第8話
車をコンビニ裏にある有料駐車場に停めて、私達はS駅東口に向かう為、大通りを歩いていた。
Y駅とは一駅離れただけなのに随分活気があってとても賑やかだ。北枕が言うには、ここは準急列車も停まるし、空港に直通するバスも運行しているからではないかと安易な回答をしていたが、あながち間違ってはいなさそうだ。
「そういえばさ、姐さんにも私の素性は隠した方がいいの?」
ふと、頭を過ぎった疑問を彼にぶつけてみた。相手が同じ人間なら難しいだろうが、まだ理解は得られるかもしれない。しかし、相手が幽霊となるとまた話が別になる。
「あぁ〜そうだなぁ〜。大丈夫っちゃ大丈夫かもしれないし、ダメかもしれないし……」
頼むからそこだけはハッキリしてくれ。まさかこの土壇場で1、2を争う重要な事柄をノープランだとは思わなかったよ。
「一応隠しとけ。バレても多分理解得られると思うから、まぁ安心しとけ」
ここまで安心できない明言も珍しい。いざとなったらこいつを盾にして逃げよう。うん、そうしよう。
そんなこんなで歩き続ける事約5分。北枕は徐ろに腕を伸ばし、バスターミナルの方を指差した。
「あそこだ」
彼の指を辿って見た先。そこにいたのはバスターミナルのすぐ傍にある屋根付きのベンチ、銅像の隣に座るちょっと見た目がヤンキーな女性だった。茶髪でジャージ姿、タバコを吸いながら何か雑誌を読んでいる。
「姐さんって……まさかあの……なんていうか……やんちゃ系?」
私の見間違いかもしれない。ってゆうかそうであってくれ。私は心の中で手を合わせ、必死に祈った。
「あぁ、彼女だ」
最悪だ! 神も仏もありゃしない。私が学生の時もあんな感じのヤンキーがいたが、関わってロクな事がなかった。
約5年の月日が流れ、平凡で平和な生活が送れていたのに、まさか今日こんな所で関わりを持つ日が来るとは。
「じゃあおさらいだ。姐さんと会う前にする事は?」
「身だしなみを整える……」
「よし、行くぞ。くれぐれも失礼のないようにな」
色々な緊張が駆け巡り、吐き気が催してきた。そんな私の事情を知るよしもない北枕はズンズン私の前を歩き、彼女に近づいていく。
「おはようございます。姐さん」
北枕は私と話す時とは勿論の事、昨日会った斉藤さんとも全く違うハキハキとした喋り方で挨拶をした。その瞬間にサブイボが立つ。彼の人によって態度を変える喋り方、本当に慣れない。
北枕の声に反応した姐さんは挨拶もせずに「おお!?」と一言漏らすと、吸っていたタバコの吸殻を灰皿に勢いよく押し付け、身を乗り出すように北枕に顔を近づけた。
「正太郎、昨日のレース結果は!?」
「惨敗ですよ」
「あぁ!? 何でだよ!?」
「初心者なのに三連単で勝とうとするから……」
「クソが! この雑誌、何のアテにもならねぇじゃねぇか!」
姐さんは開いていた雑誌を閉じると『必勝、競艇の極意』と書かれた表紙をバンバン叩いて、怒りを露わにしていた。とても幽霊とは思えない程生き生きしている。
不機嫌のオーラをこれでもかと漂わせる姐さんは頭をガシガシと掻くと、またタバコを口に咥えて火をつけた。
「で、そっちの娘は?」
フ〜と白い煙を上げながら、彼女のキッとした鋭い視線が私に向けられた。その瞬間、私達に緊張が一気に走り出す。
「申し遅れました。私、高砂ななかと言いま──」
「あ〜、違う違う。ウチが聞きたいのはお前の目的だ。ウチを除霊する気か?」
バレている! 私が除霊をできる技術を持っている事を!
