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第25話

「それで慰霊相談事務所に来た訳か」


 謎だった全てのピースが揃った。それと同時に理由を言い終えた高砂は口をへの字にし、声を殺しながら泣き始めてしまった。まるで堪えていた感情のダムが決壊したようだ。

 なんだろう。なんか気の毒に感じる。高砂は高砂なりに精一杯やってたのにそれを評価されるどころか無下(むげ)にされて……。家柄のせいというのもあるが、これじゃああまりにも高砂が報われなさ過ぎる。


「ハァ……」


 俺はため息をつくと、高砂の隣に座った。


「今お前が感じてる気持ちはよく分かるよ。有間さんと小山さん、そしてその軍人さんもお前と心を通じ、お前に感謝してこの世から旅立ったんだからな。それを貶されたのが本当に悔しいんだろ?」


 高砂はうんともすんとも言わず、首を振る事もしない。でも俺の声をしっかりと聞いている様子なのは分かる。


「でもよ、高砂。お前は頑張ったじゃねぇか。お前一人でその日初めて会った霊をその日の内に旅立たせる事ができたんだぜ? 俺なら数日かかる所をだ。胸を張って自慢できるすげぇ事だよ。自信を持て。お前は良い事をしたんだ」


 俺の言葉を聞いた高砂は「ティッシュ……」と力なく言葉にした。俺はソファーから立ち上がると、窓際に置いていたティッシュをボックス毎高砂に渡した。彼女は何枚か手に取り、涙を拭いた後に鼻をかみ、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。


「ため息をつきながらの割には慰めが上手いのね……」

「あのため息はこれから柄にもねぇ事言うぞっていう気の引き締めだよ」


 実際柄にもねぇ事言ったからな。間違いじゃない。


「ねぇ……私どうしたらいいのかな……」


 丸めたティッシュを手に持ち、それをジッと見ながら高砂は呟いた。


「勘当か、慰霊師(俺達)との縁切りか……。難しいな」


 何かを得る為には何かを捨てなければならない。ただしこいつの場合、その天秤にかかった重りがあまりに大き過ぎる。


「お前がこれだと確信した道を見つけたのならば、その道に向かって突き進め。焦りや不安はあるだろうが、今はどっちに向かって進めばいいか模索している段階だから時間がかかるのはしょうがない。ゆっくり考えて、自分が納得できる道を見つけるのがいいんじゃないか?」


 高砂の今後の人生を左右しかねない別れ道に俺がとやかく言える立場じゃない事は重々承知している。卑怯な言い逃れのように聞こえるかもしれないが勘弁してくれ。


「悪いな……参考にならねぇアドバイスでよ」

「ううん、そんな事ない。ありがとう」


 あの沈んだ顔。やっぱ参考になんねぇよなぁ……。慰霊師としての仕事ならまだしも、生人(せいじん)の相談はなぁ……。


『こうなりゃ気が合う同性同士、姐さんになんとかしてもらうか』


 まだカルテの見直しができていないから誤字脱字のままで提出するしかないがやむを得ない。後で何言われるか分からないが腹を括ろう。


「高砂、これから姐さんの所に行こうと思うがお前も行くか? お前がこっちに来たと知ったら、姐さん喜ぶと思うぞ」


 高砂は蚊の羽音の如き小さな声で「う〜ん……」と頷くと、コクリと首を縦に振った。


「よし。じゃあ用意するから少し待ってろ」


 俺はプリンターの電源を入れ、見るに耐えないカルテを出力し始めた。1件につき、A4用紙1枚で提出。それが今回は32件もあった。


「何してんの?」


 のそのそとやって来た高砂が次々と出てくるプリントされたA4用紙を不思議そうに見ている。


「これか? 除霊を行なった日付や場所、対象者等々を記録する施術録だ。俺達はカルテと呼んでいる。1週間毎に提出なんだが……ついな」


 俺の怠惰を突っ込む事も罵る事もなく隣に立ち、ボ〜ッと見つめている。うわの空といった表現が正しいか。


「一人でこんなにこなしたんだ」

「まあな。だがこの枚数中2件はお前とこなした件だ」


 出てきた全てのカルテをクリアファイルにしまい、車のキーを取る。


「用意はいいか?」

「大丈夫」


 飛び出してきたからだろう、スマホと財布しかない身軽な装備の為、数日前とは比較にならない程の速さだった。

 順々に靴を履き、事務所を出る。最後の希望である姐さんに全ての期待を乗せて……。



……

 S駅に到着した俺達は姐さんのいるベンチにまっすぐ向かった。


「あれ、いない……ね」


 高砂の言う通りいつも座ってるあの場所に姐さんの姿はなかった。


「なら、あそこだな」

「あそこ?」


 首を傾げる高砂を横目に俺は向かいの通りを指差した。岩のように組まれた噴水の向こう側にある、マット加工のされたプラスチック板で覆われた一画。喫煙スペースだ。


「あ、タバコね。……ん? 待って、恵子さんってベンチで吸ってなかった?」

「あの人があそこに行く理由は2つある。1つは他の喫煙者のタバコをくすねる事。そして2つ目はタバコの火を便乗する事」


 タバコ自体はこの間カートンで献上した。だから今回は火の便乗だろう。

 俺達は喫煙スペースを見ながらベンチの方に向かっていると、見慣れた茶髪とジャージ姿の女性が背中を丸めながら出てきた。その口元には先端から一筋の煙を立ち昇らせ、少々不満そうな表情を浮かべている。


