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レナド

 その昔、孤児だった俺を拾ってくれたのは、当時近衛騎士団の団長を務めていたオーガン団長だった。


 この国で孤児をやっている奴はみな、決まって人間の形をした抜け殻のようになって、毎日をふらふらと生きている。

 俺もその中の一人で、毎日ぼうっと景色を眺めて過ごしては、配給の食料を腹に入れ、他に何をすることもなく生きていた。


 まだ七つか八つの頃だった。


 周りにいるのは、同じような抜け殻の大人たち。

 なんてことはない。孤児であろうと家族があろうと、この国じゃ貧しい者は抜け殻として生き、そのまま肉体だけ成長して、最後は枯れていく運命なんだ。

 そこに疑問を差し挟む者なんていない。

 それだけの知性を、まず持つこと自体がないからな。


 この国の王は、貧しい者たちを決して救わない。教育も受けさせなければ、仕事も与えない。飼い殺しにして、一般以上の国民たちに対する見せしめのための道具にしている。

 だから、むしろ抜け殻であってくれた方が管理も楽で都合がいいわけだ。


 しかし、そんな抜け殻の貧乏人どもでも、たまには感情を剥き出しにすることもある。


 その一つが食料だ。


 農作物の不作などによる食料不足のしわ寄せは、もちろん俺たちにやって来る。

 俺たちがどれだけ腹を空かそうとも、まず牛や豚に食わせるのがこの国だ。

 少ない配給は、必然として奪い合いを巻き起こす。そしてその少ない食料は、奪い合いを制した奴の報酬となった。


 この場合、有利になるのは子供たちだった。

 大人たちはみな、大きな身体を満足させられるだけの食料にありつけずガリガリに痩せているから、子供でも簡単に倒すことができた。

 奪い合いとなれば、参加するのは漏れなく子供たちだけ。大人は端から諦め、自分たちの子供に任せるか、それもなければ、石のようにジッとしておこぼれが出るのをただ期待して見ていた。


