#01 『変』≒『恋』
花見シーズンも終わり、川沿いの並木道は綺麗な桜色に代わって、小さな可愛い赤い実の色が映えるようになった5月の中旬。
そろそろ夏服の姿も増えてきて、夏らしい日差しが川面をきらきらと輝かせている。
こんな景色が綺麗な郊外の学校、陽凛学園の高等部での生活にも慣れてきて、クラスのグループのまとまりもある程度出来てきたある日の朝。
私は遅刻の恐怖からか毎日毎日比較的早めに登校している。
早起きは結構得意だけど、遅刻指導で生徒指導室には絶対に行きたくないから安全策として。
この日もいつもと同じように早めに登校した。
あんまり早くに来ても友達がまだ誰も登校していないということが多いので、私は暇つぶしに雑誌を読んでいる。
アニメ専門雑誌の1つ『アニメshow!』は私が愛読している雑誌。
ただのアニメ専門雑誌ではなく、ファンタジー系のアニメについて特集している数少ない雑誌だったりする。
私はファンタジー系のアニメ、特に吸血鬼ものが大好き。
あの妖艶な容姿とあの鋭い牙に魅了され、いつの間にかはまっていた。
あんな美形男子に血を吸われたい……。
そんでもって自分も吸血鬼にされたい……。
なんて妄想をしていると――
「恋ちゃん、また変なこと考えてるの?」
中等部からの親友である扇木舞桜が横から私を覗き込むようにして、声をかけた。
「な、なんで分かったの……?」
毎回毎回、私の思っていることは私の友達ほぼ全員に見破られてしまう。
私の友達にはエスパーかメンタリストが多いのではないかと思うくらいに。
「だって、恋ちゃん顔に全部出てるし」
私、青葉恋子は思っていることがすぐに顔に出るタイプだったらしい。
私が分かりやすいだけでした。
「恋ちゃん、吸血鬼なんているかどうかも分かんないものに恋するの、もう辞めたら?」
「いや、絶対どこかにいる!私たちが知らないだけだって」
立ち上がり、目を輝かせて自信満々にそう言ってみせる。
「そうかもしれないけど、恋ちゃんが吸血鬼になるのはちょっと無理じゃないかな……」
何故かというと……
私は暗所恐怖症兼鳥目という超暗闇不適合者かつ、ニンニク入り餃子は普通に好きだし、逆に持久走の後とかに口の中に血の味がするのが大嫌い。血とか見るのも無理。
さらには貧血にさえなったことがない、まさに吸血鬼とは正反対の体質の持ち主だから。
「さすがにそれはそろそろ諦めてるよ。絶対向いてないし」
はぁ……と溜め息をつき、机に突っ伏した。
それでも吸血鬼の存在は決して否定しない。
何処かから湧き出る謎の自信。
根拠の無い、頼り無い。
「でも、そろそろ現実の恋も考えた方が良いと思うよ?いつまでもアニメとかドラマみたいな恋、追いかけてないでさ」
「だって憧れるじゃん。ああいうストーリー……。舞桜もそう思わない?」
「例えば――たまたま朝に一悶着あった男の子が実は転校生で、たまたま席は自分の隣の席で……とかいうタイプの?」
ああ、すごくありがちなストーリー……。
食パンくわえたドジっ子が曲がり角で――っていう少女漫画的なそれ。
頭の中に鮮明に浮かび上がる。
そういうのにはあんまり憧れは抱かないけど、これはこれで模範解答、かな……?
「まあ、そういうやつ。私が思っているのとは若干違うけどね……」
因みに私が思い浮かべるのは、そろそろ察せられてるかもしれないけれど、吸血鬼とのキケンでありながら甘い恋を……
「そういえば……。さっき路地裏で蝙蝠がケンカしてるの見たんだけど……」
一体、何の話……?
