#02 赤い繋がり
突拍子過ぎる出来事が立て続けに起きて、そろそろ昼休みの終わりも告げられる頃かと思えば、屋上に来てから10分しか経っていなかった。
逆に言えば、たったの10分で私の人生は大きく変わってしまった。
ただの女子高生から、1人の吸血鬼のパートナーという名の下でさらに恋人になった。
実際、全く実感がない。
身体にはなんの変化もない。
確かに血は吸われたし、どうやら契約というものも完了したらしいのに。
傷をはじめとした証拠は何も残っていない。
本当にこの煌部朔という者が吸血鬼だっていうことは理解したのだけど、何故か納得出来ない。
なんていうか、私が思い描いてきた吸血鬼の像とちょっと違う感じがして、どうももやもやしている。
吸血鬼にとって人間は餌。
食事が終わればそれで良いはず。
息絶えていようがそうでなかろうが。
しかし、朔はさっきから無表情で此方をじっと見ている。
何かを心配しているようなオーラを醸し出しつつあくまでも無表情で。
吸血鬼というのは人間を惨殺するくらいの者じゃないのか。
それが何を心配することがあるのか私には全く分からない。
私が死んで、吸血鬼になったかどうかの確認?
私には死んだという意識は無いけれど。
そもそも死というものがどういうものか分からないけれど。
「……何?」
あまりにずっと見ているので、何なのかちょっと聞いてみた。
「変子、大丈夫なのか?」
「何が?」
「あれだけ血を吸った。貧血ではないか?」
ということは、おそらく私は死んでいない。
「あーなんだ。そんなこと心配してたの?大丈夫。私、貧血とかなったことないし」
笑顔で元気よく応えた。
「そうか。人間の女は貧血になりやすいと聞いていたが……」
「確かに貧血持ちの子は多いかも。でも例外もあるの。それとも貧血持ちくらいのか弱い女の子の方が好みで良かったって?」
「いや、むしろ助かる。心置きなく血を吸うことが出来る」
「だからって、あんまり吸われすぎたらさすがの私も……」
一応、血は減るものだから限界は絶対にある。
毎日毎日、血を吸われ続ければいつか私は失血死するはず。
「その時は他の者の血を吸う」
「え、良いの?それ、規約違反にならないの?」
「俺がパートナー以外の者の血を吸ってはいけないなんて規約はない」
私は他の吸血鬼に血を吸わせちゃ駄目なのに、朔は他の人の血を吸っても良いの……?
なにそれ。
「じゃあ、私がパートナーになった意味って……」
「あることにはある。俺の命を保障すること。それはパートナーにしか出来ない、お前にしか出来ない」
「でも吸血鬼って、誰の血でも、吸っていたら永遠に生きていけるんでしょ?じゃあ私、必要無くない?」
「まあそうだ。でも、血を吸う相手がいなくなったら。そう考えた場合、最低限、お前がいれば俺の命は保障される」
最低限、ですか。
最低……限……ね……。
「ということは、人類をはじめとした吸血鬼の捕食対象になる生物が絶滅しない限り、私はいてもいなくてもということですか」
「言ってしまえばそういうことだ」
その瞬間、私がパートナーである意味が無いということを確信した。
自分の存在意義さえも疑った。
「じゃあ……。私、パートナー辞めますわ」
「は?何故だ」
普通、こういう時は“理由を説明しろ”だの“いきなり何を言っている”だのと続け、心底焦った形相で引き止めるところ。
しかし、こいつは……この吸血鬼は、顔色一つ変えずに、ただ冷静に“何故だ”と言い此方を見ている。
「人類はそんな簡単に滅亡しない。マヤ文明の人類滅亡説も悉く外れてるし」
「今まではそうであっても、この先もそうであるとは限らない。――終わりは突然やって来る」
意味深なその言葉。
何かの確証がありそうな、そんな口振りだった。
「人類の生命力舐めんじゃないわよ!!そんな急に滅亡するもんですか!」
しかし、今すぐ、そんなすぐに人類があっさりと滅亡するはずがない。
自信満々に堂々と言ったけど、吸血鬼からしたら人間なんていずれは死ぬ生物が滅亡するのも時間の問題だった。
「そうだとしても、パートナー契約は一度すれば解除出来ない」
「分かってるって。だから、あんたに血を吸わせなければ事実上、契約は無かったことに出来るでしょ?」
「それは、即ち規約違反という訳になるが」
「規約を違反したら何かあるの?」
「死ぬ。確実に」
「え、本当に……?」
「ああ。間違いなく殺される」
そんなこと規約に無かったじゃん……。
「誰に?」
「俺の上司に」
「上司って誰よ……」
部長さんとか?
