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囚われの恋慕  作者: アロエ
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陽炎の日々


姫様の視点より





夏が来る前にまいた種が芽を出し伸びて収穫が出来るまでに至り、気付けば二年の年月が過ぎた。


私もこれまでの生活とは違った、けれども貧しいながらも夫と二人で暮らすことに慣れだめだった家事もそこそこに上手くやれるようになっていた。


夫は暫くの間、私のことを気にして外出も必要最低限に済ませていたが時を見てそろそろ働きだしても構わないだろうと私の代わりに外へと赴き給金を得てそれで生活に必要なものや私が家で腐らないようにと様々なものを持ち帰る。


刺繍などは最高級のものとまではいかないが小綺麗な布と糸を。古本だとて高いだろうに己のものを切り詰めてまで数冊と用意してくれた。


本当に私にはもったいないほどによき夫を得たものだと一人になった時にしみじみと思う。


出会った当初は彼よりも高い位置からこちらを仰ぎ見る様を見て何の色も映さない瞳で、礼儀も何も知らない無愛想、そしていまいち面白みに欠ける男だと思っていた。


髪はよくある黒に顔立ちは可もなく不可もなし。なよなよしい男よりかは好ましい逞しい肉体とその武勇に惹かれることもあったが身分が邪魔をし世間話の一つも満足にいかない。


これでは宝の持ち腐れだと父に抗議し自分の身を護る術を彼に伝授してもらいたいと申し出たが、嫁入り前の娘が男と一緒に長々と過ごすものではないと叱られてしまった。


確かに私には相応の婚約者もいた。だがしかし過保護すぎると私は不満に思っていた。女であれ上にいる二人の兄たちのように文武両道となるべきである。囲われるだけが女ではないと証明してみせたかった。若さゆえの反発心のようなそんな可愛らしい感情だ。


体がむず痒くなるような世辞や令嬢教育より(たか)狩りや乗馬の方が性に合っていて私らしくいられたのもあろう。


そして私は好奇心に耐えきれず内密に彼と顔を合わせどのようにして鍛錬をしているのか、またそのように強さを得るための秘訣は何だと次々に質問をして困らせた。


平民から騎士爵を得た身分であり恐れ多いと言うのを宥め、多少の礼を欠いても構わないと朗らかに迎え入れようとも屈さず常にその場の空気を読み、超えられない壁を弁えて頭を下げ続ける彼にいつしか私も諦念(ていねん)が生まれもうこれは仕方がないことなのだと受け入れた。


他人の心や行動を縛り付けて得るものになど一体何の価値があるというのか。時が経てばあるいはとの希望さえ少しずつ近づく婚儀に薄れ消えてゆく。



しかしそれはある日突然に訪れた。まさしく降って湧いたような想定もしていない出来事であった。



私に他国の王から求婚が舞い込んだのだ。それも王妃にではなく畜妾(ちくしょう)にと。父は激怒した。もちろん婚約者も大臣たちもだ。我が国を軽んじているどころの話ではない。


これはあからさまな宣戦布告であった。


狙いは我が国の宝でもある民か領土か。どちらでも同じことだろう。奪われるのなら抵抗せねばならない。兵は武器を手にし彼も戦力として加わった。


なんと言っても国一番の手練れだ。身分は低かれともこの時ばかりは周りの鼻持ちならない貴族も彼を頼り、そして体の良い駒として扱った。


一人でも多く道連れにし玉砕せよとでもいうかのような戦法を立てる男らに眉を寄せて口を挟もうとしては国の為、民の為であるときつく言われ押し黙り彼を見やる。


いつもの通り、何も言わず()いだような表情で頭を下げ己の運命を受け入れる姿に思いの外動揺していた。


なぜにこんな時にまでそんな人形のようにあれるのか。なぜに死ねという命令に反発しないのか。怒鳴りつけ命を粗末にするなと言いたい思いを抑えて戦場に赴くのを見送る。


せめてもの手向けに武運を祈ると甲冑に身を固めたその肩を叩いた。


私がここまで近寄り馴れ馴れしくしてきたのに驚いたのか肩越しに振り返ったその顔は若干程度の時間だったが青年らしい、拍子抜けするようなあどけなさを含んでいて私も目を見開いた。


衝撃に僅かに呆然としていれば気付くと彼は前に向き直り歩きだしていて、しかし私は肩を叩いたままの手を下げられずややあってからぎゅっとその手を握り込み唇を噛んだ。



ああ。私は何一つ彼を知れていなかった。


低い身分?国一番の戦士?面白みのない男?