ていうか、見事に話題を転換された。
そして、綺麗に私の妄想もかき消された。
「それがどうかしたの?」
「恋ちゃん生物の成績良かったでしょ?何か分かるかなーって」
良いと言っても5段階で4だから中の上程度。
しかもそれは中学生の時点での話。
陽凛学園はそこそこの名門校だけど、その条件は舞桜も同じ。
私が特別、成績が良い訳でもない。
「蝙蝠がこんな朝から、しかもケンカって……。それ、本当に蝙蝠だったの?」
「うん。多分あれは蝙蝠だったよ。ケンカかどうかは分からないけどね。じゃれてただけかも」
蝙蝠→じゃれるというワードもなかなか結びつかないけど、蝙蝠→朝型というのもまた、ピンと来ない。
それは中学生レベルの学力しか持ち合わせていない私の固定観念なのかもしれないけど。
「まあ、あんまり気にすることでもないんじゃない?ただの蝙蝠の話だし」
「そうだったら良いけど。ほら、なんか蝙蝠って不吉で不気味な感じじゃん。何もなければ良いんだけど……」
確かに、あの風貌は不吉で不気味。
でも私たちに直接どうということは無いと思うけど。
舞桜は何をそんなに気にしているのだろう……。
舞桜は幽霊とかそういう非現実的なことは信じないタイプのはずなのに。
変に心配性な一面もあるし、勘も鋭いから何か察したのかもしれないけど。
キーンコーンカーンコーン……
朝の始まりと終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
みんな一斉に席に着いた。
1年C組の担任教師である香坂恵里が教室に入って来る。
学級委員が号令をかけ、起立し挨拶をして着席する。
そして、香坂先生が朝のSHRを始める。
「えーっと、今日からテスト2週間前に入るので皆さん勉強に励んで下さい!以上でーす」
と、何だか適当な連絡をすれば「それじゃあ、1限目の準備を始めて下さーい」と告げ、教室を出ようとする。
なんとまあ、通常運転。
学級委員の機械的な号令といい、担任のいい加減さといい……。
全く平素と変わらない。
「あ」
先生は、廊下に出たかと思えば何かを思い出したようで、慌てて教室に戻ってきた。
「ごめんなさいっ。忘れてました、転校生!」
廊下で待ってる転校生を見て思い出すってどれだけ適当なの……?
ただただ呆れた。
でも、転校生が来るなんて噂にも聞いていない。
普通、そういうのって噂とかになるものなんだと思ってた。
ていうか、高校に転校生という時点でかなり珍しい。
しかも、こんな時期に。
さらに言うと、ここは中高一貫私立校。
外部からの募集は数名してるだけで、転入とかは認めていなかったはず。
それなのに転校してくるとは訳ありっぽい。
「私、おっちょこちょいで……。ささ、入って」
先生はてへっ、と笑い転校生を招き入れた。
てへっ、じゃないよ。
忘れられてた転校生の気持ちも考えてあげなよ……。
しかし、転校生は怒りどころか、何の感情も見せずに無表情で教室に入って来た。
転校生の姿を見て生徒たちはざわついている。
特に女子生徒は。
転校生は、ざっと見て身長は175cm程で色白で細身の美形男子。
これはざわつかない訳がない。
衣替えの時期だけどまだ冬服で、長袖カッターシャツのボタンを2、3個開け、袖は捲っていて、ネクタイは緩く結んでいる。
1年でこんなに着崩して良いのかな……。
しかも転校早々で。
「んじゃ、自己紹介どうぞ!」
先生のテンションの高さに戸惑っているようにも見えないけど、転校生は黙ったまま。
「あれ?ほら、自己紹介!転校生は初めに自己紹介が鉄板でしょ?」
それでも相変わらず無表情のまま黙っている。
「先生が代わりに言ったら?彼、恥ずかしくてなかなか言い出せないみたいだし」
見かねた1人の生徒が口を開いた。
「そ、それがねー……。私、彼の名前知らないの……」
先生はまたてへっ、と笑ってみせた。
名前も把握してないとか、一体どうなってるの……。
「……名前…………」
転校生が初めて口を開いた。
「そうそう、名前。名前、みんなに向かって言っちゃって!」
「……煌部朔」
聞き慣れない珍しい名前。
何処の地域の名前だろう……。
「えっと……漢字はこれで合ってる……かな」
黒板に名前を書き、本人に確認をとると、煌部君は静かに頷いた。
聞き慣れない名前の漢字を一発で書いてみせる辺りはさすが国語科教師といったところ。
「煌部君は前は何処に住んでたのかな?」
「……ま……か、海外……」
ああ、だからか。
自己紹介って日本語を理解してなかったから黙ってたんだ。
確かうちの学校、留学制度があったはず。
じゃあ、転校ってより留学って感じ?
