プロローグ
まるで高い塔のように細く切り立った岩山から望む景色があまりに美しかったから、ボクは初めて神殿の外でお昼を取ることにしたんだ。
手ごろな石に腰掛けて、アークトゥルスが作ってくれたお弁当を開けた。中はローストビーフのサンドイッチ。普段、ボクにいじわるばかりするアークトゥルスは、それでも年に一度のこの日だけは、決まってボクのこの大好物を作ってくれる。
水筒に入ったミルクティーをコップに注いで、おしぼりで手を拭いた。そこでしばらくの間、ぼんやりと景色を眺めたのが失敗だった。
だって、それは本当にいい景色だったんだ。
空は一面深い海を写したような青色で、所々ひつじのように白くてモコモコとした雲が気持ちよさそうに泳いでいた。眼下は近くに緑色の森が広がっていて、遠くには人の住む大きな町と、さらにその奥に頭を白くした山脈が連なっていた。視界の右端から左端まで何も妨げるもののない、どこまでも広い世界がそこにあった。
風がとても気持ちよくて、鳥になって飛べたらどれだけ最高だろうかと考えた。
そう、ボクは「鳥になって」と考えたんだ。
決して「鳥に運ばれて」なんてひとっつも思っちゃいなかったんだよ。
なのに、何かがボクに影を落としたと思った次の瞬間、ボクは大空を飛んでいたんだ。
狙ったのはボクか、それともローストビーフのサンドイッチか。
ボクが両手を大きく広げてもまるで足りない、その四倍も五倍も大きな翼を広げた怪鳥がボクをサンドイッチごと鷲掴みにして、大空へダイブしたんだ。
わかるかい? 自分が鳥になって飛ぶんであれば、それは最高に気持ちのいい体験になるんだろうけど、巨大な怪鳥に鷲掴みにされて飛ぶ空は、ただただ恐怖でしかないんだよ。
だけど、ボクにだってわかる。怪鳥さんだってお昼にしようと考えていたんだ。このまま運ばれたら、ボクはきっとボクのお昼ごと怪鳥さんのお昼にされちゃうんだ。
それはこの大空からパラシュートもなしに落っこちるのとどっちが恐怖だろう?
喉が張り裂けそうなほど大きな悲鳴を上げながら、ボクは突きつけられた選択肢を検討した。でも、答えなんて最初から一つだ。
ボクはスピカ。知性ある人間だ。
そんなボクが、たかが猛禽類ごときのエサになっていいわけがない。
怪鳥さんの飛んでいく先、さっき目にした大きな町と、その近くで楕円を描く湖が見えた。
どうだろう? 深いかな? いけるかな?
しかし、やるならそこしかない。
ちょうど上手く怪鳥さんが高度を落としてくれた。
だからボクは、意を決して全部の歯がぶっ壊れるんじゃないかって思うぐらい、思いっきり怪鳥さんの足に噛み付いたんだ。
後はただ、流れ星のように。
ひゅーん。
ドッパーン!
ゴボゴボゴボ……。
奇跡は起きた。
湖さんはボクを優しく抱きとめ、命からがら這い上がったボクは大空に叫んだ。
バカヤロー!
その場にごろんとひっくり返って、しばしゼーハー、ゼーハー。
全身びしょぬれ。サンドイッチはロスト。
顔を横に向けると、遠くに見える細く切り立ったまるで高い塔のような岩山。
そのてっぺんに、年に一度の大切な大切なお仕事があるんだ。
きちんとやらないと、またアークトゥルスに怒られる。それがどれだけ怖いか。もしかしたら、この世で一番の恐怖はそれかもしれない。
よっこらせと立ち上がったボクは、暗澹たる気持ちでもう一度そこを見上げた。
ため息を一つ。まったくもう……。
まあだけど、その前に……。
寒い。
おなか空いた。
ひとまずボクは、町に行ってみることにしたんだ。