ゲス
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします~」
と言う声が店内から聞こえてくる。
みやこはバックヤードで制服に着替え、腫れた顔を化粧で隠した。
斉藤もみやこの顔を殴る時は加減をする。
みやこが働いているのは駅前のお洒落なカフェで顔に殴打の跡などあれば問題だといういう事くらいは斉藤でも分かっているようだ。
駅前のカフェは制服が可愛く働く娘も美人が多い。
みやこは色白でぱっちりとした二重瞼の美人だった。染めているわけではないが、栗色のふわっとした髪の毛に小さい顔、細長い手足も注目を集める。
時間通りにみやこは裏口からカウンターへ入っていった。
さっとカウンターー内で交代し、みやこは無理矢理笑顔を絞りだし次の客へ声をかけた。
「いらっしゃいませ、ご注文をお伺いします」
「えーと、カフェラテのアイスとチョコレートマフィンを一つ」
「カフェラテアイス。チョコマフィン一つですね」
「はい……あれ、吉田さんじゃないの?」
名字を呼ばれて、みやこは正面からまともに客の顔を見た。
「えっと……あ、藤田君……だっけ」
「そう。ここでバイトしてるんだ」
「うん」
受け答えをしながら注文された品を用意し、みやこはトレーを藤田に渡した。
「ありがとうございました」
「ありがと」
藤田は爽やかな笑顔をみやこに向けると、トレーを持って空いている席へと歩いて行った。
「ちょっと、イケメンじゃん」
少しの客の途切れに隣のレジの同僚がみやこの脇をつついた。
「うん、中学んときの同級生。すっごい頭が良くて、いい大学行ったみたい。生徒会長でバスケ部で優しい人でね、ほんとすっごいもててたんだよ」
みやこは中学時代を思い出した。
密かに憧れていた藤田隆。小学、中学と同じで、ずっと見つめてきた。
思いを告げるという意志はなかった。
自分は頭も悪くて、素行も悪かった。家庭環境も悪いし、そのうえ中卒だ。
藤田みたいな優等生には嫌われるタイプの女子だったのは知っている。
ただ遠くから見ているだけでよかった。
それからみやこは藤田がカフェに来ると少し言葉を交わしたり出来るようになった。
携帯電話の番号やアドレスを交換するような仲でもなく、ただ、顔見知り程度の間柄だったが、みやこはそれで満足だった。
大学の帰りに通る道らしく、二、三日に一度くらいの頻度で藤田はカフェへ顔を出す。
みやこは毎日、朝から晩まで出来る限り、バイトのシフトを増やした。
藤田が来るはずない時間でも想像だけで楽しめる。
接客にも力が入り、働く事が楽しい。
「何か最近、楽しそうだよね」
とバイト仲間からもからかわれる始末だ。
「うん。最近、ちょっと働くの楽しい。前はだるいってばかり思ってたけど」
とみやこは答えた。
「そんで?」
と鴉が言った。
目の前には小鬼が五匹、正座させられている。
鴉の左腕の目々連が肌から飛び出さんほどに膨れあがってぼこぼことなっている。
全ての目玉の視線は目の前でうなだれている小鬼達に集中して、そして怒っている。
颯鬼がやってきて酒盛りした夜から末っ子目玉が行方不明だった。
鴉にしても目々連にしても末っ子目玉に対して監督不行き届きな所もあるが、最後の目撃者の小鬼達が「知らない部屋に置いてきた」と正直に言ってしまったので、皆の怒りが小鬼達に向かってしまった。
目々連の目玉の中には泣いている目玉もあるし、まっ赤に充血している目玉もある。
「知らないー。ついてきちゃ駄目って言ったよ」
小鬼達は精一杯の抵抗で言い返すが、何の解決にもならない。
「目々連、末っ子の行方は追えないのか?」
と颯鬼が言った。
目玉は一斉に左右に黒目を振った。
「駄目か……離れた場所にいるのか。それとも喰われてしまったかな」
「ピギューーー!」
一番大きな目玉が怒った様な音を立てた。
「仕方あるまい。末っ子なんぞたいして腹の足しになるとも思えんが、犬や猫なら一口だろうしな」
(早くみつけへんと、消滅してしまうかもしれまへんなぁ)
(犬、猫、ネズミに見つかったら……)
(末っ子でも妖や、ちょっとでも栄養にしたろ思う妖はおるはずやしなぁ)
と鴉の柄達も問題を口にする。
「蔵ぼっこ」
と鴉が言った。
「はーい」
「末っ子を置いてきた人間の部屋は覚えてるか? そこへ行って末っ子を回収してこい」
と言いつけた。
「えー」
と不服そうな声を上げる小鬼達だが、目々連に一斉に睨まれてまた下を向く。
「見つけるまで戻ってくるな」
と鴉が冷たい声で言いつけた。
ゲスな人間というのは、他人の幸せに敏感だ。
そして自分以外の者が幸せになると逆恨みする。
みやこの様子の変化を斉藤は見逃さなかった。
もの悲しい幸薄そうな娘だったのに、少し笑顔が増えた。
そんなことだけで斉藤はみやこを勘ぐった。
男が出来たに違いない。すぐに斉藤はそう思い、みやこの身辺を探るようになった。
それは嫉妬でもなく、ただ、自分以外が幸せそうなのが許せないだけだった。
他人の幸せは斉藤のような矮小な人間には眩しすぎた。