なるほどなるほど。理解理解。
「……言葉、よく分からない。でもよろしく……」
と、煌部君は続けた。
名前が漢字表記で読みも日本語読みってことは日本人かな。
まあ、顔立ちからして日本人か。
でもずっと海外暮らしなら日本語って、分からないもんなんだ……。
「じゃあ、みんな煌部君に日本語、教えてあげてね!」
みんな声を合わせて「はーい」と。
国語科教師なら、自分が教えれば良いのに。
転校生といえば、さっき舞桜が言っていたことを思い出す。
まあ、煌部君と朝に一悶着はなかったけど、そんな筋書き通りにはいかないはず。
偶然にも私の左隣は(欠席の為)空いている!
煌部君がここに誘導されれば……!
私の望むのとはちょっと違うけど、まあいいや。 煌部君なら全然OKだよ!!
私が吸血鬼以外にときめくなんて……。
「じゃあ、席は……」
来い!私の隣!!
「その列の後ろから2番目の空いてる席ね」
私の隣ではなかった。
その席は舞桜の隣だった。
舞桜は微笑みながら煌部君に「よろしくね」と声をかけていた。
舞桜の隣も欠席の為、空いていた訳だけど。
登校拒否気味の奴の席は別に他に誰か座っても良いって考え?
私の隣は体調不良で欠席だから明日には来ると思うし。
やっぱり、アニメとかドラマみたいなことは起きないものなんだね……。
私は1限目が始まるまで終始、落胆していた。
1限目、英語。
私の最も苦手な教科。
正直、将来海外進出する気が全く無い私には必要の無い教科だと思っている。
国内のみの活動なら日本語さえ人並みに理解出来ればそれで良いんじゃないかなと思う。
1年の間は必修だから仕方ないけど、2年以降は選択だから絶対に履修しない。
そういえば、煌部君は海外暮らしが長かった訳なんだから英語とか余裕でペラペラなんだろうなあ……。
「じゃあ、この問題、煌部君分かる?」
早速指名される煌部君。
煌部君は立ち上がって「I should have taken my mother's advice.」と流暢に答えた。
さすが留学生!(多分……)
先生より発音良いくらいだよ!
なのにわざわざ日本語を勉強しようとする神経がよく分からない。
英語が出来るならそのまま海外にいれば良かったのに。
因みにさっきの英文の意味は「私は母親の忠告を聞くべきだったのに」らしい……。
全く理解してませんでした。
本当にhaveの多様性にはいつも苛立ちを覚える。
1つの単語にそんなに沢山の意味を詰め込む必要無いでしょ……。
可哀想じゃん。
はあ、このままじゃ高等部に入って初のテストでいきなり赤点だよ……。
中等部はどんなに酷い点数を採っても義務教育だから進級出来たけど、高等部はそうはいかない。
このままじゃ留年の可能性も……。
あー、高等部も義務教育だったら良かったのに。
そんな甘えたことを考えて、板書もろくにせずに窓の外を眺めていると……
「青葉さん。この問題、分かる?」
と、不意打ちの指名。
「は、はいっ」と、慌てて立ち上がった。
問題の内容は「If you can dream it,you can do it.を和訳せよ」と。
何これ……。
もし、貴方が夢……それ、出来れば?
どういうこと?
