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名前?

 丹羽さんとのデートは、それからも休日の昼間ばっかりだった。

 喫茶店でお茶をして、二時間もすればさようなら、って。

 リョウとは、確か……付き合うようになって、三回目のデートでキスをした。あれが、私のファーストキスだったわけだけど。

 それに比べて、丹羽さんは奥手なのか、手を握ってくることもないし。

 じれったいという思いで見ている私の視線に気づいても、彼は穏やかに微笑んでいるだけだった。



 そんな付き合いのさなかに、誕生日を迎えた。

 誕生日には仕事が忙しいって、会えなかった。リョウだったら、前倒しでプレゼントしてくれたのに。それも、なかったし。

 これは、丹羽さんの二敗。

 って、思いながら、クレンジングを終えた顔を鏡に写す。

 一日の仕事にくたびれた顔が、私を見返す。あ、顎のラインに吹き出物が出ている。


 これは……丹羽さんが、どうこうではなしに。私自身に魅力が無いの? 手も繋ぎたくないほど?

 三十三歳、だし。世間で言う”クリスマスケーキ”どころか、”大晦日”をも過ぎた。


 いけない。いけない。

 私自身が、負けててどうするの?


 もっと綺麗になって。丹羽さんを、虜にしなきゃ。


 まずは、パックと……サプリメント。



 誕生日から十日以上経った次のデートのとき、思い切って夕食に誘った。

 女から、こんなこと言わせるなんて、丹羽さん、一敗。って、思いながら。

「稲本さん」

「はぁい?」

「食事を一緒にするのは、早くないですか?」

「はぁ?」

 ちょっと待って?

「言ってる意味がぁ、解らないんですけどぉ?」

「まだ付き合っていない段階では……」

「付き合ってないってぇ?」

「え?」

「あれぇ?」

 互いに顔を見合わせた。

「俺、まだ”お付き合い”を申し込んでませんよね?」

 そう、だったっけ?

 今までのやり取りを思い出そうとするけど……やだ。何を舞い上がってたのだろう。何も覚えていない。

「稲本さん」

 名前を呼ばれて顔を上げると、丹羽さんがちょっと緊張したような表情で私を見下ろしていた。

「改めて、俺と結婚を前提にお付き合いしてもらえますか?」

「はぁい」

 喜んで。



 夕食には、まだまだ早い時間だったので、この日もまずはお茶をしに店に入った。

「丹羽さんってぇ、コーヒーがぁ苦手なのにぃ、どうしてぇ、いつもおいしいお店をぉ知ってるんですかぁ?」

「飲めませんけどね、香りは好きなんです」

 そう言いながらメニューを差し出す丹羽さん。

「香りを楽しむために、あっちこっちの喫茶店を渡り歩きましたから」

「へぇ」

 じゃぁ、遠慮なく。

 今日は、どの銘柄にしようか。



「あの」

 コーヒーに口をつけたところで、丹羽さんが声をかけてきた。

「はぁい」

「早速ですけど。名前、で呼んでもいいですか」

「ええとぉ」 

「あ、調子に乗りすぎですかね?」

 そこで、引かないでください!

「いいえぇ。そんなことぉ、ないですよぉ?」

「じゃぁ、登美さん」

「あ、」

「え?」

「できればぁ、『トミィ』ってぇ、呼んでほしいなぁ」

「トミィ?」

「はい」

 思いっきりいい笑顔で返事した私を、マジマジと見つめる丹羽さん。っと、私も名前で呼んだほうがいいのかな?

「あの、登美さん」

 だから……トミィだってば。

「それ、誰が始めた呼び方です?」

「ええっとぉ」

 昔の彼氏、って言っちゃうのは、拙い?

「俺には、『登美』と、呼ばせてもらえませんか?」

「どうしてぇ? 私はぁ『トミィ』ってぇ、呼んでほしいのにぃ」

「『トミィ』は、英語圏では、男性名ですよ?」

「へ?」

「トーマスの愛称ですね」

 そう言われて……顔のついた青い機関車が、頭の中を走り抜けて行った。


 リョウの、大馬鹿!