 もう一つ、食料の他に貧乏人が躍起になることがある。


 それは色恋沙汰だ。


 恥ずかしくも、その頃の俺は、ある一人の女の子のことを好きになっていた。

 一つか二つ下の女の子。そいつは孤児ではなかった。ある日そっと貧民街に連れてこられては、だけど当たり前のように俺たちの一員に加わった。

 ひどく痩せた身体。栄養状態が悪いのは見た目に明らかで、そればかりではなく、聞けば何か大病を患っているようだった。


 橋の番人どもの噂話で事情はすぐに知れた。


 元々、平民にしても貧しかったそいつの家は、ある日両親が罪を犯して投獄され、残されたそいつは病気で働くこともできないからここへ連れてこられたらしい。


 よくある話だった。


 周りはみんなその女の子のことを避けたが、俺は逆だった。自分の境遇に一切の文句をこぼさず、俺が話し掛けると笑みを見せるそいつのことを、俺は好きになった。


 こいつは他の誰とも違う、抜け殻ではない人間なんだって思った。


 そして、その日から俺は、抜け殻であることをやめた。


 食料の奪い合いは、すべてそいつのためのものとなった。


 人間というのは不思議なもので、誰かのためを思うと強くなれるようだ。


 諦めることをしなくなる。

 自分一人のためだと、少し怪我をしたらすぐに気後れして諦めてしまう。

 怪我して動けなくなるぐらいなら、腹を空かせていた方がマシだ。そんな感情が枷になって、すぐに手を引っ込めてしまう。


 俺はそんな奴らをぶっ千切って、数少ない食料の、それでも必要十分な量をいつもものにした。


 俺は強くなる。強くなれるのだと、当時本気で思っていた。


 だがそんな幻想は、当然のごとくあっさりと消え失せた。


 その女の子は、貧民街に連れてこられて二ヶ月と持たずにこの世を去った。

 まあ、当たり前と言えば当たり前だ。

 ただでさえ環境が悪いのに、大病を患っていた身だ。医者に診てもらえるはずもなく、むしろ一ヶ月以上持ったことの方が奇跡と言えた。


 俺は守るべき者を失った。そして強くもなれなかった。


 それから、そんな俺を待っていたのは、これまで負かされていた者たちからの報復だった。

 夜中に集団から暴行を受けることはざらで、しまいには通常時の配給でさえ奪われていくようになった。


 俺はみるみるうちに痩せ衰え、己の死を悟るのには何の苦労もなかった。


 無力を嘆いた。


 それは、いいようにやられてしまったことではない。

 この世界、この国、この貧民街、そして俺たちという存在すべてが、なんだか無力で、悲しかった。


 その日の夜、俺はこっそり小屋を出て、貧民街と平民街とを隔てる川へ向かった。

 何がしたかったかなんてわからない。真っ当な思考力は、俺に残っていなかった。

 ただ体が突き動かされるままにそこへ向かい、そして氷のように冷たい川を泳いで対岸を目指した。


 流れは穏やかだったが、深くて太いその川は、その時の俺には到底渡れるものではなかった。


 すぐに手足が動かなくなり、俺は溺れた。

 視界が闇に覆われ、意識は糸を引かれるようにするすると抜け落ちていった。


 死ぬことは怖くなかった。これであいつにまた会えると思ったから。


 だけど、俺は死ななかった。


 次に視界に光が溢れた時、俺はオーガン団長の家にいた──




 スピネルを取り逃がした後、俺は騎士団を率いて城へ帰還した。


 しかし、後ろ暗い気持ちはない。収穫はたくさんあった。


 その一つが禁書だ。あの小屋にはもう一冊禁書が残されていた。

 俺はそれを手に、王の前で膝を着いた。


 昼間のガキの騒動から今に至るまでの、一連の報告を述べる。

 すると、ルコル王国の国王シャンドゥはただ一言、


「ご苦労だった」


 と口にした。


 強欲の権化のような醜い顔面。チビなくせにひどいデブで、その姿はまるきり肉団子にしか見えない。俺がいる位置から王までは七メートルほど距離があるが、ここにいても奴の臭い息が届いているような気がして、俺は顔が歪むのを堪える必要があった。


 その隣に、肥えた王の宰相を務める男がいる。


 こちらは逆に気の毒なぐらい痩せている。背が高く、髪が長く、そのシルエットは冬の枯れ枝そのものだ。二人を足して二で割ればちょうどいいのにと、王との並びを見るたび思ってしまう。もちろん、そんなことを口にすれば即牢獄行きだが。


 宰相が近付いてきて、俺から禁書を回収した。


「あと一冊、スピネルが持っていると言ったな?」


 王の隣に戻ると、そう尋ねた。


「はい」

「その禁書を使って、貴殿らの包囲を抜けたと?」

「はい」

「そうか……」


 宰相は渋い顔で王を窺う。しかし王は、こちらへは一切目もくれず、オモチャを与えられた子供のように嬉しそうに禁書を眺めている。

 王にしゃべる気がないことを確認すると、俺は言葉を継いだ。


「スピネルの行き先はわかっています。すぐに追って、禁書の回収と奴の処刑を行います」


 しかし、その言葉を聞いた宰相は、わずかに眉をひそめて応じた。


「そのことだがな、レナドよ……」


「──ガキは殺して構わん。だが、スピネルは生け捕りにしろ」


 言い淀む宰相を遮るように、唐突に王がしゃべった。目はやはり禁書に向けたまま、驕慢(きょうまん)な言葉だけを俺に投げて寄こした。

 だが、態度などどうでもいい。俺は王の言葉に驚き、思わず立ち上がった。


「どういうことですか、シャンドゥ様。奴を生け捕りにしろとは?」

「……言葉どおりの意味だ。スピネルは殺してはならん」


 宰相が答えた。その表情は、幾許(いくばく)かこちらを同情するようなものだった。


「何故です!? 奴は禁書を使いました。即刻処刑するのが決まりであり、私との約束のはずです!」

「事情が変わったのだ」


 宰相がちらりと王を窺う。それに俺も王へ目を向けるが、不気味に肥えたその豚は一切こちらには関心をくれず、まるで子猫か何かを抱いているように禁書を触っている。


 宰相が俺に目を戻す。


「レナド、貴殿の気持ちは察する。しかし、近々スピネルが必要になるのだ」


 俺は言葉を失った。

 まったく意味がわからなかった。


 こいつは今、なんて言った?


 スピネルが必要になるだと?


 俺との約束を反故(ほご)にするばかりでなく、あいつを使おうと言うのか!?


「──今のお言葉、わかってて仰ってるのですか?」


 声がわずかに震えた。怒りや情けなさで頭がおかしくなりそうだった。


「当然だ」


 宰相がきっぱりと答えた。


「王は決断なされたのだ」


 それ以上、俺は言葉を継ぐことができなかった。

 ただ頭の中で「馬鹿な」という言葉が溢れる。


 使うだと?


