第20話
付き合っていた当時に戻ったように住吉さんと夏海さんは笑顔でウォーキングコースをゆっくり歩いていった。そしてその後ろを私と北枕は二人の邪魔にならないように、また他の方の迷惑にならないよう注意を払いながら後を追う。
「今日はありがとうね。私の我儘に付き合ってくれて」
「全然構わないよ。北枕さんと高砂さんに今回の件を話された時はびっくりしたけどね」
夏海さんは「良かった」と言うと、見る者を癒すような柔らかな笑顔を住吉さんにやった。
「純君、ここ憶えてる?」
「勿論。この公園で初めてなっちゃんと話したんだよね」
「お〜。2年も前なのにちゃんと憶えててえらい!」
「憶えてるよ。その日は確か……日曜日で、俺がテニス部の予選大会。なっちゃんが美術部の写生コンクールで各々の部活がたまたまここに来たんだよね」
「そうそう。……あ、懐かしいね、ここ」
夏海さんと住吉さんが立ち止まり、二人して見ている場所は修景池と呼ばれる自然の美しさを整備し、維持している池だった。
「なっちゃん、ここで絵描いてたもんね」
「純君はお弁当だっけ?」
「そう。水の音を聞きながら昼休憩すれば、午後に控えている試合に備えてリラックスできると思ってね」
木でできた桟橋。どうやらここが二人が初めて出会った場所らしい。
手を繋ぎながらゆっくりと歩き、二人はその桟橋の上に立って池を見始めた。
「最初はびっくりしたんだからね? いきなり『その制服、俺と同じ学校じゃん。何描いてんの?』って言うんだもん。ナンパかと思った」
「そうだったの!? ごめんね。そうゆうつもりだったのは確かなんだけど……」
「え!? そうなの!?」
遠くから聞いていた私も思わず声が出てしまう程の衝撃。まさかあの住吉さんがそんなイケイケな人だとは思わなかったから。
「うん。今だから言うけど、一心不乱に真剣に絵を描く横顔に一目惚れしたんだよね」
「……」
「怒った?」
「ううん。ただちょっと……照れる」
夏海さんは顔を真っ赤にし、そっぽを向いてしまった。あんな事言われたら照れてしまうのは仕方ない。
「今日は特別な日だから、包み隠さず何でも話そうと思ったんだ」
「何でも?」
「そう。何でも」
住吉さんは心を落ち着けるように、スゥ〜ッと深く息を吸い込み、そしてゆっくり吐き出した。
「なっちゃん、ごめんね。本当は俺……高砂さんに説得されるまで、なっちゃんに会うのが恐かったんだ」
住吉さんの言葉に夏海さんは一切の表情を変えず、「なんで?」は疎か「え?」の一言も発しなかった。彼女の顔を見て、恐らくだが、夏海さんは住吉さんの気持ちを思って彼の心がグラグラと揺れないようにグッと堪えたのだろう。
住吉さんの発言からひと呼吸間を開けた後、夏海さんがコテンと彼の肩にもたれかかった。
「……やっぱり迷惑だった?」
「違う! 迷惑とは思ってない!」
「じゃあ、どうして?」
住吉さんの肩から離れると、夏海さんは優しく住吉さんに語りかけるように尋ねる。
「俺、なっちゃん以外の女子の自分への評価なんて気にもしてなかったし、気にした事もなかった。でも、俺の粗末なその対応が原因でなっちゃんが命を断ってしまったきっかけを作ってしまった。なっちゃんと会って『お前と出会ったから私が死んだんだ』みたいな事言われたらどうしようって、勝手にありもしない想像をしてしまったんだ……。好きになった女性の事を信用できなくて本当にごめんなさい。なっちゃんの気が晴れるなら、この顔を殴ってくれて構わない」
住吉さんは頭を下げて謝ると、そのまま目を閉じる。後は夏海さんに全てを託した。
「純君」
住吉さんの顔にそっと手を差し伸べ、顔を上げるように促す。
「私の方こそ、ごめんなさい……」
「え?」
想像と違った言動に住吉さんは目を丸くした。
「あの時、純君にちゃんと相談すれば良かった。私が一人で抱え込んでいたから、自殺なんてバカな事しちゃったんだよ」
夏海さんは伏し目がちになりながらも、住吉さんの手をそっと握ると更に続けた。
