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神殿

 神殿へと続く岩山の麓、そこで馬に乗った騎士が四人、私たちを待ち受けていた。


 太陽は真南に顔を出し、これから往く道の軌跡を照らしている。


 後衛に二人。同時に弓を引いた。

 私はスピカの手を引いて、右手側へ走る。


 空気を切り裂く乾いた音が鳴ると同時、二本の矢が私たちへと伸びる。

 一本は私たちの背後を通り過ぎ、もう一本は前方三メートルほどの位置を通り過ぎて、地面へと刺さる。

 まったくの的外れ。だけど、わかっている。向こうに端から当てるつもりなんてない。

 やはり私は生け捕りにしろという命令なのだ。


 しかし、だからと言って当たる可能性がないわけでもないから、私は足を止める。


 圧縮魔法書(アーカイブ)を開いた。


 前衛の二人が長い棒状の武器を手にこちらへ駆けてくる。槍かと思ったが、刺又だった。


 生け捕りにされたところで結果は同じだ。捕まれば、私は戦争の捨て駒にされる。スピカは死ぬまで牢獄かあの貧民街だ。


「飛ぶよ」


 私が言うと、スピカは「よっしゃあ!」と吠えて私にしがみ付いた。

 こんな状況で、どうしてこいつはこんなに楽しそうなんだろう?


 まあ、ぐずられるよりはいいんだけど。


「チャプター6、『風の王の戯れ』、解凍(アンアーカイブ)!」


 圧縮魔法書が光を放つのを見て、騎士が速度を上げた。


 私はスピカを背負って再度右手側に走ると、すぐに軽くジャンプした。

 そこに私たちの背を押す強い風が吹いて、私たちは数百メートルを一気に移動する。


「もう一回」


 着地と同時、ページをひとつの捲る。


「チャプター7、『風の王の戯れ』、解凍!」


 向きを変え、岩山に向かって同じ距離を飛んだ。


 騎士たちがすぐに追ってくる。

 後衛の二人が再び矢を放った。

 だけど、今度は足止めにもならない。完全な射程外だ。


「このまま中腹まで飛ぶ。──チャプター8、『風の王の戯れ』、解凍!」


 角度を付けて、空へと飛び上がった。


「うっひゃあ!」


 スピカはどこまでも楽しそうだ。


 それから私は、同じ魔法を続けて四回使用した。それで麓と神殿のちょうど中間あたりまで進んだ。




 荒れた山肌にまばらな草や木。


 ふわりと着地すると、スピカが背から降りる。


 研究所や貧民街などからずっと見えてはいたけど、この岩山へ来たのは初めてだ。

 木や岩がどけられ、道が一本作られている。それは王族たちが通るからか、馬車が通れるぐらいにきちんと整備されている。


 そしてそこに、新しい蹄と車輪の跡があった。


「上にいるね」


 私が言うと、しかし、スピカはそこで違うことを口にした。


「灰色と紫色」


 私の目を覗いて笑っている。


「ねえ、ひとつ気になったんだけどさ、どうしてチャプターの数が上がるの?」


 そんな問い掛け。

 一瞬、意味がわからなかったけど、すぐに理解した。


「圧縮魔法書に記された魔法は、一回使ったらおしまいだから」

「じゃあ、同じ魔法を何個も用意してたってこと?」

「うん、まあ」

「すごい。やるね、お姉さん」


 そう言って親指を立てた。


 別にこんなことを想定して作ったわけじゃない。まあだけど、律儀に答えていられる状況でもないので、「ありがと」と無感情に応えた。


「それより、レナドたちは上にいるよ。神殿に着いたらどうすればいい?」


 とそこで、突然麓の方でパンと小さな爆発音が響いた。


 振り返ると、そこには赤い煙。

 信号弾。下で取り逃がしたことを上に伝えているのだ。


「神殿に着いたら、そのまま扉から中へ入ればいいよ」

「入って、どうするの?」


 私は神殿を見上げながら言った。


「どうもしなくていい。入ったらボクたちの勝ちだよ」

「レナドたちが先に入って待ってるかも」

「ないない。あの神殿の扉はボクにしか開けられないんだ。だから、ボクが開けて、お姉さんを中へ通す。それで外から開けられる人はいなくなるから、ボクらは安全、勝利確定ってわけ」


 私はスピカを見て、眉をひそめた。


 スピカにしか開けられない?

 それってどういう理屈? そんなことが本当に可能なの?