王族と聞いて呆れるような浅はかさな捉え方に涙が出そうになる。こんな時になって彼も一人の人間であると気付くなどと。


押し隠したその仮面の下にいるまだ若く、私とさほど変わりのない年の、妻も(めと)れていない、もしかしたら恋すらままならない青年一人に全てを背負わせ自分は安全な場所で生きながらえて。


彼が無事に帰って来れたなら私に出来得る限り礼を言おう。そして父や臣下のものたちを説得しその働きに見合うほどの報酬を与えてやれるように進言しよう。


どこかの気立ての良い娘を望むなら私が仲立ちになってもいい。彼にも人生というものを謳歌(おうか)する権利がある。


吹き抜ける風に結い上げた髪の一筋が垂れるのを押さえながらそんなことを考えていた。




戦況は初めから不利の一言であった。こちらの軍より明らかに向こうの人数は多く万の軍勢に対し二千という差があった。あちらの軍勢の強さと悪辣さは名を(とどろ)かせているために、友好国の援軍も見込めない。あれに睨まれたくないのだ。


加えて、こちらの手を事前に読んでいるかの如き動きがあった。不意を突いての奇襲や土地を利用しての挟撃(きょうげき)なども打破されもう打つ手はないところまで来てしまった。


父がまだ倒れず獅子奮迅(ししふんじん)の動きを見せる彼を呼び戻し私のもとにと現れたのを見て私も察した。


城下は蹂躪(じゅうりん)され王城もじきに落ちる。兄たちも戦場で命を落とした。兄たちの妻はそれぞれにまた別の逃げ道より亡命を図るのだろう。


隠し通路を挟み最後の別れをする。頬を挟み必ずや逃げ延び幸せに暮らせと言う父の顔を確りと記憶に刻みつけた。こんなにも老けていただろうか。こんなにも暖かな手をした父を置いていくなんて。



「姫、お早く」



現実にかえされる声に父の手を放し通路を走り始める。


私は国を捨てて親兄弟を捨てて民を捨てて、罪人も同じだ。例え戦争の口実だとしても私が求婚を拒まねばここまで多く被害は出なかった。


……いや、過ぎたことをあとからあとから嘆いてもそれこそ仕方のないことだ。



****



「レイラ様、レイラ様。そのようなところで寝てはお体に障ります。せめてベッドにお移りください」



名前を呼ばれ、目を開けるともうずいぶんと見慣れた青年の顔があった。未だに堅苦しさは残るが姫呼びから名前へと変えさせただけ一歩前進しただろう。


彼が材木を掻き集めて手製で作ってくれた揺り椅子は読書と昼寝に最適だ。悪いと口にしながら小さく欠伸をし膝の上に乗せていたものが落ちたのを見やってああそう言えばと思い出した。



「マーロのところは二人目が生まれたんだったよな?確か女の子と聞いていたのだが、合っているか?」


「はい。愛らしい顔をした父親似の赤子でした」



いつも世話になっているという夫の同僚の顔を思い浮かべては編みかけの靴下を拾い撫でる。祝いの品だが、父親似か。


死んだ父母や夫との子どもなど様々思いを()せては目を伏せた。



「……それは羨ましい限りだな。私も子を望むのであれば動き出さねばあっという間に適齢期を過ぎてしまう」



真の夫ではない。彼はただの護衛なのだから。そんな彼に本当の夫婦になりたいなど望むのはとても卑しいとわかっている。


だが、私も女だ。本来ならば嫁ぐことが出来ていた。子を持つことも恐らく出来ていただろう。恋愛をすることはできずとも幸せな家庭を築きそれなりに暮らせていたのだろうにと僅かにでも思ってしまえば止めどない。