よく見たら発展問題じゃん。
こんなの私に分かる訳ないでしょ……。
「わ、分かりません……」
と、赤面しながら着席した。
「これは、「夢を見ることが出来れば、それを実現することが出来る。」という意味です。この言葉はウォルトディズニーの遺した言葉です。みなさん、覚えていて下さい」
そういう意味なんだ……。
良い言葉だなあ。
ふむふむと、とりあえず感心の一言。
どんな夢でも実現出来るなら、私のずっと夢見てきたことも実現するんじゃないかな、なんて。
こんな馬鹿みたいな夢を叶えてくれる程、神様もお人好しじゃないよね。
でもなんか、いつまでも夢を見るのも悪くないかなって思った。
私はノートの隅にこの言葉を書いた。
この授業唯一の板書だった。
授業の最後に課題の範囲を発表して、チャイムが鳴ると、先生は教室を後にした。
英語の授業はいつも終わりの挨拶をしない。
先生は、私たちが挨拶をする間も与えずにそそくさと教室を出て行く。
挨拶を拒むかのように。
終わりの合図を聞きたくないと言わんばかりに。
英語科教師、美月千景は何故かいつもそうしている。
その後の10分の休み時間は次の授業の準備をして、舞桜と雑談して過ぎていった。
朝はあれだけみんな騒いでいたのに、みんな煌部君と話したりしていなかった。
確かに綺麗で整いすぎてて近寄りにくいところがあるけど。
それでも、誰か1人くらい話しかけたって良いと思う。
英語出来る子、いっぱいいるのに。
舞桜も喋れる程かは分からないけど、英語の成績は良かったはず。
でも、特に話すことが思いつかないという訳で話していなかった。
それから、2限目に世界史、3限目に化学、4限目に古典とその間にそれぞれ10分ずつの休憩を挟んで、退屈と休息の繰り返しで午前中を終えた。
昼休み。
私はいつものように舞桜のもとに弁当とケータイ等を持っていき、昼食を取り、たわいもない会話を繰り広げる。
「いや、本当に英語意味分かんない!あんなの必要無いでしょ」
「将来、必要になってくると思うよ?こんなグローバル社会なんだから」
「だから、私は海外進出する気無いんだって。日本で一生暮らすよ私は。ほら、愛国心だよ。日本loveみたいな?」
と、得意気に言った後に気付く。
loveは英語だと。
「恋ちゃん、英語禁止ゲームは出来そうにないね」
舞桜はクスクスと笑った。
なんだかんだで、現代の日本人にとって英語は必需品らしい。
切っても切り離せないものになってしまった。
あー、なんで江戸時代の日本人、開国なんてしたの……。
恨むよ本当に。
「でも、勉強しないとなぁー……」
溜め息混じりにそう言って、怠そうに手を頭の後ろにやり、椅子にもたれかかった。
「頑張って!いざとなったら、私も協力するから」
「ありがと舞桜。助かるよ……」
やっぱり、持つべきものは友達だと痛感する。
「いいよいいよ。あ、そうそう。現代文のノート見せて貰っていい?この前休んでた分、まだ書けてないんだよね」
「オッケー。ちょっと待ってて」
また英語を使ってしまった。
もういちいち突っ込んでいられない。
そんなことは置いておいて。
ノートを取りに自分の席に戻り、鞄を探っているときに気がついた。
あれ、アニメshow!が無い……。
もう一度よく見てみるけど、やっぱり無い。
朝、読んだきり触ってないし、何処かに落としちゃった……?