 だけど、魔法なんて存在があるぐらいだから、スピカたちが扱う別系統の似た力があったとしても、何も不思議じゃない。

 その魔法とは違う何かで、認められた者だけが扉を開けることのできる仕組みが作られているのだろう。


「問題は、神殿の前にいるレナドたちをどう突破するかだよ」


 スピカのその言葉で、私はふと小屋に残してきたもう一冊の圧縮魔法書のことを考えた。


 『イフリート』の題名を持つあの本があれば、突破など簡単だ。


 私が今手にしている『シルフ』は、主に風を操る魔法が記述された本。

 一方の『イフリート』は、炎を主とした本だ。


 あれがあれば、どんな軍勢を前にしたって恐れることはない。あれはその気になれば、ルコル王国を丸ごと焦土に変えることだってできるものなのだ。


 ……私は頭を強く振った。


 あり得ない。

 私は何も、レナドたちを殺したいわけじゃない。

 そんなことをしに来たわけではないんだ。


 私は『シルフ』を持つ手に力を入れた。


「大丈夫。何とかする」


 そう答えた。

 スピカは私の目を見て、了承したように頷いた。


「行くよ。こうしてたら、下の四人が追いついて来ちゃう」

「ねえ、魔法はあとどれぐらいあるの? あと、どんな魔法があるの?」


 私の背中に飛び乗りながら、スピカ。


「教えない」

「どうして?」


 私は顔を向けて、微笑む。


「でも大丈夫。何があっても、あんただけは絶対に神殿へ送ってあげるから」

「違う違う。お姉さんも絶対に中へ入るんだよ。でないと、レナドに捕まっちゃう」


 私はそれには答えず、


「ほら、口を閉じないと舌噛んじゃうよ」


 それだけを言って、『風の王の戯れ』の魔法を解凍した。




 風に運ばれている間、私はふと、圧縮魔法書ではなく普通に魔法が存在していた時代の人々の生活を想像した。


 火打石がなくても火が起こせる。ナイフがなくても物が切れる。木の棒でテコの原理を使わずとも重たい物が動かせる。


 小さい魔法はただ生活の便利な道具として、人々の間に存在していたに違いない。


 大魔法が編み出されたあとだって、まだその存在は大きく意味を変えない。

 それを操る大魔法使いがいて、それなりの報酬を払えば小魔法ではできない大仕事をやってくれる。

 それで地位や収入が安定していたから、大魔法使いだってそう無茶なことはしなかった。


 すべては、この圧縮魔法書が開発されてからだ。


 本を開いて一言唱えれば、普通に登れば半日は掛かるであろうこの岩山も、ものの数分で山頂までたどり着くことができる。

 これが魔法使いでも何でもない私にだってできるということが問題なのだ。


 誰でも空が飛べる。

 誰でも一国を焦土にできる。

 誰でも一言で世界の法則を塗り替えられてしまう。


 それがどんなものであれ、〝できる〟ということに人間は逆らえない。


 ひとたび知ってしまえば、それはその人の頭にいつまでも残り続ける。

 そして、他の手段では達成困難な壁にぶち当たった時、人は必ずそれを思い出す。


 善悪など関係ない。


 〝できる〟のなら、〝使う〟。


 それが人間だ。

 だからこの圧縮魔法書は、最悪の発明なのだ。


 かつてこの禁忌の発明で取り返しの付かない過ちを犯した私が、今再びそれを使っている。


 それはやはり、〝できる〟から。


 この力があれば、スピカを神殿へ送り届けることができる。


 だから……。




 レナドたちは予想どおり、神殿の入り口前で陣を張って待っていた。


「……来たか」


 私たちが姿を現すと、そう一言こぼす。

 レナドの他には、六人の騎士。

 それと、王族と側近が乗る豪奢な馬車が三台、少し離れた場所で停められている。


 その一台から、なんとシャンドゥ国王が顔を出した。


「うへぇ」


 スピカが顔をしかめた。どんな場所、どんな時間帯で見ても吐き気のする醜悪なシャンドゥ国王の顔。私もスピカと同じ顔をした。


「わざわざ王様が出てくるなんて、私も随分と偉くなったみたいね」


 そんな軽口を叩いてみる。

 するとレナドは、王に一瞥をくれたあと、しかし何の興も湧かなかったと言うように、無感情な視線をこちらへ戻した。


「馬の足を使ってさえ一時間は掛かるこの山道を、たった数分でご到着か。禁書の使い心地はさぞ格別だったろうな? スピネル」


 軽口を返してきた。


「ここまでの道中、何度その色を変えた?」