彼ならば私との身分差を弁えている。だからこれはただの愚痴のような嘆きのような意味のないものとわかってくれるだろう。そう思って眉を下げ忘れてくれと口にしようとした。



「…………姫が望んで下さるのであれば。この身を差し出しましょう」



するりとではないがその口から飛び出た言葉に驚いた。まさかこんなどうしようもないことにまで返事をするとは。



「冗談だぞ?お前も思う女の一人や二人いるだろうに何を世迷い言を」


「私が思う者がいるとするならば、それはあなた様です」


「私を慮ってそのようなことを口にしているのか?ならばそのような配慮などいらない。馬鹿な妄言(もうげん)は止めてくれ」


「妄言などではございません。これは私の本心です」



貫くように真っ直ぐに赤茶の瞳に見据えられ、言葉に詰まった。冗談では済まない事態になってしまった。


まさかそんな、彼がそんな感情を抱いているなどとは夢にも思わなかった。今までそのような素振りは一欠片も見せなかったのになぜ今になって……。



ふと、そこで何かが引っ掛かった。



そうだ。彼は多くのものを道連れにするために一番危険で犠牲になるような場所に居続けた。こちらの手を全て読まれたかのように手痛い仕打ちも受けてきたのに。それなのになぜ、父が呼び寄せるまで奇跡的なほどに致命傷も負わず立っていられたのか。


国内に内通者がおり、それが私の婚約者の家であったとも彼から聞いたがもし、そうでなかったとすれば?


私の婚約者を陥れるために彼が裏から手を回し他国の王に情報を売りつけ国を滅ぼしそして今、私とともにいるとしたら?



嫌な汗が背中に伝い落ちた。私の感情の機敏(きびん)を見てとってか彼が少し眉を寄せて心配そうな顔をしてレイラ様と呼び手を伸ばしてきたのに思わず椅子から立ち上がり後ずさった。


国を、民を、私の家族を殺したのは……。



「く、来るな!私に触れるな、この人殺し!」



揺らいだ信頼と関係を叩き壊すようにして叫ぶ。膝から靴下が床に音もなく落ちた。それすら構わず家から飛び出そうとするのを彼が慌てたように引き留め腕を掴んだ。



「レイラ様、いけません。今は夕暮れです。こんな時間に表に女人一人で出れば悪漢に襲われかねません」


「お前だとて同じようなものだろう!離せ、私に、触るな!」


「落ち着いて下さい。私は確かに多くの人を殺めた人殺しに違いはありません。ですが姫にみだりに手を出したことは誓ってないと宣言できます。お父上様とも約束いたしました、姫を必ず護りきると」


「っ、その父を見殺しにしたのは誰だ!」


「私です。姫をお守りするために私とお父上でそう決めたのです。私が憎いというならばどうぞ殴って下さい。私はたったお一人しか護れなかった、木偶(でく)の坊です。気の済むまで腕を奮って構いません。ですが今表には出てはなりません。危険すぎます。私は例えあなたに殺されようともあなた様のために立ち塞がります」



力強く引き寄せられて暴言にもあくまで静かに、冷静に言葉を返してくる彼に次第に怒りが萎み自分の突飛な行動と今彼に投げかけた言葉を振り返って抵抗するのを止めた。


真偽も確かめずにただ思いついた考えに振り回されて私は何を言った。逃亡する際にも怪我を負ってまで私を庇い逃してくれた彼になんてことを言ったのだ。


抵抗を止めた私を注意深く見てから彼は手を放し許可も取らず体に触れたことを謝ってきて更に胸が締め付けられた。


国のために最善を尽くし、今も尚見返りさえ払われないというのに、足手まといである私など見捨てて一人生きることなど彼なら簡単に出来るはずでしかしそれもせずずっと仕えてくれているというのに。私は。人殺しなど、簡単に口にしていい言葉ではない。護られていた身分で言うべきではない一番の禁句であったものをなぜ口にできたのか。


