交戦
シンと静まり返ったその場に動きを与えたのは、高い空を旋回する巨大な鳥の怪物じみた鳴き声だった。
それはまるで、両軍を突き動かす角笛の音のように。
そして誰よりも速く、レナドが地面を蹴った。
剣の切っ先をこちらへ向け、そのまま私たちを貫ぬかんと突進してくる。
「両翼、展開!」
レナドの指示で二名ずつが左右へ足を向ける。左右から回り込んで、こちらを取り囲むつもりだ。
さすがに息が揃っている。七名全員が迷いのない行動で間を詰めてくる。
もちろん、それをただ感心して見ているわけにはいかない。
私は圧縮魔法書のページを捲った。
「チャプター51、『翠竜の咆哮』、解凍!」
声高に叫ぶ。
すると次の瞬間、本から衝撃波のごとき陣風が吹き放たれて、レナドたち前方の三人は後方へ大きく飛ばされた。
「ヒューッ! やったぜ!」
スピカが歓声を上げる。
「やってない」
これぐらいじゃ死なないはず。
しかし、それを確かめる余裕もなく、すぐにページを捲る。
左右から騎士が迫る。
「乗って」
と言って背を向けると、スピカがそこにピョンと飛んで負ぶさる。
「チャプター18、『精霊たちの舞踏会』、解凍!」
言葉を紡ぐと、私の足元に風の渦が纏わり付いた。
その状態で地面を蹴ると、私の体はまるで氷上を滑るように後方へ大きく移動した。
四人の驚いた顔が遠ざかる。
そこで私は、更にページを捲る。
「チャプター52、『翠竜の咆哮』、解凍!」
さらに四つの悲鳴を増やして、七名全員を吹き飛ばした。
「このまま一気に行くよ!」
先ほどの魔法の効果はもう少し続く。
私は地面を蹴って、一気に扉へと加速した。
──しかし。
「させるか!」
レナドがナイフを手にした。倒れたままの状態なのに、それは正確な投擲で私へと伸びる。
「!!」
慌てて体を捻ると、それは間一髪、私の体をすり抜ける。
だけどそこで体勢を崩して、私は派手に転んだ。
「どわーっ!」
背中のスピカも転がっていく。
「立て、みんな!」
レナドは立ち上がり、剣を拾う。
「禁書の魔法には限りがある。勝てずとも、耐え続ければいい!」
仲間たちに発破を掛けるなり、すぐさまこちらへ向かってくる。
私は辛うじて手放さなかった圧縮魔法書を開く。
「チャプター19、『精霊たちの舞踏会』、解凍!」
地面を滑り、スピカの下へ。
「膝打ったー! 血ぃ出てるよ、もうー!」
喚くスピカを抱えてレナドから離れる。
レナドの言うとおりだ。長期戦はこちらに不利になるばかり。
そして、実際はもうこの場で有効な魔法は数えるほどしか残っていなかった。
何度も言うように、圧縮魔法書はすべて、何かの状況を想定して改造したわけじゃないのだ。特に、改造が進んでいたこの『シルフ』は。
たまたま状況に適した魔法がいくつかあっただけ。種類を豊富に取り揃える発想力も時間的余裕もなかったから、同じものを連ねて作っただけ。
だから残りは風で高い音を鳴らすなど、遊び半分のものばかりが並んでいるのだ。
六名の部下が次々に立ち上がり、再び広く展開を始める。
それを目で追いながら、私は頭の中で残った魔法を数えた。
〝咆哮〟はもうない。〝舞踏会〟はあとひとつ。〝王の戯れ〟もひとつ。〝一陣の風〟はふたつ。
あとひとつ、『イフリート』にも負けない攻撃力を持った魔法があるけど……。
しかしそれは、ここでは使うことはできない。
何故なら、使えば確実にレナドたちを殺してしまうから。
だから、この残りの四つで何とかするしかない。
「わかったぞ、スピネル」
とそこで、逃げ惑う私に向かってレナドが大声を張った。
「九年前、貴様らが何を隠していたのか」
ナイフを投擲する。だけど距離が離れているので、私は危なげなくかわす。向こうも牽制程度で当てるつもりはなかったようだ。
「通常、一冊の禁書に魔法はひとつだけだ。それが当たり前で、だからどの国も禁書を使うのにはひどく慎重になる」
レナドの顔はどこか楽しそうに、声は歌うようだ。
「だが、それは何だ!? 貴様は今、ここで何回魔法を使った?」
〝舞踏会〟が切れる。すぐに最後のひとつを使った。
