第21話
夏海さんの天国への旅立ちを見守る事ができた私と北枕は協力してくれた住吉さんに感謝の言葉を述べた。住吉さんも彼女と最後に会話ができた事に感謝を述べ、帰路に向かうバスに乗車し、解散となった。
「俺達も行くか」
「そうだね」
公園の入口付近に専用の駐車場がある。住吉さんの乗るバスが発車したのを確認すると、私達は北枕の車に向かった。
「先に姐さんの所に行っていいか?」
「いいよ。何ならS駅で電車に乗って帰るよ」
「そうか。悪いな」
「いいって。たった二駅くらい大した事ないよ」
シートベルトを閉めた北枕はエンジンをかけた。調子の良いエンジン音を唸らせながら車は駐車場から出て、表に面した道路を走って行く。
「ありがとうね」
「何だ!? 藪から棒に」
私の突然の感謝の言葉に北枕は鳩が豆鉄砲を食ったように驚いていた。そんなに驚くか、普通。
「私の中で夏海さんの件が終わったら見学は終わりにしようって思ってたの。ほら、私寺生まれでしょ? この2件は大丈夫だったけど、いつかボロが出てあんたに迷惑をかけるかもしれないし。だから今日でとりあえずは慰霊相談事務所ともさようならかなって」
北枕は「そうゆう事か」と小さく呟くと、またいつもの冷静な彼に戻った。
「まぁ自分で決めた事なら俺は止めはしないさ。ただ一つ言わせてもらうと、助かったよ」
『助かった』って言われても特別何かしたっけ、私? 過去を振り返ってみるが全く検討がつかない。
首を傾げ、眉間に皺を寄せる私に北枕は続けた。
「有間さんの件。アーノルドの霊を探していた時、無知故にお前が動物の霊について尋ねてきてくれたから、二つの霊を合わせる事ができた。そして小山さんの件。住吉の説得に尽力してくれたおかげで無事に彼女を旅立たせる事ができた。もしも俺一人だけだったら、きっと上手くいかなかった。上手くいったとしても、かなり時間のかかる案件だったと思う」
あ〜、あの事達か。ひと月も経ってないのに懐かしく感じられる。けど、一つ語弊がある。
「言葉を返すようで悪いけど、私はあんたを助けようとした訳じゃないよ? 有間さんは長年連れそった愛犬と会わせてあげたかったってだけだったし、夏海さんもそう。二人が会える最後のチャンスなのに、わだかまりを抱いたままお別れだなんて寂しいなって思っただけなんだよね」
裏も何も無い正直な言葉のまま。まぁ、回りまわって結果としては彼を助けたって事になるかもしれないけどね。
「……お前、変わったな」
「そう?」
「ああ。僧侶の娘とは思えない程、霊に優しくなったと思う」
「そうゆうあんたも始めは信用してなかったけど、段々と私の事信用してくれたよね」
「状況が状況だったからな。お前だったら安心して任せられるって思ったんだよ」
あらまぁ、らしくないお言葉をいただいちゃったよ。ボイスレコーダーか何かに録音しておけば良かったとちょっとだけ後悔。
「ついたぞ」
日曜日の夜にしてはだいぶ早く着いた気がする。車中で色々話してたからかな。
車をいつもの有料駐車場に停め、私達は恵子さんの下へ向かった。
…
……
「戻りました。姐さん」
北枕の声で雑誌を読んでいた恵子さんの顔が上げた。
「お、今日はななかも来てんのか」
「こんばんわ。ご無沙汰しております」
咥えていたタバコを手元の灰皿に押し当て火を消して、いつもの競艇雑誌を片付けると、私達の方を向く。
「あの子の件が終わったんだろ? よくやったな二人とも」
一体いつ伝わったのか不明だが、どうやら情報は通っているみたいだ。
「高砂のおかげですよ。こいつがいなかったら小山さんの件は間違いなく上手くいきませんでした」
「いや、だから私は──」
「ななか、ご苦労だったな」
恵子さんの優しく微笑みかけるその表情に北枕に反論しようとする私の興奮の火は小さくなった。
