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継承

 ──私はしばらくの間、目の前の光景が理解できず、息をするのも忘れてに立ち尽くしていた。


 部屋が明るい。

 さっきまで薄暗がりで何ひとつ自由に見えなかったのに、今では昼間のようにすべてが明るく照らし出されている。

 それに、目の前には大きな箱のようなものが(そび)え立っていた。

 ただの箱ではない。

 いくつかの大きさのバラバラな長方体を積み上げたような形をしていて、金属のような黒灰色の表面に、這うように赤や青の色をした線が引かれている。


 これは何だろう?


 一体何がどうなったの?


 頭の中をいくつもの疑問がグルグルと回った。


 私は確か、スピカと世界時計のある神殿を目指して、だけどレナドたちの邪魔立てが入って、私だけが中に入ることになって……。

 圧縮魔法書(アーカイブ)の魔法で世界時計を破壊しようとした。

 スピカを助けるために。

 そう……。

 そのはず……。


 なのに、この状況は何?


 目の前にあるのは、たぶん世界時計だ。

 確信はないけど、そのはず。

 だけど、傷ひとつない……。


 壊れなかった? あの魔法でさえ破壊は叶わなかったのか?


 魔法……。


 そうだ、魔法はどうなった?

 まだ発動中だったはず。

 光が溢れて、風がすごい勢いで巻いて。

 あれは最後、すべてを焼き滅ぼす電撃となって空間を駆け巡るものだ。


 それが、唐突にピタリと止んでしまった。

 そして、急に明かりが点いて視界がはっきりと……。


 まるで一瞬にして悪い夢から覚めたみたいに。


 まるで最初から何もなかったかのように。


 それから、私はスピカのことを思い出して、扉を振り返った。

 扉に近寄ると、外から声が。


「……なんだ? 何が起こった? ……おい、ガキはどこへ行った!?」


 レナドだ。

 私は思わず息を殺し、外の様子を窺った。


「どうして急にいなくなった!?」


 外でレナドたちが騒いでいた。

 どうやら突然スピカが姿を消したみたいだ。


「おい、スピネル! そこにいるか!? 貴様、何をした!? ガキをどこへやった!?」


 扉を叩き、私に向かって叫ぶ。

 私はなんだか気味が悪くなって、黙って後ずさりをした。


 声が聴こえたのは、その時だった。


「──おっ、良かった。無事に時間が動き出したみたいだな」




 振り返ると、そこには私と同い年ぐらいの男の子が立っていた。


「目覚めの気分はどうだ? ……って、あんたにしたら眠ってたなんて感覚はないのか」


 私よりいくらか背が高い。赤銅色の短髪に日に焼けた肌。いかにも活発そうな顔立ちで、肌との対比が眩しい白い歯を覗かせて笑っている。


「……誰? どこから現れたの?」

「おいおい、いきなりだな。まっ、悪くはないが」


 男の子が笑う。


「俺の名前はアークトゥルス。こことは違う世界の世界時計の時計技師をやってるもんで、あとここの世界時計を直したもんだ」


 なんだか懐かしさを感じる言い回し。


 それから、ふとその言葉が引っ掛かった。


「……直した? 何を?」

「何をって、言ったろ? ここの世界時計だよ。あんたが見事にぶっ壊してくれたやつ。……もっとも、俺一人で直したわけじゃねーけど」


 ……直した?


 私はしばらく、その言葉の意味が理解できなかった。


「いつ?」

「あんたらが止まってる間」

「止まってる間?」

「そう。あんたらの世界の時間感覚で、ざっと二千年以上もの間」


 私は顔をしかめた。


「止まってないよ。動いてる」

「そりゃあ、止まってた感覚なんてないだろ。だって、止まってたんだから。あんたからしたら、時間は一瞬の寸断なく続いているようだろうさ。だけど実際、それだけの時間あんたらの世界は止まっていて、ついさっき再び動き出したんだ」

「……なんで?」

「だから、あんたがド派手にぶっ壊しちまったからだよ。それを、俺らが二百年以上かけて一生懸命に直したからだ」


 私は混乱した。


 話にまったくついていけなかった。


「大変だったんだぞ? 通常の業務に加えて、毎日毎日少しずつ……。綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれたおかげで、実際は修理と言うより作り直しだ。どうせなら設計から見直そうとか、新しい機能を盛り込もうとか、物好きなエンジニアどもが意味のわからん意欲燃やしたりしてよ。それで割を食うのは俺ら下っ端なんだって理解しやがらねえからな、上の連中は。……って、おい、聴いてるか?」


