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緑魔の傲り

作者: 小早川好和

第1章気づき

 その才能が自分に備わっていると自覚したのは、たぶん小学校の2年生ぐらいの時だったと思う。それまでの私は、人の顔の色は人種によって白、黒、黄、緑の4種類があると思っていた。なぜなら、単純にそう見えていたからだ。日本人は黄色人種であると学校で教わった時に、緑色の顔の人がいるのに、何故全員が黄色というのが不思議だった。

 ある時、親しい友達の家に遊びに行ったとき、友達のおじいちゃんの顔色が緑に変わっていて驚いた。つい先日遊びに来た時には肌色の顔だったのに、今日は緑色に見えるのである。「おじいちゃん顔色が変だよ」話しかけたものの、おじいちゃんは何を言われているのか解らず、困った顔をしていた。ただ、その日はおじいちゃんの顔色が変わって見えたことを除けば特に何も変わったことはなく、友達と楽しく遊んでいるうちに、そんなことは忘れていた。次の日、友達のおじいちゃんが死んだ。夜中に急に心臓発作で倒れたと聞いた。僕のおとうさんは「あそこのおじいちゃんは元気なことで有名な人で、こんなに早く亡くなるなんて信じられない」と話していた。このとき僕は気づいた。僕が緑の顔色に見える人は死ぬんじゃないかと。そういえば、去年死んだ僕のおばあちゃんも、幼稚園の時死んだおじさんも、病院にお見舞いに行った時、緑色の顔だったことを思い出した。急に怖くなって、「誰にも話してはいけないこと」だと子供ながらに感じて、その後、緑の顔の話はしなくなった。


第2章進路

 高校生になったころ、将来について考えるようになった。その頃も緑の顔が見え、その人は必ず数日以内に死んだ。この頃は、怖さは無くなっていたが、人に話すのはためらっていた。信じてもらえないことが分かっていたからである。仮に、緑色の顔をした人に向かって「あなた死ぬよ」なんて言ったら、殺人者扱いされかねないとも考えていた。なんの取柄もなく、決して頭がいいわけでもない僕は将来何ができるのだろうか。いつもこんなことを考えていた。ある日、たぶん僕だけが見えている緑色の顔は何かに利用できないかと考えた。葬儀屋の営業、お坊さん、は自分の特殊な能力がなくても出来るし、生きているうちから営業は出来ない。占い師は「生きるか死ぬか」しか当てられない。そうだ、医者になろう。逆の発想で、緑色の顔をしてなければ、必ず生きる。他の医者がもう駄目だと言っている患者の顔が緑でなければ、僕が助けたことになる。誰もが不可能だと思えることを可能にする、それも命にかかわることである。きっと皆が「ゴッドハンド」なんて呼んで、僕を尊敬してくれる。お金もいっぱい稼ぐことが出来る。幸せな人生になりそうだ。そんな安易なことを考えていた。医者になりたいと家族に話した時、みんな一様に噴出した。唐突に将来の夢を語り始めた僕を見て、どこか身体の具合が悪いのかといぶかしがった。初めて聞く話で、その時の僕の学力を知っている家族にとって、妄想にしか思えないことは容易に想像できた。けれども僕は、その日を境に人が変わったように勉強した。「医者になりさえすれば、僕の持つ特殊能力でバラ色の人生が待っている」と思えば苦痛は無かった。「平凡な頭の持ち主である僕は、人の3倍勉強しなければ医者になれない。」これが自分への合言葉であった。3か月もすると少しずつ成果が現れるようになった。成果が出ると、これが楽しみとなり、どんどん嵌っていった。狂ったように、何もかも犠牲にして頑張った。結果、奇跡が起きた。関東大学医学部に現役合格したのだ。家族、特に父親は狂喜乱舞した。「トンビが鷹を生んだ」と自らが触れ回った。


第3章 出会い

 もともとそんなに頭のいいわけではない私は、大学に行ってから苦労した。授業についていけないのである。周りの学生との差は歴然であり、「このままでは医者になるための国家試験を受けるレベルまでも達しない」と教授から叱咤された。ある時授業で、「死に際して誰でも同じことがあるとしたら、誰しも死んで腐敗すると緑色になるということです。腸の中の細菌が産生する硫化物が血液のヘモグロビンとくっつき、全身が緑色になるんです。ただし日本では、普通その前に火葬するので緑色の姿を見ることはまずありません。海外の映画などでゾンビなどを描くときに緑色なのを見たことがあるかもしれませんが、これからきているのかもしれません。」こんな講義があった。???これって自分にしか見えない緑色の顔の原因かもしれない。授業終わりに急いで教授の研修室を訪ねた。「今日の授業で教わったことに関してなんですけど・・・・・」生まれて初めて自分だけが見える緑の顔の話をした。今まで経験したことを詳しく教授に説明した。当然、教授は信じてくれない。「何をバカなことを言っているのか。勉強するのが嫌で嘘をついているのだろう。」取り合ってくれない。「何か証拠となるものはあるのか。証明できるものはあるのか。」そんなやり取りで話が進まない。何回も説明した時、私の熱意に押されて、あきれたように教授からある提案があった。「そんなに言うのならば、当大学附属病院に連れて行くので、カルテを見ずに顔色だけで患者の状態を判断してみなさい。」「君の言っていることが嘘でなければできるはずだね。冗談なら、今のうちに白状しなさい。」簡単に信じてもらえないことは最初から分かっていた事なので、この提案は願ってもないものだった。私は、「何時でもいいです。教授の都合のつく日時で構わないので、是非連れて行ってください。なんなら、今からでも自分は大丈夫です。」教授は冗談で言ったつもりであったが、私にここまで言われたことから、引っ込みがつかなくなったようである。「わかった、明日連れて行くので朝に研究室に来なさい。」教授が承諾してくれた。私は教授にお礼を言い、その日はそのまま家路についた。次の日の朝、研究室にを訪ねると、「本当に来たのか。来ないと思っていた。今ならまだ許すぞ。」そんな言葉をかけられた。「本当の事だから、証明したい。他人に話したのははじめてなんです。教授だから話したのです。是非連れて行ってください。」私はお願いした。しぶしぶ教授は引き受け、大学付属行院に一緒に向かった。


第4章証明

 実は初めて附属病院に行ったので、大きな建物で何課がどこにあるのかも分からなかった。教授が最初に案内したのは、教授の専門である整形外科の病棟であった。後を付いていったが、けがの患者さんが多く当然緑色の顔色をした人は見当たらなかった。教授が「どうですか?緑の顔色をした人はいますか?」私に問いかけた。私は「いません。」答えたが、教授は「当然です。ここは整形外科だから、わたしでもわかります。」私の話を信じていないのがハッキリ解る言い方だった。次に案内されたのは循環器内科の病棟であった。何室か病室を覗いたが、50人近い患者がいた。その中で、何人かの顔色が緑色に見えた。病室のプレートから患者さんの名前をメモし、教授に渡した。教授は私に病院のすぐ脇にある公園で待っているように指示し、自分はメモを持ってナースステーションに行き、患者のカルテ閲覧を依頼した。小一時間がたった頃、教授が病院から出て、公園に向かってくる姿が見えた。険しい顔をしている。私に近寄ってくるなり、「君は本当に今日初めてこの病院に来たのか?」と聞いた。私は「初めて来ました。患者としても来たことはありません。」と答えた。教授は「今でもまだ信じられないが、君が渡したメモ通りだった。カルテに目も通さず、顔色だけで状況判断できるなんて信じられない。でも、これが現実なんだと思うと恐ろしい。」「君は私以外に話していないと言ったね。私の研究材料にしたいから、絶対に他人に話しちゃいけない。君の処遇は私が責任を持つ。この条件でどうだね?」私は「わかりました。」一言だけ答えた。次の日から毎日教授の研究室に通った。朝から晩までいろいろな検査を受けた。検査の合間に国家試験対策の個人授業をしてもらった。検査は半年にも及んだが、結果的には何も分からなかった。教授は私が見える緑色の顔については信じてくれたようであるが、証拠となる結果がどうしても出てこない。研究は諦めたようだった。ただし、私は半年間にわたる個人授業のおかげで医師免許の取得は何とかできそうなレベルに達していた。


