第3話
『覚悟しておけ』と北枕に言われ、分かっているつもりだったがその足取りは重かった。
当たり前だ。除霊は成功したと豪語した挙句のこの結果。依頼主は勿論の事、下調べもせずに除霊をしてしまった依頼主の母親に申し訳ないし、草越寺の名前を守っている父に立つ顔がない。
色んな思いや感情を駆け巡らせながら、依頼主の家に再度やってきた。夕飯の用意をしているのだろうか、換気扇からは調理の匂いが漂ってくる。
意を決し、私はインターホンのボタンを押した。インターホンの呼び鈴が鳴り終えた後、スピーカーから「は〜い」と朗らかな声が聞こえてくる。
「さ……先程、除霊を行ないました高砂です。その……除霊をした霊の正体の件でお話ししたい事が……」
震える声でやっとの事で言い終える。依頼主は「分かりました」と快く返事をすると、すぐに玄関のドアを開けた。その顔は怪訝そうにも不安そうにも見えず、別れた時と同じようなニコニコとした笑顔だった。
「度々すいません」
「いえ、構いませんよ。それで霊の正体とは?」
私は生唾を飲み込み、息を整えると、その重い口を開いた。
「はい。……先程の除霊の時に男性が来られましたよね。うちと同業という訳ではないのですが、彼も私と同じような職種の方でして……。その彼から聞いたのですが、実は霊の正体が……依頼主さんのお母様でした」
やっとの事で言い終える。依頼主の顔は笑顔から一転、驚きの表情になっていた。
「よく確認しなかった私の責任です。本当に申し訳ありませんでした」
言い終えると同時に私は頭を下げた。全身が震え、立っていられるのもやっと。油断していると涙も出てきそうなので、グッと堪える。
「顔を上げて下さいな。別に構いませんよ」
「え……?」
依頼主からの思いがけない言葉に驚いた私は下げていた頭を上げ、彼女の顔を見た。
「実は私、昔から母親と仲が悪くてですね。しょっちゅう喧嘩ばかりでして、家が嫌になって飛び出したんです。以後ずっと音信不通で。結婚してから13年くらい経った頃に警察の方から母が孤独死したと聞いた時は……その……不謹慎ですけど、嬉しくて」
嬉しい? 喧嘩ばかりとはいえ、自分の母親なのに?
「やっとあの女から解放された。私は自由になったって思えたんです。それがまさかまた私に付き纏っていたとは……。執念っていうんですかね? なんにせよ、これで私は本当に自由になりました。ありがとうございます」
依頼主は、放心状態となり棒立ちする私の手を握るとぶんぶん振った。彼女の顔は嬉々としていたのが印象に残り、私の中でヒビ割れた良心が音をたてて崩れていくのが分かった。
…
……
それからはあまり覚えていない。過去の喧嘩の内容だの、悪口だの話していたが全く頭に入ってはいなかった。気がつけば彼女と別れ、駅に向かって独りで歩いていたのだ。
亡くなった母親の思いと生きる娘の思いのすれ違い。二人の間に埋めようにも埋められない深すぎる溝がある事が悲しかった。勿論、自分の犯した過ちの罪悪感がなくなった訳ではない。だがこれでは、あまりにもあの母親の事がいたたまれない。私は知らず知らずのうちに涙を流していた。
「だから言ったろ。『覚悟しろ』って」
男の声に気がついた私は声がした方を見る。そこには高架下にある居酒屋の壁に、もたれるように腕を組んだ北枕がいた。
今日初めて会ったムカつく奴に弱い姿を見せたくない。私は乱暴に服の裾で溢れる涙を拭うと、彼は徐ろにズボンのポケットからハンカチを取り出し、無言で私に渡してきた。
「……そんな意味だなんて……思わないでしょ……」
彼のご厚意にあやかり、ハンカチを受け取り涙を押さえる。
「人にはそれぞれの考えや思いが交錯している。家族のあり方もそれによって様々だ。……お前はたまたま特殊な例の家族のあり方を垣間見てしまっただけだ」
「何よ……それ……。励ましてるつもり……?」
「まぁな。あの母子の事実を教えたのは俺だ。このままお前を放っておいたら俺自身も後味が悪いんでな」
「保身かよ……サイテー……」
「だな。でもまぁ、憎まれ口を叩ける程回復しただろ?」
励まし方がかなりヘタクソだけどね。意外と優しい一面もあるんだなと思った。正直見直したよ。
「ありがとう」
「別に。……それじゃあな、俺は別件に行くからよ。ハンカチはやる。元気でやれよ。もう二度と会う事もないだろうがな」
北枕は組んでいた腕を下ろすと、右手をヒラヒラと振り、その場を立ち去ろうとした。
「ま……待って! 別件ってまだ他にあるの?」
「あぁ、5月は鬱の季節だからな。自殺も多いから一件でも多く解決しねぇと」
やはり慰霊師界隈でも5月はそうゆうのが多いのか。うん、そうと決まれば話は早い。
「私も連れてってくれない? 勿論、あなたの仕事の邪魔はしない。約束する」
「は? 来て何すんだよ」
「私、慰霊師の除霊方法を……ううん、慰霊師という霊媒師がいる事自体知らなかった。あなたの除霊方法を間近に見て学べば、今日みたいな失敗のリスクはグンと減らせると思うの。だから、ね? お願い!」
北枕は心底嫌そうな顔をすると同時に深いため息をつき、そして頭を掻いた。
「ダメって言う俺の望みを聞いてくれないんだろ? 面倒くせぇなぁ……」
根負けして許可を与える様子ではなく、妥協といった所か。まぁなんにせよ、これで慰霊師の除霊方法を勉強できる。
「やった。話しが分かる──」
「ただしだ!」
浮かれる私に向かって北枕は声を上げた。あまり迫力がないから驚きはしないけど、私が抱く彼の勝手なイメージから何か様子がおかしい事は理解できた。ここは黙って彼の言葉に耳を傾けよう。
「お前は慰霊師見習いという名目で俺の後ろについてくる。メモは取ってもいいが、間違っても……お前の正体は明かすなよ? 尼や僧侶、神主、巫女に祈祷師なんでもダメだ。寺生まれ寺育ちも一応隠しとけ」
かなりの念の押しよう。何か都合が悪い事があるのだろうか。
「別に尼でも僧侶でもないからいいけど……。何をそんなに慌ててるの?」
「それは現場に向かいながら話す。行くぞ」
足早に歩く彼の後ろを必死に着いていくが、如何せん持ってきたこのレザートランクがでかくて重くて邪魔だった。
「ちょっと待って、荷物が重くて……」
「知るか。お前が持ってきたんだろが。俺は手伝わねぇぞ」
それだけさっさと言い残すと、北枕はスピードを緩める所か気持ちさらに早く歩き出し、あっという間に距離が開けられた。
「クソ野郎……」
見直したの言葉は撤回。やっぱあいつはムカつく奴だった。