どこの会社の……?
なんの組織の……?
株式会社吸血鬼とか、何とか法人吸血鬼とかの?
なんじゃそりゃ。
「魔界での俺より位が高い者。簡単に言えばそういう者たち」
「魔界って……。そんなの何処にあるのよ」
「人間界の右斜め上」
えらく抽象的な解答。
でも、得体も知れなかったから寧ろ具体的ってぐらいかも。
でも、上空にあるんだ……。
魔界って空にあるんだ……。
天空の城だったんだ……。
「じゃあ、やっぱり海外暮らしって嘘?」
「ああ。いきなり魔界出身なんて言っても人間は信じないだろ?だから、海外だって言えと教えられた」
まあ、そうだよね。
そんなの信じる人なんて……。
「じゃあ、なんであんなに英語出来るのよ」
「たまたま魔界語に近い言語だったからすぐ理解出来ただけだ」
「あ、そーですかー……」
いくら近いからってあんな瞬時に理解出来るなんて……。
一応、中学から勉強してきたのに全く理解出来てない私って一体……。
「で、結局どうするんだ。俺と縁を切って大人しく殺されるのか、大人しく俺に毎日、血を吸われるか」
何、その従順キャラ。
私って何時からそんなキャラになったの。
どっちにしろ、この先私に自由は無い。
自由気ままだった昼休み以前の私の人生には既に終止符が打たれている。
そんなことは既に分かってる。
「しょうがない。大人しく貴方に従うよ。……その代わり」
その代わり。
「その代わり、なんだ?」
「その代わり、出来る限り私の血だけを吸って。私がどれだけ弱っても、死にかけても」
誰でも良いだなんてそんな浮気性な吸血鬼、いや、恋人は嫌。
どうせパートナーやるなら唯一無二の存在になりたい。
限界なんて考えないでおこう。
血を吸われること自体は嫌ではないのだから。
「変子が構わないなら俺はそうさせて貰うが」
「ありがと」
「しかし、あまりに変子が危ない状態に陥った場合は吸血を控えさせて貰う。俺にもお前の命を保障しなければならないという規約があるからな」
「え、ちょっと待って」
その瞬間、私の頭は軽く混乱した。
「なんだ」
「私には朔の命を保障するっていうのが本来の役割みたいなことになっているのに、朔は逆に私の命を保障することが規約で決まってるってことは……」
それ即ち――
「どちらか片方が死ねば、規約違反とみなされてもう片方は殺される」
それ即ち――!
「運命共同体ってことですかぁ!?」
嘘だろ嘘でしょ嘘だと言ってくれ!
私は頭を抱えた。
そんな重役を任されているとは思ってもみなかった。
朔が死んだら、どんな理由であろうと私の責任で即死刑とか……。
吸血鬼殺し、頼むから来ないでくれ……!
それもう人殺しだから。
ていうか、絶対自殺なんてしないでよ!?
それもう人殺しだから!
