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「……お前はいつも大変そうだな」



 目の前に黒い靴が止まり、地面に膝をつけると私の腕を取って人の山から引っこ抜いてくれた。

 その重力に逆らいながら後ろを見れば、白いモヤを出しながら人々は誰1人動かなくなっている。


 トン、とそのまま肩口へ辿りつくと、前に嗅いだ微かな香りが鼻をくすぐった。

 思わぬ接触に身体を離せば、ブラック様の滑らかな黒髪と、その下にある真白い仮面が闇夜にじんわり浮かび上がるのが視界を占領する。

 近すぎる距離に見える端整な顔は、思わず感嘆の息が漏れてしまう程。

 眺めていると、赤い瞳がこちらを向く。


「っ」


 身構えるともう1つの赤い瞳も私を捉え、自分の滑稽な姿が映った。


「また変な物を付けている」


 そう言って空いている方の手で、私のハンカチを奪おうと手を伸ばしてくる。

 だけど今、ハンカチの下では汗や鼻水、唾液や怪我など色んな物が出ていて大運動会になっているのだ。きっと妖怪じみている筈だ。

 そんなどろどろの顔を見られては堪らない。

 直ぐ様ブラック様の手を取り阻止をする。が、どうしてか向こうも引こうとはしない。


「……だ、め、ですって」

「何故」

「大事故が起きてるので見せられません」

「尚更だ。見せてみろ」


 乙女心を分かってくださらないブラック様は、本当に尚更だと言わんばかりに仰け反らせないよう腕を肩から回し込み、尚且つその手で私の右腕を掴んでいる。


 横一文字に引き結ばれた無表情さが、真面目に私を心配してくれていると見える。ハンカチを顔に巻いている私に対して笑いもせず。

 天然?


 そんな可愛らしい一面も持っているのかと胸を躍らせてみるが、私の自由な左手1本でブラック様の左手に押し負けそうになっていて我に返る。

 掴んだ手首の太さに強さが伺えた。流石ブラック様。……と、感心している場合ではなかった。

 眼前に手と顔が近付いて、もう駄目だと思った時。


 ブラック様の手を掴んでいる私の手の上に、もう1つ手が重なった。

 急に人口が増えたなとその手の主を見れば、佐久間さんがキラキラとした目でブラック様を見つめている。


「さっきの……かっこよかったです……! 僕にも出来ますか!?」


 いつも気だるげにしている佐久間さんの生き生きとした姿を目にして、私は目を剥いた。

 佐久間さんの変貌も知らない筈のブラック様も、何故か目を剥いていた。そんなブラック様に私は目を……じゃなくて。

 感激に目を潤ませている佐久間さんは、ずずいと私とブラック様の隙間に入り込んでくる。暑苦しくて仕方がない。

 片や大の男2人に密集されている哀れな状態の乙女がここにいるのだけれど。空気を読んで私を助けてくれればいいのに佐久間さん。


 しかしそんな佐久間さんの熱意で思い出し、私の思いも熱く燃え上がる。


「佐久間さんだけずるいです。私も教えてください。得物はバットですが、長い棒状の物には変わりありません。頑張ります」


 ようやくブラック様がいらしたのだ。

 ご教授願わなければ。

 何度も手を煩わせるようなピンチに陥らないように、もっと強くならなければ。

 バットも振り回すより斬れるようになった方がいいに決まっている。


 私が言えば、佐久間さんがちらりとこちらを見て、そして力強く頷く。

 2人で未だ私を抱いたままのブラック様を見れば、2、3瞬いた後、結んでいた口を開いた。


「お前らが―――」

「こらヨーコ君、チヒロ君! 見ず知らずの人に群がるんじゃありません! ……ではなく、私にも見せた事のないその眼差しは何事だっ!?」

「いや室長サンよ、そのツッコミも違うぜ」

「む、そっ、そうか!?」


 室長は膝を笑わせながらこちらへ歩み寄り、またしても台詞キャンセルされたブラック様から、アッサリと私たちを引き剥がす。


「僕のレベルアップ……」

「室長、何をするんですか。私の命を2度も救ってくれた恩人に」

「その割には邪な思いしか見えなかったぞ! というか今はそれどころじゃないだろう!」


 ばっと手を振った先には倒れている人々の姿。

 その回りには白いモヤがもうもうとたっていた。


「……」

「……」


 私と佐久間さんは顔を見合わせ、室長と宮さんに謝った。

 少し調子に乗りすぎたと反省していつも以上に気合を入れて素早くまとめて浄化をすれば、寝ていた人達が次々と起き出し、頭にハテナを浮かばせながらも自分の家へと帰って行った。