光が当てられたらこそこそと逃げていくゴキブリのような性質だった。
斉藤はすぐに藤田の存在を嗅ぎつけ、そして藤田を脅迫した。
みやこの想いはみやこの胸の奥にしまっていたささやかな幸せであり、藤田にとっては突然の暴力と脅迫だった。
関係ないといっても斉藤には通じない。
理不尽な暴力と脅迫、強奪を受けた。
二度とカフェには近づかない。
みやこには気の毒だが、藤田はそう叫んで逃げだすのが精一杯だった。
「何だか機嫌がよさそうだな、良いことでもあったのかよ」
「え」
みやこは怯えた顔で斉藤を見た。
三日ぶりに部屋に戻ってきた斉藤の方こそ珍しくご機嫌だった。
「別に何も……」
斉藤はみやこのバッグから財布を取り出して中を覗いた。
「しけてんなぁ」
ありったけの札を取り出し、財布はみやこに投げつける。
「お前、カフェなんか辞めて、水商売行けよ。いいこと探してやっからよ」
「え……」
嫌だ、とみやこは思った。酒は飲めないし、酒を飲む大人も嫌いだった。
それにカフェを辞めたら藤田に会えなくなる。藤田とは特に進展もない。
ただ笑顔を交わすとか、少し世間話をするというだけの関係だ。
それでもみやこには大切な時間だった。
「中卒のお前が金を稼ぐっていったら水商売か風俗くらいしかねえだろ」
「い、嫌だよ」
「バカで中卒で、ちっとばかり顔がいいのしか取り柄がねえんだからよ。な?」
「嫌だ! カフェを辞めるのは絶対嫌!」
カフェを辞めるのは嫌だった。その先がないのは分かってるし、自分は何も出来ない駄目な人間なのは分かっている。
でも今、藤田に会えなくなるのは嫌だった。
「俺の言うことがきけねえってのか!!」
みやこの自分に対する態度は些細な反抗でも気に入らない斉藤は、みやこのふとももの辺りを力強く蹴飛ばした。
「痛っ、痛いよ、丈二くん……」
「うるせえ!」
かっとなった斉藤はみやこを蹴り続ける。
こうなるとみやこは謝り続けるしかないがその言葉も斉藤の耳には入らない。
「いいな、もうカフェには行くんじゃねえぞ。そんで明日から風俗行けよ」
嫌だ嫌だと泣き続けるみやこの上に覆いかぶさる。
無理矢理衣服をはぎ取って、嫌がるみやこの身体をまさぐりながら、
「ちっとの辛抱だからよ。な、稼いだら、パーッと外国でも行こうぜ、南の国でよ、のんびりしようぜ。お前、綺麗だしよ、絶対ナンバーワンになれるからよ。月に百も二百も稼げるんだぞ。ちょっとの間の我慢だ」
と耳元で機嫌をとるように囁いた。
「嫌だ…カフェのバイト……辞めるのだけは勘弁して……」
斉藤が自分勝手に満足し、みやこの身体から離れてからもみやこは衣服を直すでもなく床の上でぐずぐずと泣き続けた。
「あのイケメンはもう来ないと思うぜ」
下卑た声で斉藤が言った。
「え……」
ぽかんとした顔で丈二を見上げるみやこに丈二は自分の携帯画面を見せつけた。
土下座させられた男が映っている。
次の画面にみやこの顔が真っ青になった。
誰かの手に無理矢理に顎を掴まれているのは藤田の顔だった。
顔面は紫色に腫れいるし、口元も血で汚れている。
みやこは慌てて身体を起こした。
「ふじ、たくん……」
画面と斉藤の顔を見比べてはっとした顔になる。
斉藤が着ている高そうな上着は藤田が愛用している物だし、腕時計にも見覚えがある。
「藤田君に何をしたの!」
「うるせえ!」
起き上がって飛びついたみやこの顔面を斉藤は思いきり殴った。
鼻血が出て、みやこの顔は真っ赤になった。
「人のもんに手を出したらどうなるか教えてやっただけだ! あの男、泣きながら逃げてったぜ!!」
気持ちよさそうに語る斉藤にみやこは血を流しながら飛びかかった。
「ひどい! ひどいよ! あんまりだ! 藤田君はそんなんじゃない……」
だがみやこは斉藤に再び殴られ部屋の隅に吹っ飛んだ。
ゴミをためたポリ袋の上に勢いよく倒れ込んで、破れたポリ袋の中からハエがわーんと飛び立ち、隅っこに隠れていたゴキブリがカサカサカサと四方に走り逃げて行った。
斉藤は倒れたみやこの腹を力いっぱい踏んで、さらにみやこの長い髪の毛を掴んだ。
「身体さえ満足ならいいか。女は穴があったら稼げるからいいよなぁ」
へっへっへと笑いながら、掴んだ髪の毛を持ち上げる。次いでみやこの身体も引っ張られて起き上がる。
みやこの腫れた顔に何往復も平手を叩きつけ、
「お前が悪いんだぞ? 浮気するから。そう思うだろ?」
と言った。
「ち、違う、そんなんじゃない……」
「まだ言うのか!!」
斉藤はみやこの身体を振り回し、みやこはまた汚い床の上に倒れこんだ。
そのまま小さくなる丸く固まるみやこの身体を何度も蹴る。
みやこが自分の身を守ろうと腕を回せば空いた箇所を蹴る。
腹が空けば腹を蹴り、背中が空けば背中を蹴る。顔が空けば顔を蹴る。
鼻血が出ようが、胃液を吐き出そうが、斉藤は自分の気がすむまでみやこの身体を蹴り続けた。
(ふじたくん……ごめんなさい……ごめんなさい……)
みやこの中は身体の痛みよりも藤田への罪悪感でいっぱいだった。