 あんたなんて……全敗よ!



「それに、多分、登美さんのご両親も何か意味があって名づけたと思いますし」

「意味ぃ、ですかぁ?」

「ええ。名前って、親の願いとか、いろいろなものが込められてるそうですよ」

「丹羽さんもぉ?」

「慎之介、です」

「慎之介ぇ、さぁん?」

「言いにくければ、呼び捨てでもいいですよ」

 慣れない呼び方に戸惑う私に微笑みながら、慎之介さんがストローに口をつける。

「俺の場合は、誠実な男に、ってことらしいです。ま、読んで字のごとく、ですね」

「そうなんですかぁ」

「”慎”が、慎む、ですからね」

 うん、まぁ。確かに誠実、かも。 

 今日、この店に来るまでのやり取りを思い出して、顔がほころぶ。

「登美さんも、一度ご両親に訊いてみればいかがです?」

 今度、帰ったとき。訊いてみようか。 


 初めての慎之介さんとの食事は、こぢんまりとした洋食屋だった。

 慎之介さんのお勧めのオムライスを注文する。

 デミグラスソースのかかった黄色のふわふわ玉子に、思わずつばを飲み込む。

「登美さん」 

 呼ばれて顔をあげると、嬉しそうに微笑んでいる彼。

「お気に召しましたか?」

「はいぃ」

「良かった」

 そう言ってスプーンに手を伸ばした彼に倣って、私も一口。

 ふふふ。美味しい。



 食事、が解禁になって、少しだけデートの回数が増えた。互いの仕事の後でも、会える。

 相変わらず、キスの一つもないのが不安、というか、不満だけど。


 クリスマスを翌週に控えた土曜日。

 私の会社の忘年会が夕方にあるせいで、この日は久しぶりに昼間のデートだった。 

 いつものように、お茶をして。クリスマスムード溢れるショッピングモールへと足を伸ばす。

 初めてつないだ手に、くすぐったい感じがする。

 なんていうか……慎之介さんのペースにすっかり取り込まれてるなぁ。

 出会ってからの時間を考えたら、とっくに寝ててもおかしくないのに。手をつないだだけで、舞い上がるなんて。

 緩みそうな口元を意識しながら歩いていると、くいっとつないだ手が引かれて、立ち止まる。


「キリ?」

 小学生くらいの男の子を連れた男性に、驚いたように声をかけた慎之介さん。

 切れ長の目をした男性が、慎之介さんをマジマジと見てから、確かめるような声を出した。

「……ピヨ、か?」

 ぴよ?

 内心で首をかしげている私をよそに、慎之介さんが返事をする。

 そして、

「久しぶりだな」

「ああ」

 互いにそんなことを言い合いながら、ハイタッチをしている。『気心のしれた』って言葉がしっくり来るような二人に、何故か羨ましさを感じる。


「ピヨ、彼女?」

 『キリ』と呼ばれた彼が、慎之介さんの肩を小突きながら尋ねる。

 慎之介さんが、照れたように笑いながら頷く。繋いだ手に、かすかに力がこもる。

「キリは……子供?」

「息子の貴文、だよ」

「って、お前、幾つの時の子だよ?」

「うーんと。二十……三? いや、四か」 

「はやっ!」

「まぁ、いろいろあってな」

 キリさんが笑う。息子の頭をグリグリ撫でる左手の薬指で、指輪が光る。

「嫁さんは?」

「仕事中」

「で、キリが子守りか」

「まぁな」

 できちゃった結婚したものの、リストラに遭っちゃって、ってパターン? 男として情けないし、そんな男を選んだ奥さんも……ねぇ。

 それに比べて、きちんと仕事をしてる慎之介さんは格好いい。


 なんとなく勝った気分の私を、キリさんの息子は、父親とよく似た切れ長の瞳でじっと見上げていた。



 『また、飲みにいこうな』なんて言葉でキリさん親子と別れて、数歩進んだところで、

「くっそ。キリにやられた」

 慎之介さんが悔しそうに顔をしかめた。

「どうしたんですかぁ?」

「飲みにいこうとか言って、あいつ、連絡先も言わずに……」

 立ち止まって振り返る慎之介さんに釣られるように、私も後ろを見る。

 