 人がいなくなった跡地は、淀みのない静寂に包まれる。



 黒いマントをはためかせ、彼はずっと待っていてくれた。

 私は佐久間さんと共にブラック様の元へ行き、顔を見合わせる。

 いざ、改めてとなると気恥ずかしい。さっきの失態を見せてしまったのも相まって。


 しかし最初から失態ばかりなのだ、もう今更気にしたってどうしようもない。

 とりあえず名前を聞かなければ。社会人として名乗りが肝心。名刺はスーツのポケットの中なので会釈だけしておく。


「私は渡辺庸子と申します。あの、大好―――」

「おーい庸子ー。あと10分で最終出るんじゃねぇー?」


 遠くで宮さんの声が聞こえ、腕時計を確認すれば悲鳴がこみ上げてくる。

 これを逃したら室長とあの部屋で一晩しなければいけない。

 横目で見ると、室長は腕を組んでこちらを見ていた。

 その笑みはとても満足そうで、思わず目を逸らしてしまった。


「今日も助けて頂きありがとうございましたすみません失礼しますお疲れ様でした」


 泣く泣くブラック様の元を駆け、宮さんの手から着替えの入った紙袋を貰う。そのまま跡地の真ん中を突っ切って茂みを目指す。2、3後ろで室長が叫んでいたが知らない。

 いそいそとスーツを着終えれば、ハンカチがかなり不自然。とらなくてはいけない。

 誰も見ていない事を確認していっきに擦り取る。化粧が剥げてしまったがもう帰るだけだからどうでもいい。

 汚泥の付いたハンカチを鞄に片付けていると、そこに落ちる影。

 頭上を仰げば、塀の上に立っているブラック様。


 遠くにある街灯の明かりが逆光になって、表情はよく見えない。

 だけど目線はこちらにあると思う。

 とっさに顔を隠したけれど。


「―――その姿の方がいいと思うぞ」


 そう残して塀の向こうへ消えていく。

 ……だから、



「私の趣味じゃないですってば!」



 ブラック様に関して問題が山積みのまま、私の声は工場跡地に虚しく消えていった。







「ヨーコ君。今朝はマラソンに来なかったがどうしたのだ」

「今日は庸子が1番最後だな」

「珍しいですね……」

「ぐぅ」



 10時寸前。出社して口々に言われた。

 私のこのいつもよりおざなりな化粧と、爆発して整っていない髪形、私の変わりに返事をした空腹の腹で、理由は一目瞭然だろう。


「盛大に寝坊しました。すみません」


 どうやら昨日の大乱闘が思ったよりも身体に響いたらしい。起きれば9時をとうに過ぎていた。

 大急ぎで支度をして来れば、遅刻ギリギリで着けた。

 タイムカードを押せば9時59分の文字。


「何かあったのかと心配したんだぞ」


 室長がデスクからこちらへ歩いて来る。

 その顔は本当に心配していたようで、申し訳なくなってもう1度謝った。

 昨日またしてもピンチになって、ブラック様に助けて貰った私だ、かなり信用度が落ちただろう。それは胸が痛い。


「いや、謝る事じゃない。しかし寝坊でよかった」

「え?」

「家の前まで行って、強行突破しようかしまいか迷っていたのだよ」

「宮さん、自分の部屋も安全じゃありませんでした」


 室長の脇をすり抜けて宮さんのいるソファへ避難した。

 のんびり缶コーヒーを啜っている宮さんは、ほらな、と笑って言った。


「俺ん家が一番安全だろ?」

「確かに、今となればそうかもしれません。1人暮らしの女の部屋に禁断の魔法を使って入ろうとする人がいるとは思いませんでした」

「ちょ、ちょっと待て君達! 私はそういうつもりでなくてだな……!」

「じゃあどういうつもりだったんですか」

「それは勿論、何やら起きている状態でヨーコ君を救出すれば私の株が上がるだろう……って……、そんな事思ってない……ぞ……」


 途中から尻すぼみになっていったが、残念ながらその下心はばっちり伝わった。変態、天然の次は計算か。それは最早養殖だ。

 ゴホンゴホンとわざとらしく咳をして居住まいを直しているが、ノンフレームの奥の瞳は泳ぎまくってこちらを見ようとしない。

 宮さんと佐久間さんを見れば、笑って肩を揺らした。


 室長も大変な事だ。