頭が冷えていくほどに己の愚かさを呪い唇を噛み、俯いた。


そもそも二年の年月が流れていると言うのに彼が私に邪な思いを向けてきたことがあったか。国を滅ぼすほどに愛した女を手に入れたのであれば二人きりになった時点で直ぐに襲えただろう。


男勝りであっても武器も何も持たない世間知らずの女だ。簡単にやり込めるはずで、こんな辺鄙(へんぴ)な場所ならば悲鳴をあげたって誰も助けには来ない。そもそも夫婦と偽っている時点でそのようなことをしていてもなんらおかしくはないと役人などに助けを求めても取り合ってもらえないだろう。



「すまない……。どうかしていた」


「いえ、私もお慕いしていますなどと弁えず口にし申し訳ございません」



怒りも悲しみもなく、彼は頭を下げ私がいいと言うまで礼を取り続けた。


そして夕餉(ゆうげ)の支度が出来ておりますと似合わぬ顔をして彼はいい気まずい思いを抱きながらこれ以上彼に迷惑をかけまいと歩きだした彼の背中を見送り、少し間を開けて私も足を踏み出した。



夕餉のパンとスープはやはり冷めていた。思い出深い具なしのあれよりはまだ食べごたえがあったが、それでも私はその味をなんだか感じられずに彼の心配そうな眼差しと言葉を受けながら大半を残しいつもより早くに就寝となった。



****



朝、起きればベッドの側に書き置きが残されており、早朝に彼が仕事に出たと知る。朝食の支度と、更に旅資金に必要な程度の金子の入った袋。


ここでの自分との生活に嫌気が差したならば用意した荷とこれを持って敵国に見つからないよう北へと向かうようにと丁寧な字で(つづ)られたそれに罪悪感が増した。


やはり、やはり彼は私が考えたような人物ではなかった。


吐き出しぶつけた言葉の刃をどのようにして償おう。純粋に私に好意を示してくれていたのなら、その刃の深さはどれだけのものだったか。馬鹿な私には想像もできない。


ベッドからしばらく出ることもできず、私は贖罪(しょくざい)の方法を考えて只々、時間を無為に浪費するばかりだった。



****



夕暮れを少し前に夫が帰宅した。私の姿があることに若干驚いたように目を瞬いては首を(かし)げ、いかがされたのですと問いかけてきた。


彼の帰宅を待ち、玄関でこうしてじっと座り込んでいるなどしたことはないから当然だろう。



「昨日は……その、取り乱してすまなかった。寝起きでぼけていたにしても質の悪い言葉ばかりをお前に投げつけ傷付けた。本当にすまないと思う。調子のよいことをと思うがまだ私をここに置いてほしい。それと詫びと言っては何だが、ええと……。これを、お前に」



一日だけでは満足な刺繍もできなかったがそれでも形にはなっていると思うハンカチを渡す。恋人や婚約者に渡すようなそんなものだ。


差し出されたそれを前にまた驚き、戸惑っているらしい彼らしくない様にこちらが焦れて強引に手に押し付け握らせた。



「突然だったから私はまだ、受け入れられたわけではないからな。だが、しかし、お前の忠義と思いは、嬉しく思う……」



迷惑ではない。人殺しといったこの口でとの思いも大いにある。だがどうか私の誠意も受け取ってほしいとその言葉に込めてさっと(きびす)を返して厨へと向かう。



「汚れを落としてきたら食事にしよう」



パンとスープに金子でこっそり買ってきた酒を彼と自分のコップに注いで、彼を待つ。


汚れを払拭してくるであろう彼が私の目の届かない場所に行くその配慮にすら今まで感じ得なかった感情を覚えて少し居心地が悪くなりながらも偽りでなく、一般の家庭の夫婦らしいやりとりができる未来を思って私ははにかみ一人で微笑んでいた。



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