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奇跡ノ種 (Miraculous Species)  作者: なみだいぬ
第一章 吹き抜ける風が冷たくて
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第一章 吹き抜ける風が冷たくて(1)

 太陽が沈み始めた頃、夕日影は細い山間を通る旧式の列車を明るく照らしていた。その眩しいほどのオレンジ色の光線は紅葉した山脈に射し込み、何とも言えない美しい情景を創り出していた。

「きれい……」

 車窓の外に広がる赤橙色の夕景に私は思わず呟いた。

 古路線のレールを軋りながら走行する列車の中に私はいた。旅行カバンに付けたキーホルダーが列車の振動の度に揺れて、カチャカチャと音を立てている。

 柳都星与やなぎとほしよ、自分の名前が彫られたキーホルダーは中学二年生の頃に学校の授業で作った物。そんな昔の事も忘れてしまうぐらい今は仕事で忙しい毎日を送っている。

 仕事疲れが溜まった自分へのリフレッシュとして、有給休暇で二泊三日の小旅行に出掛けた。友達と一緒にわいわい騒ぎながらする旅行という訳でもなく、気楽な女一人旅です。テレビで旅行番組を見ては自分が旅行をした気分になり、思い巡らす事が多かった私にとって、一人旅は昔からの憧れでもあった。それは同行者に気を遣う事もなく、自分の行きたい方角へ自分の行きたい時に行く、という「自由さ」が好きだったから。それにのんびり屋の私としては性格に合っていると思うから。


 車両が二つしかない列車の中に人の姿は少なく、ちらほらと席に座る程度しかいなかった。毎朝の通勤ラッシュとは違って、列車内はとてもゆったりとした雰囲気が漂っていた。

 夕日の暖かい光が刺し込み、列車内の温度はほんのりと暖かくなっている。

 私は徐々に瞼が重くなり、ウトウトとしていた。すると、突然の騒音とともに列車はトンネルの中に入り、私は現実へと呼び戻された。車窓の外はさっきまでの赤橙色が消え、黒い壁しか見えなくなっていた。その途端、窓の微妙な隙間から冷たい風が入り込んできたのを左腕に感じて鳥肌が立った。まだ寝惚けていたのか、自分が会社のデスクにいるような錯覚をしていた。

 頭の中に砂嵐のようなノイズが突然フェードインしてきた。何故だろう、最近このようなノイズが頭の中で鳴る事が多い。仕事での疲れが抜けずに溜まっている時は特に頻度が高い。

 いけない、いけない、どうも仕事の事を思い出すと気が張っていけない。せっかくの旅行なのに、仕事の事はさっさと忘れよう。

「ふぅ」

 小さなため息をついて、私はそのノイズを消すためにデジタルプレーヤーで音楽を聴く事にした。

「♪春の晴れた日、冬眠から覚めた小熊のようにウキウキと~」

 今、聴いている曲は夕風ゆうふうというアーティストが歌っている。癒し系の歌を歌う事が多く、若い世代に人気のアーティストである。この歌は「春のうた」という曲名で今年の春に流行ったものだけど、私はとても気に入っているので、晩秋の今でもまだ聴いている。

 こういう風に私は頭の中に発生するノイズの対処をしている。このノイズは耳鳴りの症状を酷くしたような感じで、最初は会社の近くで道路工事をしているのだと勘違いしていた。会社の近くだけじゃなく、電車の中でも道路工事のノイズが聴こえるのはおかしいと思った時、初めて自分だけの耳鳴りだという事に気が付いた。酷い時は人の声が聞こえないぐらい耳の中で鳴り響いている。さっき鳴り始めたノイズももう三十分は鳴り続けていた。



 トンネルの中の黒い壁はまだ続いている。本当に出口があるのかと疑うぐらい長く、少し不安になってきた。このままトンネルの中を彷徨い続けたらどうしよう……、なんて非現実的な事さえ考えてしまう。トンネルの中では、何故か息苦しい気持ちになるのは私だけだろうか。

 あれっ、そういえばどの駅で降りるのだったかな。何度思い返しても一向に出てこない。私の記憶の一部分が、まるで虫に食われたセーターの穴のようにぽっかりと消えてしまったみたいだった。最近、こんな事が多くて非常に困っている。

 だから、どうしても忘れてはいけない事はメモを取って、忘れたら見返すようにしている。隣の席に置いてあるカバンの小ポケットからメモ帳を取り出して見てみた。

「えーっと、降りる駅は〝南願谷駅みなみねがいだにえき〟ね」

 簡単に略しながら描いた路線図で駅の数を確認した。まだ四駅も先にある。降りる駅に着くまで、このまま音楽を聴いて過ごそうかな。平日ではゆっくりと読めなかった文庫本を列車の中で読むつもりで持ってきたが、乗り物酔いしそうで結局は手を付けずにカバンの中に眠ったままだった。



 ふとカバンの下にキラリと光る物があるのに気が付いた。

「何だろう…… これ」

 手に取ってよく見てみると、手の平に乗るくらい小さいガラス製の〝透明な犬のオブジェ〟だった。しかも、尻尾の部分が欠けている。それを眺めていると、私は何かとても不思議な感じがした。

 誰かの忘れ物かなぁ……。

 ちょうど座席の背もたれ下のくぼみに挟まっていたから忘れちゃったのかな。尻尾の先には紐が結ばれていて、その尻尾が何かの拍子に折れてしまい、胴体部分がここに置いてきぼりになっちゃった、なんて勝手な想像をした。

 確か、私がこの列車に乗った時からこの座席には誰も座る人はいなかった。その時はこのオブジェがあるなんて気が付かなかった。という事は、私が列車に乗る前にここに座っていた人の忘れ物?

 私はその犬のオブジェを見つけた元の場所へ戻した。何となく昔、自分の家で飼っていた犬に似ていたので欲しく思えたが、もしも持ち主が探しに走っている姿を想像すると、そんな事はできなかった。ただ、この子が自分の居場所へ帰る可能性を奪ってしまうのが嫌だった。どんなに小さな可能性も単なる自分のエゴで潰したくなかった。

「待っていてね、貴方のご主人様は必ず迎えにくるから」

 本物の犬をなだめるように私は犬のオブジェに優しく語りかけた。


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