 女子にしか魔法が使えないせいで、私みたいな生意気な年下相手に顔色を伺わなければいけないのだ。

 とても損な役回りである。

 私には借金があるのだからそう簡単に辞めないのに。

 途中で逃げる程不義理ではないつもりだ。仮にも兄の友人でもある人だし尚更。


 私は来たそのままだった事を思い出し、デスクに行って鞄を降ろしてから台所へ向かった。


「ヨーコ君……ヨーコ君……!」


 そう私の名前を繰り返しながら、私の後をついて来る室長。

 最初の(やや)凛々しかった面影は何処へやら、私の中の室長の株は、本当にただ馬鹿大きい弄りやすいマスコット的ポジションに落ち着いている。失礼だが、上ではない場所だ。


「室長」

「な、なんだねヨーコ君」

「お茶淹れるので、ソファで待っててください」


 背後にピッタリ立たれるとやり辛いという言葉は飲み込んで、出来るだけ棘が出ないよう声をかけた。

 私が4つの湯呑みを出したのを見たのか、室長はうむ、と頷いてソファへ駆けてゆく。


 そしてテーブルの上にあるすはまの封を開けて、食べ始める姿を見てつい笑ってしまった。



 のんびりとお茶タイムをしていていいのかは分からないが、まったりとした時間が流れている時、室長がいつものよれよれの白衣から茶封筒を3つ取り出した。


「諸君! 今月もご苦労だった! 来月も変わらず頼むぞ!」


 少し膨らんだそれを、宮さん、佐久間さん、そして私に手渡してくれた。

 初の残業代である。

 もう1ヶ月経ったのかと感慨深い。


「おう」

「はい」


 2人はそれを受け取って尻ポケットに入れ、何事もなかったようにお茶を再開した。

 しかし私は、親指と人さし指の間にある封筒に厚みを覚えて、室長の顔を見た。


「あの室長」

「何だ?」

「宮さん達より……分厚く……ないですか……?」


 ペラペラの2人のに比べて、私の封筒はコシがある。明らかに束になっている。

 若干の恐れが私を支配した。


「そりゃそうだ。君が魔法少女で、一番の功労者だろう。彼らはサポートで一律だからな」


 それでも他の会社よりは色がついているのだと胸を張った。

 しかし。


「宮さん、佐久間さんはそれでいいんですか? 私より断然強くてこの仕事長いのに」


 私が言えば、2人は顔を見合わせて首を傾げた。


「いいも何も……趣味と実益兼ねてる上に、金貰えるんだぜ、充分じゃねぇ?」


 と、宮さん。


「こんなに楽な……あ、いえ、僕に合った職場なんてないので」


 と、佐久間さん。


 成程。

 通常業務がゆるいからなのだと思っていたけれど、個人の要望にとても当てはまっていたわけだ。この残業は。

 確かにその筋肉を正義の為に振りかざす仕事はそうそう無いし、いつでも舟を漕ぐのんびりした佐久間さんには最適だろう。


 集められるべくして集まった人材なのだと、ようやく理解した。

 そして私も。


「中身は誤魔化したりはしていないぞ? なんだったら内訳を言おうか。まずレベル1が86体―――」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 言われても計算出来ないからそのまま封筒は鞄へ入れた。

 昼休みにでも入金してこよう。闇所得だから、数回に分けていれないと銀行から電話が来てしまうかもしれない。


「ちなみに言っておくが、社長にとりなして貰ってるから何も気にする必要はないぞ」


 と、私の思惑を見抜いた室長が言う。

 よかった、面倒な事はしないで済みそうだ。


 しかし、1ヶ月の残業だけで、手取り15万の基本給を軽く超えてしまった。

 だがこれは借金返済の為の物だ。

 室長には全額一括でいいと言われたので、早く返済する為にはやはり一切手をつけずに銀行へインだ。


 たった今確実に借金が減った事に、小さな喜びを感じた。



 魔法少女も悪くない。

 現金である。







 今日もまた、少女は闇に降り立つ。


 町の未来を守る為、


 人々の夢を守る為、


 金色に輝く相棒と共に、いざ行かん―――!