第5章転機

 大学を卒業し、無事医師免許を取得した後も、以前のように緑色の顔は見えていた。出身の大学附属病院に就職し、患者の治療にあたっているとき、緑色の顔に見える患者の処置はつらかった。救える見込みがないことが解っている患者の対応は精神的にまいってしまうことが多かった。「手を尽くして、それでもだめでした」とは訳が違う。最初から緩和ケアの方針とすることを勧めたが、周りの医師や看護師からは「手を抜いている。最善の方法で助けようとしていない」と思われるようになった。高校生の頃に妄想した「ゴッドハンド」と呼ばれる存在とは遠く離れたものとなっていた。そんな日々が続いていたある日、大きな転機が訪れた。他の病院で断られ、当大学病院に一縷の望みを持って来院した患者がいた。当初、他の医師が担当したが、紹介先のカルテを見ただけで、だれの目から見てものぞみがない患者と思われたことから、「積極的に治療をしない」と思われていた私に担当を回された。周りの医師は「すぐに緩和ケアとするだろう」と思っていた。カルテをみれば、「もう無理」の状況である。ところが、顔色が緑色となっていないのである。正確に言えば、私には緑色の顔に見えていないのである。「間違いなく助かる。完治できる。」私には確信があった。直ぐに処置し、最新の治療方針にすることにした。普段とは違う私の動きに周りの医師や看護師は驚いていた。治療の結果、患者はみるみる回復に向かい、2週間もしないうちに退院できるところまでとなった。私は「医師であれば誰もが諦めるような症状の患者を救った。」と評判になった。これをきっかけに、口コミで私に患者が殺到した。私には「誰でも、どんな症状の患者でも」救えるわけでなく、緑色に見えない顔色の患者を対応しているだけなのである。この後私の評判が広がり、講演会や学会での発表の依頼が多く来たが、全てを辞退した。本当の実力でないことは私自身が一番解っていたからである。「技術をオープンにしない秘密主義」「高額な医療報酬を要求する」などありもしないデマが流れていることは知っていた。でも私にはどうしようもないことなので、気にしないようにした。「患者と面談して担当するか決める」を口実にして、その後は緑色の顔色に見えない患者のみを担当した。当然、100%私の担当する患者は完治した。患者の中には以前のように、他の病院で「さじをなげられた」患者もいたが、私には確信があったから担当した。このころから「ゴッドハンド」と呼ばれるようになった。高校時代に妄想していた「ゴッドハンド」「皆からの尊敬」は手に入れたけれども、幸せな生活とは感じられなかった。それなりに充実した生活を送っていたものの、「何かが足りない」そう思う日が続いた。


第6章 天命

 「ゴッドハンド」や「最後の希望」と呼ばれることが多くなったころ、偶然の出会いがあった。ある出版社の企画で、最先端医療特集を記事にしたいと取材の申し込みがあった。その中で、「神の手を持つブラックジャック」として取り上げさせてもらいたいというのである。私は自分の実力を一番よく知っていることから、当然に断った。自分には医療に関して特別な能力は無く、ただ、緑色の顔で判断しているだけなのだから。しかし、医療ジャーナリストと名乗る担当者は諦めなかった。唐沢由香という30歳を少し超えたと思われる綺麗な女性である。以前に彼女の父がガンで余命3か月の宣告を受け、セカンドオピニオンからもサードオピニオンからも同様の結果通知を受け、絶望の淵にいたとき、藁をも掴む思いで私のところに来た際、なんとも簡単に「大丈夫治ります」と言われ、なにか力が抜けた経験があるのだという。詳細な検査も行わず、あまりに簡単な返答に彼女は信じられなかった。その場しのぎの安心感を与えられたとも感じたという。ところが、事実その後みるみる回復し、2年以上たった現在も健在なのだというのである。自分にとっても父にとっても、「最後の希望」の医師であった私をどうしても取材し、その神秘的な医療技術を世間に知らしめたいというのである。私は由香に魅力を感じ、「もっと話したい」「もっと彼女を知りたい」と思ったが、取材で特別な医療に関する話をしたり、これといった見せる技術がない私は断り続けるしかなかった。定例的に取材申し込みをする彼女と、それを毎回断る私の関係は1年以上続いた。このころになると、取材のこととは関係なく一緒に食事をする関係となっていた。彼女は取材を受けてもらうためだったのかもしれないが、私は彼女の容姿はもちろんであるが、性格やちょっとした仕草までも魅了され、「好き」以上の感覚になってしまっていた。本当のことを話そうか、迷った。このままの関係を続ければ、彼女とは定期的に会い続けられると思うけど、本当のことを話したら、取材する価値が無いと思われ、私の前からいなくなってしまうのではないかと悩んだ。悩んで悩んで半年がたったころ、自分の感情に我慢しきれなくなり、遂に決断した。彼女に会ったのが天命であれば、すべてを話しても今以上の関係となれる。そうでなければ、それも天命と受け入れよう。そう決意し、彼女を呼び出した。彼女は、私と会った瞬間になにかいつもと違う雰囲気を感じ取っていたような気がする。「どうしたの、あらたまって」「何か重要な話?」固い雰囲気の私を感じて彼女が聞いてきた。「本当の事を話そうと思って」「本当の事って?」「実は私には神の手も無ければ、奇跡を起こす力もないんだ」「信じてもらえないかもしれないけれど、患者さんの顔色だけで病気が治るか治らないかを判断しているんだ」彼女は冗談を言っていると思って、一気に緊張が解けたような表情になった。「そんな話なの、てっきりプロポーズしてくれると思って緊張して損しちゃった」「医者が患者の顔色を見るのは当たり前のことでしょう。」彼女は笑った。私は「違うんだ、今からいうことを信じてくれたら、プロポーズしようと思っていたんだ」彼女の表情が「プロポーズという言葉」を聞いたとたんに強張った。私は自分の特殊能力を自覚した小さい頃からの話をした。自分が今まで経験した事や今まで恩師の教授にしか話していないことも話した。一通り話し終えた後、彼女が口を開いた。「そんなことが本当にあるんだ。」私は「だから、君のお父さんの病気を治したのは僕じゃなくて、もともと治る運命だったんだ」「君のお父さんに初めて会った時、他の病院のカルテさえ見なかったけど、顔色が普通だったから治ると思っただけなんだ」彼女はしばらくの間沈黙した。そして、「話は信じます。でも、父の病気を治してくれたのはやっぱりあなただと思っています。」彼女は話した。私は「特別な技術も知識もない普通の医者だけれど、僕と結婚してくれないか」そう話すとしばらく沈黙が続いた。その後、彼女が静かに話し始めた。「きっと今日プロポーズされると思って来たから、なんて答えようか考えていたけど、実際にプロポーズされたら忘れちゃった。」「でも、うれしい。こちらこそよろしくお願いします。」こうして彼女との結婚が決まった。数日後、彼女の両親にあいさつに行くと、彼女の父親は「私の命の恩人が娘と結婚してくれるなんて、これ以上の幸せはない。」そう言って喜んでくれた。同じ日に私の家族にも由香を紹介した。皆が喜んでくれたが、特に妹は「お姉ちゃんができた」と大喜びであった。「でも、由香さんとお兄ちゃんじゃ釣り合いが取れないと思うけど、どこが良かったのか不思議で仕方がない。」そう言って私を笑うのである。失礼な妹である。そんなことは自分でも十分に分かっている。だから、一生由香を守っていくと決めたのだ。


第7章 転落

 全てがうまくいっていた。由香との生活は毎日が楽しく、仕事も順調であり幸せを実感できた。しばらくして、由香にそっくりな女の子を授かり、結衣と名付けた。溺愛と言われるほど可愛がった。一層に責任感と生活に張りができ、充実する毎日が続いていた。いつのまにか、この生活が、普通であり永遠に続くと思うようになっていた。結衣が3歳になると幼稚園に通いだした。私の溺愛は続いており「彼氏ができたらどんな感情が湧いてくるだろう」などど考えることもあった。まだ3歳でまだまだ先のことと分かっているのにである。この子の将来を考えると頭がいっぱいになるのである。なんという親バカなのだろうと自分でも感じていた。冬の寒い日であった。珍しく休暇が取れた私は結衣を幼稚園に送っていこうとしていた。歩いて10分ほどの近くにある幼稚園である。時計を見ながら出発時間を待っていた。「パパ行くよ。」既に時計がわかる結衣は出発を私に告げた。ピンク色の制服の上にジャケット、大きなリュックを背負った姿はじつに可愛らしく、天使に見えた。一緒に外に出て、手をつないで歩いた。自然とトトロの歌を歌って歩いていた。あと2つ角を曲がれば幼稚園まで来たところで、犬を連れて散歩していた老夫婦とすれ違った。突然、結衣が私の手を振り払って、犬に向かって走った。次の瞬間、私の目の前を自動車が塞いだ。物凄い金属音と共に自動車は急停車した。反射的に私は走った。自動車の前に回り込むと結衣が倒れていた。頭の中が真っ白になり呆然と眺めていた。誰かが「救急車を早く呼んで」と叫んだところで我に返った。医師の判断として、外傷は認められないが意識がないことから、まず呼び掛けて意識を回復させることから始めようとした。しかし、動けなかった。見る見るうちに結衣の顔が緑色に変化していくのである。まだ心臓は動いており生きている。救急車が到着し、私も一緒に乗り込み、病院に搬送してもらったが、私にはわかっていた。「現実を受け止めたくないが、私には結衣の顔が緑に見える。」すぐに由香が病院に駆けつけて、状況を私に聞いた。私は何も言えなかった。私の態度を感じて由香は発狂したように私に言った。「奇跡を起こしてよ。神の手で何とかしてよ。」それからの記憶があまり無い。火葬場の煙突からでる白い煙を眺めていたところまで、はっきりしないのである。結衣の臨終を迎えたとき、火葬場で遺体を火葬するときは誰も聞いたことがないような慟哭していたというが、自分ではわからないのである。しばらくの間、毎日涙にくれる由香の姿を見ているだけで、何もする気になれなかった。結衣との短いけれど楽しかった生活を思い出しては、私も泣いていた。事故から1年余りが過ぎ、平常の生活に戻り始めたころ、由香から離婚の申し出があった。「頭では理解しているし、どうしようもないことは分かる。あなたに責任がないことも分かっているけれど、あなたを許せない。あなたと一緒にいるといつも結衣を思い出してしまい、耐えられないの」私は何も言えなかった。自分が手を放してしまったことや目の前で事故にあわせてしまったことに引け目を感じていた私は、彼女の意思に従うしかなかった。「喪失感」この言葉が今の自分を全て表していた。思い出の詰まった部屋には耐え切れなくなり転居した。自分が幼いころから求めていたもので、手に入れたもの全てを失った気がした。新たに借りた部屋は寝るためだけの空間となり、帰らず病院に泊まることが多くなった。毎日来る大勢の患者を診察することで気を紛らす生活が続いた。