教室からは出てないから落としたのならその辺にあるはず。
辺りを見渡すけどそれらしき物は落ちていない。
「ん。アニメshow……?」
「あー、その雑誌、青葉のやつだよ多分。あそこにいるやつが青葉だよ」
という会話が耳に入ってきたので振り返ると、煌部君が私のアニメshow!を持って、私の背後に立っていた。
「あ!それ、私の!どこにあったの?」
「落ちてた。俺の席の横に……」
と言って私に手渡してくれた。
「ありがとう!探してたの!」
「名前……。アオバヘンコって言うのか?」
「は?」
「ここに書いてるの、名前?アオバヘンコ……」
大事な物には名前を書けという教えを真面目に守って、アニメshow!にもちゃんと名前を書いておいた。
「ちょっと、ヘンコって何?ヘンコって。私の名前は青葉恋子。アオバレンコ!」
珍しく英語以外にイライラしている。
名前を間違えられたら、誰だってイライラするもの。(多分……)
「でも、この字、ヘン……」
「もしかして、『変』と間違えてる?この字は『変』じゃなくて『恋』!恋愛の『恋』!」
と、紙に書いて説明した。
「え、同じ……」
しかし、理解して貰えず。
漢字も分からないのか。
いや、それなら『変』も分からないはず。
もしかして、わざと……?
青葉恋子と青葉変子
うわっ、字面そっくりだわ……。
「もう、いいわ。とりあえず、私の名前、変子じゃなくて恋子だからね」
諦めました。
「変子……」
「だから恋子だって!」
やっぱりわざとだ。
この転校生……。
「ちょっと来てくれ」
「なんで?」
「いいから」
言われるがまま彼について行った。
階段を上って、最上階まで来ると、屋根裏の扉みたいなのを開けて、そこから梯子を出して、さらに上っていき屋上に到着。
あんな隠し扉、中等部からこの学園にいるのに、存在自体知らなかった。
「なんで、あんなの知ってるの?転校して来たばっかりなのに」
「今朝、此処から入ったから」
「は?なんで?どうやって?」
「普通に此処に降りて」
何?ヘリとか使って?
じゃあ、コイツもしかして大金持ちの御曹司とかだったり?
「アンタ、なんで此処に来たの?やっぱり留学とか?」
「校内ぶらついてて、たまたま立ち止まったらあの女が突然、転校生とかなんとか言ってきたから成り行きでそういうことになった。俺はそんなつもり無かったが」
あの女……?
香坂先生のこと?
「全然、意味分かんない。じゃあ何。もともとうちの生徒なの?」
「違う」
全く分からない。
じゃあ一体コイツは……?
と、ふと、あることに気が付く。
「ていうか、日本語全然普通に喋れるじゃん!」
もしかして、海外暮らしも嘘?
「ある程度は習った。ただ、分からない言葉が人より多い」
「例えば、『変』と『恋』の違いとか?」
イヤミたっぷりに言った。
「あれは分からない。同じだ」
それもこんなにクールに返されるとこっちが辛くなる。
「違うわ!意味が全く違う!」
「意味なんてどうでもいい」
「どうでもよくない!『変』=『恋』が成立してたまりますか!」
いや、ある意味成立してるかも……?
『変』≒『恋』くらいは許容範囲かもしれない。
「そんなことより、何の用なの?危うく聞きそびれるところだったけど」
その後数秒間、静寂が続いた。
「……なあ。1つ聞いて良いか」
謎の間を空けた後に、屋上を取り囲むように設置されているフェンスにもたれかかって、彼はそう言った。
こっちが質問しているのにも関わらず。
「……何?」
何処か緊張感を感じて、息を呑んだ。
「――俺が、明日死ぬって言ったら、お前どうする?」
「は?何、言ってんの……?」
いきなり明日死ぬって……どういうこと?
そんなこと、転校して来て突然、それを差し引いたとしても、屋上なんかに私を呼んで、なんで私に言うの……?
たまたまちょっと喋っただけなのになんでそんな大事なこと……。
私じゃないといけないの……?
でもコイツ、さっきから散々私のこと馬鹿にしてるし……。
これももしかして嘘……?
「そんなこと言って、どうせ嘘なんでしょ。人がいつ死ぬなんて分かるはずないじゃない」
「本当だ。嘘はついてない」
「もし、本当だとしても私は何も出来ない。ご愁傷様ってだけ」
死ぬということが決まっているのなら、その運命を私が変えられる訳がない。
でも、どうして明日死ぬって分かるの……?
殺害予告でもされた?
