35.支配者の悩み
掌に触れる何かを、不意に彼は握り替えしていた。それが誰かの掌であるということに、微睡んだ意識の彼は気付くことはなかった。ひどく疲れたように眠る少年は、その温もりに触れた一瞬、安堵したように、穏やかな笑みを浮かべたのだ。
ヒトの上に立つモノ。世界を救うモノ。あるいは、いずれ全ての支配者となってもおかしくないモノ。そうでありながら、何処までも孤独で、歪で。幼い精神を抱えたままで、それを隠し続ける、そんな哀れな子供が、そこにいた。
自らの掌を握り替えしてきた少年の幼さに、青年は表情を優しいモノへと変えていた。世界救済へと近づくに連れて、少年の眠りは浅くなった。そして、何日かおきに、泥のように眠る。それはひどく身体に悪いように思えるのだが、少年自身にもどうにも出来ないらしく、繰り返されている。
眠る必要のない青年は、その姿を毎夜見ていた。眠りの浅い日は、決まってうなされている。けれど朝になれば、いつもと変わらず減らず口を叩くのだ。弱さをさらけ出すことの出来ない性分なのだと理解していても、時折苛立ちめいた感情を持ってしまう彼であった。
深い眠りについている時、その掌は決まって何かを求めていた。戯れに、自らの掌を青年が指しだした時、まるで親を見つけた子供の様に、しっかりと握りしめられた。宥めるように髪を梳き、優しくその掌を握り替えしたのは、単なる気紛れでは、なかった。
青年は、ふと、昔にもこういう事があったのではないかと、既に自らですら忘れている過去へと、意識を飛ばした。彼は、邪神になる前の自分を覚えてはいない。殆どのものがそうであるように、邪神になる時に記憶も、性格も、かつての自分を構成していたモノ全てが、消えてしまう。
たとえ外見が同じでも、まったく別の人格を宿してしまうのだ。だが、青年の場合、少し違うのかもしれない。かつての自分と今の自分がどう違うのかを、彼は知らない。だが、精霊神達は、彼を知っていた。外見だけで中身が異なっているのならば、もっと違和感をさらけ出していてもおかしくはなかっただろう。けれど精霊神達の態度は旧知の友に対するモノだった。
自分は、いったいどういう存在だったのだろう。そんなことを思うようになったのも、目の前の少年の所為だった。頑なに自分という存在の生きる意味を模索する、何かに縋ろうとしている節のある少年を見ていると、この世界に自分が生まれてきた理由を、さがしてしまう。或いは、怯えているのかもしれない。
自分が、いらないモノである。そう言われるのは、誰にとっても苦痛だ。それは、青年とて同じである。だから彼はふと記憶を探るのだが、決まって、痛みが襲いかかる為、やはりそれを諦めてしまうのだ。
少年の脆さを、青年は知っていた。或いは、その脆さは青年にもあるのかもしれない。生まれてきた意味を懸命に探す姿は滑稽で、そして同時に、何処までも憐れみを誘った。そんなことを言えば、この気の強い少年は、すぐさま青年に向けて剣を突きつけ、傷を負わせてくれるだろうが。
穏やかな寝息が聞こえてきて、青年は思考の海から引き戻された。安堵の表情と、幼い子供の寝顔がある。思わず庇護の手を差し伸べたくなるような、無邪気さがあった。汚れを知らない子供の、思わず護りたくなるような、そんな脆くて美しい何かが、確かに少年にはあった。
使命の重さに耐え切れていないのだ。そのように、青年は思った。支配者にも等しいだけの強さを秘めた少年が、世界を救う為に旅を続ける少年が、その使命の重さに押し潰されそうになっているのだ。
この世界の全てを、若干17歳の子供が背負う。それは、あまりにも惨い事なのではないか。青年はそんなことを思いながら、少年の掌を握りしめていた。そうすることで、温もりを与えることで、この少年は安堵する。それで救えるのならばと、青年は思う。
そして、少年が目覚めるより先に、掌を離すのだ。彼が勘付いていようと、その事実をひた隠しにする。それが、二人の距離感だった。奇妙に不器用な二人の、それでも精一杯に歩み寄った距離が、今のこのカタチなのだった。
その救いになることが出来ればいいのにと、そんなことを願う自分に、青年は少しばかり驚いていた…………。




