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スピネル

 永い時の中で人類は二度文明を失い、滅びかけている。


 一度目については、ほとんど詳細はわからない。

 二度目に栄えた文明の中でその文明について研究した資料がたくさん作られたはずだけど、現在ではそれがたった一冊の書物しか残されていない。しかもそれは大半が火に焼かれていて、ほんのわずかな文章しか判読されていない。


 その文章が示すことには、〝カガク〟という高度に発達した知識や技術が存在して、この世界の成り立ちや法則性などをかなり深くまで解明したという。しかし、それを応用して作られた軍事兵器によって、最後は自らを滅ぼしたとされる。


 二度目については、今も各国で研究が進められている。手掛かりとなる資料や痕跡は多くはないが、学者たちの間ではある程度の体系的な説明がつくまでにはなっている。


 二度目に栄えた文明では、〝魔法〟と呼ばれる特殊な力が使われていた。それはかつて人類を栄えさせた〝カガク〟に代わるもので、猿同然の暮らしにまで戻った人類に再び栄華を与えた。

 だがそれも、結局は自らの手でダメにした。行き過ぎた魔法文明は人類を狂気へと導き、最後は〝カガク〟文明と同様に、魔法の力で自分たちを滅ぼす道を歩んだ。


 まったく、ざまあない。


 そもそも人類は、大きな力を持ってはいけない生物なんだ。大きな力を作り出す頭はあっても、それを上手く活用する頭は持ち合わせていないのだから。


 あいにく、三度目の今はまだ過去二つの文明のような大きな力は所持していない。しかし、それだって時間の問題だ。いずれすぐに悪知恵が働いて、大きな力を生み出すだろう。

 そして、その力で、三度目の滅亡をあっと言う間にやり遂げてくれるはずだ。


 どうかその時は、今度こそ一人も残らず完璧に滅んでしまいますように。


 それが今の私に残された、たった一つの願いだ──




 正午の高い陽射しに焼かれて、私は目を覚ました。


 馬小屋のような家。藁を敷いただけの寝床。ハエが不快な羽音を立てて、私はまずそれを手で払う。

 体を起こすと、重力がもたらす体の重みにひどくうんざりとした気持ちがした。

 藁を払いのけて立ち上がる。


 また無価値な一日が始まった。


 ぼろきれの服。着替えはない。長い髪はくしゃくしゃで、それを整える水もない。部屋の片隅に置かれた食料袋を開けると、中には何もなかった。

 それで今日は配給の日だったことを思い出した。


 外に出るのは嫌だ。世界が私を呪うから。


 だけど、人類が滅ぶ様を見たいという願いがあるから、死ぬ気はない。


 靴はない。裸足で小屋の外に出る。ドアは崩れかけていて、鍵なんて立派なものは望むべくもない。だけどどうせ、家に好んで盗むものなんて一つもありはしない。




 私のいるこのルコル王国は、かつてこの地にぽつぽつと存在していた少数民族を武力で持って追い払い、他の周辺民族をかき集めて建てた最悪の国だ。

 水と緑が豊富で、山脈が自然の防壁となって隣国との衝突もなく、建国からおよそ百年、順調に繁栄を続けている。

 その百年の繁栄がかつての遺恨を忘れさせ、今は誰もが血塗られた大地の上に笑顔を咲かせて毎日を過ごしている。


 私が寝起きする貧民街から一般人の住む平民街までは、徒歩で三十分以上離れている。途中大きな川が流れ、そこを渡す唯一の橋を渡らなければならない。


 もちろん、橋の前には番人がいる。


 これほどあからさまな隔離もないだろう。勝手に逃げられないよう城壁でぐるっと囲っておきながら、平民街にもおいそれと入ってこられないようにしている。


 一体何の得があってこんなことをやっているのかって思うけど、それはたぶん、一般人や富裕層の人間の優越感を煽るために他ならない。


 人間は優越感を持っているうちは大きな不満を抱えたりしない。自分たちよりはるかに恵まれない生活を送る存在を見て、自分はマシだ、幸福なのだと感じる。

 それはつまり、国に対してクーデターを起こしたりすることのないよう、まんまとコントロールされているということだ。


 私たちはそのために生かされており、また上層の人間たちも、王家に富を与えるために操られて生きている。

 順調な繁栄とこの幻想の幸福によって、百年前に起こったことなど誰も問題にしない。


 まったく反吐が出る国とその国民たちだ。


 だけど、その中でも私は、少し特殊だ。


 ただの貧民ではない。

 もう一つある理由があって、国は私を殺すことができないでいる。




 砂利道を歩くのももう慣れた。足の裏の皮が厚くなって、痛みすらも感じない。

 橋の前に着くと、槍を持った二人の番人が私を睨みつける。

 だけど、制止することはない。私は特別だ。そのままペタペタと橋へと進んでいく。


 通り抜ける際、番人の片方が舌打ちをした。私はそれに「へっ」と笑う。

 しかし、それは心の中でだ。実際に声を出して嘲笑ったら、いくら私でも殴られるぐらいのことはされる。

 こんなクソみたいな番犬に殴られでもしたら腹が立って仕方ない。

 私はあくまで涼しい顔で橋を渡った。




 平民街に入ると、私はこの国にふさわしいやり方で歓迎される。


 まず誰からも汚物を見るような目で見られる。老若男女問わず、誰からも等しくだ。まるで自分がこの世の醜悪を一身に集めた魔物になった気分がする。


 それから、近くの人間が私の歩く先にツバを吐き出す。そして、離れた場所からは罵声が囁かれる。しかもそれは、自分が言ったようには感じさせないぐらいの小さな声で、されどきちんと私の耳に届くよう絶妙に調整された声量で。まったく呆れる。