 男の子……アークトゥルスと言ったか……その名前もなんだか聞き覚えのある……が、こちらを睨んでいる。

 その目を見ていて、私は思い出した。


「スピカは!?」


 慌てて辺りを見回して、アークトゥルスに目を戻す。

 すると彼は、神妙な面持ちで私を見返した。


「ねえ、教えて。スピカはどこへ行ったの!? 無事なの!?」

「……死んだよ」

「は?」

「死んだ。もうこの世にはいない」


 アークトゥルスがきっぱりと言った。


 私はまた理解ができなかった。


「……どういうこと?」

「どういうことも何も、言葉どおりの意味だよ」


 混乱した。この人が何を言ってるのか、まるでわからなかった。


 だけど、頭よりも先に体が理解したようで、急速に足腰から力が抜けて、私はその場にお尻を着けた。


「ウソ……」

「ウソじゃねーよ」

「なんで……?」

「さっきから疑問ばっかだな。……まあ、仕方ねーけど」


 アークトゥルスがバリバリと頭を掻く。


「なんでも何もない。人間、どうやったって二百年以上の時間を生きることはできねーんだ。寿命だよ。老衰。もう何十年も昔に」

「ウソ……」

「ウソじゃねーって。なんで俺がここでウソを言わなきゃなんねーんだよ?」

「ウソだ……」


 そんなバカな……。

 私は何も理解できない。


 だけど、目から涙がこぼれた。


 何もわからないのに。

 体だけがどんどん先に進んで、体だけがこの状況に正しい反応を示していた。


 アークトゥルスはそんな私を見て、困ったように頭を掻いた。


「あー、その……、大変気の毒だとは思うけどよ……」


 ボソボソと言葉を紡ぐ。


「話に聴けば、あんたが世界時計を壊したから、スピカは助かったってことじゃねーか。殺されて死ぬんじゃなくて、寿命を全うできたってわけだ」


 私は顔を上げてアークトゥルスを見た。


 もう言葉も出ない。


 ただ涙だけが流れ続けた。


 それにアークトゥルスが沈痛に目を細める。


「先々代のアークトゥルスから聴いただけだけど、それに感謝してたって話だ。だから、その……、元気出せってのも変な話だけど……」


 そこで私を一瞥して、アークトゥルスは話をやめてしまった。

 これ以上ここで言葉を尽くしても仕方ないと思ったようだ。


 話が止まったので、私は力なくうな垂れた。


 涙が堰を切ったように流れ出て、私の手や脚や床に大雨のように降り注いだ。




 しばらく泣いて私が落ち着くのを見ると、アークトゥルスが話してくれた。


 私たちがいる世界は、大きく二つに分かれている。


 宇宙があって惑星があって生命が暮らす『小世界』と、その小世界を束ねて管理する『大世界』。


 そのひとつひとつの小世界の時間を動かしているのが『世界時計』だ。

 私が暮らしていた世界は『スピカ』と呼ばれ、男の子のスピカは『スピカ』を動かす世界時計のメンテナンス担当者だった。


 神殿は世界時計を置く場所であり、唯一大世界と小世界を繋ぐ場所でもある。

 だからあの扉は、大世界の人間にしか開けられないのだそうだ。


 私はアークトゥルスに連れられて、スピカが寝泊まりしていたという部屋で話を聴いていた。

 簡素な机とベッドしかない殺風景な部屋。

 しかし、どうやらここが本住まいではないらしい。

 ここは年に一回のメンテナンス時期に訪れ、その作業が終わるまでの仮住まいの部屋なのだそうだ。


 私はベッドに腰掛け、薄っぺらい毛布を手に取った。

 なんとなしに顔を寄せるとほんのりスピカの匂いがして、彼が確かにここにいたことがわかった。


 出された温かいお茶を飲みながら、続きを聴く。


 私が圧縮魔法書で世界時計を壊すと、『スピカ』の時間は静止した。

 時間が静止すると、その小世界の時間軸に生きる私たちは止まってしまうが、大世界や他の小世界の人たちには何ら影響はない。

 それでスピカはレナドたちの手から逃れ、助かることができたと言う。


「あとは後片付けの人生だ」


 アークトゥルスが言った。


「左腕は剣で貫かれた怪我から動かなくなって、上の連中からは世界時計を壊した責任から厳しい待遇を浴びせられ、ただひたすらに世界時計の再建に残りの人生を終始させた。とても楽しい人生とは言えなかっただろうな」


 それからアークトゥルスは少し表情を崩し、目を細めた。


「……だけど、これも先々代から聴いた話だけど、当人はそうまんざらでもなかったって話だ。ずっとあんたが側にいたからな。動きもしゃべりもしないけど、あんたがいて、あんたが再び動き出すことを目標とすることができたから、スピカはずっと頑張り続けることができたそうだ。……まあ、なんかわかるよな。俺も最後の方から手伝うようになったわけだけどよ、確かに上から言われるがままに働くよかよっぽど意義みたいなもんを感じたしな。……へへっ」


