高嶺の花を手折る騎士
騎士視点より。
それは神が与えたもうた試練だったのかもしれない。
私なぞの手に入れられるはずのない、この疚しい思いを押し隠し生涯それを恥として胸の奥底にしまっておくべきであった。
だが私の手に今この瞬間、千載一遇のチャンスが転がり込み。甘美でいて手放し難いその悪魔の誘惑に抗うことすら考えられずこの安い自分の魂で手に入れられるならと喜んで売り払った。
己でも判別がつかないほど昔から狂っていたのだと思う。
国とあの方とを天秤にかけ多くの護るべき命より、私はたった一人の女性のために剣を捧げる覚悟を決めてしまっていたのだ。
父である国王陛下と隠し通路を挟み彼女が最後の別れを交わす。護衛は最低限にとのことで国一番の腕を誇る私が唯一着けられた。
彼女だけは何としても護り通してほしいと言う国王陛下に私は黙って頷き、彼女の手を一言無礼を行う旨を告げて握り走り出す。
幾度も幾度も振り返る彼女を止めはせず、私は心の内でこれでようやく二人きりだとじわりじわりと胸を熱くさせていく思いに少年のように心躍らせた。
通路は国境近くの森へと通じており、一先ずは近く用意されていた山小屋に向かい、中を検めてから先に彼女を通し着替えを待つ。きらびやかな服は目立つのも怖いが身動きに支障が出てしまう。もし万が一のことがあれば大事だ。
私は外で追手が来ないかと見張り、やがて彼女が顔を出したのを受け今度は私が中に入る。しかし彼女を外には出さない。私と違い戦いに精通していない彼女を一人でいさせるわけにはいかないのだ。
彼女もそれを心得ているために何も言わず、そっと扉や窓など追手が現れる可能性のある場所から離れ、私が直ぐに駆けつけられ護れる範囲にと身を置きながら目を伏せ支度が整うのを待っていた。
騎士然とした甲冑姿からどこにでもいるボロを身に纏った旅人のような格好へと着替える。そして彼女に声をかけ終った旨を告げるとこれからは夫婦と偽り宿などを取ることを謝罪しておく。
己のような一代限りの騎士爵の男と、一国の姫では釣り合うはずも無いのだ。理解はしていたが彼女の顔が嫌悪に彩られる様を見たくはなく、謝罪を口にしながらこれ幸いと頭を垂れ、視線を下に向けた。
「私を護るために必要なことなのだろう?……それに私こそすまない。もっと可愛げのある女の方がお前も妻として胸を張って紹介できただろうに」
「滅相もございません。姫の美しさは天上の乙女が舞い降りたと言われるほどのものです」
「氷の女帝と呼ばれるようなものでもか?いや、今はそれどころではなかったな。忘れてくれ。褒めてくれてありがとう、悪い気にはならなかったぞ」
氷の女帝。きりりとした青い眼差しと白銀の髪、そしてすらりとした立ち姿からそのように囁かれる彼女の通り名のようなものだ。冬の透き通るような空気や雪や氷の汚れのない美しさを表しているようにも思い、自分もなるほどよく例えたものだと感心していたのだが、姫はあまりこの名を好いてはいないようだ。
可愛らしいだけが女性の魅力ではない。胸の大きいものや小さなもの、スタイルの締まったもの、大柄なもの。
可憐という言葉が似合う令嬢もいれば彼女のように他の追随を許さぬ美麗だとしか言えない貴い存在もいる。
銀の髪が見えないようにと編み込んでまとめた上から布を被り、結わえたならまた外へと繰り出す。目指す先は中立国でもあるナグダラだ。
数日をかけて野宿をし、追手を撒くべく道なき道を選び遠回りしナグダラへと入り込み、なるべく大通りから外れた寂れた宿をとって大人しく過ごした。食料などの買い出しは勿論私が行うが、残していく彼女に合図がなければ扉を開けずに逃げるようにと教え留守を頼み、あちこちへと探りを入れ情報を得る。
この宿屋を取る際に女将へと多めに金銭を渡し彼女がとある貴族の男に妾にならないかと強引に誘われ剰え拐われそうになり逃げているとの嘘をさも真実のように語り同情を買っている。元々正義感の強そうな女将は姫の見せる悲しげとも言える表情に嘘はないと思い込んで万一何かあれば雨樋や屋根を伝って外に逃げ出しやすい一室をと貸し出してくれているために進退極まるという事態にもならないだろう。