「長い事幽霊してるからね。その人間がウチにとって害があるか否か、そいつの目とニオイで分かる」
姐さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。彼女の眼は内なる全ての私を見透かしている、そんな気がした。
いつしか私は呼吸をするのも忘れ、完全に硬直していた。まるで蛇に睨まれた蛙だった。
「姐さん、こいつは──」
「お前は黙ってな! 今は女と女の会話の最中だ」
動けなくなった私を見かねてか、助け船を出した北枕の言葉も姐さんの一言で一蹴されてしまった。
「さぁ、言ってみな? 高砂ななか。お前の目的を」
もう誰の掩護もない。逃げ場もない。追い詰められ、緊張が極限にまで達した私にはここが人が賑わう場所だというのにも関わらず、他人の声や騒音は勿論の事、もう風の音すら聞こえなかった。
……正直に言おう。嘘をついて後からバレた方がヤバいし、恐らくだが、姐さんは私の事を信頼しようとして試すような事をわざとしているのではないだろうか。
不本意だが、姐さんは私の事を尼か僧侶として認識しているに違いない。その私に対し、黙っていれば先制の手を加える事ができたのにそれをしなかった。それどころか、私の正体を暴いて公言し、私の行動の様子見をしている。下手をすれば自分が除霊されるかもしれないのにだ。
『この人は正面から面と向かって私の事を理解しようとしている。私もそれに対して同じ姿勢で応えなければ失礼に値する』
見た目はアレでも姐さんには礼儀がある。ゴクリと生唾を飲み込んだ。まだ少しの緊張と彼女に対する恐怖はあるものの、私は意を決し、口を開いた。
「私は……私のせいで最後の願いを聞いて叶えさせる事ができなかった女性の霊の無念を目の当たりにしました。もう二度とそんな失敗はしないように彼から慰霊師が行なう除霊方法を勉強して、今後に生かしたいと思ったんです。だから……」
姐さんの眼を見た。相変わらず鋭い眼光だが、最初に向けられたそれとは違うとなんとなく分かる。
「あなたを除霊しようだなんて、これっぽっちも……微塵も思っていません!」
しまった。最後の方、少し嫌味っぽくなったような気がする。緊張と分かってもらおうと必死になっていたのがごちゃ混ぜとなった結果、意図しない誤解を生む種となってしまった。
その部分だけ訂正しようとしたその時、姐さんはいきなり吹き出し、声を出して笑い始めた。
「お前、今どきの人間にしては珍しく裏表の無い人間だな。見込み通りで気に入ったよ。なぁ正太郎? お前もそうなんだろ?」
「アハハ。そうですね」
北枕は引きつった笑顔と棒読みで上機嫌の姐さんに話を合わせていた。お世辞でもいいからもう少し上手く演技できないものだろうか、こいつは。
「いや〜、愉快愉快。そうだ、紹介が遅れたね。ウチは卒塔婆恵子。ウチの事は好きに呼んでくれていいよ」
差し出された彼女の右手に私は握手で返した。幽霊と握手をするのは初めての経験だったけど、意外と生身の人間とするのと変わりはない。ただ体温を感じないだけ。なんとも不思議な感じだった。
「それじゃあ……恵子さんと呼んでもいいですか?」
「おぅ。いいぞ」
舎弟キャラは北枕だけで充分。私は恵子さんとお友達のような関係でいたいからね。
「姐さん、俺の時と対応違くないですか?」
「あぁ!? いいんだよお前は! それより昨日の仕事はどうした?」
お互い握っていた手を解放する。恵子さんは短くなったタバコの最後のひと呼吸をし、煙を吐きながら吸殻を灰皿に押し付けた。
「1件目は完了しました。ただ2件目のが……」
「さっき言ってた、ななかの乱入か……」
恵子さんの言葉の後、私は直ぐ様頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。あの時は無知とはいえ、よく確認しなかった私が悪い。
「やっちまったもんは仕方ない。慰霊師の存在ややり方も知らなかったんだろ? ただし、同じミスはするな。分かったな?」
恵子さんの優しい叱咤をありがたく受け止めると、私はまた深く頭を下げ、北枕の背後に回った。
「で、歩道橋の子は?」
「コンタクト取れましたよ。生前の恋人に会いたいそうなので、今日の午後に彼女の恋人に話をするつもりです」
恵子さんは「そうか」と一言呟くと、それ以上は多く語らなかった。
二人の会話を聞いてて分かった事がある。やっぱり、最後に叶えたい願いというのは皆決まって『最愛の人と会う』に落ち着くのだろう。最後に伝える事ができなかった思いや言葉、感情を自分の最愛の人に話して伝える。生前、当たり前にできた事が死後になってできなくなる。慰霊師の力を借りなければ……。
「その子はちゃんと面倒みてあげな。ななか、お前もこの件を見て今後に生かせよ」
私と北枕は「はい」と強く返事をした。小山さんの悲痛な願いを必ず叶え、天国へと旅立せてあげなくてはならない。
「はいじゃあこれ、1件分な」
恵子さんはジャージのポケットから茶封筒をスッと差し出すと、北枕は会釈をしながらそれを受け取った。
「ありがとうございます」
北枕は受け取った茶封筒を真ん中で半分に折り、それをズボンのポケットにしまった。
「正太郎、次の件は行くか?」
「勿論です」
「よしよし、いい子だ。そしたら……」
恵子さんはまたジャージのポケットに手を突っ込むと、『㊙』と書かれたA7サイズのメモ帳を取り出した。
パラパラとページを捲っていき、とある部分で捲る手の動きが止まった。
「Y駅東口にある浅間神社。そこに有間というお年寄りの霊がいる」
「分かりました。じゃ、いってきます」
北枕は恵子さんに一礼すると、くるっと振り返り、来た道を戻るようにバスターミナルを後にした。
「まったく相変わらずの仕事バカなんだから。……行きな、ペアさん」
「そんなんじゃありません!」
食い気味に恵子さんの軽口を否定すると、私も彼女に会釈し、北枕の後を追う。ちょっと目を離しただけなのにもう彼の姿が見えない。相変わらず歩くのが早い奴だ。
「いた! 早いよ、待ちなってば」
「急げよ、タイムイズマネーだ」
何が『タイムイズマネー』だ。インテリっぽい言葉を並べたって元が元だからアホっぽく聞こえるぞ。
小山さんの恋人とコンタクトを取る予定の時間まで7時間あまり。それまでの間に私達は浅間神社に向かう事になった。