第二章 暖かい宿の中で(4)
全員の写真撮影も終わり、スタッフから宿場に戻る説明があった。だいたい三十分ぐらい叶峠裾にいたのかな、暖かかった身体も冷えてきてしまった。
スタッフが団体を先導して移動し始めたので、私は来た時と同じように一番後を歩く事にした。
今回、後ろにいるスタッフは牧田さんではなかったので話し掛けてくることもなかった。その方が気を遣わなくて楽であったが、寂しい気持ちも少しだけあった。
帰り道を歩いている時、牧田さんの話を思い出していた。
願谷から叶峠を越える殆どの登山者はUターンして戻ってくることはなく、登頂して願いを祈願した後に峠の向こう側に下山する。その為、叶峠を越えた場所にある宿場に登山者の名前を連絡しておかなければいけない。昔は電話やファックスで連絡していたが、今ではパソコンで登山者名簿を送っている。そうして下山者を照合して遭難者がいない事を確認している。
ドラマを見ただけでは気がつかないが、スタッフとして実際に働いてみるとそのような宿場としての規則が多い。それはどんな冬山でも天候により遭難する可能性があるから。
最近は叶峠越えを目指す登山初心者が増えており遭難の可能性が問題視されているが、人数が多いと逆に集団で登下山する方が安全である。宿場での裏話を聞くと人命に関わる事が多い為、規則規則で厳しい仕事というのが伝わってきた。
歩いて三十分、ようやく宿場に戻ってきた。誰とも話さずに歩いていたからか帰り道の方が長く感じた。
寒い外から暖かい宿場内に入ったので無性に鼻水が出そうになりズルズルしていた。
解散後、部屋に戻ってジャケットを脱ぐと身体が軽くなった感じがしたが、脱力感で全身の力が一気に抜けてベッドに倒れこんだ。往復一時間ほど歩いただけで、身体の筋肉が緩んだのか一度横になるとダルさで動けなくなった。
しばらく横になって休憩していよう。体感的に寒い所にいると意識せずに体力を消耗するとテレビで見た事がある。相当体力が落ちたのかもしれない。
普段のデスクワークでは運動不足なのは分かっているがそれが普通になっていた。
今は何時頃だろう。鈍い動きで腕時計を見たら、十七時を少し過ぎた頃であった。十九時から夕食なのでそれまでは自由時間ではあるが、他のイベントにも参加したいのに、このまま横になったままでは時間がもったいない。でも、身体が重くてついていけない。快適な状況と睡魔に負けて徐々に眠りの森に入っていった。
*
夕焼けがとても眩しくて歩く速度が遅くなったのに気がついたのか、チャロはこっちに振り向いて目線を送っている。チャロと散歩している学生の頃の私。
いつもの曲がり角を曲がり、川沿いに歩く毎日の散歩ルートで途中に小さな公園があってそこを通っていく。チャロは散歩が嬉しくてウキウキしながら歩いているのが後ろから眺めていてもよく分かる。
そろそろトリミングに連れて行こうかな、それとも私がカットしようかな。茶色の被毛が伸びてモコモコになってきている。
散歩から帰ってくると、チャロは小屋に入って水をガブガブと飲む。そして私の顔をじっと見ている。
ありがとう、と言っているのかな。
チャロの目は綺麗な瞳をしている、目を見ていると何か言っているような感じがしてくる。単なる思い込みかもしれないが何か伝わってくる。
雨の日、散歩に行けない時は犬小屋に会いに行ってあげると尻尾を振って喜ぶ。雨で散歩に行けないのが分かっているから、来てくれただけでも嬉しいと答える。
私がチャロの頭を撫でてあげると手や顔を舐めてくる、それがチャロの愛情表現。チャロに話し掛けるとこちらを見て、またチャロの目は何かを言っている。他の犬は単純な感じだけど、チャロは犬っぽくないと思う時がある。
今まで人に噛みついたりした事はない。きっと噛んだら相手が痛いのを分かっているからに違いない。優しくて賢い犬。
忘れられない存在。
休日にボールで遊んでいる時はテンションが上がってやんちゃになったりする姿を思い出した。
