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「あーもうどうしよう……。明日仕事行きたくない」
昨日佐久間さんに勿論行くと返事をしたけれど。
1度回避したコスプレが再び眼前につきつけられる現実というのは、1度目の絶望の比ではない。勝利の喜びを味わってしまったが為に全然違う。
1人の部屋に帰り、ベッドの上で転げまわる。
5月病が遅れてきたような脱力感だ。この時ばかりは正社員になってしまったのを悔いた。バイトなら簡単に休めるのに。
いや、そもそも雅人があんな事しなければ今の私はいなかった筈だ。
沸々と怒りをわき上がらせていると、スマホが鳴った。画面には残念ながら雅人ではない知った名前。
『よっ! ひっさしぶり! 元気でやってるかぁー庸子。借金返済の方は順調かな?』
「兄さん」
久しぶりの兄の声。
いくつになってもこの軽い感じは治らないのが玉にキズだ。
「順調だよ。順調だけど明日会社休んでいいですか社長さま」
『ええー! どしたのどしたの!? 有希ちゃんの所行ってから全然連絡来ないから心配になって電話してみれば……!! はっ、まさかイジメられたの!? そんな事する人には見えなかったけど、もしそうならこの兄ちゃんに言ってごら―――』
「イジメじゃないけど、ちょっと待って、喋りすぎ。落ち付いて」
それに不穏な名前が聞こえたのは無視してはいけない。
“有希ちゃん”
確か室長の名前だった筈だ。正しくは有希彦だが。
そしてあの魔力所持者と仲がよさげに見える兄。もしかして―――
「……ねぇ兄さん。もしかして最初から私をその為に会社にいれたの……?」
『ギクッ……』
「……」
『……』
すっかり黙りこくった兄に対し無言で圧力をかければ、ボソボソとゲロし出した。
1年前のある日の事、兄は会社の前で倒れていた室長を助け、そのまま私が前歓迎パーティをして貰ったあの居酒屋へ連れて行って意気投合し、盃を交わすマブダチになったらしい。
もうこの時点で脱落しかけたが、気力を振り絞り続きを聞いた。
地球を守る為に来たという室長に大層感動した兄は、初めての地球で途方に暮れていたと聞いて、自身の会社を住処として提供したという。(自分の部屋には彼女がいるから)
そして無事室長は地下2階に根城を作り、宮さんと佐久間さんという仲間を手に入れた。
余談だが、“特別研究室”というのは兄の趣味だそうで。こんな身近にもロマンが捨てきれない大人がいたとか。
しかし、いざ魔法少女として戦って貰おうと女性を選抜する時に躓いた。
実は兄の会社には若い女がいないらしい。酔っ払い同士の噛み合わない会話の当然の結果だろう。
何故いないのかは兄曰く、
『未婚の人はすぐ辞めていっちゃうからー』
そういう理由でうちの会社には今、30後半以上しかいない。勿論子育て真っ最中か卒業組のみ。気付かなかった。
でも前に、私が来るまでに確か何度か変わったと聞いていた。
まさかとは思ったが予想は当たるもので、例に漏れず比較的若い方からあの部屋へ左遷していったらしい。
そりゃ辞めていく筈だ。
百歩譲って最初はよくても、体力的にも精神的にもキツくなっていくだろう。
魔法少女を終えたお姉さま方はその事を忘れ、今は元の部署に戻り平和に仕事中との事。
そして候補の女性が根こそぎいなくなった所で、今から半年前、私が兄の会社に呼ばれたのだ。
「身内を売り飛ばしたのね、兄さん」
『そ、そういう事じゃないんだよ……! た、ただ、戦える女の子が欲しいって言われて、浮かんだのは庸子だけだったんだっ』
「だからと言って柔道が役に立つと思ったの?」
『うっ。そ、それは……! でも庸子、昔言ってたじゃん! “私、正義の味方になりたい!”って!』
「ぶっ」
思わず毛布に唾が飛んだ。何てものを覚えているんだこの兄は。
しかし、お陰で思い出してしまった。
それは確か、私が柔道をやるキッカケだった。
強くなって、自分をチビだの女だからだのと馬鹿にする奴らをボコボコにしたかったんだった。
その頃の私にとって、そいつらが悪だったから仕方がない。
