第2話
喫茶店に入り、二人がけのテーブルに案内された私達はお互い一言も喋らないまま席についた。
席につくなり、立ち去ろうとする店員を呼び止めると、私達はメニューも見ずに注文を始める。
「抹茶ラテを一つで」
「アイスコーヒー」
店員は「畏まりました」と一言申すと厨房へと姿を消していった。
改めて辺りを見渡すが、私達以外の客はパソコン作業をしているサラリーマンと新聞を読んでいるご老人の二人しかいない。離れた席に座っているが、周りに迷惑にならないよう小声で話すとしようか。
「それで、あなたは何で私の邪魔をした訳? ……っていうか、霊が見えるのはともかくとして『除霊をやめろ』って、あなた何者なの?」
無言の空気が流れた。彼は私の質問に答える事はなく、ただジッとこちらを見ている。不気味さと苛立たしさの板挟みに会うなんて初めての経験だ。今日は厄日か?
「ちょっと、聞いてるの?」
「他人に聞くより、まず初めに自分の事を言うべきじゃないのか?」
カチンときた。礼儀としてはあちらに分があるので、何も言い返せないところが実に腹立たしい。
いつの間にかフルフルと震わせながら握っていた拳を深呼吸しながらほどき、どうにか落ち着きを取り戻す。
「あら、ごめんあそばせ。私の名前は高砂ななか。東京にある草越寺の住職、高砂海誠の娘よ。依頼主から電話があって除霊を行なう為にこの町に来たの。これでいいかしら?」
自分でも思う程、随分嫌味な言い方をしたが構うものか。むしろここで腰を低くしたら、後で悔しく感じる。
「尼か……。なら納得だな……」
何気なく言った彼の一言を私は聞き逃さなかった。今さっきの件と重なって怒りの沸点に到達した私はテーブルを叩いて立ち上がると声を上げた。
「尼じゃない! 僧侶でも祈祷師でもない! 私はただの寺生まれで、ちょっと霊が見えて、除霊ができるだけのただの──」
「お待たせしました。こちらご注文の品となります。申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑にならないようご協力お願いします」
店員の注意でハッとした。辺りを見渡すと私達以外の二人しかいない客が眉間に皺を寄せている。
私はすぐに店員に謝ると、赤面のまま着席し、抹茶ラテを一口飲んだ。
「それで、あんたは?」
「北枕正太郎。慰霊師だ」
慰霊師? 聞き慣れないワードに私は首を傾げた。
「ちょっといい? 慰霊師って何?」
「慰霊師ってのは、この世に未練を残した霊や自分が死んでしまった事に納得がいかない霊に理解してもらう為に一対一で話し合って、あの世に逝く為の手助けをする奴の事だよ」
そんな霊媒師の存在は初めて聞いた。父や兄は慰霊師の存在を知っているだろうか?
北枕はアイスコーヒーにガムシロップ1個にスティックシュガーを3つ入れると、そこにミルクを入れて、ティースプーンでかき混ぜる。甘ったるそうなコーヒーが出来上がると北枕は満足げな表情を浮かべながら飲み始めた。
「そういえばさっき『あの霊の正体を知ってるか?』って言ってたよね? どうゆう意味?」
私の質問を聞いた北枕は飲んでいたアイスコーヒーのコーヒーカップを置くと、「お前は質問ばっかだな」と呆れたように言い放った。
「あの霊はお前が依頼を受けたあの女の母親だよ。生前、不整脈だというのにタバコを吸うあの女と口論となって、以後音信不通となった娘に会う事も仲直りする事もなく孤独死してね。死後も娘の身体が心配で、霊体となって娘の背後から見守っていたんだ」
「え……ちょっと待って。じゃああの霊は人に災いを起こす悪霊じゃなくて、守護霊だったの!?」
「だから『待て』と言っただろ」
北枕の話を聞いた私は絶句し、固まってしまった。彼の言った話が本当なら、私はあの依頼主とその母親に最悪な事をしてしまった。悪霊ならともかく、守護霊を成仏させてしまったなんて笑えない冗談だ。
「しょ……証拠はあるの?」
「俺は慰霊師だ。霊と会話して、その界隈のネットワークは繋がっている。これが証拠になるかどうかはお前の判断に任せる」
嘘を言っているようには見えない。取り返しがつかない事をしてしまった罪悪感から、私はいつしか震え出した。
「謝りに行かないと……」
居ても立ってもいられない。私はレザートランクとは別に持っていたカバンから財布を取り出すと、1000円札をテーブルの上に置いて店を出ようとする。
「待てよ。あの家に戻るのか?」
彼の横を通り過ぎようとした時、腕を掴まれた。不健康な色白の肌の冷たい手が、焦って火照る私の肌にス〜ッと伝わってくる。
「当たり前でしょ。これは私のミスなんだから」
「行ってどうなる? その事実を聞かされたところでお前の言う依頼主は──」
「あの人は知る権利がある。私がその事実を知ってしまったのなら、それを知らせる義務がある」
私の決意めいた揺らがぬ意思を感じ取った北枕は大きなため息をつくと、掴んでいた私の腕をそっと離した。
「……そうかい。なら止めねぇよ。ただ、覚悟しとけよ」
そんな事は言われなくても分かってる。私は一言「お釣りはいらないから」とだけ言い残すとレザートランクをガタガタと引っ張りながら店を後にした。
「……ったく、これだから尼は……」
北枕は更にスティックシュガーを一本追加するとまた一口飲み始めるのだった。