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エピローグ

 その日、長く続いていた雨が上がっているのに気付くと、私は神殿の外でお昼を取ることにした。


 大世界の人間が不必要に外へ出ることは、本来禁止されている行為だ。

 だけど、窓からそれを見つけてしまったため、出ないわけにはいかなかった。

 扉を開け、外に誰かいないかを確かめる。

 しばらく様子を見ても誰も来なさそうだったので、私はゆっくり外に出た。


 綺麗な川の水のような、冷たく澄んだ空気。

 空は青く、所々にまだ灰色の雨雲が家具に積もった埃のように広がっている。

 地面にできた水溜りに気をつけながら、崖っぷちまで歩いていく。

 太陽がギラギラと輝いて、少し暑いぐらい。

 しかし最近はずっと中に篭りっきりだったから、これぐらいがちょうどいいとも思う。


 適当な石を見つけて、ハンカチで拭く。

 そこに腰を下ろすと、私は改めてそれを見上げた。


 空に掛かった大きな虹。


 ひとつの国を軽く跨いでしまいそうなほどに巨大なアーチを描いている。

 鮮やかな色。形もはっきりとしていて、そこにいけば手に触れられるのではないかと思ってしまうほど。


 こんな虹を見たのは人生で初めてだ。


 それはまるで魔法みたいに、雨上がりの空を飾っていた。


 それから、お腹が空腹を訴えて、私は弁当箱を開けた。

 中身はローストビーフのサンドイッチ。アークトゥルスが作ってくれたものだ。

 何故かはわからないけど、世界時計のメンテナンスの初日には必ずこれを持たされる。

 伝統なのだろうか?

 もっとも、私にとって好物なので何ら不満はない。むしろ定期的に作って欲しいぐらいなのだが、逆に何故かこの日以外は作ってくれない。

 それも伝統なのだろうか? よくわからない。


 水筒に入ったミルクティーをコップに入れ、一口啜る。

 ミルクの甘みと紅茶の香りのバランスがいい。


 その温かさにホッと一息をつくと、私は少し眼下に広がる景色に意識を向けた。




 遠くには頭を白くした山脈が連なり、この岩山に近い場所には緑の森が広がる。

 一本の太い川が伸び、それはある程度進むと大きな湖を横切る。

 そのさらに進んだ場所。

 美しい自然の中に場違いな黒い土地がその姿を見せる。


 ひとつの国を焼き尽くし、その土地で生きるあらゆる生命──人間や動物、植物、昆虫や微生物すべてに至る──を消滅させ、ただの枯れた岩と土だけが残された死の大地。


 三十年余りが経っても何も変わらない。

 未だ続く呪いの炎によって、新たに芽吹く生命すらも拒絶しているのだ。


 間違いなく、『イフリート』によるものだった。


 しかし、私の記憶にある『イフリート』では、ここまでのことはできない。

 国を焼くことはできるだろう。だけど、いつまでも残り続ける機能はなかったはずだ。

 もちろんここから観察した限りでの憶測に過ぎないが、あそこに行けばきっと土地の表面で揺れる炎が見られるはずだ。

 それが空気に触れることで存在を保ち、炎の絨毯となって近づく生命を焼いている。


 そうなるための別の魔法が『イフリート』に足されたのだ。


 誰が?

 何のために?


 そして、何故それがこの地で使われてしまったのか。


 わからない。

 わからないが、大雨が降っても消えないその炎は、おそらくこの先何十年、何百年が経っても消えることはないだろう。


 新たな魔法で消されるか、精霊が再び顔を出さない限りは……。




 不意に近づく気配に気付いて、私は大きく振り返った。


 鋭い嘴。凶悪な鉤爪。大人四人が両手を広げてもまだ余りあるほどの大きな翼。

 いつか見た怪鳥──もしくはその子孫──が、今にもぶつかってきそうな勢いで迫っていた。


 私は悲鳴を上げ、その場を大きく飛び退いた。


 間一髪。


 怪鳥は私がいた場所を通り過ぎると、そのまま上空高くへと昇っていった。


 びっくりした……。

 人間の存在には注意していたけど、まさかあんな来客があるなんて。


 あの怪鳥もちょうどお昼時だったのだろうか?

