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怪我

 ひとつ、ひとつ。ゆっくりだけど。

 今まで、敬遠してきた仕事にも手を伸ばす。

 この前、付箋の意味を訊いた時のように分からないことは尋ねて、覚えて。


 聞くは一時の恥。

 新人のときに訊かなかった分、十年分の利子をつけて、今、恥をかく。


 家に帰ってから、胃が痛くなることもある。

 そんな時、慎之介さんに貰った”お守り”に、一人話しかける。

 『待っててね。絶対に胸を張って、お嫁さんになるから』って。


 そして互いの部屋での週末は、慎之介さんと二人っきりで、ありのままの自分で過ごす。

 背伸びをやめた私を包んでくれる彼に、毎日の疲れが解ける。



 先輩の退職の日まで、あと二週間くらいになった頃。

 私の会社も、慎之介さんの会社もお盆休みに入った。


 お盆休みの三日目、私たちは映画館へ行こうとしていた。

 もともと映画を観るほうではなかった私たちだったけど。私の名前の由来になったミュージカル映画を、レンタルのDVDで観たのをきっかけにして、DVDでも映画館でも観るようになった。

 昨日も、最近ミュージカルにもなっている映画を一緒に観た。そのまま慎之介さんは私の部屋に泊まっていったので、朝ごはんを済ませてから、一緒に部屋を出る。  


「そのサンダル、結構足音がするね」

「サンダルじゃなくって、ミュール」

「何が違うわけ?」

「ストラップで留まってないの」

「歩きにくくない?」

「うーん。慣れ、かな」

「本当に? また、無理してない?」

「うん」

 そんなことを話しながら向かった最寄り駅で、地下のホームへと階段を下りる。


 慎之介さんの言うように、カンカンと足音がする。

 その音のリズムを楽しみながら、段を降りて。

 最後の、二段目。


 まずい、と思ったときにはミュールが脱げて、階段を踏み外した。


「登美さんっ」

「いったぁ」

 足、捻っちゃった。

「大丈夫?」

「足、痛い」

「立てそう?」

 差し伸べられた手につかまって立ち上がる。

 横から、高校生くらいの女の子が吹っ飛んだミュールを差し出してくれた。


 彼女にお礼を言って、足を差し入れて。

 体重をかけた瞬間、頭のてっぺんまで痛みが駆け抜けた。


 あまりの痛さに、悲鳴も出なかった。


「登美さん?」

「……」

 ぎゅーっと、慎之介さんの手を握り締める。

「歩け、なさそう?」

 黙って、頷く。

 むり。これ。足が地面につけられない。


 ひょい、と抱え上げられてベンチに座らされた。

「駅員さんに、車椅子か何か借りられないか聞いてくるから。待ってて」

「う、ん」

 小さい子みたいに、ひとつ頭を撫でられて。彼を見送った。



 慎之介さんが戻ってきたとき、駅員さんが一人、車椅子を押してついてきていた。

 ありがたく乗せてもらって、駅前のタクシー乗り場まで運んでもらった。



 タクシーで運ばれた先は、私のマンションの部屋からも看板が見えている総合病院だった。

 診察を受けて、レントゲンを撮って。

「骨折、ですね」

 レントゲンの写真を見ながら、先生が言う。

「はぁ」

「ここ、線が入っているでしょう?」

「?」

 ペンの先で、くるっと丸を描くように示されたのは、足首の部分らしいけど。

 線?