「逆に言えば、どちらか片方が生き続ける限り、もう片方も死なない。つまり、変子は俺が生き続ける限り死なない。人間の寿命を越えても生き続けられる」
「私が病気になっても事故って怪我しても?」
「俺が病気も怪我も治してやる」
「ハイパードクターじゃん!」
「それくらい当然だ」
「寿命を越えてとか言ってたけど、不老ですよねー?」
恐る恐る聞いてみた。
「勿論だ」
良かったー。
老け続けるとか絶対嫌だし。
永遠にこの見た目のままなんだ。
まあ、悪くないかな。
40歳過ぎても高校生に間違えられるっていうのも悪い気はしない。
少なくとも年上に見られるよりは。
「そういや、私がパートナーにならなかったら死ぬみたいなこと言ってたけど、なんで?」
まさか、出任せだとは言わせない。
その言葉がきっかけで私は朔のパートナーになったのだから。
「明日の12時までにパートナーを見つけなければ吸血鬼としての能力が完全に失われるという呪いをかけられていた。その能力の中には吸血の能力も含まれている訳で、つまりは致命傷という訳だ。しかし、それで即死するという訳ではない。完全に力を失い、悶え苦しんでいるところにとどめを刺すと、上司に脅しをかけられていたということだ」
30分も苦しませた後にとどめを刺すとか極悪非道だな……。
魔界恐ろしいよ……。
「パートナー契約したこと、その恐ろしい上司さんに報告しなくても良いの?」
「ああ。どうせ、何処かで監視している」
朔は辺り(主に上空)を見渡す。
私も見てみるけど、誰もいない。
鳥が飛んでいるだけの雲一つ無い青い空だった。
「あーいたいた!もー、探したんだからねっ」
ざっと見て、身長135cm弱、サイズが無かったのか誰かのお下がりなのか、ぶかぶかのセーラー服。
日本人離れした銀色がかったクリーム色の髪を赤いリボンで結んだツインテール、幼げな顔立ち。
見た目年齢、9歳~10歳。
そんな見た目は完璧な幼女を私は知っていた。
「環那ちゃん!よく高等部の屋上が分かったね!」
この少女の名前は王手環那。
幼女とは言ったけど立派な中学生。
陽凛学園中等部2年生。
彼女は私の従姉妹。
母の妹の娘。
「高等部の屋上の行き方なんて中等部では有名だよ?屋上って憧れの場所なのに、中等部の屋上は立ち入り禁止だから、みんな高等部の屋上に行くのが定番なんだよ。恋子ちゃん知らなかった?」
へぇー初耳だよ、そんなの。
「それより、何か私に用があるんじゃないの?」
「あ、そうだそうだ忘れてたっ。そんなに急ぎのことじゃないんだけどね。あ、もしかして取り込み中だった?」
私たちの輪に近付こうとせずに、むしろ避けている朔に気付き、環那ちゃんはそういう。
「朔、どうしたの?さっきから無駄に私たちから距離置いてるけど」
「いや……。なんでもない……」
明らかに嫌そうな顔をしている。
汗までかいている。
多分、冷や汗。
常に無表情の朔にしては珍しい。
「もしかして、子供苦手だったり?」
「恋子ちゃんひどーいっ!環那、中学生だよ?ね、朔おにーさんっ」
見かねて、環那ちゃんから朔に近付いていった。
「……」
後ろ退り、目を逸らそうとする朔。
「うわぁ……。綺麗な碧い目……。もしかして外人さん?」
環那ちゃんは興味津々に目を輝かせて、覗き込むように朔を見つめる。
「や、やめろ……。なんの冗談だ……」
「朔、何言ってんの?環那ちゃんは本当に中学生だよ?」
「そうだよー。ていうかお兄さん、恋子ちゃんの彼氏?」
興味津々にそう尋ねる環那ちゃん。
「……ああ」
認めたよ……!