 圧縮魔法書(アーカイブ)もない今、あんなのに捕まったら確実に餌にされちゃうな。

 自力で逃れる方法は……ちょっと思い付かない。


 元いた場所に目を向けると、お弁当が見事に蹴散らされていた。

 水筒も倒れて中身が出てしまっている。


 私は愕然として、しばし立ち惚けていた。


 だけど、弁当箱を拾い上げると、奇跡的に一切れだけ無事なサンドイッチが残っていた。

 空を見上げて再び怪鳥がやって来ないかを見張りながら、私はその一切れを口にした。


 パンはフワフワとして香りもよく、中に敷かれたマッシュポテトは滑らかで甘みがあり、そして厚く切られたローストビーフは甘酸っぱいソースが掛けられ、咀嚼するとこの世のものとは思えないやわらかさと旨味を口いっぱいに広げてくれる。


 ああ、そう言えばあの子が言ってたっけ。

 これを食べなきゃ人生の九割は損をしていると。

 あの時は何をバカなと思っていたけど、これを食べれば確かにそれも一理あると思えてしまう。


 地面に転がったもう手の付けられないサンドイッチたち。

 なんて勿体無い……。

 でもまあ、放っておけば動物がこの絶品にありつけるかもしれない。


 贅沢者め。

 動物には過ぎた餌だ。せいぜい味わって食べるんだぞ!


 そんなことを考えると、なんだかおかしくなって私は吹いた。


 ……ひとつ頷いて、私は弁当箱と水筒を手にした。


 そして去り際、もう一度黒い大地を見下ろした。




 例え私の手にあれをどうにかできる圧縮魔法書があったとしても、私は決して使うことはないだろう。


 このブラウンとオリーブ色の目に誓ったのだ。

 もう二度と魔法は使わないと。

 そして、この命の続く限り、『スピカ』の世界時計を守り続けると。


 それが私の残りの人生でできる償いだから。


 別に、この世界がどうでもいいとか、むしろ滅んでしまえばいいとか、そんなことは思っていない。かつてはそんなことも思っていたけど、今となってはそれはすっかり過去のものだ。


 私はただ、見守っていく。


 この世界の行く末を。

 この神殿から、静かに。

 時々は、こうしてお昼に顔を出したりしながら。



 ──そう決めたのだ。



「おーい、スピカー」


 声に振り向くと、そこにはアークトゥルスの姿。


 『スピカ』が今日からメンテナンス時期に入るように、『アークトゥルス』も本当なら今日からメンテナンスに入る予定だ。

 なのに、どうしてかアークトゥルスはマメにこっちに顔を出す。

 もう『スピカ』のメンテナンスも三回目だ。私ももう素人じゃないんだから。


 だけど、そうは言っても彼は顔を出す。

 うーむ。


「なに?」


 悪気があるわけではないが、ちょっと素っ気ない返答をしてしまう。


「いや、なにって……。なんか、すっげぇでけえ鳥が飛んでったから、大丈夫かって」

「どう見える?」

「うん、まあ……、大丈夫そう……かな?」

「全然大丈夫じゃないよ! サンドイッチがほとんどダメにされちゃったんだから!」


 吠えるように言うと、アークトゥルスはその惨状を目にして笑い声を上げた。


「こりゃ派手にやられたな。よっぽどスピカが美味そうに見えたんだな」


 そう言って笑い続けた。


 私はカチンと来てアークトゥルスの頭を叩いた。

 それから肩をグーで連打する。


「いってぇ! やめろ、おいバカ」


 無視して叩き続ける。


「わかったわかった! 俺の分けてやるから、やめろ!」


 手を止める。


「ほんと?」

「ああ。……待ってろ、今持ってきてやるから」

「ううん、いいよ。私ももう戻るから、中で食べよっ」


 私はにっこり笑顔。


「ちぇっ、調子のいいやつ」


 アークトゥルスは頭を掻いてぼやいた。


「……まあ、そういうとこ、嫌いじゃねーけどな」

「はい? なんですかー?」


 私がわざとらしく言うと、アークトゥルスは顔を真っ赤にした。


「っせーな! なんでもねーよ!」


 私は笑った。


「さっきは叩いてごめんね。ほら、早く行こう」


 叩いた頭と肩を撫でてやる。


 それから、扉へと歩き出そうとした私の背に、その声は聴こえた。


「おー、キレイな虹だなぁ」


 今更それに気付くとは。


 私は無視して、だけどそっと笑みを浮かべて、神殿へと歩を進めた。

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