「姐さん」


 俺の声に反応した姐さんはキッと鋭い目つきで睨みつけた。あんなに遠いのに不機嫌というのが一発で分かるなんて長い付き合いだなとつくづく関心する。しかし、俺の隣にいるもう一人の人物を見た瞬間、まるで別れた旧友と久しぶりに会うかのように目を見開くと、ダッシュでこちらに向かって来た。


「ななかじゃないか! いやぁ、こうも早い内にまた会えるなんて思ってなかったから嬉しいよ」


 高砂は「私もです」と答えると、俺には見せなかった笑みの表情を浮かべていた。


「正太郎! カルテはできたのか?」

「できましたよ。遅れて申し訳ないです」


 俺はさっき出力したカルテの入ったクリアファイルを姐さんに預けた。


「まったく、ガキの夏休みの宿題じゃあるまいし。これっきりにしろよ」


 幸い姐さんは受け取るだけで中身は確認しなかった。まぁ何はともあれこれで依頼仕事を引き受ける事ができる。


「それで、ななかはどうしたんだ?」


 姐さんの視線が再び高砂へ向く。高砂は「はい」と答えると、姐さんの前へと出て行った。


「……ちょっと、父とケンカして」

「んん? それでわざわざ事務所まで来たのか?」

「姐さん、挟むようですみません。実は……」


 また理由を話してる内に泣くんじゃないかと思った俺は姐さんの隣に行き、耳打ちで事の経緯を説明し始めた。正直高砂の泣きっ面はもう見たくない。ただそれだけだった。


「──そういう事か、なるほどな」


 全てを聞いた姐さんは難しい表情を浮かべながらも納得した。


「ななかは今どうしたいんだ?」


 どうしたいかなんて、もし俺が当事者だったら「分からない」と答えるだろう。だが高砂は違った。


「父に……慰霊師の仕事と霊が各々抱いている思いを分かってほしいです」


 高砂には明確な目標があった。困難なのは父親の説得。それに対し自信が無い、理解を得てもらう事が難しいと高砂は感じているようだった。


「なら、お前がその熱意を持って説得するしかないんじゃないか?」

「熱意……」

「正太郎、とりあえずこの一件を預ける。ななかとこなしな」


 そう言って姐さんは三つ折りにされた一枚のA4用紙を俺に渡した。……いや、それよりも仕事をこなすのはいいが、高砂と!?


「恵子さん、いいんですか!?」


 姐さんの突然の提案に高砂もやはり驚いていた。


「あぁ。父親に説得したいんだろう? ただし条件がある。正太郎、お前もよく聞きな」


 生唾を飲み込んだ俺は姐さんの言葉、一言一句を聞き逃さぬよう彼女の目を見て聞くようにした。


「ななかは除霊作業は行なわない事。除霊を行なうのは正太郎だ。ななかには事務作業をやってもらう」


 事務作業といえば、俺が昨日から苦労していたカルテ作りとかか。


「カルテ作りですか?」


 高砂が尋ねた。慰霊師にはそんな仕事もあると今日知ったホットな情報だから、あまり驚いた様子はなさそうだ。


「基本はその作業。あとは正太郎の身の回りの雑務といった所か。カルテの作り方は後で正太郎に教えてもらいな」

「姐さん。つまり、高砂が行なってもらうのは他で言う所のパートのようなものですか?」

「パートか。いいな、それ。採用」


 いや、採用って……。


「要は慰霊師のやり方に染まってほしくないんだろ? これなら慰霊師のやり方を観察するだけで実際に除霊をする訳じゃない」


 かなりグレーの所を攻めてる気がするが、姐さんはお構いなしみたいだ。高らかに笑っている。

 こうして慰霊相談事務所に初めてのパート社員が配属される事となった。



……

「姐さん、まさか高砂を慰霊師にさせるつもりですか?」


 高砂を先に車に戻らせた俺は姐さんに尋ねてみた。


「不服か?」


 そんな事はない。あいつ以上に慰霊師に適している人材は中々いないと思う。


「ウチはな、ななかが慰霊師になろうがならまいかなんてどうでもいいんだよ。円満に家族との話が進めばいいと思っている。でも現実はそう上手くはいかないだろ。……ななかは霊の叫びを知ってしまった。優しい性格だから家の教えがあっても『ちょっと待てよ』と立ち止まって考える事ができたんだ。それが却ってななかを苦しめているんなら、いっそ正しいと思ってるであろうこっちの道に光を照らしてあげてもいいんじゃないかと思っただけだよ」

「ですが、それではあまりに無責任じゃないですか?」

「おやおや、あの人間嫌いの北枕正太郎君が人間の女の子を心配するとはね」


 茶化す姐さんに対し、俺はムッとした顔を見せると、姐さんは「むくれんな」と豪快に笑いながら宥めてきた。


「ま、無責任だろうな。でも最後に決めるのはななか自身だ。ウチらはこの分かれ道をどちらに進めば、より歩きやすい方を歩けるかを助言をするだけ。それが大人になるって事だ。お前もそうだったろ? 正太郎」


 返す言葉が見つからなかった俺は、ただただ無言で赤ベコのように小さく頷いた。


「それじゃあそろそろ行きます」

「おう、気をつけてな。……あ、そうだ。おい正太郎!」


 数歩進んだ所で呼び止められた俺はその場で回れ右をし、姐さんの方を向く。まだ高砂について何かあるのだろうか。


「昨日のレースの結果は?」

「スタート事故で全額返金です」

「クソが!」


 勝てなかったと知るや否や、咥えていたタバコを地面にビタンと叩きつけ、地団駄を踏むようにそのタバコの火を消した。


「くわばら、くわばら……」


 このまま不機嫌な姐さんと残っていても良い事なんて何もない。俺は抜き足差し足忍び足でその場から立ち去るのだった。

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