それは、あくまでも予告なんだから決定はしていない。
じゃあ、確実に明日死ぬってどういう……。
え……、まさかそういうこと……?
私の脳裏にある可能性がよぎった。
此処は地上15m程の屋上。
そして、男子なら頑張れば越えられるフェンスにもたれかかる彼。
もしかして、コイツ、明日此処から……!?
「明日の午後12時30分丁度に、俺は死ぬ。運命に殺される。――自分に殺される」
「待って。なんで、どうして死なないといけないの?」
「そういう運命だから」
「そんなこと、どうして私に……?」
「――お前なら、俺を助けられる……助けてくれると思ったから」
私に助けることなんて……。
「私に何が出来るって……」
「お前にしか出来ない。お前にしか俺を助けることは出来ない。だから、助けてくれ……」
私にしか出来ないって……。
ちょっと大袈裟な気が……。
でも、そこまで言われると断るに断れない……。
心の底からの悲痛な叫び、心の底からの懇願だと私は何処かで認識した。
「……分かったよ。私は何をしたら良いの?」
「……俺のパートナーになってくれ」
「はい?」
パートナー?
パートナーって相方?お笑い芸人とかの?
それでどうやったら助けられるの?
もしかしてコイツ、お笑い芸人になりたいの?
差し詰め、親に反対されて、家出とかしたんでしょ。
そこからのこの決断?
どれだけお笑い芸人になりたいのよ……。
反対されたからって死のうとするなんて。
「パートナー……って?」
「変子なら受け入れられるか……」
「誰が変子じゃ!」
おっと、良いツッコミを入れてしまった。
こりゃ、ツッコミの素質があるやなんやで見込まれちゃったかも……?
「で、アンタがボケで私がツッコミのコンビを組みたいと?」
「ボケ……?ツッコミ……??」
言葉の意味、理解してない?
あれ、じゃあお笑い芸人になりたいんじゃないの……?
「お前、何か勘違いしてる……?」
「じゃあ、パートナーって一体……」
「パートナーっていうのは……専属の餌ってこと。だから、変子、俺の専属の餌になってくれ」
餌?
しかも専属って……。
つまりは、良いように使わせてくれってことだよね?
「そ、そんなの誰がはい、良いですよーなんて言うと思ってるの?嫌よ絶対に!」
「それが、変子の夢を叶えるものでも同じことを言うか?」
1回ツッコまなかったくらいで図に乗りやがって……。
良いように変子変子言ってくれるじゃない。
で、なんでコイツが私の夢を知っている?
夢って程のものじゃないけど。
吸血鬼に血を吸われたい。
その願いを煌部朔は叶えられるというの……?
どうせまた、私をからかってるだけだろうけど。
「私の夢、何か知ってるの?」
「吸血鬼に血を吸われること。顔に出てる」
そんなことまで顔に出てるって、超恥ずかしい……。
思わず赤面した。
「そんな夢、夢なんて程のものじゃない」
「そんなこと分かってるよ。ただの憧れ」
相変わらずこの転校生は冷めている。
「憧れる必要も無い。……そんな簡単に実現出来ること」
「え……?」
どういう、こと……?
「俺のパートナーになること。つまり――俺に毎日血を吸われること」
ということは――
「え……。じゃあ、アンタもしかして……!」
「吸血鬼。正真正銘本物の」
嘘でしょ……?
まだ私をからかうの?
あれだけ自信満々に吸血鬼の存在を肯定してきたけど、自信は得体の知れないものだったし、本当にそろそろこんなこと思い続けるのは辞めようと思ってたのに。
そんなのいるはずないってさすがにもう分かりきってたし。
「そんなバレバレの嘘、ついて何になるって言うのよ……」
「なんで嘘って言える。まだ何もしていない」
そんなの嘘に決まってる……。
でも……
「……じゃ、じゃあ、私の血……吸ってみなさいよ……」
身体は意志に反して勝手に動いた。
私は、シャツのボタンを少し開け、首筋が見えるようにしてみせた。
「それは、パートナー契約を認めるってことか」
え……?