「……あの時ね、私も恐かったの。いじめられている事実を正直に純君に話せなかった。もしも純君に話したら、きっといじめをやめるよう言うに違いないって思ったの。でもそうなったら純君までいじめられてしまうかもしれない。私のせいで勉強も部活も棒に振ってしまうような高校生活を送ってしまうかもしれないって……。だから私……言えなかったんだ。決して純君のせいじゃないんだよ。私はこれをあなたに伝えたかった」
夏海さんが命を絶った今までに抱いた思いを言葉をにする。それを聞いた住吉さんは頬にツーと一筋の涙が伝った。
「言ってくれたって構わなかったのに……。一人より二人。痛みや苦しみは半分こにした方がずっと軽くなる。俺はなっちゃんとなら、どんなに辛い境遇になっても一緒に歩いて行ける覚悟があった」
「うん。死んで幽霊になってから分かった。純君が私のお通夜で私の両親以上に泣いてるのを見て『もっと純君に頼れば良かった』って、後悔したんだもん」
住吉さんと夏海さんはお互い静かに涙を流していた。
お互いがお互いを思うあまり、知らず知らずの内に自分に重い枷を嵌めていた。お互いの思い、感情を知り、その枷が解けて無くなっていく。心が軽くなった反動だった。
「俺達、分かり合う事ができたかな……?」
「できたよ。だからこそ、こんなに清々しいんだから」
その時だった。夏海さんの身体が金色の光に包まれていく。有間さんの時と同じ。夏海さんの魂が直に昇っていく事を示唆する光だ。
「もしかして……」
「そうかも……」
この異変に夏海さんは疎か、住吉さんも勘付いた。二人には申し訳ないが、彼らの邪魔をしないよう、影から見ていた私達も飛び出さざるを得ない。私と北枕は慌てて二人の前に出てきた。
「北枕さん……私……」
「……はい。正確な時間までは分かりませんが、この世界にいられるのもあと少しです……」
「そうですか」
分かっていてもいざその時が来るとなると、悲しみと辛さで心がザワつく。
「純君」
夏海さんは突然私達の前で住吉さんの胸に飛び込んだ。恥じらう時間さえ惜しい。そう思ったのだろう。住吉さんも一瞬驚いていたが、すぐに彼女の行動に応えるように夏海さんの背中に手を廻した。
「純君。短い人生だったけど、私はあなたと過ごした時間がとっても、と〜っても幸せだった。私、純君の彼女さんになれて本当に良かった。……今日でお別れだけど、私の分まで幸せになるんだよ? 色んな事を観て、聴いて、感じて、いっぱい楽しい事を経験してね……。今ある命が尽きるまで絶対に私のいる世界に来ちゃダメだからね。約束だよ?」
夏海さんの言葉を聞いて、嗚咽を漏らすように泣く住吉さんは首を縦に大きく振って彼女との約束を交わす。
「俺もなっちゃんが初めての恋人で、この先の人生の幸せ全部使っちゃったくらいに幸せだった。一緒にいてくれて本当にありがとう」
震える声。でもそれはちゃんと夏海さんに届いている。
段々と透けていく夏海さんの身体。これが本当に最後の最後。後悔が残らないよう、笑顔でお互い見つめ合う。二人の間にもう言葉はいらなかった。
やがて夏海さんの身体は光の粒となって星が瞬く青紫色の空に昇っていった。
そして残った私達。いつか北枕が言っていた「遺された方も、俺達も辛い」の理由がようやく分かった。
「北枕さん。俺が死んであの世に行った時、また彼女に会う事は可能でしょうか?」
「会えるさ。君があの子の事を思ってさえすれば必ずな」
北枕の言葉を聞いた住吉さんは嬉しそうに「そうですか」と言うと、星空を見上げたまま口を開いた。
「俺、命を全うしたらなっちゃんとまた会います。会って、こっちの世界で観た事、聴いた事、嬉しかった事、楽しかった事、面白かった事を彼女に全部話してあげるんです。生きる目標が他の人とはまるで違うかもしれないけど、これが俺の生きる道。そうやって生きていこうって今決めました」
住吉さんの目は輝いていた。それは涙でも、星空や外灯の反射でもない。未来への希望を夢見る生気溢れる命の輝きだった。
「夏海さん、きっと喜ぶね」
「はい!」
人の生き方は人それぞれ。どんな生き方を選んでも、例えそれが誰かに笑われようとも構ってはいけない。人の道さえ外さなければきっと幸せが待っている。だから私達は今日を、今を生きているんだ。