 子供は石を投げてくる。当たってもいいように、アメ玉ぐらいの大きさのものを。それは親にそうしなさいと教育されてのものだ。大きいのを当てて万が一なことがあったら、その家族が罰せられるから。教育って大事。


 そんな歓迎を受けながら、だけど私は先ほどと同じ様に、涼しい顔で背筋を伸ばして歩いていく。


 嫌な視線に晒されることなんて、慣れたを通り越して厭きた。

 ツバを踏むぐらい、なんてことはない。

 罵声? 勝手に吠えてろ。面と向かって言えない臆病者が。

 石の大きさを選んでくれてありがとう。キミたちはきっといい大人になる。


 そして、ハエの羽音よりも不快な声が耳に纏わりついてくる。


「おーおー、くせえのがまた来た」

 川を使っていい日が来るか、雨が降ったら洗うよ。


「何で国は処刑しないのかしら」

 ごめんなさいね。処刑できないの。


「仕事もしねーで食っちゃ寝の生活かよ。いいご身分だな」

 仕事をさせないのはどっちよ。


「早く死ねよ、大罪人が」

 私もできればそうしたい。


「──父親殺しが。よくのうのうと生きてられるな」


 悪魔の手が私の心臓を掴んだ。



 ……今言った奴。覚えてろよ。




 一人、パレードを終えて役所へとたどり着く。


 だけど、私のような者を中には入れてくれない。入り口前に警備の人間が一人立っていて、私が近付いていくとドアを開けて中に声を掛ける。私には「そこで止まれ」と手の平だけが向けられる。


 中から一人、小太りの男が出てきた。


「スピネル、ごきげんよう」


 上等なあいさつをくれる。だけど、心は一切こもっていない。まるで呼吸の音がたまたまそう聴こえたかのようだ。


 私が無視したのも構わず、手にゴムの手袋を着けて私の前に立つ。

 そこで私は布切れ一枚の服を脱いだ。


 小太りで醜悪な顔をしているが、この男は医者だ。一週間に一度の配給の日に、同時に私の健康診断をすることが国から義務付けられているのだ。


 私ごときに部屋などは用意されない。この場で即行われる。


 一応は十六歳になった女性の裸体が曝け出されたと言うのに、男は眉一つ動かさない。感情のさざ波さえ立った気配はない。

 私のことを犬や猫、……いや、生物としてさえも見ていない。風呂にも入れず汚れた私の体を、まるで枯れ木か何かとでも思っているに違いない。


 男は簡単に健康診断を済ませると、最後に私の両目を指で大きく開いて眼球を覗いた。


 そこで一番に多くの時間が使われる。

 私の眼球の隅々まで確認すると、ようやく男は私を解放した。


 私は服を被る。


「いいだろう」


 呼吸の音がそう聴こえた。


 それから、タイミングを見計らったかのようにまたドアが開いて、別な男が現れた。

 その男は大きな袋を担いでいて、それを私の前に放り投げる。

 一週間分の食料が入った袋だ。


 私がそれを拾うと、既に医者もその男もいない。警備の人間がドアの前に立って、もう私の姿など視界にすら映っていないというように前を向いていた。




 帰り道はパレードにもならない。私は袋を担いでのそのそと歩く。かなり重たいけど、もちろん手伝おうなどと言う愚か者はいない。


 息が切れ、腕が疲れて私は立ち止まる。

 一度大きく深呼吸をすると、そこで何やら街が騒がしいことに気が付いた。


 何かあったのだろうか?


 遠くの道を馬に乗った衛兵たちが走っていくのが見えた。誰かを追っているようだ。

 周囲ではひそひそと何かを噂している。


 普段、この配給の日以外に平民街に来ることはないからわからないが、人々の様子は不安を感じていると言うよりは、久し振りに起きた何らかの事件に好奇心を掻き立たせているように見えた。


 殺人だろうか? 強盗だろうか? あるいは、どこぞの国のスパイでも紛れ込んだか。


 私はため息をついた。


 いずれにせよ私には関係ないし、何であれ関わらないほうがいいだろう。


 勝手にやってればいい。

 働いて税を納めるだけの奴隷の毎日に、ちょっとしたイベントの発生だ。良かったじゃないか。


 そう思って、再びのそのそと歩き始めた。

 ゴミを見るような番人たちの横を通り過ぎて、貧民街へと戻る。


 配給の日は、何も私だけのものではない。

 貧民街には馬車が何台かやって来ていて、そこに他の貧民たちが群がっている様子が見える。


 わざわざ役所まで取りに行くのは私だけだ。

 健康診断のため、そして何より眼球を見るため、わざわざ取りに来させている。

 食料は別に役所で渡す必要はないじゃないかって思うかもしれないけど、ここで食料が受け取れるんであれば、私は役所になんて行きはしない。

 過去にその反抗が続いたから、役所でないともらえなくしたのだ。


 一週間ぶりの配給に喜んでいる貧民たちの横をも通り過ぎて、家へと戻る。


 何にせよ、これでまた食いつなぐだけの一週間が訪れる。


 ただ食うだけ。

 ただ寝るだけ。

 ただ生きるだけ。

 それ以外のことは一切許されていない、貧民としての生活が。


 それに加え、私には大罪人としての生活がある。そこには貧民でさえも寄ってこない。


 関われば自分たちが危ういから。誰も私には関わらない。

 無視して、ないものとして扱う。

 それはある意味で安全だ。

 考えようによっちゃ、ありがたいことでもある。

 私はこの国では、特別中の特別なんだ。


 重たい袋を担いで、家の中に入る。


 すると、あろうことか、そこに見慣れない男の子の姿があった。

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