第14話
北枕の突然のひらめきによって引っ張られた私は、東京にある私の地元から埼玉県S市の慰霊相談事務所があるY駅にやってきた。
一体どこにアーノルドがいるのか、電車でここへ向かう道中に彼に聞いてみると、なるほど。確かにそこならいるかもしれないと妙な確信を得られた。
「時間が惜しい。高砂、ここから手分けして行動したいんだがいいか?」
「いいよ。何をしたらいい?」
「こいつを使って、有間さんを神社から連れ出してほしい」
そう言って北枕は身に着けていたウエストポーチから御札が貼られたビンを取り出すと、それを私に手渡した。渡されたそれは牛乳ビンぐらいの大きさでコルクの蓋が閉められている。
「使い方は蓋を開けた後、有間さんにそこに入ってもらう。入ったら蓋を閉める、以上だ。神社の結界から出れば開けて出てもらっても大丈夫だが、万全を期す為に俺が指定した場所に着くまで開けるな」
「分かった。それでその場所って?」
「ここだ」
今度は地図を渡された。黄色の蛍光ペンで塗られた神社から東京方面へまっすぐ行った道路。そこで初めて現れる交差点を左に曲がり、またまっすぐ行った先の公園。そこが目的地として記されている。
「徒歩で5分くらいか? 大した道順じゃねぇから迷わずにすぐ着くと思う」
「そうね。じゃあアーノルドの事は任せたよ」
「あぁ、後で落ち合おう」
北枕はダッシュで私の前から消え、アーノルドのいると思われる……いや、必ずいる場所へと向かって行った。さて、こちらも行動しよう。私は浅間神社へと歩を進め始めた。
…
……
Y駅東口からまっすぐ歩いてすぐに神社へと辿り着いた。青々としたイチョウの葉が相変わらず綺麗で心惹かれる。
階段を上って鳥居をくぐり、誰もいない社殿の前へ上がると有間さんの姿を探した。
「有間さん、いますか? 慰霊相談事務所の高砂です」
私の名前を出したその時、心地よい風が一吹き。私の前に優しく微笑む紳士が現れた。有間さんだ。
「こんにちは、高砂さん。いよいよ今日ですね」
「そうですね。寂しくなります。……まずは結界の外へ出ましょう。ここからそう遠くない場所にアーノルドと落ち合う公園がありますので、そこまで向かいます。少し窮屈だと思いますが、このビンの中に入っていただけますか?」
「この結界に比べれば広くて自由な空間ですよ。……では」
私がコルクの蓋を開けると、有間さんはスゥ〜ッとビンの中に入っていった。正直な所、北枕の説明を受けて本当に入れるのかどうか半信半疑だったが、意図も容易く入っていくのをこうして見る限り、意外と大丈夫なんだなと関心した。
「よし、これで蓋を閉めてと。有間さん、狭くないですか?」
ビン越しに無理がないかどうかを確認。お寺じゃ、霊を移動させるなんて事しないから正直な所ちょっと心配だったのだ。
「心配ありません。結界の狭さに比べれば全然快適ですよ」
表情は見えないが、その明るい声色を聞いてホッとした。
ビンの中ではまるでキャンドルランタンのようにオレンジ色の優しい光がボ〜ッと輝いている。これが玉響……今風で言うとオーブの光。思わず息を呑む程の美しさだ。
「良かった。では向かいますね」
「はい、よろしくお願いします」
鳥居をくぐり、急な階段をゆっくり降りていく。幼稚園児が階段を一段ずつ降りるように慎重に。『超』が付く程安全に歩道に降り立つと、ビンの中を確認する。オーブの光は依然として輝いている。北枕の御札も中々やるな。
『土曜だから人の通りが多いね。気を付けて行かなきゃ』
今回の場合は石橋を叩き過ぎる事なんてない。私は視覚と聴覚に全ての神経を研ぎ澄ませ、北枕が指定した公園へと向かった。
…
……
指定された公園には北枕の姿はまだなかった。一応、緊急の際はお互い電話をかけるという事にしているのだが、着信履歴もないので恐らくうまくいってるのだろう。そう願いたい。