「だからそういうのはいいですって」

「何を言うかヨーコ君! 月初めが肝心ではないか! こうでもしないとその鼻メガネの残念さが覆されない……!」

「そんな簡単に覆る程安くはありませんよこれ」



 昼休みに入金ついでに買いに行ったNEW被り物。

 ハンカチだと誰だか特定出来ないのはいいが、鼻と口が塞がれるとやはり色々と都合が悪く、次なるものをと新調したのに不評だった。

 宮さんには腹抱えて笑って貰えたけど、佐久間さんは髭がどうも駄目らしい。女子に髭は駄目だと、真面目な顔で諭された。私的に結構気に入ってるのだが。

 メガネポジを直し魔物に向き合う。

 私達のやり取りを待ってくれている魔物は、若干困惑したような顔でこちらを見ていた。


【……オイラ邪魔なら行くけどいいガ?】

「あ、いえ駄目です。すみませんお待たせしました」


 後ろの室長のセリフに気を取られていて、前にいる魔物が気を利かせようとするのを阻止する。

 流石レベル8の魔物、色々賢くて、誰かさんには見習って貰いたいものだ。


「正社員庸子です」

【ご丁寧にどうもス。オイラ名も無い魔物ス】


 ……賢過ぎてとてもやり辛い。

 これはいつもより逆に厳しいものがある。

 見た目は2メートルはありそうな、今は懐かしきゴジ●のような風貌のガッシリ系。違うのは背中で火がぼうぼうと燃えている所だけど、やっぱり強そう。


 ちらりと横目で見れば、宮さんはレベル5の猪みたいだけど刺々しいヤツと素手で格闘しているし、佐久間さんはレベル4の大きな鳥のようで尻尾は魚っぽいヤツと面打っている。

 援軍は特に頼めそうな雰囲気ではない。


「とりあえず火消しからかな」


 援軍が頼めないならば、知恵を働かせて地道に破滅への道を歩んで貰うしかない。

 今日は池のある広場という事で、とりあえず危ない背中の火をその池の水で鎮火して頂こう。

 逃げるふりをして、そちらの方へおびき寄せるよう走る。

 するといきなり目をギョロめかせた魔物は、身を屈めたかと思うと地面をめり込ませ、一気に突進してきた。

 あっという間に距離を詰めるその早さに驚いたものの、池の前で止まり、ギリギリまで引きつけて当たる寸前で横に飛び退いて避ける。


 案の定そのまま池へとダイブした名も無い魔物は、派手な音を立てて水しぶきを上げた。

 近くにいたせいでかかってしまったが、池に沈んだ巨体を見てほっと息を吐く。


「さて、火は消えたかな?」


 高山さんを構えたまま水面を見ているとある1点が盛り上がり、少し尖ったかと思えば、水の塊が私めがけて飛び出してきた。

 鉄砲水だ。

 流石に高山さんで霧散させる事など出来ない私は、無様に顔面にくらって尻もちをついてしまう。

 そして池から顔を出した名も無い魔物は雄叫びをあげた。

 背中の炎は見えなくなっているが、頭のてっぺんの炎だけぼうぼうと燃えたままだ。おかしな消え方をしていると思っているうちに、私を照準に捉えたヤツが突進して来る。


【お前危険……! 食ってやるス!】


 そう言いながら鋭い牙だらけの口を開け、青白い長い2本の舌を出して口の周りを舐める。

 昨日戦った人達とは似ても似つかぬ姿。


 とても殴りやすい。


 噛みつかれる前に避けて、地面に前のめりになってこけた名も無い魔物の背中に向かって高山さんを振り下ろす。



 しかし、背中から金属と金属がぶつかるような音がしただけで、手応えは全然無かったのだった。





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