第三章 自分という存在(1)
目の前が真っ白になった後、ようやく視界が開けてきた。見渡すと私は大きな木製の橋の上に横たわっていた。
ここは何処だろう……。
最近、不思議な事に現実っぽい夢が多い。それも変な夢ばかり。
一体どうなっているのだろう……。
橋の上からは川幅の広い川が眼下に広がっていた。水量が多いからか流れが止まっているように見える。川辺には様々な草花と木々が溢れていて、都会には無いのどかな自然の景色がどこまでも続いている。空には雲一つ無く太陽がさんさんと輝いて暖かい日差しを送っている。
「あぁ~、こんな天気の良い日は仕事なんかしたくないなぁ」
会社で昼休憩の時によく思っている事が口から出てしまった。
橋の向こうには草花が生い茂った平地にとても大きな満開の桜の木があるのが見えた。もっと近くで見たい衝動に駆られて、散策気分でそこへ向かって歩き出した。
肌寒さと暖かさを両方感じる日差しと気温。まるで春から夏に移り変わる時期のような気候でとても心地が良い。歩きながら深呼吸をすると体中に新鮮な空気が入ってくる。久しぶりに空気が美味しいと感じた。
今、気がついたが私はお気に入りの白いワンピースを着ていた。それは都会の生活では着る機会が少なくなってタンスの奥に眠ったままの忘れかけていたワンピースだった。ワンピースの着心地が良くて思わずくるりと回転した。その時、風のいたずらでワンピースの裾がひらりとはためいた。でも気にしない。
橋のたもとを通り過ぎた瞬間、突然今まで見えていた視界が強いフラッシュで見えなくなった。
「えっ!?」
私は自分の目を疑った。向こうには桜の木と草花が見えていたはずなのに、今はアスファルトの道路とコンクリートの建物がひしめき合うように並んでいる。それに空気も排気ガスで汚れていて空が曇っているように灰色だ。太陽も見えない。
後ろを振り返っても渡ってきた橋は無く、汚いコンクリートの建物が道路沿いにひしめき合うように所狭しと並んでいる。高層建築物の狭い隙間から強風が吹き通り、ワンピースでは身を切るような肌寒さを感じた。体感的に春先のコートがいるぐらいの気温だった。寒さで身を縮めていると向こうの建物から一人の女性がこちらに歩いてきた。その女性をよく見てみると、にこやかな笑顔をした自分に瓜二つの顔をしていた。目の前の自分に似た女性に驚いて何も言葉が出てこなかった。その女性の方からこう話し掛けてきた。
「柳都様、お越し頂きましてありがとうございます」
この人、私の名前を知っている。どういう事だろう。
私にそっくりなその人は私が最近買ったのと同じLIGHT□(ライトスクエア)というブランドのトレンチコートを着ていた。
「えっ、貴方はワタシなの?」
「はい、仰るとおりでございます。ワタシは貴方です。ご存知なはずだと思いますが」
相手は丁寧に会話を返してきた。まさか夢の中で自分に会うとは思わなかった。
「ここでは落ち着きませんので弊社の応接室でお話致しましょうか」
車道には多数の車が走っており、遠くで電車が動く騒音を響かせていた。取り敢えずここでは寒いので、もう一人のワタシの後を歩いて行く事にした。
見知らぬビジネス街の風景だったが、ビルの角を曲がった途端、目の前にはいつも自分が働いている会社のビルがあった。
えっ? 会社ってこんな場所にあったかな。
景色が突然切り替わったみたいで何度も瞬きをした。
グレー色をしたコンクリートの建物で外観は古そうだけど、建物内はオシャレで掃除が隅々まで行き届いている。エレベータ八階フロアで扉を入って左側に受付があり、右側に応接室や会議室がある。これも全く同じだ。
応接室に入る時に受付の方をチラッと見たが、課長や二人の先輩はおらず机だけが並んでいた。いつも来社されたお客さんを応接室に誘導しているが、今日は逆の立場で誘導されている。部屋内は暖房が効いていて暖かい。奥のソファに腰を掛けるともう一人のワタシはトレンチコートを脱いで座り、にこやかな笑顔を見せた。まるで鏡を置いたように同じ顔、同じ仕草の自分がいる。その不思議な状況にあまり目線を合わせずにまごまごとしていると話し掛けてきた。
「貴方はいつもの〝意識の私〟ではないのですか?」
意識の私??