本当に、純粋な恋人同士じゃないのに。
「いーなーいーなー!でも、恋子ちゃん、吸血鬼LOVEだったじゃん!遂に現実見ちゃった?酷いよ!環那を置いてこんなイケメンな彼氏さん作っちゃって……」
環那ちゃんは私の1番の理解者でもある。
私と同じく、吸血鬼や魔女などといったファンタジー世界の住人が大好き。
朔が本物の吸血鬼だって知ったら喜ぶだろうなぁ……。
でも、そういうことは迂闊に喋るものじゃないことは環那ちゃんも承知のはず。
因みに、言うまでもなく、私はまだ現実を見てはいない。
「環那ちゃんもモテるんだからすぐにできるって」
「またまたぁ。環那、全然モテないのにー」
お世辞だと思ったのか、顔を膨らしている。
そういう所、可愛いですよ、環那さん。
気付きましょうよ。
「朔お兄さん、恋子ちゃんをよろしくお願いしますねっ」
「だから、どんなキャラだよ……。……かーさん」
「え……?」
環那ちゃんはきょとんとして朔を見つめる。
私もよく分からない。
「お兄さん、知ってたの……?」
「え、何なに、全く状況分かんないんですけど」
「恋子ちゃんをびっくりさせたかったんだけどなぁ……」
「どういうこと……?」
何?
なんのサプライズがあるの……?
「環那ね、文化祭の演劇部の劇で主人公のお母さん役することになったんだっ!」
陽凛学園では部活動は中等部と高等部と合同で行っている。
大抵の部活は、高等部の生徒が重要な役割を果たしている。
どの部活も公式の大会なら、中学生の部と高校生の部で分かれているから中等部の生徒にも活躍の場はある。
しかし、校内での行事で中等部の生徒が目立って活躍することは滅多に無い。
そんな中、文化祭の演劇部の劇で役を掴み取るというのは凄いことである。
しかし、なんで環那ちゃんに母親役?
全く向かないでしょ。
「凄いね!でも、なんで環那ちゃんが母親役なの?」
「なんかねー、たまに凄いお母さんオーラ出てるらしいんだー。よく分かんないけど」
「環那ちゃん、料理得意だもんね。そう言われたら環那ちゃん、適役かも」
「ほんとー?ありがと、恋子ちゃん!環那、頑張るから観に来てね!お兄さんも一緒にね」
と言って、環那ちゃんは中等部の校舎へ帰って行った。
「……朔、あんたなんで演劇部の文化祭の劇の配役なんて知ってたのよ」
「いや、たまたま朝通りかかった時に聞こえたから……」
「ふーん。あっそ。でも、よく環那ちゃんが母親役だなんて覚えてたね」
「いや、まあ、なんとなく……」
明らかいつもと朔の態度が違うことに私はまだ気付いていない。
気にもしていない。
「環那ちゃん、悪い子じゃないから仲良くしてあげなよ?」
「ああ……。出来る限り努力はする……」
やっぱり、見た目が子供なら無理なのか。
私は子供好きだから気持ちがよく分からないけど。
さて、なんだかんだで昼休みも間もなく終わる。
「そろそろ、教室戻ろっか」
「ああ」
私たちは、もと来た道を引き返し、教室に戻った。
「あ、恋ちゃん戻って来た。恋ちゃん、抜け目無いなぁー」
教室に戻るや否や舞桜が私にそう言った。
「は?なんのこと?」
「惚けちゃうかー。無駄だよ?環那ちゃんに聞いたからね。恋ちゃんと煌部君が付き合ってるって」
舞桜は環那ちゃんと同じ演劇部に所属している。
それ故、舞桜と環那ちゃんは仲が良い。
「付き合ってなんかないって……」
それは事実。
契約上の話。
紙の上での話。
「じゃあ、今まで2人っきりで屋上で何してたの?」
「何って……」
吸血鬼との契約だなんて言っても舞桜は絶対に信じない。
「あ、もしかして……。もうキスとか……しちゃったの……?」
何故分かる……!?