 私の目を見て、言葉を継ぐ。


「何回だろ? ……ああ、ちなみに今は、オレンジ色とレモン色だよ。アメ玉だったら、とても美味しそうな色をしてる」


 スピカがこっそりと私に告げる。

 わざわざどうも、と私は一瞥に込めてスピカに返した。


「……ねえ、ひとつ取引したいことがあるんだけど」


 レナドたちに向けて声を張った。


「なんだ? 言ってみろ」


 意外にもレナドは素直にそう応えた。


「私、投降する。私を殺したいのならそうすればいいし、戦争の駒にでもしようってんなら、やってあげる。──だからその代わり、この子を通してあげてくれないかな?」

「ちょ、ご乱心かよ!?」


 スピカが驚いて私を振り仰いだ。


「何考えてんのさ!! お姉さん、自分が何言ってるかわかってんの!?」


 私はスピカを無視して、話を続ける。


「この子は関係ないの。その神殿から来て、その神殿へ帰るだけ。私にも、あんたたちにも、関係ないのよ」


 レナドは一度、何かを考える面持ちで後ろを振り返った。


「……だが、この神殿の扉は開かない。破壊することさえ不可能だ。なのに、ここから来たなんてどうして信じられる?」

「それはわからない……。だけど、この子だけは開けられるみたいなの」

「本当か?」


 レナドがスピカを睨む。


「ヘン! その神殿はなぁ、この世界にあってこの世界のものじゃないんだよ! そもそもの時間軸が違うんだ! 時間軸の違う人間が、神殿に干渉することなんてできない。だから開けられないんだ!」

「貴様は神殿と時間軸を同じにしている。だから開けられる、と?」

「そうだ!」

「くだらん」


 レナドが笑いを吹かせた。


「……しかし、まあいい。その話、飲んでやる」


 剣の鞘から手を離し、構えを解く。

 私は正直、驚いた。


「さあ、なら今すぐ禁書を捨てて投降しろ」


 しかしそこで、口を挟む者が。


「待て、レナド」


 シャンドゥ国王。


「面白い。──おい小僧、この神殿の中には何がある?」


 馬車から肥えた肢体を現して、王がスピカに問う。


「やだね、教えてやんないよ」


 スピカは舌を出す。


「確か、世界時計などと申す物があったと」


 王の隣、宰相の男が出てきて言う。


「んだよ、覚えてるんじゃん」


 スピカは舌打ち。


「そうだったな」


 と王。頷くと顎下の肉が揺れる。不快。


「あの時はただの戯言だと思ったが、気が変わった。本当に開けられると言うのなら、見てみたい」

「バーカ! 誰がお前なんか入れてやるかよ!」

「ほう。やはり、扉が開けば我々でも入ることはできるわけだな」


 スピカの抜かった顔。あらら。


「レナドよ、スピネルを殺すことを許可しよう。貴様の恨み、ここで一思いに晴らすとよい」


 この場にいる全員が弾かれたように王を見た。

 王は愉快そうに口元をひん曲げる。


「ただし、まずは捕らえて、この扉を開けさせる餌とする。殺すのはその後だ」

「しかし、シャンドゥ様……。それでは禁書の使い手が……」


 宰相が言った。


「禁書なぞ他の誰かに使わせればよい。言い逃れの手立てを考えていたが、面倒になった。隣国を滅ぼしたあと、そのまま一気に世界を掌握してしまえばいいのだ」


 私はいろんな意味で言葉を失った。

 それはおそらく、王を除く全員が同じだっただろう。


「それより、今はこの神殿だ。……世界時計と言ったか? 実に面白い。それを手中にすれば、あるいは戦争をせずともこの世界を支配できるのではないか?」


 不快な音を立てて王が笑う。

 スピカはしばらくの間、まったく信じられないといった表情でその汚物を眺めた。


「あいつ、頭おかしい」


 完全に同意。

 だけど、これで状況は変わった。


「……そういうことのようだ、スピネル」


 レナドが言って、ゆっくりと腰の剣を抜く。それに合わせて部下六名も銀光を晒した。


 王がどうあれ、これでレナドたちはすっきりと私情を果たすことができるようになったのだ。


「……例え私が捕まっても、あいつらを中に通しちゃダメだからね?」


 一応、私は言ってみた。


「無理。だから、絶対に捕まっちゃダメだよ」


 スピカは即答を返した。


 仕方ないので、私は圧縮魔法書を開いた。

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