それはそれとして、更に逃避に必要な物品を買いながらに店の主人から聞かされた情報を頭で整理する。私と姫の生国はやはり敵国の手に落ちた。国王陛下は勿論、王妃様と姫君に扮した侍女をも捕まった様子で姫君として処刑されることが決まったらしく暫くは逃走に猶予が生まれたとわかった。
もっともあれの髪は染め粉であり、時が経てば向こうに姫が逃げ延び生きていると知られる可能性があるため油断はならない。敵国は豊富な資源を有する我が祖国と姫を欲したのだ。姫は当然ながら生まれた頃より決められた婚約者がおり何よりあからさまに姫を妾か側妃にとの目論見が見て取れたため国王陛下はこれを拒否した。
資源は豊富であれ、戦に強くはなかった国はそのまま攻め込まれた。きっとあちらは国を蹂躙できる理由さえあれば良かったのだ。頷こうが拒否をしようが向こうはどうでもよかったのだと思う。
そして私もその混乱と国王陛下の姫を護って逃げてほしいという言葉に天啓を得たかのように飛びつき現在がある。
……彼の国の王は嗜虐性のある男だと近隣の国では専らの噂だ。拷問か尋問かを行った後に国王陛下、王妃様、侍女が姫として処刑されることも想像に容易い。その後は貴族や民が奴隷として国内外で売られ出すだろうか。
宿に戻り姫の無事な姿を見て伝えるべき情報を選び伝えて夜を明かし、早朝の内に発つ。
そのようにしてナグダラのいくつかの宿を取りながらより田舎町へと向かい大凡の見当をつけて適当な古民家を買う。広くはないが二人で隠れ暮らすには相応しい小さな家だ。元々は老夫婦が住んでいたというだけあって小さな畑のような耕された場所もあり、姫の興味を引いたのが購入の決め手となった。
土地家屋を売買をしていたものにも嘘を吹き込むのを忘れない。私たちは駆け落ちしてきた訳ありの男女とだけ伝えれば後は向こうが勝手に想像してくれるだろう。
畑に今一度手を入れるために私が鍬を持ち耕し、種籾を買い、姫とともに畑にまく。いつ種は芽吹くだろうかと興味津々といった様を隠さず姫が尋ねてくるのを愛らしく思いながら芽はすぐだろうが収穫は秋頃でしょう、と答えるとそんなにかかるのかと目を丸くする様もまた可愛らしい。
ここならば距離も取れ、見つからないだろうとの自信もあるが念には念をと髪を解くのは室内のみと彼女と約束を交わし、新婚の夫婦のように過ごす日々を送る。とはいえ、男女の契りや関係はない。姫の心を慮って、護衛として付き従うだけだ。
それでも城内よりも近く、何者にも縛られない彼女の素の表情を垣間見ることができるこの生活は私にとって幸福な日々であった。
しかしついに避けられない出来事が町を騒がせ始めた。起こるべくしてそれは起こった。彼女の手を取り、国から逃げる際に覚悟していたことだ。数々の拷問の末に彼女の父であり国王でもある方が公開処刑され、王妃陛下も獄中でお亡くなりになり、姫も処刑された。
どうやら侍女は最後まで口を割らず姫として己の身分を偽りきったようだ。忠誠を捧げた彼女らしい死だと密かに敬意を払い黙祷を捧げた。
王族、貴族ともに処刑かあるいは奴隷落ちが決まりこれで彼女は亡国の姫となった。
僅かに悩んだがいずれは知ることになるだろうと食事の材料を買い込み、それをしまった後に彼女のもとにと向かう。
私が外に出ていたこともあって家の奥で編み物をして時間を潰していたらしい彼女は直ぐに私に気付き、普段とは違う私の様子を感じたのだろう。神妙な顔をしてどうかしたのかと自ら私に問いを投げかけてきた。
国王陛下の死、王妃陛下の死、影武者と立てた侍女が死んだこと。拷問の下りをなしに伝えれば彼女は目を見開いて絶句した後に諦めたように目を伏せ、そうかと静かに一言呟いて黙った。
その日からしばらくは落ち込んだ日々が続き、食事もあまりとっては下さらず、体を壊されたらと気にしていたがそのうちに私が何を言うでもなく自分から食事に手を付け、また国が滅んだことを知る前と同じく穏やかな日々をお過ごしになられるようになった。
「人は永遠に生きられるものではないし、父上も私も覚悟していた。数多の犠牲を出し救われたならばこの命、永らえさせなければ」
無駄には決してできないと畑に水を撒き、食事の支度や家事などを私から奪い、教えろとせがんでは見様見真似で彼女は日々を精一杯に彼女なりに生きている。