相変わらず舞桜は勘が鋭くて困る……。
正確にはキスされた、なんだけどね……。
「もー、何時からそんな積極的になったの?恋ちゃん、現実の恋とか興味無かったじゃん」
私の肩をバンバン叩く舞桜。
「だからそんなのじゃないって……」
それを迷惑そうな顔をして受け続ける私。
「煌部君、恋ちゃんちょっとおかしな子だけど良い子だからよろしくね」
「ん。ああ」
「ほら、煌部君もそう言ってるんだから認めなって。私、応援してるから」
「……もう……」
そんなのじゃないのに……。
朔はあっさり認めちゃうし。
否定し続けてもあんまり意味が無さそう。
諦めろと言わんばかりに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
私は大人しく席に着いた。
隣同士の朔と舞桜が何か話しているのが凄く気になる。
距離があるから声までは聞こえない。
仕方ない。後で聞いてみるか。
そうやって、ぼーっと窓の外を眺めていると――
あ……。
1匹の蝙蝠が真昼の空に飛んでいる。
今朝、舞桜が言っていた蝙蝠の1匹だろうか。
蝙蝠はこっちを見て空中浮揚をしているように見える。
じっと見られているような気がして何故か嫌な気分になった。
不吉な感じというよりかは、妙なプレッシャーに近い何かを感じた。
なんで私が蝙蝠にプレッシャーをかけられなきゃいけないのか。
暫くすると、蝙蝠は何処かへ飛んでいった。
5時間目は数学だったが、先生が休みの為、自習になった。
比較的真面目なC組の生徒は、テストに向けて勉強をしていた。
私も一応真面目に勉強した。
英語を主にしたけど、あまり理解出来ず。
結局、50分もの時間をかなり無駄にした。
10分で人生は変わっても50分で頭の出来は変わらない。
6時間目は体育か……。
私は舞桜と一緒に更衣室に向かった。
「さっきね、煌部君になんで恋ちゃんを選んだのって聞いたらねー……。恋子しかいないと思ったからだって!言ってくれるよねー」
何、そのたまにちゃんと名前呼べるシステム。
「何言ってんだか」
私じゃなくても良い癖に。
私なんて、所詮命綱のうちの1本なだけなのに。
必ず最後まで残るってだけのただの命綱。
真っ赤な血という名の命綱。
「運命感じちゃったんだろうね。運命の赤い糸が繋がってたってことだよねー」
「赤い糸ねー。そんなロマンチックなものじゃないでしょ」
もし、本当に繋がっているのならそれは血に染まった糸だとしか考えられない。
「いーねーいーねー。私の運命の赤い糸は誰に繋がってるんだろうなー」
左手の小指を立てて、高く掲げてうっとりとして指先を眺めている舞桜。
恋バナになるとテンションが上がるのが、普通の女子というものの生態。
更衣室に付くと、そそくさと制服から体操服に着替え、グラウンドに出た。
合同じゃないけど、男子もグラウンドで同じく短距離走を行うらしい。
朔も誰かに借りたのか、指定の体操服をちゃんと着ている。
男子が走るのを女子は目を輝かせて眺めている。
朔が走る番になると黄色い声援が聞こえた。
「恋ちゃん、煌部君が走るよ。ちゃんと観ときなよー?」
私たちは男子が走るのを観るために此処にいるんじゃないんだけどなぁ……。
私たちも真面目に走らないといけないのに、先生も結構投げやりだし……。
“全員、走り終わったらいってくれ”って……。
まだ、C組女子20人中5人しか走り終わってませんけど。
「キャーッ!煌部君、超速ーい!カッコいー!!」
確かに速かった。
普通に速かった。
でも、そこまでみんな声を揃えてキャーキャー言うことかな……。
私はさっき、瞬間移動に近いものを見せられたからなんにも思わない。
「よーし、お前ら全員走り終わったなー?」
絶対ちゃんと見てなかったでしょ。
「じゃ、今から男女混合でリレーするぞ。とりあえず、テキトーに半分に分かれろ」
言われた通りに、私たちは男女比と運動能力等を配慮し、均等に20人ずつに分かれた。
私は朔とも舞桜とも同じチームになった。
「恋ちゃん、煌部君、頑張ろうね!」