第8章 虫の知らせ

 プライベートのない生活がしばらく続いていた。これといった趣味もなく、家族もいない私にとってプライベートは不必要なものだった。全てが仕事中心の生活であった。そんなある日、久しぶりに由香から電話があった。離婚してから事務的な用事で数回メールのやり取りをしていたが、電話は初めてだった。「会って相談したいことがあるのだけれど、時間を作ってもらえない?」プライベートな予定が一切ない私は「いつでもいいよ」と答えた。「来週の火曜日、朝9時に結衣が事故にあった場所の向かいにある喫茶店でいい?」意外な場所を指定されたことに一瞬驚いたが、「わかった、必ず行く。」そう答えて電話を切った。不思議であった。つらく悲しいことを思い出す場所で会いたいというのである。いろいろ考えてみたものの、何の相談か全く想像がつかなかった。約束の火曜日となった。あの日と同じ青空で、鮮明に思い出していた。事故現場に行くのは2回目であるが、近づくにつれ足が重くなった。心の中で手を合わせ進んだ。喫茶店に着くと既に由香は来ていた。下を向いて何かを考えているように感じた。正面の席に座り、「久しぶり」と声をかけた。由香が顔を上げた瞬間、うろたえた。由香の顔が緑色に見えるのである。私は動揺を悟られないように、「相談ってなに?」と聞いた。由香は「この頃、不思議なことが起こるのよ。」「最近よく夢に結衣が出てきて、色々なことをおしゃべりしているの。」「先週電話した前の晩にも夢に出てきて、パパと今会わないと会えなくなっちゃうよって言われたの。」「よく虫の知らせって言うけれど、あなたの態度で確信したわ。」「あなたには私の顔が緑色に見えるのね。」私は言葉が出てこなかった。由香は「あなたはうそをつけない人、結衣の時と同じ表情しているもの。」「でも、死ぬ前にあなたに会えてよかった。短い間だったけど幸せな時間を作ってくれたことに感謝しているわ。面と向かってお礼ができた。ありがとう。」「もうすぐ結衣のところへ行けるのね。そう思えば怖くはないわ。」この後、私は医師として症状を聞き、最良の緩和ケアを行った。痛みが出ないよう、安らかな気持ちでいられるように最善を尽くした。

1週間後、私の目の前で由香は逝った。最後は穏やかな表情で「ありがとう」最後の言葉だった。私の大切な家族だった人がまた一人亡くなった。


第9章 悪魔のささやき

 大切な人が逝ってから、以前にも増して仕事中心の生活になった。休むこともせず、黙々と働いた。患者は後を絶たず、毎日が診療予約でいっぱいであった。そんなある日、珍しく何故か診療予約が全くない日があった。朝から手持無沙汰で、やることが見つからなかった。看護師からは「先生、こんな日はめったにないことですから休憩室で休んでいてください。先生は休まないので、過労で倒れるのではないかとみんな心配しているのです。」「先生が倒れたら、一番困るのは患者さんです。患者さんのためにも、お願いですから休んでください。」ここまで言われたら休まざるを得なかった。休憩室で横になり、目を閉じると直ぐに睡魔が襲ってきた。不思議な夢を見た。見覚えのない初老の男の人が私に話しかけるのである。「私はまだこの世界でやらなければならないことがある。私の体を蝕んでいる病気を治してほしい。治してくれたら、お前に新たな力を与えよう。」私は「特別に腕にいい医者ではないので、病気を治せるかどうかは分かりません。顔色で判断しているだけなので。」いままで大学時代の教授と由香以外に話していないことを何のためらいもなく話してしまった。ここで、耳元に置いた携帯電話の着信音が鳴って夢から覚めた。患者が来たので診療室に戻ってほしいという内容であった。こんなにハッキリと記憶に残っている夢を見たのは初めてであった。急いで診療室に向かうと、看護師が患者を診察室に招き入れているところであった。患者の正面に座ると、ドキッとした。夢に出てきた男の人が目の前にいるのである。現実には病院自体が初診の患者で、私にとっても初見の患者である。名前も知らない、どこの具合が悪くて病院に来たのかもわからない。年齢は65歳、名前は田中次郎という患者であることが分かった。彼は「別の病院で胃がんと診断され、余命3か月と宣告されました。」「先生に診てもらえば治してもらえるかもしれないと思って来ました。」そう私に告げた。私には普通の顔色に見えたことから、いつもであれば「大丈夫治りますよ。」と言うところであったが、さっきの夢のことがあったので、「まずは検査してみましょう。結果を見て最善を尽くします。」と言った。直ぐに数種類の検査を行ったが、結果は芳しくなかった。検査結果だけを見れば、手の施しようがないと判断してもおかしく無かった。ただし、私には彼の顔色が緑色には見えていないのである。「必ず治る」そう確信していた。数日後、私は検査結果を聞きに来た彼に向って「検査の結果はあまりよくなかったけれども、治せると思います。」こう告げた。意外にも彼は当然のように平然と「よろしくお願いします。」と言っただけであった。由香の父親の時もそうであったが、「最後の希望」のように受診する患者に「治せる」と言った時はほとんどの患者は「希望の光が見えた」ということがハッキリと分かる態度をとっていた。ところが、田中次郎という患者は最初から結果が分かっているような態度であり、ちょっと違和感を覚えた。その後、他の患者と同じように治療方針を決め、治療にあたった。特別な治療方法を行ったわけではないけれども、私の見立て通りに回復していった。1か月もしないうちに退院の日を迎えた。それまでは忘れていたが、急に夢の記憶が蘇ってきた。「治したら、新たな力を与える」と夢で言っていたが、本当なのだろうか。そんなことを考えているうちに、実にあっさりと退院していった。当然に夢の話など出なかった。ちょっと期待した自分が卑しく思えた。治ったのは私の力ではなく、もともと治る病気であったことは私自身がわかっていたことである。自分の患者の病状が良くなって退院したのに、ちょっと落ち込んだ。その日は夕方から急患が続き、処置が終わった時には12時を回っていた。どうせ自宅に帰っても一人きりで寝るだけなので、自宅に帰るのが面倒になり、そのまま病院に泊まることにした。仮眠室で横になり目を閉じると直ぐに記憶が途切れた。また不思議な夢を見た。田中次郎さんが目の前に立っているのである。彼は、「思った通りに病気を治してくれた。ありがとう。約束通りに新しい力を与えるが、何が欲しい?」私は正直に「私は何もしていない。もともと治る病気だったと思います。」すると彼が、「君が見える顔色で緑色以外の患者が治癒するのは、君の能力が導いているからなのだよ。」「言い換えれば、完治率0%以外の患者はすべて100%完治に持っていける能力があるのだ。」「思い返してみてほしい。君の患者は、“生きるか死ぬか”ではなく“完治するか死ぬか”であったはずだ。」言われてみれば、そのとおりであり、患者が大勢押し寄せるのはこのためだったのかと思った。私は、「特別に今欲しい力はありません。」「しいてあげるとすれば、無理かもしれないけれど緑色の顔色に見える人を救ってあげたい。」彼は「難しい要望だけれども、約束だからその力を与えよう。」「使えるのは3回だけで、念じるだけで、君の思い通りになる。」「ただし、この力を3回使い切ったら、能力は無くなり君自身の命も尽きる。」「もう一度言うが、3回使い切った時、君の命が尽きることを覚えておくように。」私は「わかりました。ところで田中次郎さんは何者なのですか。そんな力を与えられるのは何故なのですか。」彼は「悪魔」とニヤリと笑いながら言った。ここで夢は終わった。田中次郎さんが初めて受診に来た日と同じように、はっきりと記憶に残る夢であった。夢のようにできたらいいなと思いながらも、夢はしょせん夢と思いながら、今日の仕事の準備に取り掛かった。忙しいいつもの日常が始まった。


