33.雪野原
辺り一面が純白の雪で埋まっている。それを眺めながら、勇者は目を細めていた。どこか不気味なほどの静けさがそこにある。何がどうとはいえないまま、邪神は勇者をみていた。口元にゆがんだ笑みを浮かべる少年勇者の考えは、永い時を生きてきた邪神にすらもわからなかった。
何を思ったのか、勇者は突然雪の上に大の字に寝そべった。未だ降り続ける淡雪が、天を見上げるその顔に舞い降りる。おいと、声をかける邪神を無視して、勇者は灰色の空から降り落ちる白い花びらを見つめていた。元から色の白い肌の上に雪は触れて、そしてその体温でやんわりと溶かされていく。
「……何をしている、お前は。濡れるぞ。」
「冷たくて気持ちいいぞ。」
目を伏せたままで、勇者は笑って答えた。じわじわと、服も肌も雪を溶かして濡れていく。その冷たさが、生きている感覚なのだと、彼は知っていた。それを求めているのかもしれないと、自分のいる証を求めているのかもしれないと、凪いだ海のような心で勇者は思った。
この空間には、何もない。ただ、降り注ぐ雪の白だけがあるのだ。そしてその中で、勇者と邪神は異物でもあった。別の場所から紛れ込んできた、とけ込めない異物。それでも、勇者は今、この空間に安堵していた。
その理由を、勇者は知っていた。今この空間に、生きているものは彼らだけだ。誰もいない。勇者を見るモノも、勇者を呼ぶモノも、いない。それは同時に、彼という存在を拒絶するモノも、いないという事だ。
邪神は、何もしなかった。勇者がこの静寂を望んでいると知ってしまってからは、彼は何もいわず、ただそこにいる。感情を荒げることもなく、気配を周囲にとけ込ませる。それは、彼にとって、別に苦ではなかった。
やがて、勇者はその場で眠りについた。それに邪神が気づくまでに、少しの時間を有した。それは、勇者が一言もつぶやくことがなかったからだ。静まりかえった空間にかすかな寝息が聞こえて、それで邪神は初めて、勇者が眠っていることを知った。
「……フーア?」
眠る勇者は答えなかった。ひどく静かな表情で、穏やかな笑みさえ浮かべて、眠っている。幸福な夢を見ているのだろうか。そんなことを思ってから、邪神は頭を振った。彼は邪神であり、勇者を案じる必要などないのだ。いつまでたってもそんな感情を抱いてしまう彼は、ある意味、不器用で微笑ましい性格なのかもしれない。
腕を伸ばし、邪神は勇者の体を引き上げた。起こさないように注意しながら、雪を払う。すぅすぅと寝息を立てる勇者は、起きる気配を見せなかった。邪神はため息をつきながら、勇者を背負いあげた。担いでもよかったのだが、荷物扱いをすると、おそらく起きたときに大変なことになる。それが解っていたので、彼はあえて背負ったのである。
毒舌を吐かず、ただ眠っている。そうしているとこの勇者は、幼い子供のようにも見えた。常の張りつめた糸のような緊張が無い分、余計に。そんなことを考えながら、邪神はふわりと浮遊した。雪を避けるための小屋へと、彼は飛んでいく。眠る勇者は、何の反応も返さなかったが。
普通の人間は、静寂を拒む。それはあまりにも孤独を呼び寄せすぎて、多くの者に不安を与えるのだ。 けれど、この勇者はそうではなかった。むしろ、自ら静寂の中へと身を落とし、その中へ溶け込み、消えてしまいそうな性質を持っていた。
常の強気な態度はそこにはない。力の欠片を手に入れるたびに、その陰りが頻繁に現れた。まるで何かから逃れようとしているようだと、邪神は思う。けれど彼はそれを口にせず、勇者もまた、何もいわなかった。互いの間にある距離が縮まるにつれて、謎は深まり、そして、触れてはならないと思う部分が増えていく。そんな矛盾を、彼らは知っていた。
全てを覆い隠す雪野原は、まるで死の空間のように、全てを飲み込み、そして何も、与えないように思えた…………。