しかしまだまだ幼かった私は、無限にある可能性の中、柔道を教えていた父にこれ幸とそそのかされ、まんまと柔道を突き詰める羽目になったのだ。
そして。
結局奴らをボコボコにする所か厳しい礼儀を教えられ、更に手を出せない私に調子に乗った悪はつきまとったあの幼き日々は、今も忘れない―――
「…………しょっぱい……」
涙が溢れんばかりである。
まさかそれが今頃になってブーメランしてくるとは、人生何があるか分からない。
『で、でもな! ちゃんと言った事は守ったんだよ、有希ちゃんは!』
「何を?」
『半年は待ってあげてって。就職して働くのが初めてなのに、いきなり二足の草鞋は駄目だって言ったんだよ、俺は』
そして半年くらい経った時にとんでもない事件が起こったから、丁度よかったという事か。
うーん。私はここで感謝するべきなのか? よく分からない。
『兄ちゃんはいつだってお前の為にしているんだよ! それは信じて!』
「……分かった。ありがとう、兄さん」
『よ、庸子ぉぉおおお……!!』
御年33歳の兄が、電話の向こうで泣き叫ぶ。
年の離れた兄だから、過保護になってしまうんだろう。彼の中で、いつまで経っても小さい妹のままなのだ。
いくら背負投をしても腕挫十字固をしても色んな技を試して打ちのめすのにも関わらず、守るべき対象から外れない。
それどころか逆に凄いぞと撫で回されるだけだ。
こんな兄だから、言う事を聞かないわけにはいかなくなってしまう。
「……仕方ない、腹を括って行くか」
『おう、頑張れ! いつでも兄ちゃんは、遠くから庸子の活躍を見守っているから! 早くバッチリ正装した姿見せてくれよなー!』
「え?」
ブツッ。
電源が切られた。黒い画面。静まる部屋。
沸き上がる行き場のない怒りのせいで目が冴え、しばらく眠れなかった事は言うまでもなかった。
*
「やぁ、おはようヨーコ君! 今日も爽やかな朝だな!」
「たった今暑苦しくなりました、おはようございます室長」
今日も近所を走っていると、自然に横に並んでいた。
昨日の兄の話を思い出し怒りがこみ上げる。
「聞きましたよ室長。兄と知り合いだったんですね。どうして最初から言ってくれなかったんですか」
「お、やっと知ったのか。全く、遅いくらいだぞ? ヨーコ君はもう少し、素性の知らない人間には積極的に疑って調べるべきだと私は思うぞ」
「そうですか」
私は室長から離れUターンをした。
素早くダッシュをすれば、大声を上げて室長が私を追って来る。
「どうして戻るんだね!」
「きっとまだ何か隠しているでしょう。怪しいので、とりあえず距離をとりました」
「うむ。賢明な判断だ―――って、ヨーコ君!」
「私の行動、兄に報告しているんでしょう? 付いて来ないで下さい室長」
隣に追いついた室長に笑って言ってやれば、ヤバイ、といった風に頬を引き攣らせた。
室長を置いて独走を図る。
白衣が映らない視界には、公園で早起きしている老人達がゲートボールを楽しんでいる様子が入ってきた。
数人に手を振られたので振り返すと、彼らの手は角度を変えてまだ振られている。
こっそり後ろにいる室長を盗み見れば、手は振っているものの、オレンジ色に光る瞳はどこか真剣に遠くを見つめているようだった。
「……室長?」
「む。うっかり太陽の光を目に入れてしまったな」
真剣にアホをやっていたのか。
脱力して先を走る。
走りながら、後ろの室長に大事な事を聞いた。
「もう1つ、聞いてもいいですか?」
「ああ、何でも聞くがいい。全て答えてやるぞ! そういえば私のプロフィールがまだだっ―――」
「残業代ってどこから出てるんです? まさか不正ではないですよね? 困りますよそれは」
私が言えば、さっきまでの雰囲気が嘘のように、いつもの室長が勿論だと答える。
「この魔物討伐は王命なのでな。国で採れる金を合法でこちらに持ち込んで、紙幣に変えているだけだから安心するがいい」
「はい」
綺麗なお金だった。これなら安心して受け取れる。
相変わらず隣に暑苦しい室長なのに、
何故か、少し清々しく感じた。
*
「……はい……。僕は着ましたよ」
そう言って袴を着た佐久間さんは私の前でVサインを作った。
だからなんなのだろう。