第10章 新たな出会い

 春4月になると病院にも他の会社と同じように人事異動があった。私といえば異動希望も独立する気もなく、今まで通りの生活が待っていた。私の所属する医局に新人の看護師が配属された。小倉恵子という24歳になったばかりの初々しい看護師であった。私は不意に思った。「なんとなく結衣に似ている気がする。生きて大きくなったらこの子のようだったのだろうか。」妙に親近感のある女性であった。何故か私とペアを組む機会が多く、自然と親しくなっていった。彼女にとっては自分の父親に近い年齢の男の人であり、頼れる存在であったと思う。私はというと、女性として意識することはなく、自分の娘的な感覚で接していた。なかなか日程が合わず、職場の歓迎会が開催されたのは桜がすっかり散ったゴールデンウイーク目前であった。病院のすぐ近くの居酒屋に医局から7人が集まった。普段は出席しない私であったが、自分の娘感覚の恵子から出席をせがまれたので、珍しく参加した。乾杯の後に、職場ではあまりプライベートなことは話していないことから、恵子が自己紹介をした。驚いたことに、誕生日と血液型が亡くなった元妻の由香と同じだった。改めて恵子の顔を見ると、結衣に似ているのではなく由香に似ているのだとわかった。親近感が湧く理由がハッキリとした。由香が若い頃は、たぶんこんな容姿だったと想像ができるほど似ていた。話が弾んでいる間に一人また一人帰っていき、最後に私と恵子だけが残った。私は酒は強い方だと思っていたのだが、この日は思いのほか酔っていた。2人だけになったことから、お開きにしようとなり、店を出た。足元がふらついている。こんなはずじゃないと思っていたところに、恵子が肩を貸してきた。「先生ってお酒が弱いんですね。私はまだまだ飲めますよ。」「しょうがないから、先生を自宅まで送っていってあげますよ。」私は「悪いし、大丈夫だからいいよ。それに、私はたぶんあなたの父親と同年代だが、男だから間違いを起こしてしまうかもしれない。実は、君は亡くなった前の妻に似ていて、好きになってしまったらマズいと思っていたくらいなんだ。」恵子は「そんなこと、全然心配してませーん。それに先生の事嫌いじゃないし、そうなったらそれもいいかなーなんて。」ケラケラ笑いながら言う。強引にタクシーに乗せられ、私のアパートに向かった。15分ほどで到着し、アパートの前で返すのも悪いと思ったので「飲み物ぐらいはあるけど飲んでいく?」聞いてみた。恵子は「酔っぱらいを介抱したんだから、お礼してもらわなくちゃ。」と言いながら進んで部屋に入った。部屋に入るなり恵子は「結構きれいにしているんですね。男やもめでもっと汚くて、掃除でもしてあげなければならないかと思っていました。」と言った。私は「寝るためだけに帰ってくる場所だから、散らかりようがない。ところで、飲み物は酒ならビールとワイン、あとはコーヒーしかないけど何がいい?」「あと、つまみは何もないけど、近くにコンビニがあるから行ってこようか?」言ってみた。すると「私が行ってくる。好きなものを買ってくるからちょっとだけ待っててください。」恵子はすぐに立ち上がり出て行った。10分もしないうちに大きな袋を2つも抱えて、息を切らして恵子は帰ってきた。「待たせちゃいけないし、先生は年寄りだから待たせると寝ちゃうと思ったから走って帰ってきました。」笑いながら恵子は言った。私は「こんなにたくさん買ってきて、2人じゃ食べきれない。」そう言うと恵子は「またここにくる理由を作るために、わざと食べきれないほど多く買ってきたの。今度来る時まで残しておいてね。」また笑った。2人だけの宴会が始まった。恵子はビール、私は恵子の買ってきたコーラを飲みながら、いろんな話をした。途中、恵子が「終電もなくなったしここに泊まるから、パジャマになるものを貸してください。」と言った。スエットを貸したが、当然ブカブカで子供がいたずらで大人の服を着ているように見えた。恵子には女性として魅力を感じていたが、不思議なことに変な気は起らなかった。お互い眠くなってきたので、恵子にはベッドを貸し、私はソファーで寝ることにした。「先生の匂いがする。落ち着く。」なんて言っていたが、何事もなくその日は終わった。


第11章 新しい家族

 朝、恵子に起こされた。「朝食を作ろうと思ったけど、冷蔵庫の中に何もないから諦めました。何か食べに外に行きましょう。」「コーヒーだけ煎れたから飲んで下さいね。私はシャワーを借りるので、先生は出かける準備をお願いします。」そう言ってバスルームに向かった。ずいぶん無防備な人と思ったが、別に違和感もなく私も着替えた。コーヒーを飲んでいると「先生は毎日朝食を食べていますか?」バスルームの方から恵子が聞いてきた。私は、「殆ど食べないかな。飲んでもコーヒーぐらい。誰かのために作ってあげることは出来ても、自分のためには出来ないな。」恵子はタオルで髪を乾かしながらバスルームから出てきた。そして「私もここで暮らせば、先生に毎日朝食を作ってあげられるけど」と言った。ドキッとした。私は「何を冗談言っているのだい。ここには何時でも来ていいけれど、一緒に暮らすのはマズいと思うよ。第一、君のご両親が許すはずがないでしょう。こんなお父さんみたいなおじさんとは。」恵子は「先生に話していないけど、私の両親は小さい頃交通事故で亡くなっているの。私はおじいちゃんとおばあちゃんに育てられたから、誰の許しもいらないの。」私は恵子の見方が変わった気がした。「可哀そう」でもなく「守ってあげたい」でもない不思議な感情だった。「そんなことは、どうでもいいから、私おなかがすいた。早く朝食を食べに行きましょう。」恵子の元気な声が部屋に響いた。外に出て並んで歩いた。「先生は朝食、和食派、それとも洋食派?」恵子が聞いてくる。私は「どちらかと言えば洋食派かな。」言いながら、以前は毎日由香が作ってくれたハムエッグと蜂蜜トーストを思い出していた。しばらく歩き、駅前にある昔ながらの喫茶店を選び、おなかを満たした。驚いたことに恵子が注文したのは「ハムエッグと蜂蜜トースト」だった。私にはどうしても偶然とは思えなかった。恵子は私の頭の中で考えていることが解るのではないか、そんなことを考えていた。こんなことがあってから、恵子は私のアパートに入り浸りとなった。確かに自分のアパートに比べ勤務先の病院に通うのは30分以上近くて便利だし、周りの環境も彼女にとって過ごしやすいと思われた。恵子が最初にアパートに来た時「何時でもここに来て使っていいよ」と言ったら「合鍵をください」ダイレクトにお願いされた経緯がある。ダメとも言えず、渡してしまっていた。その日以来私の部屋は恵子の荷物がどんどん増えて行って、いつのまにか同棲生活を送っているようになった。1か月もする頃、恵子は「私のアパート代がもったいないから、解約してもいい?」聞いてきた。私は焦った。「いいけど、このままの中途半端は嫌だから、あなたのおじいさんとおばあさんに挨拶に行きたい。」そう恵子に告げると「やっと言ってくれた。こうなると私は信じていた。先生と本当の家族になれるのね」「今でなくていいから、ちゃんとプロポーズはしてね」とても晴れやかな顔で嬉しそうに話した。なにか彼女の書いた筋書き通りに物事が進んでいるような気がしたけれど、私の中では運命的なものを感じていたので、「それはそれでいい」そう思った。