舞桜は運動はあまり得意ではない。(私も人のことは言えないと思うけど)
でも、やる気だけはいつも誰にも負けない。
それが、舞桜の良いところ。
「位置について、よーい……ドンッ!」
第一走者がスタートした。
私たちのチームは赤組で、スタートはなかなか好調。
しかし、白組も負けてはいない。
一進一退の攻防が続く中、舞桜にバトンが渡された。
少しリードしていた赤組だったけど、どんどん差を詰められていく。
丁度、赤組と白組が並んだ時に次の走者にバトンが渡された。
「はぁ……。ごめんね、私のせいで差詰められちゃった……」
「大丈夫だって。まだ負けたとは限らないし」
しかし、白組の次の走者はなかなか足が速く、あっという間に赤組を抜かし、差を広げていく。
差が広がったまま、私にバトンが渡された。
一生懸命走るけど差は詰まらない。
50m、9秒4という決して足は速くない私だけど、必死に走った。
足がもつれるくらいに真剣に走った。
は……っ。
目線が下に落ちていく。
本当に足がもつれてしまい、私はそのまま地面に倒れた。
派手に転けた。
「青葉、大丈夫かー?」
先生が叫びながら、こっちへ走って来る。
なんとか、起き上がることは出来たけど、立ち上がろうとすると足が痛んで立てない。
先生が来る前に、朔が私のもとへ来た。
「大丈夫か、変子」
「あんた、いつの間に……」
「そんなことはどうでもいいだろ」
後から私のもとに先生が来た。
「煌部、青葉を保健室に連れて行ってやれ」
先生がそう言うと、朔は私を負ぶって保健室へ向かった。
「自分で歩けるのに」
嘘。
多分、今の私ならまともに歩けないと思う。
「無理するな」
「……」
思わず照れてしまい、朔の背中に顔をうずめた。
「ところで、保健室とは何処だ」
保健室の場所も分からない朔に私を任せる辺りも最上先生が如何にいい加減か分かる。
最上遊歌という名前からして、仕事をおざなりにしてそう。
でも、名前で人を判断してはいけない。
あと見た目でも決めつけちゃ駄目。
保健室に着くと、朔は私をベッドに座らせた。
「消毒液なら、多分あそこの棚にあると思うよ」
「いや、必要ない」
「でも、このままじゃ……」
戸惑っていると、朔は傷口を舐め始めた。
「ひゃ……っ。何やってんの……っ」
傷口から少し血を吸いながら夢中で舐めている。
くすぐったくて、私はベッドのシーツをぎゅっと掴んだ。
何故だろう。
こんなことされたら、普通は嫌で逃げちゃいそうなのに。
逃げられない。逃げたくない……。
「はい、治った」
「え……?」
見てみると、傷は綺麗に無くなっていた。
「なんで……?」
「忘れたのか。血を吸った時に傷を治したこと。あれと一緒」
「でも、それって朔がつけた傷だから治せたんじゃ……」
「血が出ていれば、どんな傷も治せる」
「そうなんだ……。初めて知ったよ」
ただただ感心した。
「この力を取り戻せたのは、お前のおかげだ」
「え、私のおかげって?」
「お前の血を吸ったことで、呪いで失われた力の1つ、治癒の能力を取り戻せた」
「治癒の能力……?他にはどんな能力があるの?」
「呪いで失われなかったのは、吸血の能力と瞬間移動の能力。だが、今はまだ吸血は普通の人間が軽い貧血になる程度、瞬間移動は通常の人間の視力で見える範囲しか使えない」
「つまり、今のままだったら大して凄い能力は使えないってことね」
軽い貧血になる程度って言ってたけど、私はなっていないから言ってみれば献血って感じ。
瞬間移動も見える範囲に気付かないうちに移動出来るだけだったら、足が速くて影が薄い子なら出来てもおかしくない。
「ああ。だから、能力を取り戻す為にも変子には協力して貰いたい」
「血を吸わせるだけで良かったら喜んで。でもそんな呪い、上司さんは何の為に……」
「理由は分からない。ただ呪いをかけた上司は、俺の母親でもある」
「え、お母さん……?」
魔術師、チェックメイト。
終焉四天王と呼ばれる、魔界での最高地位に君臨する者の1人であり、“絶望の女帝”の異名を持つ。
