第7話
「待たせたな」
私が外に出て5分が経った頃、事務所のドアの施錠をした北枕が姿を現した。まともな服を着て、髪もセットされた彼の姿を見ると、不思議と目のクマも気にならない。寧ろ、そういうメイクなんじゃないのかなと思うくらいだった。
「車で行くぞ。こっちだ」
車持ってたんだ、意外。彼の後ろを着いていくと、そこは事務所のあるビルの裏側。舗装されていない砂利だらけの駐車場。そこにポツンと1台、シルバーの軽自動車があった。
「まさか、あの車?」
「そうだ。ホンダ製のゼストっていう2007年モデルの軽だが、まだまだ乗れる俺の足だ」
泥汚れと砂埃、雨だれによってこれでもかと汚れた車で、さらに10年以上の時を跨いだ車なんて乗って大丈夫だろうか。不安だ。
「壊れない?」
「失礼だな。車検は一応通ってる」
なら、大丈夫か。……ていうか『失礼』とか私に言う前に洗車しないあんたがこの車に対して失礼なんじゃないか?
モヤモヤする私を尻目に彼から助手席に乗るよう指示され、ドアノブを引く。ミシッといった何かが軋む音がしたと同時にパラパラと砂が舞い落ち、私の手を汚した。
「最悪……」
「とろいな。早く乗れって」
誰のせいでこの車に乗るのに抵抗感を持ってると思ってるのだこの男は。とりあえずこの汚れた手は車のシートの見えない部分で拭いてやる。手入れを怠った罰だ。
半ばイライラしながら助手席のシートに座ると、ふんわりと私の身体を包み込んでくれる。車内はその外見とは裏腹に整理整頓されており、なんだか彼の心境というか精神がよく分からなくなってきた。
「よし、行くぞ」
その言葉と同時に彼はキーを廻し、エンジンがかかった。小さくて狭い砂利道の駐車場をそろりそろりと抜けて、アスファルトの道路にタイヤが着くと、軽快なエンジン音と共に車はツーと走り出した。
「車で行くぐらい遠いの?」
「いや。隣のS駅に行くだけだ」
「ここから一駅の所じゃない!?」
電車で行けば5分程しかかからないのに、わざわざ車を出すなんて。億劫が過ぎるぞ、北枕よ。
「たかが隣駅に行くだけで電車賃取られるのは癪だし、その後に別件の依頼先に行くかもしれない……いや、行くのがほとんどだからな。こっちのが都合がいいんだよ」
なるほど。そういう理由があるなら納得する。
さて、ではここらで事務所では流された姐さんとやらの人物の話題について切り出すとしますか。
「これから会いにいく姐さんも慰霊師なの?」
「幽霊だ」
そうか、幽霊か。もうこの程度じゃあ私は驚かない。慣れって恐いね。
「昨日言っただろ? 『霊と会話して、その界隈のネットワークは繋がっている』って。小山さんやあの母親の存在も姐さんから得た情報だ」
「なるほどね。あんたの仕事の仲介役みたいなもんか」
「そう、仲介役だ。さっきそれが言いたかった」
言葉も足らなければ語彙力もないときたか。これで会話によって霊を成仏させようだなんて言うから、ちゃんちゃらおかしい。
「システムとしては、情報を得た姐さんが俺に仕事を提供、依頼。俺が現場に赴いて除霊をする。無事除霊が完了したらその報酬をいただき、仕事提供の御礼として姐さんに嗜好品を献上する。こんな感じだな」
「じゃあ、こなせばこなす程報酬も多くなるって事?」
「まぁな。でもお前らとは違って下準備がある。その日その日で何件も除霊が完了する訳じゃないからな。多くこなせて1日2件。これが限界だ」
意外ときっちりしたビジネスになってて感心した。だが北枕が言った通り、その除霊方法が故にあまり効率が良いものとはいえない。
「失礼な事を言うけど、適当にやろうとか思わなかったの?」
「思わなかったな。俺にとって金なんざ最低限の衣食住ができる分があればそれだけでいい。真っ先に考えるのは依頼をした霊達の安らかな旅立ちの手助けだけだ」
北枕の目はまっすぐだった。いや、車を運転しているからという訳ではなく、仕事への姿勢と信念、何より依頼主である霊を第一に考えている。そんな彼が少しカッコよく見えた。
「なんか職人って感じ」
「お前も職人だろ? まぁ、俺とは毛色がまったく違うがな。……お前はどうなんだ? 適当にやろうと思うのか?」
彼の質問に対し、私はゆっくりと首を横に振った。
「思わないかな。私は人間の依頼主さんから恐怖や不安が取り除く事が一番だと思うから」
「なぁ、その事で聞きたいんだが……お前や僧侶達は別として、どうして人間は霊を怖がるんだろうな。嘘や見栄、建前で塗り固めて、大きく見せようとする人間の方が怖いと思うんだが?」
中々物事の核心をついてくる質問をしてくる。私は少し考えると、漠然とした答えを見つけたのでそれを彼に話して見る事にした。
「世間一般的な人間には、霊の存在を認識できないからじゃない? 誰もがみんな、霊の姿を見る事ができたらそれが常識、当たり前に感じて怖いとは思わなくなるんじゃないかな」
我ながら天晴な回答だ。どうだと言わんばかりに北枕の方を見ると相変わらずの無表情な顔をしながら「なるほどな〜」と気の抜けた相槌すると、「だがよ」と覆し、更に続けた。
「見えねぇから怖いってなら、さっき俺が言った見栄や建前と一緒じゃね?」
「……それは表情や態度、言動による感情で理解できるからじゃない?」
「そういうもんか。俺にはさっぱり理解できねぇ」
片手ハンドルで運転しながらもう片方の手で頭をポリポリ掻きながら苦笑していた。
『それくらい普通に生活してたら分かるものだと思うけどなぁ。友達いないのかな?』
人の神経を逆撫でる発言が目に余るから、もしかしたら本当にいないのかもしれない。
『ナイーブな事だからそっとしておいてあげるか。私の心遣いに感謝しろよ』
「ついたぞ。S駅だ」
私の心遣いを知ってか知らずか、北枕は得意げに声を発すると、有料の駐車場に入っていった。
いよいよだ。北枕に身だしなみを整えさせる程の存在である姐さん。一体、どんな方なのだろうか……。心なしか、私は緊張していた。