今の何?瞬間移動……?
いや、そんなはずない。
なんの小細工なの……?
彼と私との距離は10m程あったのに、気付いた時には彼は私の傍まで来ていて、耳元でそっとそう囁いた。
「……仮、ね」
もう半分信用してしまっていた。
確かに多少の期待はあった。
このチャンスは、逃してはいけないと直感していた。
「分かった」
あんなのダメ元で言ったはずなのに……。
その言葉のすぐ後、首筋に何か鋭利なものが刺さるような痛みがした。
思わず変な声が出てしまった。
針……?いや、違う。
小刻みに至近距離でかかる息で、鋭い牙で噛みつかれていることが分かった。
全身から力が抜けていくような感じがする。
生命エネルギーを抜かれていくような……。
痛みはするし、脱力感も感じるのに何故か気持ちいい……。
快感、という感じがした。
こんなの、初めて……。
今の私、どんな顔してるんだろう……。
すがるように、求めるように今出せる全ての力を出して彼を抱き締めた。
とろけるような気持ちになった。
彼が私の血を飲む音、彼の心臓の拍動、彼の呼吸音……。
騒がしいはずの昼休みに、何処までも静かな屋上で私の耳に入ってくる音はそれだけだった。
ああ、血を吸われるって、こういうことなんだ……。
「……これで、嘘じゃないって納得したか?」
彼は私の首筋から離れると、流れ出た血と共に傷口を舐めて傷を無かったことにしたように綺麗に元通りにさせた。
「まさか、本当に吸血鬼が存在してたなんて……」
「嬉しすぎるってか」
「なんで分かるの……」
「顔に出てる」
やっぱり。
どうにかならないかな……?
心の内を全部悟られるのはちょっと……。
「それで、本契約する気にはなったか?」
「いいよ、別に……」
「何故、拒否する?」
「え?私、別にいいって……」
「だから、何故、拒否する?」
「あ、この<いい>っていうのはオッケーって意味の<いい>だから。アンタのパートナーになってあげるって」
日本語って難しい……。
結局、英語で説明する羽目に。
「規約を聞く前に契約するとはなかなかガードが甘いな、変子」
「規約なんてあるの?ていうか、そういうのって契約する前に説明があるものじゃないの?」
「何、簡単なものばかりだ。心配するな」
これで年会費とかお金が絡んだら詐欺じゃん。
まあ、もう何でも良いけど。
「で、どんなの?」
と、私が言うと、彼はポケットから規約が書かれているであろうと思われる紙を取り出し、読み始めた。
「1.As a general rule……」
「え、何?今、なんて言った?」
今の英語……?
全く何言ってるのか分からなかった……。
「あ、日本語の方が良かったか?」
「出来れば……。ごめん……」
無教養ですいません。
「少々、片言になるが気にするな」
「うん。分かった」
さっきの文章を和訳してくれた。
「1.原則としてパートナーになった者は、契約主に毎日、血を献上すること。
2.パートナーとなった者は契約主以外の吸血鬼に血を献上しないこと。
3.契約主はその命が尽きるまでパートナーの命を保証すること。
4.契約主とパートナーはやむを得ない理由が無い限り共に生活すること。
5.契約主とパートナーは実質的な、ロマンチック関係を持つこと。以上」
片言感ゼロで読み上げてくれた。
しかも即興で和訳してくれた。
「え、最後の<ロマンチック関係>って何?」
他にもいろいろツッコミたい箇所があるけど、とりあえず、一番気になったのをピックアップ。
「訳、間違えてたか」
と、原文を見せてくれた。
「romantic relationship」という文の訳らしい。
見せられたところで私に分かるはずも無く……。
ケータイの翻訳サイトに頼った。
「えっと……、「恋愛関係」って意味らしいよ。って、え!?恋愛関係を持つって……」
いや、4番の時点で同居しろってことだから薄々感づいていたけども。
「同意してくれるか?」
「え、アンタは良いの?」
「断る理由が無い」
良いんだ……。
まあ、命には換えられないか。
「私が嫌だって言ったら?」
「その時は俺が死ぬだけだ」
「じゃあ、いいよ。いや、同意します。って言った方が良いかな」
「……助かった。こういう時は、なんて言うんだ……?ありが……とう?」
「お礼なんていいよ。私は殆ど何もしてないし」
「これからよろしく。恋子」
なんだ、ちゃんと呼べるんじゃん。
「俺のことは、朔と呼んでくれ」
「え、いきなり名前で?」
それじゃ、本当に恋人同士みたいじゃん……。
実際の関係は違うのに。
「俺は初めから呼んでいる。それに、契約主とパートナーという関係になった者たちは皆、名前で呼び合っている」
そういうものなんだ。
ていうか、吸血鬼ってそんなに沢山いるの?