第12章 挨拶

 恵子の段取りは早かった。私の勤務スケジュールを見て1週間後に挨拶のセッティングがされた。電車で1時間ほど離れた街に恵子の祖父母は住んでいた。恵子と二人で祖父母の家に着いたのは、午前10時を少し回っていた。恵子の祖父母は笑顔で私たちを迎えてくれた。一通り挨拶をした後、「恵子から話を聞いたとき、てっきり遊ばれていると思っていました。神の手を持つと言われているお医者様が恵子の事を本気で考えてくれるわけがない。どうやって諦めさせようか主人と毎日話していました。」祖母が話した。祖父は「騙されているとは思っていましたが、もし本当だったらどんなに恵子の両親も喜んだろうなどと思っていたのです。」私は「正直なところ、私もこんな風になるとは思ってはいませんでした。おじいさんやおばあさんがそう思うにも無理がありません。恵子と私の年齢差より私とおじいさんおばあさんの年が近いのですから。」「だけど、私にも解らないのだけれども、何か運命的なものを感じて、こんな風になってしまいました。」と話した。恵子は「私は最初からこうなると分かっていたわ。」得意そうに笑いながら話した。帰り際に祖母が「私たち夫婦には恵子しか孫がおりません。出来ることなら私たち夫婦が元気なうちにひ孫を抱きたいです。よろしくお願いします。」と頭を下げた。私が困った顔をしていると、恵子が「おばあちゃん、任せておいて」また笑いながら言った。次は私の実家に挨拶である。私の実家に着いたのは午後4時ころであったが、到着すると既に宴会の用意ができていた。事前に話はしていたものの、私の両親は恵子の若さにビックリしていた。母は「こんなおじさんでいいの?」なんて聞くし、父は「何かの間違いかドッキリの企画?」と初対面の恵子に話していた。妹に至っては、「お兄ちゃんと恵子さんでは、どう見ても親子にしか見えない。恵子さんは若くて綺麗なんだから、こんな×の付いているおじさんでなくて、もっと若くてイケメンと付き合えるでしょう。」少しやっかみの入った失礼な言い方をしていた。直ぐに宴会が始まり、酒盛りとなった。大いに盛り上がり、その日は2人で私の実家に泊まった。その後の段取りも恵子は早かった。私が2回目の結婚であることから披露宴は身内のみで、こじんまりとする準備をしてくれた。2か月後の披露宴会場の予約、案内状の発送、ドレス・タキシードの手配、引き出物の準備等、驚くほどの速さで片づけていった。まるで、何かに「せかされている」ように、エンドが決まっているような速さであった。私はあまりの速さに「段取りがいいのは分かるけど、なんでそんなに急いでいるの?」恵子に聞いてみた。恵子は「先生に逃げられるといけないから、早く片付けようと思って。」笑いながら答えた。「あと、先生にお願いしていた正式なプロポーズされてないんだけど。」ちょっと頬を膨らませながら言ってきた。私は「しまった忘れていた」と心の中で思いながら、「覚えているよ。次の金曜日一緒の休みだよね、午後から時間を空けておいてくれる。」恵子に話しながら休日の予定を考えた。


第13章 幸せな日々

 プロポーズするのだから婚約指輪が必要と思い、次の日仕事を早く切り上げて指輪を買いに行った。由香の時もそうであったが、私には美的センスが無いと自覚しているので、おおよその予算額を告げて近くにいた店員さんにお任せした。その店員さんはベテランらしく慣れたもので、女性の年齢、雰囲気などをリサーチし、数点に絞ってくれた。恵子は「私からのプレゼントはどんなに安くても、小さくても本当にうれしそうに喜んでくれる性格」であることを知っていたが、奮発して一番高価なものを選んだ。恵子が喜んで受け取る光景を想像しただけで、私も幸せな気分になった。次にこれをどこで渡そうか考えた。これはすぐに思い浮かんだ。恵子の両親が眠っている墓前で報告がてら渡すことにした。これで当日を迎えるだけ、準備万端になった。プロポーズをしようと考えていた金曜日の前日、つまり木曜日の夕方、そろそろ今日の診療が終わると思われた時間に急患が運び込まれた。検査の結果は緊急手術を要する患者であった。私には顔色は緑色に見えない。助けられる。そう思い手術に向かった。複雑で難しい手術であったが、何とか無事に終わった時には翌日の昼となっていた。すぐに恵子に連絡し少し遅れることを告げ、両親のお墓に向かってほしいと告げた。私は大急ぎで後片づけを終わらせ、恵子の両親が眠るお寺に向かった。菩提寺に到着した時は既に周りは薄暗くなっており、恵子はいないかもしれないと思いながら急いだ。お墓の前に恵子はいた。私は、「ずいぶん待たせてしまった。すまない。」そう言うと、恵子は「今の“すまない”は、今日遅れたことにじゃなく、プロポーズが遅かったの“すまない”だよね。今日遅れたのは仕事のせいと分かっているから謝ることじゃないよ。」何か急かされたような気もしたが、「恵子さん、僕と結婚してください」指輪を差し出しながら言った。見る見るうちに恵子の顔が赤くなり、初めて恵子の涙を見た。「許す、先生の事を許す。」私に抱き着いてきた。そして私の耳元で「私を先生のお嫁さんにしてください。」とつぶやいた。その後、泣きながら、「お父さん、お母さん、私はこの人と結婚します。幸せになります。」墓前に手を合わせて言っていた。その後はこれといった特にトラブルもなく、披露宴の日を迎えた。久しぶりに充実した安寧の日々が続いていると感じていた。


第14章 新たな能力

 忙しくも充実した生活が続き、遂に結婚披露宴の日を迎えた。既に一緒に住んでいたこともあり、朝早くに起こされ、一緒に会場に向かった。新婦の準備に比べて私の準備は簡単ですぐに終わってしまったため、手持無沙汰で会場内をウロウロしていた。しばらくすると、出席者が集まってきた。恵子の親類友人は10人で私の親類友人は15人と総勢27人の披露宴であった。併設のチャペルで結婚式を挙げた後に宴会が始まった。私にとっては2回目であるので、このようなホームパーティのような披露宴は心地が良かったが、恵子にとっては物足りなかったかなと感じていた。披露宴が始まってしばらくして気がついた。当然に恵子の祖父母も参加していたが、祖母の顔色が緑色に見えたのである。隣の席の恵子に「おばあちゃん、どこか身体の具合が悪いの?」小声で聞いた。恵子は「たぶん時間がないの。」「おばあちゃんに約束したひ孫を見せることは出来ないと思う。」「結婚を急いだのは、おばあちゃんが元気なうちに願いを叶えてあげたかったからなの。」「話さないでいてごめんなさい。両親の代わりに私を育ててくれたのはおばあちゃんだから、少しでも恩返ししたかったのだけれど。」そう言うと少し涙目になった。私は「できるだけ早く私のところに受診するように言っておいて。出来る限りのことはするから。」そう恵子に伝えた。披露宴に続いて2次会が終わり、アパートに帰ってきたのは午後10時を回っていた。朝が早く、お酒もずいぶん飲まされたことから恵子は珍しくフラフラの状況であった。ベッドに横たえると安心したのか直ぐに寝息を立て始めた。恵子の顔を見ながら思った。「恵子が喜ぶ顔を見ることが今の私の生きがい」となっていると自覚している。何とかおばあさんの病気を治して、希望をかなえてあげたい。それが今の恵子にとって一番の喜びと考えた。新婚旅行は時機を見て考えることにして、翌日から出勤した。全ての段取りがいい恵子が唯一計画しなかったのが新婚旅行であった。これについては不思議であったが、何時でも行けると安易に考えることにした。2日後に恵子のおばあちゃんが受診に来た。症状を確認し検査を行った。結果は最悪の状況であった。即日入院である。やはり顔色が緑色にみえているので、普通なら手の施しようがないと思われた。いつもの私なら、緩和ケアに移行し、安心してその時を待てるようにするのだが、この時は違った方針とした。以前夢の中で自分を「悪魔」と言った田中次郎さんがくれるといった能力が本当にあるか確かめてみようと思ったからである。正直、夢の中での話であり、本当にそうなるとは信じられなかったが、恵子の願いでもあり、最後まであきらめずに治療に専念しようと考えた。「たしか、田中次郎さんは念じるだけと言っていた。X線に映っているこの大きな腫瘍が無くなれば何とかなるのに。小さくなって無くなれ。」嘘でもいいと思い念じてみた。次の日の朝、恵子のおばあちゃんが入院している病室に顔を出すと、おばあちゃんの顔色が変わっていた。緑色から肌色に変わっていたのである。念のため再度X線検査をしたところ、不思議なことに腫瘍が小さくなっているのである。「本当だったんだ」思わずつぶやいた。恵子に連絡し「おばあちゃんの病気は治ると思う。」そう告げた。看護師である恵子は「私も看護師だからおばあちゃんの状況は分かっている。気休めならいらない。」そう言った。私は冗談ぽく「私はゴッドハンド、最後の希望と呼ばれる医師です。私に不可能はない。」直ぐに「今のは冗談だけれども、おばあちゃんの病状は良い方向に向かっているのは間違いない。治せると思える状況まで来ている。」そう告げた。「本当なの。本当ならおばあちゃんとの約束を果たせるかもしれない。」恵子は喜んだ。この時、私はおばあちゃんの病気を治すより、おばあちゃんに抱かせるひ孫をつくることの方が大変だと思った。その後おばあちゃんは私の見立ての通り快方に向かい、1か月もしないうちに退院するほど良くなった。