美しい傷のない柔肌を汚すのはと私が渋れば何を今更と呆れたような顔をして眉根を寄せ言うのだ。
「私はもはや姫ではない。お前を囲う賃金さえ払えないのだ。ならば働いて然り、そうだろう?それに仮にも夫婦と言い張るならばそれくらいやらせろ。暇で暇で仕方ない!」
確かにそうかもしれない。王家の一員として立たれていた頃はその身分により様々な学を積まれていた。休む暇などほんの僅かばかりというほどに。全ては国のためならばと時には目の下に隈を作ってまで尽くして下さっていた。
それが今は布切れ一枚無駄にはできない切り詰めた生活をしているために刺繍もできない。これでは退屈だろう。
私の渋い面を見てツンと顔を上げては何か問題でもあるかと言いたげに胸を張り頑なにやると宣言をしだす彼女に仕方無しに私が折れることにする。
その代わり、高価な薬や用品はあまり購入ができないので大きな怪我はしないようにしてほしいと念を押すように言いつけた。不服そうに顔を歪めそんな子どもじゃあるまいに、と彼女は唇を尖らせたが姫ならば本当にやりかねない。
「……それより、もう左腕の傷は痛まないか?」
「私の身など案じずとも」
「何を言う。お前が私の姿を隠すために囮となって駆けたからこそ逃げのびることが出来たのだ。そのように自分を卑下するなら私とて許さん」
「ですが」
「まだ言うか、このたわけめ!私の、そして今は亡きガルシュバ国最後の騎士にして国一番の男だったのだぞ!それ以上貶すというのであれば私を侮辱するも同じと思え!」
ペシンとそれなりに力を込めたのであろう平手で右肩を叩かれる。
ああ、やはり傷を負っておいて正解だった。国が潰れるのを看過しただけでなく我が身をも犠牲にすれば優しい彼女の関心をより自分に向けさせることができると踏んでいた。
私のような卑しい身分の男がこのように彼女の心を傷め、すまなさそうな顔をさせ私の騎士とまでその可憐な唇から言の葉を引き出した。
幸せだ。ああ、幸せだ。
仏頂面のいつもの顔をして上がりそうになる口角を無理矢理に抑え、頭を下げる。
その日の晩はともに厨に立ち、スープを作った。初めてにしては上手く出来ただろうと誇らしげに根野菜を掲げて皮が剥けたことを彼女は示すが、細く小さくなり過ぎている。案の定、煮崩れしてしまえば一見して具なしのスープが出来、彼女は頻りに首を傾げ野菜はどこに行ったのだと漏らしていた。
そのうちに頭のいい彼女ならば思い当たるだろう。国を、王家の血を絶やさず繋げ再建を望むのであれば同じ国の血を必要とすることを。
そうなった時に必要な男はほとんどが奴隷として売り買いされている。
そして近くにいる私に気付くのだ。身分は低くとも国のため姫のために働き、護りきったこの亡国最後の供が“男”であることを。
尊き彼女の血筋のため。犠牲となったすべてのものたちのために。
私からは何も言わないでおこう。彼女がどのような葛藤をしどのような思いでそれを打ち明け私を欲するのかわからないが、生涯その身を汚さずに修道女のように神に身を捧げるのであっても私は彼女の側に居続ける。
本来であればそれすら叶わず彼女が自分以外の男のもとに嫁いで行くのを見るはずであったのに比べればたとえ火の中といえど熱などないにも等しい。
そう言えば彼女の嫁ぐはずであった男はどうなったであろうか。
年々美しさを増す姫を手順を踏むことすら惜しんで薬を盛り犯そうとした悪漢であり、伯爵位をいずれ継ぐ予定にあった男。他国に我が国の情報を売り利益を懐に入れただけでなく便宜を図るのだから我が国を手に入れた暁には報酬として姫を好きなようにさせてほしいと巫山戯たことを宣ったとされる大馬鹿者である。
向こうにも信用はされず散々利用された挙げ句に切り捨てられ、適当な罪を着せられた上でこれも民衆の前で惨たらしく刑に処されたと風の噂で聞いた。
その罪は私と同等かそれ以上か。
彼女の寝顔を見、そして寝ずの番をするために表へと繰り出し狙うとしたらここからだろうという箇所を巡回して夜を明かす。
平穏な日々。何隔てなく言葉を交わし合えるありがたみ、充実した生活。夢にまで見た二人きりの……。
闇の中、歪んだ笑顔で笑う俺がいる。愛しい人よ、今はまだ夢の中に。