じゃあなんで今まで巡り会えなかったの?
あ、気付いてないだけか……。
「じゃ、じゃあよろしく。……朔」
男子を名前で呼んだことなんてなかったから、結構緊張してしまった。
それなのに……。
それなのに…………!
朔はいきなり、なんの前触れも無く、なんの躊躇も無く――私にキスした。
え……?
突然過ぎて何も抵抗が出来なかった。
確かに私の唇と朔の唇が重なってる感触がする。
ほんのり血の味もする。
私の血の味。
朔の味と混ざってる……。
こんな味なんだ……キスって。
……なんて感心してる場合じゃない!
私にとってこれが勿論、正真正銘のファーストキス……!
それを、いとも簡単に、こんなにもあっさりと奪われてしまった。
「い、いきなり何するのよ!」
思わず突き放してしまった。
「正式に本契約しただけだが」
分かんない……。海外暮らし、もとい、吸血鬼の風習分かんない……!
それに何?このクールな対応……。
キスした後とは思えない……!
それで、キス=契約のサインって……。しかもファーストキス……。
私のファーストキスは憧れの吸血鬼に捧げるって決めてたのに……。
あ、コイツ、吸血鬼か……。
じゃあ、結果オーライ?
「そ、そんなの認めてたまりますか!」
結果オーライな訳が無い!
「もう契約は完了したが……」
「あ、そっちの意味じゃなくて……。ていうか、あれで完了したんだ……」
突き放しちゃったのに。
「今更、無かったことには出来ないぞ」
「それは納得だって」
「じゃあ、一体何が不満なんだ?」
「き、キス……」
「初めてだったのにって?いくら契約でも俺じゃ嫌だったか」
「別に」
むしろ嬉しいくらいだし。
ていうか、初めてって悟られてるし。
また顔に出ちゃってたのかな……。
「でも、名前で呼び合って、さらにキスなんてしたらもう本当に恋人同士じゃん」
「キスは日本では日常茶飯事ではないのか」
「少なくとも、挨拶とか契約とかでキスはしないかな」
「じゃあ、この歳でキス未経験というのは普通のことなのか」
なんかちょっとイヤミっぽい。
「普通かどうかは知らないけどね」
まあ、高校生にもなったら普通に普通の生活してたら、普通に恋人が出来て、普通にキスしてると思うけど。
ということは、私は普通じゃなかったってことか……。
確かにこんな形でファーストキスを経験するのは全く普通じゃないよ。
全く、全く普通じゃない。
突如現れた転校生、煌部朔。
彼の正体は私がずっと憧れてきた正真正銘の吸血鬼だった。
そんな彼と私が一悶着あった末に、私は彼のパートナー兼、認めたくはないけど恋人になった。
私が夢見てきたことが呆気なく、思いもよらぬ形で叶ってしまった。
If you can dream it,you can do it.
夢を見ることが出来れば、それを叶えることが出来る。
この言葉は本当だった。
さすがウォルトディズニー。
夢が叶ってめでたしめでたし、と言いたいところだけど、私たちはこの先どうなっていくのか……。
平和で平凡で冴えないけど、それなりに充実していた今までの生活に終わりを告げ、先の見えない暗雲低迷な生活が始まったのだった――