第15章 倦怠感

 緑色の顔色に見えたおばあちゃんを念じて直してから、なんとも言えない倦怠感に襲われることが多くなった。結婚してから生活のリズムがある程度一定となったし、睡眠時間も以前より多くとれている。原因と思われることには心当たりがなかった。恵子にこのことを話すと、すぐに病院の人間ドックの予約を入れられた。「医者の不養生」という言葉があるが、本当だなと思った。自分の事はよくわからないというのが本音であった。検査は1日がかりで、体中をくまなく調べた。普段検査をする方が検査をされる方に回るとこんなに恐怖心があるのかと初めて分かった。結果分析は同僚の医師に頼んだ。自分で自分の結果を見るのが躊躇われたからである。翌日にはすべての検査結果がでたが、同僚には倦怠感の原因は特定できなかった。その後、結果データを見せてもらったが、どこにも異常は認められず私にも解らなかった。恵子にこの結果を伝えると「病気でなくてよかった。加齢からくる疲れが原因かもしれない。」彼女の看護師としての見解を言われた。失礼なことに、恵子は私を最近よく年寄り扱いすることが多いが、さっきの言葉で一層拍車がかかるのかとショックを受けた。しばらくして倦怠感をあまり感じなくなったころ、恵子からうれしい報告があった。「おばあちゃんとの約束を果たせそう」私はすぐに何を言っているかを理解した。性格なのだろうが、恵子はここでも段取りは早かった。産婦人科への入院計画、乳児の衣服やらおむつ類、あっという間に整ってしまった。「赤ちゃんの名前は私のおじいちゃんとおばあちゃんにお願いしたいけどいい?」恵子が聞いてきた。恵子の気持ちは解っていたので、「もちろんいいよ」私は答えた。どんどん恵子のお腹が大きくなっていき、女の子と分かった時、「結衣が帰ってきてくれたのかもしれない」考えてはいけないことを思ってしまった。当然恵子には話せないことと分かっていたし、そんなことはありえないことも分かっていたけれども、頭の隅にはいつもこのことがあった。おばあちゃんから連絡があって「ゆうこちゃんがいいと思うのだけれど、漢字は結ぶ子供と書くの。」と言われた。恵子は喜んで直ぐに承諾した。私も「いい名前だ」と言いながら、同じ漢字をつけるとは、やはり偶然ではないと確信した。どちらにせよ、私の娘であることには変わりなく、「今度こそは、どんなことがあっても守る。幸せにする。」決意した。


第16章 危機一髪

 毎日、恵子のお腹の中にいる結子に話しかけるのが日課となっていた。妊娠6か月を過ぎたころには、絵本の読み聞かせや童話を読んであげるようになっていた。恵子からは焼きもちを焼かれるほどまだ見ぬ結子に毎日話しかけていた。おばあちゃんとの約束とは別に早く会いたかった。心の中では「結衣にしてあげられなかった事全部を結子にしてあげよう。」一緒に行きたい場所や一緒にやってみたいことなど思いを巡らせていた。恵子も定期健診では「順調に成長していますよ」と担当医からお墨付きをもらって安心したマタニティーライフを送っていた。妊娠9か月32週に入った時だった。恵子から、泣きながら携帯に電話があった。今日は定期健診に行っているはずの日である。「結子の成長が止まっている。心音も弱っていると言われた。」「すぐに入院しないと胎児も母親も危なくなるって」最後は聞き取れないような声であった。私は「すぐに入院の手続きをして。私もすぐに行くから」と言って電話を切った。大急ぎで引継ぎを行い、恵子のいる病院に急いだ。病院に着くと恵子のおばあさんも来ていた。担当医から状況説明を受けるために診察室へと案内された。担当医は「大変危険な状況にあります。このままでは親子ともに助からないと思われます。直ぐに帝王切開で胎児を取り上げる必要があります。そうすれば母親はたぶん問題はありません。ただし、胎児はまだ2000グラムにもなっていないのに加え、心音も非常に弱っている状態です。大変残念ですが覚悟を決めていただきたいと思います。」そう告げた。私は医師であることを告げ、検査結果データを見せてもらうことをお願いした。専門ではない私が見ても担当医が言っていることは間違っていないと思われた。一刻を争う状況なのは私にも解った。私は「すぐに帝王切開おねがいします。」担当医に向かって言った。帝王切開手術が終わったのはそれから3時間もたっていなかった。まず恵子に会いに行き「何も心配することはないから」声をかけた。恵子はただ泣くだけだった。その後、結子に会いに行った。保育器に入っていたが、ぐったりとしていた。そしてなにより、担当医が言っていた通り状況は悪く、顔が緑色に見えたのである。妊娠が解ってから約6か月間毎日話しかけていた我が子が一度も返事をしてくれずに亡くなろうとしている。「悪魔に魂を売ってでもこの子を助けたい。」そう思った瞬間に田中次郎さんの事を思い出した。「助けたい」強く念じた。自分では何もできないことに苛立ちを感じた。ただ、今一番ショックなのは恵子であり、何もできないけれど今日は恵子の隣にいてあげることにした。そのまま病院に私も泊まった。翌朝早くに担当医が病室を訪ねてきた。「奇跡が起こるかもしれません。結子ちゃんは凄い生命力です。心音も力強くなり、黄疸も薄くなってきています。検査をしなければ詳しくは分かりませんが、昨日とは明らかに違って良くなっています。」私は恵子と手を取り合って泣いた。心から「悪魔」に感謝した。2週間ほど入院し、母子ともに一緒に退院ができた。無事、恵子はおばあちゃんとの約束を果し、結子を抱かせることが出来た。


第17章 決意

 恵子と結子が退院するころから、また倦怠感が出るようになった。以前の状況よりもひどいと思えた。おもな症状は前とほぼ同じであったが、再度精密検査を受けてみた。結果は前回同様に異常は見つからなかった。私は気づいた。この倦怠感は緑の顔色をした人を助けた後遺症的なものではないか。私の中の何かを費やして、その代償として助けた結果であり、3回使うと倦怠感がピークとなり私自身の命が尽きるのではないかと考えた。田中次郎さんは言っていなかったけれど、そう考えるとつじつまが合う。既に2回使っているので、もう使えないけれども、特別なことがない限り使うことはないから問題はない。ただ、倦怠感の事を恵子に話すと、また老人扱いされるのが嫌だったので恵子の前では元気を装った。ただし、倦怠感はあるものの、後悔は一切なかった。恵子と結子が元気で傍にいてくれることが、なによりの幸せと感じていたからである。何があってもこの2人を守ることが私の責任であり、私の生きがいと思えた。それからの私は全て恵子と結子優先の生活とした。仕事より家族優先でスケジュールを組んだ。患者の受診予約は以前に比べ大幅に減らした。この頃から「日本一受診予約できない医師」なる名誉?ある称号も付けられた。何を言われても私の「家族優先」の決意は揺らぐことなく、10年ほどが過ぎて行った。結子はすくすくと成長し、幼稚園、小学校、そして中学生となった。結子は恵子に似た、私の自慢の美人さんになった。全ての学校行事に参加し記念写真を撮り、休みのたびに家族でお出かけした。この頃になると写真が何万枚あるかわからないほどであった。決して亡くなった結衣の分までとは思わなかったものの、心のどこかにあったかもしれない。波乱万丈な私の人生で、この間約10年が一番長く続いた幸せと感じられる時間であったと思う。永遠に続くと錯覚に陥るほどであった。


第18章 掟

 結子が中学2年生になったある日、日曜日に恵子と結子で買い物に行くと告げられた。いつもは一緒に3人で行くことが多いが、「お父さんの誕生日プレゼントを買うので、2人で行く」と断られてしまった。一人で寂しく留守番をしているとき、ふと「そういえば、恵子には私の特殊能力について話していないな」と考えた。今まで何回も話す機会はあったが、何故か話をしなかった。田中次郎さんからもらった力の話はともかく、緑色の顔の話さえしなかった。関係ないこととはわかっているけれども、話すと巻き込んでしまいそうで、私の持つ特殊能力について話さなかったのかもしれない。話すと今の幸せな生活が壊れるのではないかと心のどこかで思っていたのだと思う。恵子も結子も私が「凄腕の医師」であると思っている。私が幼い頃、妄想していた「ゴッドハンド」や「最後の希望」を彼女たちは本当に信じている。傍から見れば「治癒が難しそうな患者」を救い続けるブラックジャックに見えるかもしれない。TV等メディアの取材申し込みや学会での公演要請、勤務先病院内での後進の指導要請等各種各方面から要請が途切れなくひっきりなしにあったが、家族と過ごす時間優先を理由に全て辞退していた。本当の理由は話せないし、一般的には信じてもらえないことが解っている。たぶん、看護師である恵子は「家族優先はわかるし、家族としてはうれしいけど、何故こんなに頑なに辞退し続くるのだろう。医療技術の向上になり世の中の役に立つ素晴らしいことなのに何故オープンにしないのだろう。」と不思議に思っているはずである。今までに私の特殊能力を話した人は、大学時代の恩師である教授、亡くなった前妻の由香、そして自分を「悪魔」と言った夢の中の田中次郎さん3人だけである。多分どうでもいことだと分かっていたが、この時私は決めた。私の不思議な力について私の命が尽きるまで今後誰にも話さないと。心の中で「掟」として守っていこうと決めた。