 アークトゥルスが私を見てはにかむ。


 頭はまだ熱を帯びたように痺れて何ひとつ上手く理解することができない。

 だけど、アークトゥルスの話を聴きながら、私はひっそりと、そして深く、スピカを失ったことを実感していた。


 もうスピカはいないんだ。


 確かにあの時、世界時計を壊したことで誰も死なずに済んだのかもしれない。

 しかし、これでは同じことだ。

 私はまた魔法で大切な人を失った。


 私はまた失ったんだ……。




「あんたに継承の話が来ている」


 またしばらくを置いて、アークトゥルスが言った。


「スピカがあんたに次代スピカを任せたいって言ったんだ。それでまだ後任が決まってなくて、この世界時計の面倒を見るやつがいない」


 彼が言うには、世界時計の技師になるのは大世界の人間ではなく、小世界の中から選ばれるらしい。

 その理由はよくわからない。末端の重労働だから、プライドの高い大世界の連中はそれを自分たちの仕事ではないと思っているのだと、アークトゥルスは想像を口にする。


「あんたにその気があるのなら、それで決まりだ。そうでなければ、まあ、他を探すしかない」


 アークトゥルスは目をキョロキョロと動かし、私と世界時計とを交互に見やる。


「あー、まあ、確かに大変な仕事だけどよ、『アークトゥルス』とは隣同士だし、俺がいろいろ教えてやれるってーか……。まあ、きついばっかじゃなくて、たまには楽しいこともあったりするんだ。少なくとも、話に聴いたあんたの元の暮らしよかはるかにマシだ、とも思うわけで……。だから、決して悪い話じゃねーと思うんだよ」


 なんだかたどたどしく、そわそわとしながらアークトゥルスは言葉を紡ぐ。

 よくわからないが、しかしそこで私は、スピカが私に名前をくれると言ったのを思い出した。


 やっぱりスピカはわかっていたのだ。


 あの扉で運命を隔てた時に、これで私とは最後になることを。


 あの子らしい……。

 幼いただの生意気な子供のように見えて、実際は私なんかよりずっとしっかりしている。

 それだけ、私よりずっと過酷な人生を歩んできたのだろう。


 だから──


「うん、やるよ」


 私は頷いた。


「本当か!?」


 私はもう一度頷く。


「そ、そうか……。よし……。それじゃあ、いろいろ手続きは必要だが、何はともあれ今日からあんたは〝スピカ〟だ。──よ、よろしくな。スピカ」


 スピカ。


 そう呼ばれて、私はどう思ったか。


 アークトゥルスが手を差し出したので、私はその手を取る。

 彼は私の手を握って、顔を赤くして「へへっ」と笑った。


 それから、アークトゥルスが改めてというように言った。


「あと、その……、驚いた」

「何が?」

「あんたの目。止まってた時と違う色になってんだ」


 私は「ああ」と思った。


 おそらく最後の魔法を使った後、目の色が変わるより先に時間が止まったのだ。

 それで時が動き出して、変化したのだろう。


「いや、なんかそんなことがあるってのは話に聴いてたんだけどよ……。ああでも、今の色の方が俺は好きだな。前はファンキーな色してたけど、今のは落ち着いた綺麗な色してるし。……って、あっ! べ、別に好きって、そういうわけじゃねーからな!」


 何をそんなに慌ててるんだろう?

 やっぱりよくはわからないが、私は少しおかしくなって吹いた。


「何色になってる?」

「右……って、俺から見てだからあんたにしたら左だけど、ブラウンだな。で、反対の右目は、深いオリーブ色だ」


 私は弾かれたように立ち上がった。


 ベッドが押されて大きな音を立てる。


「うわっ! びっくりした。どうした急に!?」

「か、鏡! 鏡は!?」

「鏡? それなら、そっちの部屋……」


 アークトゥルスの言葉も途中に、私は走った。


 柱や家具にぶつかりながら急いで部屋に駆け込むと、私は壁に掛けられた鏡に自分の顔を写した。


「ああ、そんな……」


 さっき散々泣いたのに。

 もう涙は枯れ果てたと思ったのに。


 それを見てすぐ、涙が再び大雨のように目から溢れ出した。


 それは、私のよく知っている色。

 今は記憶の中にだけあって、決して色褪せることなく今も輝いている。


 それこそ、宝石のように……。


「お父さん……、スピカ……」


 目を閉じれば見えなくなってしまうから。

 だから私は、まばたきすら我慢して泣き続けた。


 大切なその色を見つめながら、いつまでも、いつまでも……。

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