さっきのツアーで叶峠を見たのがきっかけなのかチャロの記憶がいつもより深く甦ってきた。
*
深海から浮き上がるようにゆっくりと目が覚めた。ベッドでうつ伏せになりながら私は涙を流していた。
チャロが亡くなってもう二年が経つ。私は高校を卒業して就職の為に上京する進路を選んだ。その時はそれが普通に進むべき道だと思っていた。
上京して半年が経ったある日の夜に突然、母から電話があった。
チャロが血を吐いて倒れた。
すぐに実家に向かおうとしたが、今からでは最終電車に間に合わない事が分かり仕方なく諦めた。明日は平日でもあったので仕事を休んで朝から実家に向かうしかなかった。
こんな所で何もできず動けない自分に苛立ちが積もっていった。
母は急いでチャロをいつも定期検診で通っている小さな犬病院へ連れて行き、すぐに診てもらった。そして点滴を打ち、安静のため実家に連れて帰ったと連絡があった。急な事態で何をすれば良いのか分からず、離れているチャロの事が心配で私は夜も寝られずにいた。
早朝、母から電話があった。
チャロは深夜に大量に吐血して亡くなっていた、と。
頭が真っ白になった。何を見ても何も考えられない、何を聞いても何も分からない。声も出せずうなだれて泣き崩れた。
ようやく出勤する時間になり、電話で会社の上司に有給休暇を申請したが承諾を得る事ができなかった。理由は先輩二人がもう有給休暇の申請をしていたから。受付が誰もいないのはマズいから、と上司は言う。精神的に働ける状況ではない事を伝えたが聞き入れてもらえず、どうしようもなく会社へ出社した。
当然、何も手がつかない。血が抜けたかのように顔が真っ白で貧血気味だった。それでも上司は関係なく仕事を振ってくる。食欲は無くフラフラで昼食も軽食も何も食べれずに就業時間は過ぎていった。
明日は有給休暇を取る事ができたので、今日の仕事後すぐに実家へと電車を乗り継いで向かった。何も食べていないせいで長時間の電車がとても辛く、座っているだけでも疲れる。それ以上に心の痛みが重く、鈍く締め付けるので息が止まるような苦しさが続いた。
時折、口を大きく開いて深呼吸をしないと気が遠くなりそうになり、倒れそうになりながらも実家へと辿り着いた。
母からは「昨夜チャロが心配だったので犬小屋ではなく、母の部屋で様子を見ながら一緒に就寝していた」と聞いた。
母の部屋にはチャロがダンボールの中で花と一緒に入れられていた。止まらない涙で前が見えないまま、チャロを何度も撫でた。冷たくなったチャロの体温が小刻みに震える私の手のひらに伝わってきた。
あんなに元気だったのに、どうして、どうして……。
突然の別れがどうしても理解できなかった。
私は母を激しく責めた。
どうしてチャロに手術を受けさせなかったのか。
母は答えた。
犬病院が点滴を打っておけば大丈夫と回答をしたから。
私は神様に祈った。
「どうかチャロを生き返らせてください」
何度も何度も祈った。しかし、神様はいなかった。涙が枯れることもなく流れ続けて疲れ果てた私はチャロの傍で寝た。
翌日の朝、ペット用の動物収集車が来て、チャロが入ったダンボールを運んでいった。山麓付近の動物愛護共同墓地に骨を埋葬すると聞いた。
チャロを見送った私は家の中に戻る時に激しい振動と騒音が鳴り始めた。母に聞くと、実家の塀と道を隔てた隣に七階建てのマンションが建つ予定で毎朝八時から工事が始まるそうだ。地面を深く掘り下げた後、頑丈な鉄柱を打ち込む時に激しい振動と騒音が鳴り響いている。振動は地震が起きたのかと思うほどの揺れで身体が一瞬強張る。この工事が二、三ヶ月前から続いていると聞いた。
抜け殻になった私は寝込んでいたが、工事が一日中うるさくて眠れなかった。
こんな近くにマンションを建てるなんて。これがチャロにストレスを溜めた原因に違いない。
就職して半年しか経っておらず、まだ有給休暇日数も少なくて次の日からは休むことなく仕事に戻らなければならなかった。精神的に立ち直るまで食欲が出てこなくて二週間で体重が七キログラムも減っていた。