 捻った時にかかった力に骨が耐え切れなくって一部が欠けた、ってことらしい。

 ギプスを巻きおえた看護師さんが、少し待つように言って部屋から出て行く。

「登美さん、いたい?」

「うん」

 横についてくれている慎之介さんが、痛そうに顔をゆがめる。

「お盆で仕事が休みなのが、せめてもの救い、かな?」

「うーん。でも、映画、行けなかった……」

「そのうち、レンタルででも見ればいいよ」

 慰めるように、大きな手が頭を撫でる。

 でも、残念。大きな画面で見たかった。


「失礼します」

 ノックとともに、男性の声がしてドアが開く。

「あれ? ピヨ、だ」

「……キリ?」

 松葉杖を手にして入ってきたのは、いつだったか会ったことのある人。

 慎之介さんのお友達の”キリさん”だった。

「松葉杖の練習って、ピヨだったか」

「俺じゃなくって、彼女のほうな。お前、ここで働いてたの?」

「ああ、うん。新卒で入職したから、十……四年?」

 漫画やドラマで見るのとは違った、動きやすそうな白衣を着たキリさんは『理学療法士 桐生』と書かれた名札を付けていた。

 うわ。私が働いているよりも長い間、専門のお仕事をしてたわけだ。

 勝手に無職だなんて思って、ごめんなさい。

 処置台に座ったまま、首をすくめるようにして二人の会話を聞く。

「そうか。登美さんと付き合うまで、俺はこのあたりに来ることが無かったから、会わなかったわけか」

「縁って、時々、妙なところでつながることがあるよな」

「そう、だな」

 相槌をうった慎之介さんが、私に視線を向けた。

 確かに、リョウとの縁は、妙なところでつながった。



 松葉杖の高さを調節しようとしたキリさんが、手を止めた。

「ええっと。稲本さま?」

 カルテをちらりと見たキリさんに名前を呼ばれる。

「はい」

「靴、それ、ですよね」

「ええ」

 何か、まずい?

 視線で示されたミュールは、ちょっとヒールが低めの五センチだけど。

「ピヨ」

「うん?」

「売店にスリッパ売ってると思うから、履き替えたほうがいいかも」

「そう?」

「スリッパもあまり良くはないけど。このヒールで、松葉杖はもっと危ないし。これに高さを合わせたら、脱いだときに歩きにくいと思う」

「って、さ。登美さん。適当に、買って来ていい?」

「……はぁい」

 部屋を出て行く慎之介さんを見送る。


 裸足のまま、大丈夫な方の足だけで床に立つ。脇の下に杖を当ててみて、高さを調節するキリさん。

「稲本さまとは、確か年末に……」

「あ、はい」

「ピヨ、じゃなくて。ええっと」

「慎之介さん?」

「ええ。アイツ、結構、理屈っぽいでしょう?」

 そうかなぁ、なんて思いながら、松葉杖のネジを締めているキリさんを眺める。


「高校の時も、納得がいかないと、先輩のいうことでも歯向かったりしてね」

「慎之介さんが?」

「そう。で、先輩に『半人前の”()()()()が、ピヨピヨうるせぇ』って、つけられたあだ名が『ピヨ』でね」

「はぁ」

「それでも、間違ってないことは素直に聞くから、俺達の代のエースだったんだけど」

 そんな高校生だったなんて意外、って思いながら、渡された杖を見よう見まねで腋の下に当ててみる。


「煙たい事を言うことがあるかもしれないけど、悪い奴ではないから。アイツをよろしく」

「あ、はい」

「誰が、煙たいって?」

 開いていたドアから、慎之介さんがスリッパを手に入ってきた。

「何、勝手なことを言ってるんだ、お前は」

 軽く屈んだ慎之介さんは、私の足元にスリッパを置きながら、キリさんを見上げるようにして文句を言う。

「打ちやすい所にトスを上げたつもりだけど?」

「どこが」

「ひどいなぁ。かつての名コンビなのに」

「二十年前のな」

 軽口を叩き合いながら、私がスリッパを履くのを待つ二人。

 その、息のピッタリ合っている感じは、確かに名コンビだったんだろうと思う。


 見たかったなぁ。

 先輩に反抗する慎之介さんとか。キリさんとじゃれ合ってた慎之介さんとか。 


 キリさんに松葉杖の使い方を教わって。

 練習がてら、待ち合いまで歩いてみる。


 自分の体重が、恨めしい。

 掌に杖が食い込む。


 くーっと、歯を食いしばるようにして体重を支える。

「掌が痛かったら、タオルハンカチとか巻くとマシですよ」

 さっきまでとは違った丁寧な言葉づかいでアドバイスをしてくれながら、キリさんが隣を歩く。

「登美さん、売店で買ってこようか?」

「一枚、は持ってるから。一枚だけ」

「オッケー」

 今来た廊下を、慎之介さんが売店へと戻って行く。私は、ひたすら待ち合いを目指す。

 やっと辿り着いた待ち合いの椅子に座るのを見届けたキリさんは、そのままオープンカウンターの”会計”の窓口にカルテを出すと、横手のドアを開けて入って行った。


 しばらくして出てきたキリさんは、私に軽く会釈をすると、そのまま廊下を歩いていった。


 慎之介さんに買ってきてもらったタオルハンカチと、私の持ってたガーゼハンカチを杖に巻いていると、さっきキリさんが出入りしていたドアから、白衣を着た女性が出てきた。

 キリさんの白衣とは違って、こっちは上から羽織るような形をした、いわゆる”白衣”