第19章 傲り

 私の仕事としては、以前と同じように毎日予約診療で一杯の日が続いていた。この頃も毎日何人かの患者が緑色の顔色に見えた。緑色の顔色に見えた患者には、本人と家族に対して丁寧に緩和ケアの説明をし担当医の変更を伝えていた。それでも患者の中には、「先生に診てもらえば必ず治ると聞いてきたのに、治療してさえもらえないのですか」クレームにも似た発言をする者もいた。私は「あなたの顔が緑色に見えているので治療しても無理です。」とは言えないので「人の死亡率は100%です。ただ、人それぞれに寿命があり、その時期が違うだけと私は考えています。あなたの病気は現在の医療技術では治すことが非常に難しいです。だとしたら、痛みなく安らかなままで寿命を全うしてもらいたいというのが私の考えです。」こんな風に説明をしていた。大体の患者はこの言葉で不本意ながらも納得していたと思う。このような仕事を何十年も続けているうちに、「私の緑色に顔色が見えることは、私の体に宿った特殊能力で、私の実力に他ならない」と勘違いすることが多くなった。最初のうちは勘違いと自分でも認識していたが、年数がたつうちにそれも気がつかなくなってしまっていた。医師としての実力がついたことで、患者を救えていると思い始めていた。ある時、大学時代に個人授業をしてもらった恩師である教授から、「雑誌の取材を受けてくれないか」との依頼があった。以前の私であれば即答で断っていたが、国家試験合格レベルに引き上げてくれた恩師からの依頼を断ることが出来なかった。雑誌社からの依頼は「最先端医療の現場から」というタイトルで、ゴッドハンドと呼ばれた私の医療技術に関する取材がしたいとのことであった。私が出来ることは最新の医療機器の操作方法等を紹介することぐらいで、私自身の医療技術を紹介できるものは特になかった。当然に秘密である特殊能力の話は無いので、他の医師と変わらない「特別はない」話しかできないのである。取材は赤坂にある老舗料亭の特別室で行われた。インタビュアーやカメラマンを含めた取材クルーは10数名と貴賓のような扱いであった。特別な「医療技術」を持たない私であったが、このような扱いを受けて舞い上がってしまった。自分の能力の限界を忘れて、あたかも本物の「ゴッドハンド」のごとく振舞ってしまった。私の記事が載った雑誌が出版されてから、物凄い反響があった。全国から毎日受診の問い合わせが続き、病院の受付がパンク状態となった。以前にも増して予約が取れない状況となり、あの手この手を使って無理やり予約をねじ込もうとする者もあらわれた。ある時有名な政治家の秘書から代議士の受診申し込みがあった。当然、既に予約でいっぱいであったことから、その旨を伝えたが、何としても診てほしいと大学病院の理事長に圧力をかけてきた。断ることも出来ずに希望の日時で診察した。代議士の顔色は緑色であった。結果は分かっていたが、一応精密検査を行った。結果については翌日秘書に伝えた。やはり他の患者と同じように「人それぞれに寿命があり、その時期が違うだけと私は考えています。代議士の病気は現在の医療技術では治すことが非常に難しいです。だとしたら、痛みなく安らかなままで寿命を全うしてもらいたい。」と伝えた。秘書は「先生何とかしてください。先生に診てもらえば何とかなると代議士も思っています。お金はいくらかかってもいいです。必要なものは全てこちらで用意します。何とかなりませんか。」こんな言葉を言った。一瞬、田中次郎さんを思い出したが、自分の命と引き換えにするほどの事ではないと思い、「残念ですが、私の力ではどうしようもありません。無理です。」と断った。これが秘書にとって「ろくな治療もせず傲慢」と思われたのか、数日後に代議士が亡くなってから「ゴッドハンドや最後の希望は真っ赤なデタラメ、本当はやぶ医者。受診したら殺される。」と噂をながされた。「噂は伝染する」そう感じるまですぐであった。それまで一杯であった受診予約がきれいに無くなった。大学病院側はこのことを問題視し、私に「しばらくの間、地方の系列病院の手伝いに行ってくれないか。」と体のいい左遷通知を行った。恵子や結子と離れて暮らすのは寂しかったが、転勤命令を受け取り山形県の山間部にある病院に単身赴任した。


第20章 宝物

 のどかな山間部にある病院に赴任して2年が過ぎた。私のやっていることは以前と何も変わらない。変わったことと言えば受診者の高齢率が高くなったことと、それに伴い緑色の顔に見える患者が多くなったことぐらいである。元々腕のいい医師ではなかったので、赴任地としてはちょうどよく、居心地は良かった。赴任当初は毎週末家族のもとに帰っていたが、時間がたつにつれ回数が減っていった。1年がたった頃になると月に一度帰るかどうかになった。ある日、恵子からの電話があった。「今週は帰ってこれる?だめなら、いつ帰ってこれる?」私は「何かあったの?今週は帰る予定だけれど」恵子は「帰ってきたら話があるの」私は何か嫌な予感がした。少なくてもいい話ではないように感じた。何かもやもやした不安な感情を持ったまま週末を迎え、家族の待つ家に向かった。家に入った瞬間、いつもと違うものを感じた。キッチンから恵子が「お帰り」と声が聞こえたが何か元気がないように感じた。居間に入ってソファー座ると恵子が近寄ってきた。私は「あっ」思わず声をあげてしまった。恵子の顔が緑色に見えるのである。恵子が言った。「最近身体の調子が悪くて、勤務先の病院で調べてもらったの。ガンの診断で、何時まで生きられるかわからないと言われたの」恵子はそれきり黙ってしまった。恵子は看護師だから嘘の励ましは効かないことは分かっていた。私は「とりあえず、検査数値をおしえて」と言った。聞いた限りの数値は絶望的で、どうしようもない状況になっていると感じた。私は決心した。恵子と結子のためなら何でもする覚悟はできていたことから、田中次郎さんから授かった力を使おうと。3回目であり、自分の命が尽きることは分かっていたが、何の迷いもなかった。私は自分に課した掟を破ると決めた。自分にある特殊能力の話を恵子にすることにした。「恵子は信じないかもしれないが、私には不思議な力がある。人の死を予感する力があるんだ。死に直面している人の顔が緑色に見えるのだ。今まで、ゴッドハンドとか最後の希望と呼ばれたのは、単に顔が緑に見えない患者を治療しただけで、私の力だけではないと思っている。だから、緑の顔色に見える患者には直ぐに緩和ケアを提案していた。」恵子は「今、私の顔は何色に見えている?やっぱり緑色?」そう力なく聞いてきた。私は正直に「緑色に見えている。」そう話した。恵子は「私の夢は、結子があなたのような素敵な人と結婚して、孫を抱きたいと思っていたの。だけど、もう無理なのね。でも、あなたと出会ってから幸せと思える時間を過ごせた。本当にありがとう。」と言った。私は「ちょっと待って。まだ話していないことがあるんだ。昔、悪魔と名乗る人から貰った緑色に見える人を救う力もあるんだ。実はきみのおばあさんと結子は緑色の顔に見えたけれども、この力で治ったんだ。」「だから、必ず君の病気も僕が治して見せる。君と結子は僕の宝物だから、宝物の夢は叶えてあげるよ」優しく言った。3回しか使えないことや、3回使うと私の命が尽きることは当然に話さなかった。自分の命と引き換えにしても、恵子と結子を守るためならば惜しくないと思えた。時間がないと思い、その場で強く念じた。その日の夜は、久しぶりに家族3人での団らんとなった。恵子は信じたのか、信じなかったのか分からないが、結子の前では明るく振舞っていた。


