市を生み出すのよ」

 僕は初めて横にいる彼女の顔をまじまじと見た。尖った鼻がゆっくり僕の方を向いた。綺麗な顔立ちとしなやかで俊敏そうな体躯を持ち、スプリングを想起させる不思議な子だと思った。思いをすぐに行動に変えてぴょんぴょん飛び跳ねる滑稽なバネ人形のようだ。

「私の名前はエル。都市は下から数えて十八番目よ。下層同士、仲良くしましょ」



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