「稲本さま」

 待ち合いを見渡すようにして名前を呼ぶ声に立ち上がろうとすると、彼女は急ぎ足で私のところまで来てくれた。

「おかけになったままで」

 そう言って正面に跪いた彼女の胸元には、『薬剤師 桐生』の名札があった。

 同じ職場に同姓かぁ。周りの人、区別するの、大変だろうなぁ。

 

 そんなことを思いながら、薬の説明をしてもらった。


 会計の人も、すぐそばまで来てくれて。

 保険証を持ってきてなかったから、支払い方法と清算について説明してくれた。

「登美さん、後で俺が清算に来ようか? って、保険証預かるのは無しだよね」

「なんで? 無し?」

「保険証、だよ? 悪用したらどうするの」

「悪用、するの?」

 そんなやり取りを聞いてた会計の人が、慌てたように口を挟んできた

「今日で無くっても大丈夫です。また、診察に来られますよね?」

「あ、はい」

「今日の分は預かり金をしてますし。次の診察のついでで」

「分かりました」

 『次回、必ず』と約束をして、会計の人がカウンターへと戻って行った。


 慎之介さんが公衆電話で呼んでくれたタクシーを待つ間。

「保険証、誰にでも預けたらだめだよ?」

「そう、かなぁ?」

「そうなの。”街金”でお金でも借りられたらどうするの? 支払いが登美さんにくるんだよ?」

「慎之介さんは、そんなことしない」

「その信用はどこから来てるの」

 怒ったように言う慎之介さん。

 なるほど、間違ったことは許せない人だ。

「だって、私は、慎之介さんを結婚相手として見てるもん」

「登美さん……」

 一気に慎之介さんの顔が赤くなる。

「もう。それは、反則だよ?」

 ふふふ。

 キリさん。言われなくっても、知ってるわ。

 慎之介さんは、絶対悪い人じゃないって。



 お盆休みの間、慎之介さんは泊り込んでいろいろとお世話をしてくれた。

 買い物を手伝ってくれたり、通院に付き添ってくれたり。

 休みが明けてもギプスが取れそうに無いからって、通勤練習にも付き合ってくれたし、ハイヒールしか履かない私の通勤用に黒いナースサンダルを買ってきてくれたりもした。



 通院の合間に、ひとつ知ったこと。

 キリさんと同姓の薬剤師さんが、実はキリさんの奥さんだってこと。


「じゃぁ、職場結婚?」

 昼休みらしいキリさんと顔を合わせた慎之介さんが、ジュース片手に尋ねる。

「うん。同期だった」

 人のまばらな待合室で、自販機のコーヒーを手にキリさんが答える。

 上品な手つきで、紙コップを口に運ぶキリさん。慎之介さんにほうじ茶を勧めたって過去が、なるほどと思える仕草だった。

「へぇ。退職を勧められたり、しないんだ」

「まぁ、アイツは、一度辞めたけどな。産休がとれなくってさ」

「それでも、再就職できたんだ?」

「うん。人手が足りないから、戻ってくれって言われて」

 二人の会話を聞きながら、私もコーヒーを口にする。


 キリさんと同期、ってことは……奥さんが出産までにここで仕事をしていたのはほんの数年? 息子さん、小学校の高学年、だったし。 

 そんな短期間のキャリアで、職場から復帰を請われるなんてすごい。


 十年、無駄に過ごした私とは、違うんだなぁ。

 そう思ってため息が出た私の前を、件の薬剤師さんが軽く会釈をしながら通っていった。


 キリさんは他人のような顔で、そ知らぬ風にコーヒーを飲んでいた。

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