「有間さん、公園に着きました。ここなら神社の結界の影響は100%ないので出ていただいて構いませんよ」
「そうですか。では早速」
私はコルクの蓋を開けると、ビンの中から柔らかなオーブの光がサイフォンのように抜け出て、やがて人の形を作っていく。
「ふぅ。いや〜見える景色が違うってこうも感動するものなんですね。よもや年寄りになって痛感するとは」
「亡くなられて5年でしたっけ? 仕方ないですよ、ずっと同じ場所でしたもん」
約1800日。天候や四季は違えど代わり映えしない風景を見るなんて私だったら気が狂うに違いない。
「最期の風景、目に焼き付けます」
まるで少年時代に戻ったように有間さんの眼はキラキラしていた。その姿を見るだけで、私までグッと込み上げてくるものがある。そんな時だった。
「有間さん! 高砂!」
不意に呼ばれた私達の名前。振り返るとそこにはゴールデンレトリバーを連れた北枕がいた。
「アーノルド!」
有間さんの声を聞いたアーノルドは北枕の横を抜けて一直線。有間さんに向かって走り出した。勢いよく飛びついたアーノルドは嬉しそうに尻尾を振りながら、これでもかと言わんばかりに有間さんの顔を舐めていた。
「良かった。いたんだね」
「あぁ。やっぱり有間さんの家にいたよ」
「私の家? 息子達の所にいたんじゃ……」
私達の会話を横で聞いていた有間さんはアーノルドに舐められながら尋ねる。
「実はアーノルドは去年に亡くなったんです」
北枕の言葉に有間さんは驚きの表情を見せながらアーノルドの方に目をやった。当のアーノルドは自分の事を話されているなんて露知らず、笑っているかのように一吠えした。
「動物も人間と同じで未練があれば死後も尚、この世に残ります。アーノルドは大好きな有間さんともう一度会いたい。その一心でこの世に留まっていたようです。そして有間さんと暮らした家に戻れば、また会えるかもしれない。そう思ってずっと独りで待っていたんです」
「……そうか……。お前……ずっと待ってたのか……。ごめんな、ありがとうな」
アーノルドをそっと抱きしめ、涙を流す有間さん。その姿に私はもらい泣きをしてしまった。二人の絆が生んだ、お互いを思う気持ち。泣かない訳ないじゃない。
「ありがとうございます。北枕さん、高砂さん。これで私の……いえ、私達の未練はなくなりました」
有間さんは溢れていた涙を拭くと、私達の方を向いて深々と頭を下げた。その瞬間、金色の暖かな光が二人の身体を優しく包んでいく。魂が天国へと昇って行こうとしているんだ。
「天国でもいっぱい遊んであげて下さい!」
「息子さん達には自分から『天国に行けた』と伝えておきます」
「何から何までありがとうございます。また会える日まで……」
やがて光に全身を包まれた二人は花火のように光を拡散させ、その姿は疎か、人影もなくなった。
無事に成仏させる事ができた。達成感と安堵、何より心に来る感動が大きくてハンカチ1枚じゃとても足りやしない。
「これが慰霊師のやり方だ」
「良かったよ……。本当に良かったよ」
語彙力がなくて申し訳ないが、もうこの一言しか言えない。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「有間さんとアーノルドを見てさ……私、思ったよ」
北枕から手渡されたポケットティッシュで鼻をかみ、少し落ち着きを取り戻した私は、改めて胸に秘めた思いを北枕にぶつけた。
「やっぱり……小山さんの1番の願い、叶えてあげたいなって」
私の発言に北枕は一瞬目を丸くしていたが、すぐにいつも通りの小憎たらしい表情に戻り、「へ!」と鼻で笑った。
「その件だが……俺はまだ諦めちゃいねぇよ。……行くぞ。作戦会議だ」
「了解!」
小山さんには苦しい事が多すぎた。最後くらい最高の思い出を残して天国へ旅立っていただきたい。
『待ってて小山さん。必ず、住吉さんを説得してみせるから』




