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劣等感

 劣等感なんて、誰にだってあると思うの。

 それを克服する努力こそが、成長の原動力だって信じている。



 片田舎、と呼ぶのがふさわしい町に住んでいた高校生の頃。私は、クラスの片隅に埋もれたような存在だった。

 太い三つ編みに、分厚いメガネ。規定通りのスカート丈を守って、制服の改造なんて想像もできなかった。かと言って、人より勉強ができるわけでも、部活動で活躍ができるわけでもなく。ただ、記号のように、そこに居た。

 

 二年二組 出席番号三十一番 稲本 登美。

 名簿に書かれた、ソレ、だけが私がクラスに居る証拠だった。



「それじゃぁ、人生楽しくないわ」

 そんな私に言ったのは、その年の春までアメリカに留学していた父方の従姉、チーコちゃんだった。

「チーコちゃん。でも……」

 チーコちゃんは、”才色兼備”を絵に描いたような女性で、自分と血がつながっているのが信じられないような”お姉さん”だった。

「登美ちゃんは、化粧映えすると思うのよね」

 ほっそりとした指先で、軽く顎を上げさせた私の顔をじっくりと覗きこんで、チーコちゃんが一人頷く。

「がんばって、おしゃれしてごらん? きっと、何かが変わるわ」

「チーコちゃんみたいに?」

「そう。私なんかよりずっと綺麗になれる。素敵な大人になって、いっぱい恋をしなさい。その恋が、登美ちゃんをもっと、綺麗にしてくれるわ」


 綺麗にルージュを塗った口が、そう囁いて微笑んだ。



 その言葉は、不思議なほど私の心の隅々まで浸み込んだ。



 綺麗になって、素敵な大人になるには、この町は狭すぎる。

 大学に行って、もっと広い世界に出なきゃ。

 

 広い世界へ出たとき。

 私は、蛹から蝶に生まれ変わるのよ。




 その日から、大学に行くための勉強と、合間にちょっと背伸びをしたようなファッション雑誌を隅から隅まで読み込んで。新生活を夢見ながら、私は残りの高校生活を過ごした。



 大学デビューと呼ぶなら、呼べ。

 開き直った私は、流行の服に身を包み、”街”の大学へと通う女子大生になった。

 

 ただ、ひとつの誤算だったのは。

 古臭い自分の名前だった。


 劣等感なんて、誰にだってあると思うの。

 それを克服する努力こそが、成長の原動力だって信じている。

 けれど。

 努力では変えられないモノだって……世の中には、存在する。



 合コンをしたり、友人に男友達を紹介してもらったりして。名乗ると、決まって失笑が起きる。

「俺の祖母さんと同じ名前じゃん」

 って、指差して笑うひどい子も居た。


 好きで、こんな名前に生まれたわけじゃないのに……。



 ただ一人、顔色も変えなかった子が、私の初めての彼氏になった。

「登美って名前が、嫌いなのか」

 そう言って私の顔を覗き込んできた彼は、

「だったら、『トミィ』って、呼んでやるよ」

 って、微笑んだ。

 その笑顔に、私は心を撃ちぬかれた。


 中性的な面立ちで、下手をしたらすっぴんの私よりも美人な彼は、仲間とバンドを組んでいた。メンバーのうちでも格段に目立つ彼の周囲に、女性の姿が途切れることは無かった。 

 彼に釣り合いたくって、自分磨きに力を入れた。

 彼から愛されている確証が欲しくって、わざと試すようなこともした。

 後から考えると、若気の至りとしか言いようの無い、馬鹿なことも。

 

