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囚われの恋慕  作者: アロエ
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温室に咲く花は美しいか否か



「はー……ウェル様って本当、素敵な方よね」



大衆食堂の看板娘の熱を孕んだ視線の先には、数年前から移住してきた一人の若い青年がいた。


無愛想で口数も多くはないがとても愛している妻がいるらしく、彼女の話しをする際に僅かながら笑顔が覗いたり雰囲気が柔らかとなる。そのギャップを可愛らしいと愛でる主婦や老婆もいたし彼の上司にあたる土木関係の親方なども養うものがいるのであればそれは仕事に熱も入ろうと息子のように時には厳しく時には頼もしく指導に当たった。


重い重税などもない穏やかな土地柄か、嫁さんに自分の家で取れたオレンジをと持ってきたり娘のお下がりではあるが綺麗めの服があるから、明日は自分が休みを変わってやれるから嫁と少しでも一緒に過ごしたらどうかなどと皆が皆新婚の夫婦たる彼らを気遣い、見守っていた。


妻の姿を見るものはなかったが、それは病弱故だろうと各々が考え深くを問いかけることもない。


そして直向きな姿に感心し惚れるのは同僚ばかりではなかった。比較的よく見かけられるありふれた顔立ちであろうとも彼のまとう騎士のような雰囲気に都会や物語に憧れを持つ娘たちは浮足立った。


金の髪に紺碧の目をした典型的な王子様とは掛け離れていたがそれでも騎士のように女子らに紳士で優しい男は乙女らの中ではポイントが高い。田舎の大将を気取るような粗暴な輩が多いからこそ生涯に一度くらいは護られて姫のように扱ってもらいたいと思うのは仕方のないことだ。



流石に妻帯者と広まっているために誰も告白などしない。それでも彼女も昼時にやってくる彼の姿を見るのを日課にしている程度には好きだった。


静かに黙々と一人で食事を取る姿は他の客とは明らかに違った雰囲気をかもし出す。マナーもへったくれとなくどんちゃん昼から酒を飲んでいい気分になって歌い出すもの、ガハハと笑い声を響かせるもの。知り合いでもないのに他のテーブルに絡んでくる輩もいると言うのに微動だにせずただ自分の食事を済ませば食器などを騒ぎで壊されないようにと彼女の元まで運んできてくれる。


別に席に置いておいたままでも彼女や他の店員が片付けるというのに、騒ぎに巻き込まれないようにと配慮も交え、初めてそれをされた時はひどく驚いて彼女は顔を林檎のように赤くしどぎまぎと礼を言っては彼が立ち去るのをぼーっと眺めていた。



「チサ、止めときなよ。全くこの子は本当に惚れっぽいんだから」


「だってぇ〜!あんな人めったにこんな田舎じゃいないじゃない。少しくらい夢見てもバチは当たらないでしょう?」


「既婚者に目を向けてる時点で十分悪いっての!あんまちょっかいかけたら馬に蹴られるような目に遭うよ!」



現実に帰す鋭く突くような台詞で窘めてきたのは実の姉であるユキである。


不倫なんてするもんじゃない、と妹の頭を軽く叩いた姉に大げさに痛がりながら彼女は唇を子どものように尖らせた。



「ふんだ。どうせユキ姉にはわからないよ、アタシの気持ちなんて」



マーロというおっとりとしているがなかなか働き者の良い旦那がいる姉と自分とを比べて少し卑屈な物言いをしてはまた彼を盗み見る。


さっきのやりとりの間に食べ終えていたらしく他の店員に食器を渡しているのを見てあー!と己のミスに遅まきながら気付いた彼女は暫く涙目で悔しがっていた。





帰りの道。何者かが後をつけてきているのに気付いた彼は表情を一際冷ややかなものにしながら家路にはつかず逸れていき、路地の行き詰まった場所へとその者を誘導しようと考えていた。


追手にしては気配がど素人もいいところといったもののであり、早々に彼の頭の中からはその線は消えた。ならば、好奇心に負けた町人か。子どものいたずらか。


答えは直ぐに出た。


袋小路の一歩手前に当たる場所で距離が開いているのを利用し物陰に身を潜め気配の一切を断つ。それだけでつけてきていたものは面白いくらいに焦り飛び出してきたのだ。


明るい髪色のあどけない顔をした少年とも言っていいような年の子どもだった。


武器の類いは持っていないようだが、それでも警戒は止めずぬっと背後に立ち首根っこを捕らえれば釣り上げる。



「人の後ろを付け回し、何が目的だ?スリや強盗が目的なら受けて立つが」


「ち、違う!俺はそんなんじゃ……!」



ジタバタとしても元騎士を相手に素人がどうにかなるものではない。抜け技も阻止して立ち場を一度わからせようとダンと少し大人気ないが思い切り壁にぶつければ息を詰まらせ咳き込む様子を眺める。



「立ち場を弁えろ。疑われて当然のような事をしておいて、そんな言い訳が通じるほど生憎と俺は人ができてはいない。このまま屯所に連行しても構わないんだぞ?」



嘘だ。


本当はそのような目立つトラブルなど起こしたくはない。だがこちらの意思は伝わったのだろう。彼は顔を青くして体を縮こませ、漸く謝罪を口にした。



「ほ、本当に、人様の財布に用があったわけじゃないんです……。すみません、許して下さい。そんな理由で引き渡されたら父さん母さんに面目が立たない……。馬鹿な真似をしてすみませんでした。許して下さい」



最早半泣き状態で頭を下げる彼にやはり追手の類いではなかったと安堵しながら元騎士の男は彼を地に下ろしてやった。


そしてまだ首根っこは捕らえたままながら理由はと再度尋問するようかける。


ぐしゅ、と鼻を鳴らした少年はボロリと大粒の涙を零しながら答えた。



「チサが……チサが恋人になるならあんたみたいのが良いって、そう言ってたから、お、俺、俺は」


「すまない、誰だ?そのチサとは」


「かける黒犬亭の看板娘で、俺の幼馴染……」


「…………ああ、あの店の店員か」



元騎士の反応を見て完全に自分の思い込みとやらかしだと気付いた少年はそれすらも情けなくて泣きを酷くする。元騎士も何だか泣かせた癖に流石に居たたまれなくなり彼を解放した。



「それで、その娘と俺の関係を探るか喧嘩でもふっかけようと俺を付け狙っていたと。そういう事だな?」


「はい。はい、そうです……」


「ならもう少し情報を探ってからにするべきだったな。俺は既婚者だ。お前の言う幼馴染とやらに手を出す気もない。俺はこの世で妻一人だけを愛すると決めている」


「え?」


「お前もそれだけ思いが先走る程にその娘を好ましく思っているなら、わかるだろう?俺の世界には彼女さえいてくれればそれでいいんだ。他は望まない。地位も名誉も彼女に代わるものは何もない」


「……」



ぽかんとした間抜け面を晒してから数秒経ってハッと我にかえったらしい少年は大人の男ってのはこういうものかと小さく呟くとなにやら小さくぶつぶつと言い考え込む。


そして何か得るものがあったのか泣いたその顔を少し男らしくキリリとさせるともう一度だけ頭を下げて路地を去って行った。


元騎士の彼も息を長く吐いてから路地を抜け出す。帰宅が遅くなった理由はいかにと考えながら今度こそ家路に向かって足を早めた。



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