唐突な質問に何の事を言っているのか意味が分からなかった。そんな私を察したのかもう一人のワタシは続けて話した。
「こんな事は初めてです。まさか〝本体の自分〟が〝ここ〟までいらっしゃるなんて」
またおかしな事を言った。
本体の自分??
何度も首を傾げる私にもう一人のワタシは残念そうな表情を浮かべた。
「たぶんですが〝ここ〟の事は何もご存知ないのですね……。本来はそうなのかもしれないですが」
言葉を濁してはっきりと言わない所まで私にそっくりだ。分からない事が多すぎて話しにならないので逆にこちらから聞いてみた。
「ちょっと待って、さっきから言っている〝ここ〟ってどこなの? ここは夢の中だよね? それに貴方は私の事を知っているみたいだけど貴方は誰なの?」
目の前の自分に向かって聞くのは不思議な感じがする。また言葉を濁されるかな。
もう一人のワタシはにこやかな表情のまま冷静に答え始めた。
「私の知っている範囲でお答え致します。ここは貴方の〝精神世界〟です。夢の中ではございません」
「せ、精神世界!?」
「はい、そうです。精神世界の中でも〝ペルソナ領域〟に位置します」
「ペルソナ領域? 精神世界にそんな領域があるの?」
「はい、ここは全体的に大きく四つの領域に分かれており、それぞれの領域に一人ずつ貴方の精神人格がいます。この領域に存在するのはワタシ。ワタシは貴方のペルソナであり、対外的な精神人格です。」
私は驚いた。
ペルソナ……。私の対外的な精神人格……。いつも現実世界の会社ではこの人格が私を演じているという事だ。だから目の前にいる自分は整った髪形、化粧もバッチリ、丁寧な受け答えをして、会社の制服を着ていたのね。なんとなく分かってきた。
普段、会社で他人とコミュニケーションを円滑に取り、人間関係を良い状態で保つ為に私の中にこの人格がいるのだわ。
「いつもアナタに頼っているのね」
ペルソナはにこやかな笑顔をしながら頷いてこう答えた。
「ワタシは現実世界で貴方が生きるために必要な人格です。貴方自身を守るために頼って頂いて当然の存在です」
「ありがとう……」
ペルソナの優しい言葉に心が泣きそうになった。
「貴方が上京した時にワタシはここに誕生し、それ以来は社会人のペルソナとしてずっと存在してきました。当時は高校生のペルソナもいましたがいつからか姿が見えなくなりました」
確かに上京してからは仕事ばっかりで高校の友達と遊ぶ事もなくなった。それでいなくなったのかも。
「でも大丈夫です。もし必要になれば再び姿が現れてペルソナとして機能するはずです」
ペルソナの今までの状況がうっすらと把握できてきた。
次に先ほどチンプンカンプンだった事を聞いてみた。
「さっき言っていた〝意識の私〟と〝本体の自分〟って誰?」
「はい、先に〝本体の自分〟というのは貴方の事です。現実世界で生活している時、精神人格を扱う器となる肉体的な存在です」
「器となる肉体的な存在……?」
「はい、精神人格を宿している人間という生物です」
聞けば聞くほど疑問が増えてくる。
「私は現実世界にいるはずなのに何故、この精神世界にいるの?」
ペルソナはにこやかな表情のまま頭を傾げてこう答えた。
「それはワタシにも分かり兼ねます。本来、〝本体の自分〟は現実世界でしか存在しないはずです。それがどうして〝ここ〟にいらっしゃったのか。それは現実世界と精神世界で何かしらのきっかけがあったのでは、と思いますが」
「何でだろうね、何かと疲れてたからかな」
未だにここが精神世界だなんて信じられない気持ちで一杯だった。それに驚く事が多くて頭の中で情報を整理できないでいる。
一息おいてペルソナは話を続けた。
「さきほどのご質問の〝意識の私〟についてですが、その方は本来の貴方の精神人格です。何も包み隠していない素顔の貴方です」
「本来の私……?」
「そうです。貴方に一番近い存在だから見た目も貴方と同じです。この領域にもよく来て頂けるので話をしたりしています。今回、貴方がこの領域に現れたのもそうだと思っていたのです」
「それで〝意識の私〟ではないのですか、って聞いたのね。やっと話が繋がったわ」
パズルのピースの一つがカチッとはまったような気分がして表情がニコっとなった。それに対してペルソナもにこやかな笑顔を返した。
もう一つ大きな疑問だった事を聞いてみた。
「他の領域にいる精神人格はどんな人格なの?」
その質問にペルソナは渋い顔を見せた。
「他の領域には〝意識の私〟、〝無意識の私〟、そして〝シャドー〟がいます。しかし〝意識の私〟以外の人格の方にはお会いした事はないです。それぞれがどの様な人格をしていて、どの様な容姿をしているかも分からないです。でも予想できる事は容姿が貴方に似ているという事でしょうか。同じ貴方の精神人格ですから似ているはずです」
「なるほど、それもそうね。似ていて当然よね」
「ちなみに自分に似た人に会った事はないでしょうか?」
「ん~~、さっききたばっかりだけど……」
目を瞑り、まるで日記を読み返すように覚えている最近の記憶を辿って思い返してみた。
ん~~。私に似た人……。そんな人いたかな……。
ん~~。
あっ! 思い出した!