「……昨晩、城の学者たちが揃って顔を驚愕させていた。俺も『イフリート』を見て、素人ながらに気付いたよ」
騎士たちの攻撃を必死にかわしながら、私の耳はレナドの言葉を拾った。
「貴様だな? スピネル。貴様が禁書に手を入れたんだ。だからクラナガ博士たちは隠したんだ。禁書を弄れる事実と、貴様をかばうために!」
私はレナドを一瞥する。
あいつが一人足を止めて扉への道を塞いでいるせいで、私は足止めを余儀なくされてしまっている。
〝舞踏会〟の魔法もあと少しで解けてしまう。移動手段を失えば、私たちはたちまち捕まってしまうだろう。
そうこう考えているそばから、風が弱まりガクンと失速を始める。
騎士が迫る。
なんでも魔法を使えば、脅しぐらいにはなるか。
そう思って、私はページを飛ばした。
「チャプター73、『空を切り裂く王の叫び』、解凍!」
狙いどおり、騎士たちが警戒して足を止める。
そして、本から空間を歪めるほどの高い音が発せられた。
それはしかし、実際に空間が歪んだわけではない。
あまりに高過ぎる音。それだけに、人間の耳には音としては聴こえない。
だけどその分、衝撃によって周囲の人間の三半規管を揺らした。
空間が歪んだように見えたのはそのためだ。
そして、警戒ではなくその影響で、騎士たちは足を止めた。
「そうだよ!」
私は我慢ならずに叫び返した。
「全部私のせいだ! 私のせいで、クラナガ博士たちは死んだ! あんたたちの大切な仲間も死なせた! 全部、全部、ぜんぶ! 私がこれを弄ったりしたから!!」
するとレナドは、表情を一変させて激昂に変えた。
「何が〝大切な仲間〟だ!」
剣を構え、地を蹴って駆け出した。
「貴様に何がわかる!? オーガン団長たちの何がぁ!!」
一気に間合いを詰め、上段に剣を振り上げる。
意図したわけではないが、チャンスだ。
「チャプター16、『風の王の戯れ』、解凍!」
レナドが剣を振り下ろすより一瞬早く、私は魔法を発動させた。
逃げるように後ろへ飛ぶと、そこを風がさらう。レナドの脇を抜け、扉へと距離を詰めた。
「クソッ!」
「走って!」
着地すると、すぐにスピカを背から降ろし、そう告げた。
私たちは扉へと走る。
気になって馬車の方を見ると、王はとても愉快そうに笑みを浮かべて別な場所を見ていた。
それから、扉にもうすぐ手が触れるという、その時だった。
背後で悲鳴が上がった。
それはレナドの部下のもの。
レナドと揃って、私たちは振り返る。
するとそこに、巨大な鳥の姿があった。
獰猛な面構え。凶悪な嘴と鉤爪。翼を広げれば、それは大人が四人は両手を広げないと届かないほど。
その怪鳥とも呼べる巨大な鳥が、部下の一人を足に掴んでいた。
「何だと!?」
レナドが顔を青くする。
そして、すぐさま踵を返して、怪鳥の方へ走った。
「隊長ーっ!」
「お姉さん、今だよ!」
叫び声に続いて、スピカが言った。
だけど、扉へと向かうスピカに、私は付いて行くことができなかった。
さっきの音で呼んじゃったんだ……。
そのことに気が付いたからだ。
あれは人間に使えば三半規管を揺さぶるぐらいのものだが、耳のいい動物に使えばその効果は異なる。
驚かせ、興奮させて、呼び寄せてしまった。
あんなのに捕まったら、人間じゃどうすることもできない。
それから、考えるより先に、私は飛び出した。
怪鳥が翼を羽ばたかせ、ゆっくりと浮上を始めた。
「誰か、弓を!」
レナドが叫ぶが、誰も手にしていない。それがわかっていたから、レナドの顔は悲痛に歪んでいた。
私はまた魔法で……。
そんなことは、二度とさせたくなかった。
「チャプター33、『町を渡る一陣の風』、解凍!」
風の刃が怪鳥に向かって飛ぶ。それは胴体に刺さって、怪鳥を暴れさせた。
「チャプター34、『町を渡る一陣の風』、解凍!」
続けざまに風の刃を放つ。部下を掴む足に刺さると、怪鳥はその拘束を解いた。
「チャプター74、『空を切り裂く王の叫び』、解凍!」
駄目押しにその魔法を使う。
怪鳥は脅威を感じてか、そのまま逃げるように飛び去った。
「お姉さん!!」