第21章 有期

 次に日目覚めると既に恵子は起きていて、朝食の準備をしていた。キッチンに向かい「おはよう」そう声をかけ恵子の顔を見た。顔色が肌色に変わっていた。私は「もう大丈夫、必ず完治する。私が保証する。なにせ私はゴッドハンド、最後の希望だから」ちょっとおどけて言った。目の前に用意されていたいつものハムエッグと蜂蜜トースト、コーヒーが涙で見えなくなった。その日から私はしばらく休暇を取って、恵子を入院させ付き添った。日に日に恵子の病状は改善されていった。一方私は3回力を使ったから命が尽きると覚悟していたが、その予兆がないのである。前の時に比べて倦怠感もさほどではないし、体の異常はどこにも感じられなかった。恵子が退院するころになっても何も起こらなかった。私は「田中次郎さんは特別な力をあまり使わないようにわざと3回だけと言ったのかもしれない」といいように解釈をした。幸せと思える今が永遠に続くと信じるようになった。仕事は忙しいけれでも、心穏やかな日が続いていたある日、夢を見た。田中次郎さんが夢に出てきたのだった。「もう十分に人生を楽しめましたか?」私に向かって言った。私は「田中さんがくれた力で幸せに暮らしています。」と言った。「そろそろ時間が無くなりました。私でも止められない時期になっています。」田中さんはそう言うと「勘違いしないでください。これは契約だから仕方がないのです。今のうちにやらなければならないことをやってください。出来るだけ早くお願いします。」こう私に告げた。私は「ちょっと待ってください。契約は覚えているし、覚悟もしていました。でも、結子の嫁入り姿も見たいし、できれば孫も抱きたい。そこまで待ってもらえないでしょうか。」と言った。田中さんは「あなたには私の身体を治してもらった恩義があるし、何とか叶えてあげたいけれど、・・・・」しばらく黙ってしまった。「わかりました。本当はやっちゃいけないことなのだけれど結子さんの結婚式まで延ばしましょう。でもそれが限界で孫までは諦めてください。」そう田中さんが言うとくるりと後ろを向いた。そこで夢が覚めた。私が最初に感じたのは「まだまだ時間がある」であった。そして結子の結婚話が出てきたら、恵子にはこのことを話さなければいけないと思った。


第22章 祝えないお祝い

 恵子と同じ看護師を目指した結子は大学4年生となっていた。私には似ず、頭が良かった結子は高校受験も大学受験も苦にせず突破した。看護師の国家試験も難なく合格するレベルに達していた。そんなある日、結子からメールが届いた。「お父さんに紹介したい人がいるから都合のいい日を教えてください。」ついに来たと思った。恵子にはいろいろ相談しているようであったが、私には何も教えてくれなかった。既に大学病院に復職し、それなりの役職についていた私は時間はある程度自由になっていた。「何時でもいいよ」そう返信すると週末のランチを一緒にとのことであった。家に帰って恵子に聞くと「彼氏を紹介したいらしいわよ。結婚も視野に入れているそうよ。私は早く結婚してもらって、早く孫を抱きたいわ」なんともお気楽である。母親と父親の感情がこれほど違うとは驚きであった。これほど何かの都合で来れなくなったと連絡がこないか待ったことはない。しかし何事もなく週末を迎えた。朝からなんとなくイライラしているのが自分でもわかった。午前11時を回ったころに結子と彼氏が家に来た。何故か彼氏の「さわやか系のイケメン」な容姿に腹が立った。恵子が「パパ、そんな怒った顔してないで話を聞いてあげて。」と言った。私は「別に怒ってはいないよ」そう言ったが、顔は強張っていたようだ。彼氏が私に「結子さんとは真剣にお付き合いさせていただいています。私は来年の4月から先生と同じ病院で医師として働くことになっています。結子さんが大学を卒業したら、結婚を許してください。」そう言った。しばらく沈黙ののち私は「私なりに結子を幸せにしたいその願いだけで一生懸命育ててきた。」「君は引き継げるか?」彼氏は「結子さんを幸せにしたいと思います。」そう言った。私は「君の言う幸せとはどういうこと?」少し意地悪な質問をした。彼氏は少し考えて「平穏無事な毎日を過ごし続けることです。心が満たされる生活を送ることです。」禅問答のようになったが、充分であった。彼ならきっと結子を幸せにしてくれる、そう思えた。と同時に、私の命の時間もカウントダウンが始まったと感じた。来年の4月まであと6か月。余命6か月を宣告された気分であった。恵子は自分の結婚式の時のように、結子と相談しながらテキパキと段取りを決めていった。この間私はいつ恵子に自分の命が尽きることを伝えようか悩んでいた。結子を幸せにする私の任務は終わった。あとは恵子を誰に託そうか考えた。結子の彼氏が家に挨拶に来た時、彼の家族関係を聞いていた。実家が開業医の次男坊であった。開業医は長男が継ぐことになっているので、自分は実家に帰る必要がないと言っていた。彼に結子と一緒に恵子も託そうと決めた。


第23章 就活準備

 結子に内緒で彼氏に連絡を取って、会うことにした。場所は病院の応接室にした。彼は緊張した面持ちでやってきた。要件が解らないから、尚更のことと思われた。私は開口一番「結子の面倒と一緒に恵子の面倒も見てくれないか」とお願いした。彼はどういうことかわからずに返答に窮していた。そこで私は「君たちの結婚式をする頃に私の命が尽きる。その後恵子の事が心配なんだ。君なら託せると思って頼んでいるんだ。一緒に暮らしてくれとは言わない。時々様子を見てほしい。」と言った。彼は「先生はそんなにお体の具合が悪いのですか。あと数か月の余命宣告を受けるほど体の具合が悪いとは見えません。どこがどのくらい悪いのですか。」私に聞いてきた。私は「今はどこも悪くない。でも間違いなく命が尽きるのです。今から私が言うことを信じるか、信じないかはあなた次第だけれども、それが現実だと思ってください。」そして彼に私の持つ特殊能力と3回使い切った田中次郎さんから貰った力の話をした。彼は真剣なまなざしで私の話を聞いていたが、やはり信じることは出来なかったようである。彼は「先生の話はSFの世界の中での話のようで、信じろと言われても・・・」言った。しばらく沈黙があった後、彼が言った。「先生の特殊能力などはにわかには信じることが出来ません。でも万が一の場合にはお母さんも僕に任せてください。」素直に嬉しかった。結子が選んだ若者に間違いはなかったと思った。後は「遺言」を書くことぐらいで私の終活は終わりであった。ただし、一番難しい問題が残っていた。最近になって恵子にこのことを伝えるかどうか迷い始めていた。そのことを知ったとしても、結果は同じになると思うと、知らせなくてもいいかなと考え始めていた。下手に混乱を招いて心労をかけるよりも、結果が同じなら知らない方が心の負担が減りそうな気がしたからである。最終的な結論は、恵子には教えずに逝くこととした。その後3日をかけて「遺書」を書いた。恵子と結子がこの先幸せに暮らせるように願うことと、これまでの感謝、続けて恵子の彼氏へのお願いをつづった。書き終えたとき、何かスッキリした感覚となった。これで何時命が尽きても思い残すことはないと思うことが出来た。


第24章 見えない光

 結子の結婚式が1週間後に迫っていた。準備はすべて完了し、当日を待つだけとなっていた。ただし、花嫁衣裳と呼ばれるものは、試着でも結子が着ている姿を私は意図して見ないようにしてきた。準備段階でもウエディングドレス姿の結子を見たら、花嫁姿を見たことになり、結婚式の前に命が尽きてしまうのではないかと不安になったからである。いろいろな理由をつけて、準備には同行はしなかった。あれほどどこに行くにしても一緒に行動していた私が、結子の晴れ姿の準備に付いていかないのである。結子も恵子も不思議に思っていたようであるが、私が「子離れ」をしようとしているのだと思っていたようであり、何も言わなかった。遂に結婚式の日、つまり私の命が尽きるであろう日がやってきた。朝から快晴でとても気分が良く、人生最後の日かもしれないという不安はなかった。教会でのバージンロードで先導するときに初めて結子のウエディングドレス姿を見た。改めてこんなに美しい女性になったのかと感動した。エスコートしながら彼氏の前まで行き、彼氏に引き継いだ時、父親としての義務を全うしたという感情が溢れた。泣きたくないのに目から涙が溢れていた。披露宴では緊張が取れたこともあって、お酒を浴びるほど飲んだ。私の人生で一番飲んだ日となった。何かのタガが外れたようになり、記憶も飛んでしまうほどお酒を飲んだ。初めて恵子とお酒を飲んだ時のように、恵子の肩を借りながら家路についた。その日はそのまま寝てしまった。次の日の朝、二日酔いの状態で頭が痛くて目が覚めた。よろよろと洗面所に行き顔を洗った。タオルで顔を拭き鏡に映った自分の姿を見たとき、一遍に酔いがさめた。遂に来た。鏡に映った自分の顔が緑色に見える。次の瞬間、目の前から光が消えた。


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