 親子は、エスカレーターにでも乗ったのか、その姿を見つけることはできなかった。 


「まったく。相変わらず、人をその気にさせるのだけは、うまいんだから……」

 慎之介さんは、不満そうにブツブツと文句を言っている。

「その気にさせるぅ?」

「ええ。舌先三寸で人を丸め込むのが、妙にうまい男なんですよ。俺に、ほうじ茶を勧めた奴です」

「あぁ、高校の同級生ぇ?」 

「一緒にバレーをしていた奴です」

 『キリがセッターで……』とか、話を続ける慎之介さんの言葉を聴いていて、ふと、思った。

「慎之介さぁん、さっきとぉ、言葉遣いがぁちがいますよねぇ?」

「え?」

 思わぬことを言われた、って顔で私を見る彼。

「キリさん? とはぁ、もっと普通にぃしゃべってたでしょぉう?」

「普通、ですか?」

「はいぃ。敬語じゃなくってぇ、普通にぃ。私にもぉ、そうやってぇ、話してほしいなぁ」

 背の高い彼を覗きこむと、首をかしげて考え込んでいた。


「登美さん」

「はぁい?」

「じゃあ、登美さんも普通に話しなよ」

「私、ですかぁ?」

「そ。その……バカみたいに語尾を伸ばすのやめたら?」

 バカみたいって。

「ひどい!」

「十代の娘なら、カワイイで済むけどさ。三十超えたら、頭の造りを疑われるよ?」

「慎之介さん、もぉ?」

 私の事、馬鹿だって思ってるの?

「さぁ? どうだろね」

 否定もせずに歩き始めた彼を慌てて、追いかける。


 クリスマスプレゼントを見れたらいいな、なんて家をでるときには思っていたけど。

 その日は、そんな気分にならなくって。そのまま、駅前でサヨナラをした。



 『バカみたい』って彼の声が心に渦巻くまま、忘年会に出かけた。

 同じテーブルになった人たちと話をしようと口を開きかけては、『普通に話すって、どうするんだったっけ?』って戸惑う。

 戸惑いをごまかすようにビールに口をつける。

「稲本さん、どこか調子わるいんですか?」

 ビール瓶を差し出しながら、四歳年下の森山さんが声をかけてきた。

「えぇ? そう、見えるぅ?」

「うーん、いつもより口数が少なくないですか?」

「そんな事ぉ、ないけどぉ」

「じゃぁ、彼氏のことでも思い出してるんですか?」

 横から、今年の新卒で入ってきた木下さんが口を挟んできて、思わずビールを吹きそうになった。

「いきなりぃ、なにぃ?」

「お昼にデートしてる所、見ましたよ。手をつないで」 

 ショッピングモールに居ましたよね、なんて言われて、顔から火が出た。


 うそ。これぐらいのことで、照れる私じゃなかったのに。


 照れ隠しにビールを一気に煽る。

「ねぇ、稲本さんの彼氏って、どんな人だった?」

「背が高くって……」

 勝手に慎之介さんのことを話している木下さんの言葉を聞きながら、手にとったお箸をカチカチいわせる。

 確かに。

 この二人の会話、語尾が伸びてない。


「ね、稲本さん?」

「えっ?」

 いきなり名前を呼ばれて、びっくりした。 

「あれ、聞いてなかったんですか?」

「ごめんねぇ」

 あ、語尾……。


 賑やかに話す後輩二人の言葉に、相槌を打ちながら、心のなかでは違うことを考えていた。


 私は一体、いつから語尾を伸ばすしゃべり方を始めたのだろう。 

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