緊迫したスピカの声。
私がハッとなって顔を振り向かせると、既にレナドが目と鼻の先まで迫っていた。
踵を返し、私は脱兎の如く逃げる。
しかし、二歩も走ったところであっさりと捕まってしまった。
肩と腕を掴まれて、私は地面に押し倒されてしまった。圧縮魔法書が地面を転がる。
「部下を助けてくれたことは感謝する。だから、この場ですぐ殺すことは避けてやる」
「ぐっ……」
レナドの体重が背中に伸し掛かり、私は呻く。
「おい、ガキ! 追いかけっこはおしまいだ! 今すぐ投降しろ!」
「ダメ! そのまま行って!」
スピカは戸惑いを見せる。
するとそこに、王の高らかな笑い声が覆い被さった。
「いやぁ、愉快、愉快。実に見事な見世物だったぞ、スピネル」
私とレナド、それにスピカの三人が、揃って王を振り仰いだ。
「よくやった、レナド。──さあ、小僧よ。扉を開けよ。そして我を通すのだ」
怪鳥よりも重そうな腹を揺らして、こちらへと歩いてくる。
「誰がお前なんか通すかよ!」
「そうか? なら、貴様はここで残酷なショーを目にすることになる」
スピカが息を呑んだ。それから、心底堪りかねたように顔を歪ませた。
「クソが。お前があの鳥に捕まれば良かったんだ」
吐き捨てるように放ったその言葉にも、王は涼しい顔。
「お願い、スピカ! 私はどうなってもいいから、早く行って!」
そう叫んだ直後に、私は顔に強い衝撃を受けた。
王が靴の先で私の顔面を蹴ったのだ。
「お姉さん!!」
しばらくの間、目の前が真っ白になって何も見えなくなった。
痛みはその後、遅れてやってきた。
鼻に熱いものを感じる。目を寄せて地面を見ると、そこに血がポタポタと滴っていた。
王が圧縮魔法書を拾う。それを手に笑みを刻んでから、片足を私の頭に乗せた。
「さあ、どうする? このまま、顔が血で真っ赤に染まるまで蹴ってみるか?」
頭に王の体重が掛けられる。私は苦痛と屈辱に顔を歪める。
だがそこで、私は矢のように飛んでくるその姿を見た。
「──お前、マジで頭悪いだろ?」
スピカだ。
スピカが一直線に駆けてきて、王に思いっ切り飛び蹴りをかました。
「そんなに太ってんのに片足上げて、倒してくれって言ってるようなもんじゃないか」
王は大きくバランスを崩し、倒れ掛かる。
それをレナドが、忠義のためか単に下敷きになるのを嫌がってか、とっさに両手で王を支えた。
「──!」
解放された。
その一瞬を私もスピカも見逃さなかった。
スピカは素早く王から圧縮魔法書を引っ手繰ると、私に手を伸ばした。
私はその手を取って、レナドたちの下から這い出た。
そして手を引かれるまま、つんのめりながら走った。
「クソッ! 誰か、そいつらを捕らえろ!」
レナドが王を部下に預け、自らも駆ける。
扉までは残り二十メートルほど。
足は騎士たちの方が速いが、この距離なら私たちの方が先に着く。
それでも、扉を開けているところで捕まってしまうだろう。
「お姉、さん、先、に、入って!」
息を弾ませながら、スピカが叫ぶように言った。
だけど……と思って扉を見ると、しかし扉は既に人ひとり分ほどの隙間を作って開かれていた。
さっきの怪鳥騒ぎの時に開けておいたんだ!
私は思わず笑みをこぼした。
本当にこの子は……。
私は圧縮魔法書を受け取って、残った力を振り絞ってスピードを上げた。
減速をする余裕はない。私は扉の二歩手前で軽くジャンプし、体を反転させて両開き扉の閉まっている方へ背中をぶつけた。
背中に衝撃。肺に溜まっていた空気がすべて吐き出される。
だけど、止まれた。
それから私は、中に半身を滑らせながら顔を上げた。
スピカはすぐ手の届く距離にいた。
「手を!」
叫び、手を伸ばす。
スピカの手が私の手に触れる。
間に合う! 後はこの手を引いて、二人で中に!
しかし、スピカの顔はそうは言っていなかった。
残念そうな、そして少し寂しさを滲ませた苦笑。
スピカが私の手を力強く押した。
私は突き飛ばされて、神殿の中へ。
と同時に、激しい音とともに光は閉ざされた。
それが、私が見たスピカの最後の顔となった。