 禁書を!


 スピネルを……!


 それでは、俺は何のためにこれまで……。


 これでは本当に……。


「近衛騎士団長レナド。貴殿に指令を言い渡す」


 立ち尽くす俺に構わず、宰相が告げる。


「明朝、朝日が昇ると共に騎士団を率いてここを出よ。スピネルを追い、スピネルと禁書の確保を行うのだ。──無論、他の者たちには極秘でだ。よいな?」


 俺はすぐには復唱できない。すると、


「私も行こう」


 王が言った。


「シャンドゥ様!?」


 宰相が驚いて顔を向ける。


「実際に禁書を使うところを見てみたい。──それに」


 王は不愉快極まりない笑みを浮かべると、俺に腐ったその目を覗かせた。


「貴様が血迷った行動を取らんとも限らんからな」


 そして、喉を鳴らして低く笑った。

 こいつはどこまで……。


 俺は何とか頭を下げ、黙ってその場を去るので精一杯だった。




 ──オーガン団長の家で目を覚ました俺は、そこで生まれて初めてスープというものを口にした。


 熱い液体の中に肉や野菜がごろごろと入れられている。どれもやわらかく煮込まれていて、それらは噛むと何の抵抗もなくほぐれて俺の喉を通った。


 味はよくわからなかった。これが美味いものなのかどうなのか。

 それまで口にしていたものがとにかく味がなくて硬いだけのものだったから、正常に味覚が育ってなかったのだと今にして思えば判断できる。


 ただ、何度かそのスープを口に運んでいたら、そこで急に目から涙がこぼれた。


 何なんだろう? と思った。


 俺は今何をしてるんだ? どこに居て、何を食っているんだ?

 何もわからない。

 何もわからない、が、そこで俺は無性に込み上げる悲しさにただただ涙を流した。


 オーガン団長は、当時四十路を過ぎた中年の走りで、バカみたいにごっつい体をして、やたら白い歯でいつも大口を開けて笑うタフな男だった。


 ひとしきり泣いて、食事も済ませていくらか落ち着いた俺に、団長は話した。


 貧民街で命を落としたあの女の子の両親を捕らえたのは自分だった、と。


 市場で傷害と盗みを働いたその現場に偶然居合わせて、その場で取り押さえた。

 二人に動けない娘がいたのは、その後でわかったことらしい。


 そして、貧民街へ連れて行かれた女の子のことを、いつも気にしていたと言った。


 川の対岸から貧民街を眺めたり、部下に探りを入れさせたり。

 俺のことは、そうした中で知ったらしい。

 女の子を助けている奴がいる、と。


 団長は俺から女の子の顛末を聞くと、頭を下げて礼を述べた。


 意味がわからなかった。


 だって、そうじゃないか。

 話を聞く限り、団長は女の子とはまるで関係ない。

 礼を言う義理なんて何もないように思う。


 しかし、団長は頭を上げると、今度は急に、俺をここに置くと言い始めた。


 まったく展開についていけなかった。なんで俺がここに置かれて、この大男に面倒見てもらうって話になるのか。


 だけど、一度は死を受け入れて、生き残ってしまった俺は、何だかあらゆることがどうでも良くなっていた。

 と言うより、にわかには何かを考えることができなくなっていた。


 俺は頷いて、ここで暮らすと言った。


 オーガン団長は、そんな俺を息子同然に、十五になるまで育てた──




 兵舎に戻った俺は、部下たちに遠征の支度を命じた。

 遠征目的については「スピネルの捕獲」とだけ伝えた。


 団長室に入り、俺は一人、机の椅子に腰を下ろした。


 年季の入った木製の机。


 俺が着く前は、オーガン団長が使っていた……。


 傷や汚れで味わい深い色をしたその表面に、そっと手を置く。

 天井を仰ぎ、目を閉じて、細く長く、ゆっくりと息を吐き出した。


 そしてそのまま、しばらく目の中の闇だけを見つめていた。




 ──オーガン団長が消え去ったのは、ほんの一瞬の出来事だった。


 その日、国の外で、国の向かい側まで揺るがすような大爆発が起こった。


 兵が行って調べると、川の近くの大地に隕石が落下したようなクレーターができていた。


 しかし、当然隕石が降ってきた話もなければ、近辺に他にそんなものが作れるようなものもなかった。


 だけど、その報告を聞いて、禁書を知るものであればすぐに察しが付いた。


 禁書に関しては一切が機密事項で、一般の人間には禁書についてのぼんやりとした知識はあっても、わが国がどれだけのものを所有しているとか、その管理がどうなっているかなどは、国王とその周囲の一部の者たちしか知らない。


