第二章 暖かい宿の中で(6)
お腹の膨れ具合と格闘すること四十分、その間はずっと眠りの浅い所で起きては寝てを繰り返していた。
もう集合時間の十分前。ベッドから起き上がった時、身体のだるさが食べ過ぎや疲れではないと分かった。それは身体だけでなく頭がひどく重いように感じたから。
熱が出たかなぁ、まだはっきりとは分からないが発熱時の兆候に似ている。楽しみにしていたツアーだからキャンセルする訳にはいかない。ジャケットを羽織ってゆっくりと一階の受付前に向かった。
昼間と同じくワイワイと参加者が集まっている。スタッフが参加者の出欠を確認して回っているので、私も名簿に印をつけてもらった。
人数が揃い次第、玄関の大きな扉が開いて列の順に出発した。いつもこの出発の瞬間がドキドキする。
まだ頭が重いけどイベントを楽しんでいたら忘れるだろう。
かまくらのある場所へは歩いて五分ほどで到着するぐらい近く、体調が悪い私には助かる。
宿場の外は昼間より当然寒く、雪道も冷えてカチカチに凍っていてスケートリンクの上のように硬く滑りやすくなっていた。周りが真っ暗な上に明かりはスタッフが照らすハンドライトのみなので足元が見えず、つまずいたり滑ったりしないように慎重に足を進めた。
気温は身体には寒いが頭にはちょうど良く先程までの重たさが嘘のように消えていた。外の方が気分的に楽でいれるし、自然の寒気で治れば良いなぁ。積もっている雪に直接おでこに付けてみたかったが、化粧が崩れても困るので止めた。
スタッフの中に牧田さんがいるかどうか探してみたが今回はいなさそう。また緊張しなくて済みそうだ。
ドラマでは夜にこんな真っ暗な雪道を歩くシーンというのは無かったなぁ。コマーシャルが終ったら、かまくらにもう着いていたし。
雪道には定期的に松明が灯してあるので道を間違っていない事だけは分かる。ほどなくして一際明るい場所に到着した。
大きな松明が中央にあり、その周りを数々のかまくらが並んでいる。
団体ごとにそれぞれのかまくらへ順に誘導されて入っていった。私は列の最後だったので運良く一人でかまくらに入る事ができて独り占め状態になった。
かまくらは四人ぐらいまで入れる大きさで内部はとても明るい。よく見ると内壁の三箇所に凹みがあり、そこにロウソクが置いてあるからだ。
ドラマ内ではここで旅立つ登山者とちづ婆さんが約束するシーンがあった。ロマンチックで感動的な場面だったのでよく覚えている。
真ん中には小さなテーブルが据え置いてあり、手で触るとプラスチックで出来ているのが分かった。内壁も強化プラスチックでかまくらの形が出来ていて雪が溶けて崩れたり、びしょ濡れになったりしないような構造になっていた。このかまくらの型の上に雪を盛って作っているのかな。
一人なので一番奥の座布団にちょこんと座った。
しばらくロウソクをぼーっと眺めていた。
なんか良いね、かまくらの中って。
私から発する体温でかまくらの中は段々と暖かくなってきた。一息ついて脚を組むと、ジーンズの右ポケットに何か膨らみを感じた。
突然、外から聞き覚えのある明るい声が中に入ってきた。
「ドリンクサービスですーー」
相手の顔をよく見ると、牧田さんだった。いつものグリーンとコバルトブルーのストライプ柄のスキーウェアを着ているのですぐに分かった。
「おっ、尻餅の子だ」
また失礼なあだ名を言われた。
「ホットティーかホットコーヒー、ワインにソフトドリンクのうち何が良い?」
ドラマ内ではワインで乾杯するシーンがあるので、普段アルコール類はあまり飲まないが思い切ってワインを選んだ。
すると、十センチぐらいの小さなワインとグラスがテーブルに置かれた。
「このかまくらは一人しかいないから、僕が代わりに乾杯するよ」と言うと牧田さんはグラスにワインを注いで目の前に持った。
「乾杯!」
カチンっとグラスを鳴らした。
その途端、牧田さんは外から名前を呼ばれたのでグイッと飲んで行ってしまった。
まったく忙しい人ね。きっと誰にでもああいう風に声を掛けているに違いない。そんな軽薄な人は大嫌い。こういう男性に接すると異性への壁がさらに高くなった。
ワインを一口飲んでかまくらの雰囲気を堪能する。私はこういう狭い空間が子供の頃から好き。ちょうどよく遊んだ押入れの中にいるみたいでとても落ち着く。
チャロと一緒に来たかった……。
一緒に楽しい思い出を記憶に刻みたかった。チャロの事を思い出す度に心が痛くなる。
大きく溜息をつくとどこからか風が吹き抜けた。発熱のせいで頭がまた重くなってきた。さっきまでは寒さと楽しさですっかりと頭のだるさを忘れていた。それにワインが効いてきたのか顔が熱くなり、頭がフワフワとしてきた。
顔が赤くなっているのだろうなぁ。
思っていたよりも飲みやすく美味しいワインだったので、グラスに入っていた量をちょびちょびと飲んでいたら全部飲んでしまった。でも、もうこれ以上は飲めない。
私は自分の飲める量が分かる。口がお酒を受け付けなくなるのがその合図。これ以上飲むと目が回り、吐き気をもよおしてくる。この合図にはとても助かっている。会社での飲み会では余計に飲む事がなく迷惑をかけずに済んできた。
でも、ワインってアルコール度数がキツイね。たった一杯でこんなになるなんて。足元がフラついて帰れない事はないよね。お酒を飲んだときのフワフワ感を楽しんでいた。
三十分ぐらいで帰りの連絡があったのでかまくらの外へ出て集合した。
残ったワインは持って帰っても良いかもしれないけどテーブルの上に置いたままにした。今日はもう飲めないし、明日は朝にチェックアウトで帰るのでもう飲む時が無いから。
身体が暖まっていたので、かまくらの外はそれほど寒く感じない。汗をかきそうだったのでジャケットを脱ぎたいぐらいだ。粉雪がチラチラと降ってきているのが顔に当たって気がついた。
「皆さん、これより出発しますが気分の悪い人はすぐに申し出て下さい」
一番後ろにいたのでスタッフの声が小さく聞こえた。
いつもの事ながら、みんなの列の後に付いて宿場までの道を歩き出した。
さっきよりもフワフワ感が増してきて空を飛べるような気がしてきた。ふと見上げると、細かい粉雪が夜空を舞って白く染めている。ドラマよりロマンチックな感じ。
この雪はどこから降ってくるの? 誰が降らしているの? 雲の上のおじいちゃんかな?
私は思いついた言葉を残したかったが、ICレコーダを部屋に置いたままにしていたのを思い出した。
あれっ、もう宿場の明かりが見えてきた。出発した時よりも早く着いた感じたがするのは気のせいかな。
宿場内は暖かいというよりも暑い、真夏にクーラーが効いている部屋から灼熱の外へ出た時のように顔の表面がモワモワとする。
イベント解散後、部屋に戻ってジャケットを脱ぐとやっぱり汗をかいていた。部屋の温度を下げようと思い切って窓を開けようとしたが固くてビクとも動かない。力を入れた指の方が負けそうだった。どうやら開かない仕組みになっているようだ。仕方なく空調を冷房に切り替えて、ベッドに横になって身体の火照りが無くなるのを待った。
「ワイン飲むのを止めておけば良かったなぁ」
目を瞑りながら呟くと眠りの谷に落ちていった。