「どうした? トミィ。何がそんなに不安だ?」 

 そんな私に、優しくそう言ってくれる(リョウ)だったけど。

 段々と、私よりもバンド活動を優先させることが増えてきて。


 それは、ちょっとした不安が言わせた、ただのわがままだったのに。

「ねぇ、リョぉウ。私とぉバンドとぉ、どっちが大事なのぉ?」

 そう尋ねた私に、リョウは考える素振りすら見せずに答えた。

「バンド」

 と。

 不安が、一気に膨れ上がって。

 気がついたときには、彼の綺麗な顔に私の手形が付いていた。

「信じらんなぁい」

「悪ぃ。けど、本心だぜ?」

 そう嘯いた彼は、後ろめたさのかけらも無い目で私の顔を見ていた。


 ついていけない。もう、無理。


 私の初めての彼氏とは、そうして、破局を迎えた。



 その後。

 少しでも条件の高い男と恋をすることが、私の第一使命のようになった。

 多分、リョウへの当て付けが、相当入っていた。

 見てなさい。あんたなんかが足元にも及ばないような男、落としてみせるわ。沢山の恋をして、いい女になってみせる。


 不純な動機の恋は、付き合い始めても長続きすることなく。

 はじけたバブル景気の後を追うように、私の恋愛もまばらになってきて。


 気づけば、三十三歳の誕生日が近づいてきていた。




「稲本さん、見合い、しない?」

 そう昼休みのエレベーターホールで声をかけてきたのは、営業の課長だった。

「見合い、ですかぁ?」

 田舎の両親からも、次から次へと話は来るのだけど。

 三十歳を過ぎてからの見合い話なんて、隣町の本屋の息子、とか。隣村の農家の後妻とか。ため息が出るような話ばかりだった。

 今度も、そんな話だろうと、気乗り薄に課長の後退しかけた額を見上げる。

「この前、大学の同窓会でさ、頼まれたんだよね」

「はぁ」

「向こうも、会社の部下らしいけど。どうにも縁が無いらしくって」

 私は経理部なので、課長の部下、では無いんですけど。

 そんな心の声が聞こえるはずの無い課長が、話を進める。

 製薬メーカーの研究員、ねぇ。確かに、女と縁遠いイメージだわ。


 ま、いいか。田舎への片道切符みたいな見合いよりは。ここ数年、私も彼氏、いないし。

 そう考えて。

 ダメだ。負けてる、って。思った。



 何やってるのよ。

 いい男、捕まえるんでしょ?

 会うだけ、よ。今回は。課長の顔を立てて。


 でも、と弱気な本心が顔を出す。

 この前の結婚式。痛くなかった?



 課長にとりあえず『了承』の答えをして、昼食のために近所のコーヒーショップに出かける

 注文したサンドイッチをモグモグと噛みながら、先月参列した結婚式の光景を思い出す。


 大学時代の友人の式に呼ばれて、当時仲のよかった数人とひとつのテーブルを囲んでいた。

「ねぇ。私たちの世代で、結婚式に着物って、無いよねぇ」

 コソッと、新郎側のテーブルを指差すように一人が言う。公務員だと紹介があった新郎の、仕事仲間らしい席に、山吹色の着物を着た女性が一人いた。

「あれって絶対、お局になるタイプじゃない?」

「あと十年もしたら、老眼鏡をネックレス代わりにぶら下げて?」

「そうそう」

 そんな会話に相槌を打ちながら、いつもの調子で軽口を叩く。

「ね、絶対バージンだよね」

 キャーッと、笑い声を上げる友人と笑いながら、ふと、かつて彼氏の友人に言われた言葉が胸を刺した。


 『女の子が外で言う言葉と違うやろ。お里が知れるって言うねん』

 確か、そんなことを言われた。友人といつも交わしていた、他愛ない会話のつもりだったのに。

 あのとき、一緒にいた彼氏は止めてはくれなかった。

 あぁぁ、すでにあの時、愛想をつかされていたのかも……。

 そう思いながら、ワインを口にした。


 お開きになって、二次会の前。

 軽く化粧を直そうとお手洗いに立ち寄った私は、山吹色の着物の女性と洗面台で一緒になった。

 この人。もしかして……。

 『お里が知れる』と、私に言った男性の、当時の恋人だった人に似ている。


 チラリチラリと鏡越しに彼女を見ながら、化粧を直して。彼女の後からついて行くようにお手洗いを出る。

 廊下の壁にもたれるように、一人の男性がいた。

 結婚式にふさわしくない服装の足元に引き出物の紙袋を置いた彼の元へと、草履ばきの足が急ぐ。

 荷物を片手に彼女の背中に手を回した男性と目があって、垂れ気味の目に睨まれた。気がした。


 間違いない。

 リョウのバンド仲間と、その彼女だ。

 プロとしてデビューした彼らと、着物の女性は十年越しで付き合いを続けていたんだ。


 当時、リョウの近くに居る女性が、とにかく気に入らなかった。

 友人なら、許せた。

 バンドのファンは、距離がある分、なんとか我慢できた。

 けれど、他のメンバーの彼女であっても、私にとって赤の他人が彼の近くに居ることだけは、許せなかった。嫉妬に狂いそうになって、居ても立ってもいられなかった。

 特に、どこか高校時代の自分を思い出させる雰囲気があったこの着物の女性のことが、気に食わなかった。私の友人の中でも一番の美人が、玉砕した相手の彼女だってのが、どうにも許せなくって。

 若気の至りで、彼女に軽い嫌がらせをしたこともあった。それにもめげずに、こうしているってことは……結婚もしているのかもしれない。

 芸能人のクセに。こんな人目のあるところまで迎えにくるんだから。


 去って行く二人を見送りながら、ぼんやりと思った。

 お局になりかけているのは、彼氏すらいない私の方じゃない? って。



 そんなことを思い返しながら食べたサンドイッチは、昼からひどく胃にもたれた。


 ああ、いつまでも、若くない。

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