 そして禁書に関わる事件となれば、動くのはオーガン団長率いる近衛騎士団の務めだった。

 その時には俺も、新兵として隊に加わっていた。


 俺は団長と隊のみんなと共に、クラナガ博士の研究所へと向かった。

 研究所はクレーターができた場所からまた少し離れた場所にあった。

 中に押し入り、事情を聞きだした。


 クラナガ博士は、助手が誤って発動させてしまったと答えたが、どうにも様子がおかしいことは十五のガキの俺にも明らかだった。


 禁書を使ったのは、確かにその助手であるようだった。


 人間は禁書を使うと──と言うより、魔法を使うと──、何故か瞳の色が変化する。

 それは、自然界には通常存在ない力、すなわち魔法の力の反作用によるものだとか何とか言われているが、実際のところは定かではない。

 しかし、確かにその法則があって、事実その助手の瞳の色は以前見たものから変化していた。


 問題は、何故禁書が発動したのか。

 どの禁書を使ったのか。


 回答次第では極刑も適用しうる事態だが、逆に回答次第ではお咎め無しにもなりうる事態だ。


 禁書はとにかく謎の部分が多い代物だから、こうした事故はどの国にも存在する。

 そして今回で言えば、被害者や目撃者がなかったことが幸いした。


 だから、正直に報告すればそう大事にはならないであろうことは、研究所の奴らもわかっていたはずだった。


 ところが、その助手も、クラナガ博士も、何故だか一切事情を口にしなかった。

 言葉を濁し、ただただ謝罪をし、その罪を受け入れようとしていた。


 当然、こちらとしてはそれを認めるわけにはいかない。

 団長は責任者であるクラナガ博士を城へ連行し、詳しく事情を聴くことにした。


 そうしてみんなが研究所の外へ出た時だった。


 研究所の外に、一人の少女が立っていた。


 歳の頃は、六つか七つ。

 少女は強張った表情をしていて、手枷を嵌められ連れて行かれようとしているクラナガ博士のことを見ると、急に叫びだした。


 お父さんを連れて行かないで!


 思わず隊のみんなで顔を見合わせた。


 それから、すぐに団長が俺に目配せをした。

 よくはわからないが、とにかく少女を宥めろということだ。


 俺は隊を離れて、少女の下へ小走りで近づいて行った。


 本当に、一体何があったというのだろう?


 少女は、寄ってくる俺にひどく怯えた。

 そしておもむろに一冊の本を取り出すと、ページを開き、泣き叫ぶように言葉を口にした。


 その行為が何かに気付くと、俺の全身にゾッと震えが走った。


 ──みんな逃げろ!!


 振り返ってそう叫んだ時、既にそこには何もなかった。


 一瞬の強い光。


 空を引き裂くような爆発音。


 その後は、焦土と化した大地と、倒れている三人の人間だけが見えた。


 ……何が起きた?


 わかってはいたが、脳はしばらくそのことを受け入れようとしなかった。


 クラナガ博士は? 隊のみんなは? ……団長は?


 どうして三人しか倒れていない? 数がまったく合わないじゃないか。

 さっきまでそこに、もう八人の人間がいたんだぞ!


 それから、背後で少女が膝から崩れたのがわかった。


 振り返ってその顔を見ると、少女自身、何が起こったのかを理解していない様子だった。

 目も口も丸くして、魂が抜けたように煙の上がる大地を見ていた。


 そこで俺がまず理解したこと。


 それは、少女の目が先ほどと異なる、赤と青のオッドアイに変化していたことだった──




 ルコル王国に朝の光が射すと、俺は馬に跨り、一個中隊を率いて城を出発した。


 後方の馬車には例の豚と枯れ枝、それに何人かの世話役が乗っている。


 神殿のある岩山へ向けて、それだけなら何か儀式を執り行う日となんら変わらない。



 朝日を背に草原を駆けながら、俺の頭は嵐の前の静けさのように沈黙を決めていた。

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