落ち着きを取り戻した私はあの事を恵子さんにも伝える事にした。ここに来る車中で北枕に話したあの事を。
「恵子さん、実は私……今日で慰霊相談事務所と一度お別れをしようと思います」
「急だな。どうした?」
恵子さんは真面目な目つきになって私の方を見た。ヤンキー成分が入ってるからガン飛ばされてるみたいでちょっとこわいけど……。
「──という事なんです」
「そうか。自分で決めたなら仕方ないな。でも惜しいな〜。ななかなら正太郎より有能な慰霊師になれると思ったが」
「姐さん、冗談でもキツイですよ」
アハハと豪快に笑う恵子さんに釣られ、私も笑った。
「じゃあこれは餞別だ」
そう言う恵子さんが手渡してきたのは茶封筒だった。見た瞬間に何が入っているのか一発で分かる代物だ。
「ダメですよ。貰えません」
私は丁重にお断りした。今回の2件の見学だって私が我儘を言ってついて行ったのに、お金まで貰うなんてそんな厚かましい事許されない。
だがしかし、恵子さんは私の主張を通そうとはしなかった。
「何言ってんだよ。お前はきちんと仕事をこなしただろうが。職務を果たしたら対価を貰う。これが社会のルールだ」
「でも、私は慰霊師でもない──」
「高砂」
困っている私に北枕が声をかけた。いつ貰ったんだろう。彼のその手には自分の報酬分の茶封筒を手に取っていた。
「それは俺達の礼なんだ。俺や姐さんは勿論、有間さんやアーノルド。そして小山さんと住吉。お前と関わり、助けてもらったみんなからの礼なんだ。慰霊師云々とか関係ねぇんだよ」
みんなからのお礼。北枕の言葉を真摯に受け止めた私はおずおずと手を伸ばし、茶封筒を戴いた。
「重い……」
「そんなに貰ったのか?」
「金額じゃなくて……。みんなからのお礼がこんなにも重く感じるものなのかって感動したのよ」
普段何気なく使っているお札。この茶封筒の中に入っているだろう数枚の紙を貰う事がどれだけ大変で、どれだけ辛くて、そしてどれだけやりがいがあるか分かった気がする。
「ありがとうございます」
「ん。気持ちのいいお礼だ。正太郎ももう少し元気よくしてもらいたいもんだな」
「そう言われても、これが俺のデフォルトですから……」
生気に満ち溢れた北枕の姿も見てみたいが……うん、気味が悪そう。
「またウチの下に何件か仕事が来たけど、それはまた明日によこすよ。今日はゆっくり休みな」
「分かりました」
「ななかはこれからどうするんだ?」
「慰霊師の除霊の仕方を取り入れつつ実家の仕事を手伝おうと思います」
「そうか。それは偉いな」
恵子さんの言葉に私はニコッと笑顔で返した。
「それで、あの……行き詰まったり、分からない事があったら、またここに来てもいいですか?」
「当たり前だ。いつでも歓迎するよ。お喋りしに来るだけでもいいぞ」
恵子さんの柔和な表情に何故か胸がズキッとする。永遠のお別れじゃないのに不思議。
「高砂」
「何?」
「もう失敗すんなよ」
北枕はその一言と共に右手を差し出した。
「勿論!」
二度と同じ過ちは繰り返さない。私はその決意を込めるように言葉を返すと彼の握手に応じた。本当、相変わらず色白で冷たい手だこと。
「じゃあ、またね」
私は二人に頭を下げると、人が行き交う駅構内へと足を運んだ。改札に入る前にもう一度振り返り手を振った。もう二人の行動どころか表情すら見えない。それでもいい。大した事ないかもしれないけど、これが私ができる二人への感謝への気持ちなのだから。
『よし。明日から頑張るぞ』
左手で拳を作り、小さく胸を叩く。
北枕と恵子さんの二人から教わった基礎と霊を思いやる心。夏海さんと有間さんから教えてもらった霊達の悲痛な思い。一人でも多くの心残りを持つ霊が成仏できるように精進しようと固く誓うのだった。