いつの時だったか忘れたけどショートヘアーをした自分に そっくりな人に会った事がある!
私の顔を見て逃げていった人。あれは夢だと思っていたけど、ここの世界だったのかもしれない。
「思い当たる事があるようですね」
ペルソナは私の表情から読み取ってそう言った。
「うん、会った。確かに会ったけど、私の顔を見てすぐに逃げて行ったのよ、その人」
「逃げていったのですか……。何故でしょうね」
「ん~~」
その時の状況を少しずつ思い出しながら口に出してみた。
「確か…… 霧みたいなのが濃くて目の前が真っ白で何も見えなくて…… 草がさらさらと風で鳴るぐらい一面に生えている草原で…… そんな感じだった」
「最近、ここペルソナ領域も濃霧が発生していました。それでずっと外出できなかったのですが、ちょうど貴方が現れる数時間前には徐々に晴れてきました」
「同じ濃霧…… 何か関係がありそうね」
私の精神世界で何かが起こっていた。一体何が起こっていたのだろうか。
「でも、このペルソナ領域には仰っていた草原のような場所は一つも無いです。もしかしたら他の精神領域にはそのような場所があるかもしれないですが」
「他の精神領域……」
「そうです。他の〝精神人格〟がいらっしゃいますので聞いてみても良いかもしれないですね」
「そうね、何か分かるかもしれないし、ショートカットの私もいるかもしれないし」
まるで謎解き探偵かのような気持ちになった。
「それに貴方が現実世界に戻る方法も」
私の心は一瞬止まった。
「夢が覚めるように私はここから現実に戻るものだと思っていた」
「そうであれば良いですが、先ほども言いましたが、貴方は本来、現実世界にいる肉体的な存在です。それほど簡単にこの精神世界に来る事は可能ではないはずです、逆もまた同じと思われます」
「そんな…… 現実世界に戻る方法なんて想像もつかないわ」
「私が存じていれば、すぐに申し上げますが、貴方の〝自己〟を支えている〝意識の私〟か〝無意識の私〟であれば分かるのではないかと思います。戻る方法は早く見つけ出しておいた方が良いと思います」
「現実世界に戻れないと困る。現実世界で私はいったいどうなっているのだろう……」
「では、ご案内致しますのでさっそく参りましょう。ここから一番近いのは〝意識の領域〟になります」
二人はお互い呼吸を合わせるようにソファから立ち上がった。応接室を出てペルソナを先導に通路を進んだ。
「あっ、少々お待ち頂けますでしょうか」
受付前まで来てペルソナは更衣室の方へ歩いて行った。
待っている間、チラッと受付の方に目を向けたがまだ課長も先輩二人の姿は無い。それに誰も受付前を通る事がないし、電話も鳴る事がない。いつもの会社なのに。今日は休日なのかな。
「お待たせ致しました。外は寒いと思いまして。もし良かったらお使い下さい」
ペルソナは私がいつも使っているムートンの膝掛けを差し出した。冷え性の私は受付のデスクで冷房がきつい場合はいつも膝に掛けているものだ。
「これで暖かいわ。ありがとう」
さっそく膝掛けを肩から羽織ってエレベータに向かった。