かつては、終焉四天王の他の3人と共に魔界終焉時代を造り上げ、魔界に住まう者たちを惨殺した。
魔界終焉時代が終結した現在(終わりが終わるとはまたよく分からないけど)は、魔界に住まう魔族の指導を行っている。
人間界で言うところの先生のようなことをしている……らしい。
そんな偉い方が朔の母親だってことにも驚いたけど、実の息子に呪いをかけるなんて一体、朔は何をやらかしたのだろう。
「母親は、俺に呪いをかけ、パートナーを見つけられなかった場合は俺を殺すつもりだった」
「あんた一体、何やったの……?」
「俺は何もしていない。悪いのはあいつの方だ」
「えーっと、もしかして……、親子喧嘩?」
魔界なら、喧嘩くらいで殺しにかかってもおかしくはなさそう。
「喧嘩?そんなものではない。あいつが一方的に悪い」
「喧嘩ってそういうものだよ。お互い、自分が正しいと思うから喧嘩になるんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。だから何かお母さんの気に障ること、言ったりしなかった?自分じゃ気付いてないかもしれないけど」
「そう言われれば、少しきつく当たっていたかもしれない。だが、あいつにも落ち度はある」
「はいはい、分かった分かった。お母さんに何されたの?」
頑なに母親が悪いことを主張してくる。
……子供か。
「……あいつは、あいつは――黙ってたんだ」
「何を?」
「あいつが、俺の本当の母親ではないことを……」
「え……」
まさか、そんな重い話だなんて思ってもみなかった。
そりゃあ、喧嘩なんてものじゃない。
きつく当たってしまうのも仕方ないかもしれない。
でも、そこからどうやったら殺意が芽生えるのか。
実の息子じゃなかったら死んでも構わないというのが、魔族の思想なのか。
でも、それなら何故今まで朔を息子として育てて来たのだろう。
色んな疑問が浮かんだけど、驚きが隠せず、何も言えなかった。
「俺とあいつに血の繋がりが無いことくらい、よく考えれば分かった話だ。父親は下級の吸血鬼だから、チェックメイトが俺の実の母親の場合、俺は魔術師のはずだ。位が高い程、子供の遺伝に影響しやすい。仮にそうでなくても、終焉四天王の息子なら上級の吸血鬼になっているはずだ」
朔は下級の吸血鬼であるから、終焉四天王という、魔界での最高地位に君臨する魔術師、チェックメイトが実の母親であることは有り得ない。
従って、朔とチェックメイトに血縁は無い。
「じゃあ、朔の本当のお母さんは……?」
「知らない。俺は実の母親に会ったことがない。ずっと、チェックメイトに育てられてきた」
「お父さんは?」
「仕事で単身赴任していて、滅多に会うことはない」
「仕事って、吸血鬼がなんの仕事するのよ」
「基本的には人間と変わらないんじゃないか?」
「へぇ……、なんか意外。もっとアニメっぽいこと、してると思った」
例えば、魔女が箒に乗って郵便配達してたり。
「魔界とは言っても、俺みたいに見た目は人間と変わらない者たちが多い。生活も昼夜が逆転しているだけで殆ど人間と変わらないはずだ」
「朔も本来は夜型なんだよね。今、活動しててしんどくないの?」
「今の俺は、吸血鬼としての力を殆ど失っている。吸血鬼としての体質も殆ど残っていない。だから、日光は特に苦にならない」
「じゃあ、力を取り戻したら……」
「今のように日中に活動をするのは難しくなるかもな」
「そっか……」
少し、悲しい気分になった。
たった1日、授業を一緒に受けただけなのに。
昨日まではいなかったのだから、元に戻るだけなのに。
一度得てしまうと、失いたくなくなる。
朔と過ごす時間を私は得てしまったから、もう失いたくなくなってしまった。
それはまだもう少し先の話なのに。
もしかしたら失うことはないかもしれないのに。
ていうか、朔自体を失う訳じゃないのに。
寧ろ、失おうとしても失えないくらい。
赤い血に染まった私たちの関係は簡単にはなくすことは出来ない。
赤い糸とは、そんなものなのかもしれない。