そして私の目の前で脱ぎ出した。
突然、特別研究室で男のストリップが始まった。
見ててもいいのかなぁと周りを見回すと、宮さんはテレビに夢中で、室長は勿論ストリップを観賞する事はせず、私の衣装の最終確認をしている。
ステッキもリボンが付けらりたりしてバージョンアップしているけど、私の相棒は金色が眩しい高山さんだ。浮気をするつもりはない。
―――ではなく、パンイチになりかけている佐久間さんにストップをかけた。
「ちょっと待ってください佐久間さん。どうしてそれで行かないんですか」
世の中に潤いを与えましょうと時刻を見れば、まだ残業まで時間はある。着て即脱ぎとはどこのファッションモデルだ。
それに何故写メを撮る時間を与えてくれないのだろう。
その為の準備をしてくれているのだと思っていたのに。撮ったら友人に売っ払……見せてあげるつもりだったのに。
「こんな裾広では運動に適していないので……」
ね? と目を細めて笑う。
どうやらここでも私の言葉の揚げ足を取るつもりらしい。
一緒に働き始めてからようやく分かった。佐久間さんは結構いい性格をしていた。
一番の強敵かもしれない。
*
町の隅に現れたという魔物を追い、とある廃墟に辿りついた。
4階建てくらいある白い建物で、窓が割れ、壁にはヒビが入っていてとても人はいそうにない。何の為にここに現れたんだろう。
少し中を覗けば、扉らしきものは壊されていて吹き抜けだった。風通りは大変よろしいようだ。
「よし、ヨーコ君! 生憎ここにはトイレがないから、特別に私が魔法で着替えさせてやろ―――」
「心配はいりません。私はその辺で着替えてきますので、それまでよろしくお願いします」
横の空き地には、うっそうと茂る竹薮があり、日が沈んだ今なら少し奥に入れば見える事はないだろう。
着替えの入った紙袋を持って中に入っていく。紙袋からはみ出た衣装がさわさわと草を鳴らせた。
竹薮の向こうでは魔物と対峙している声が聞こえてくる。
自分の所から見えなくなったのを確認して、衣装を出した。
……ついに、ついに来てしまった。この時が。
「……」
眺めていても魔物は待ってくれないので、恐る恐る袖を通してみた。すんなり入る。
大きくも小さくもなく、サイズがちゃんと合っているのが腹立たしい。どこからの情報だろうねぇ。
「ヨーコ君! 魔物がそっちへ行ったぞ!」
室長の声に竹薮から出れば、かなり大きい物体が眼前を覆う。
縦横に大きいそれは、蛸のように丸い頭に細い身体だが、スライムのように上から溶けだしている。不完全体なのだろうか、動きはとてものろい。
「気をつけろ庸子、こう見えてこいつはレベル10だ。俺が注意を引き付けるからお前は―――」
「本当ですか。分かりました任せて下さい」
「って庸子ぉぉおおお!!!」
衣装で打ちのめされたモチベーションが一気に上がり、駆け出そうとして肩を思いっきり掴まれる。
その反動で宮さんの筋肉々しい胸の中へ、背中からダイブしてしまった。だけど彼の筋肉にはクッション性は見当らない。
痛む頭を擦りながら宮さんを睨む。早くしないと3万円が逃げてしまう。
「いたた……宮さん、何なんですか?」
「何なんですかじゃないだろ! こっちが言いたい! 何だそれは……どこの女子高生だ!!」
宮さんが指差した所を見れば私の下半身。
「……庸子さん…………」
「ヨーコ君!! どうして下にジャージを穿いているのだ!? 折角スカートとニーハイの間の絶対領域とやらを拝めると思ったのに何をしてくれる!!!」
「穿いてますよ」
ほら、とジャージを下げて白のニーハイを見せてあげた。
衣装を着るという約束は守ったと仮面の隙間から3人を見れば、目元を押えている。そうじゃないだの色気がないだの、萎えるだのなんだのと、好き勝手言っているのが聞こえた。平和だな。
だけどね、仕方ないじゃないか。もう秋の夜なのだ。
10代のように太腿まで足を曝すなんて事、とても出来やしない。鳥肌物だ。
皆確認したようなので、いそいそとジャージを上げる。
そしてまだどろどろしてこちらを待ってくれている魔物に向かって走った。
すると魔物は、その巨体を器用に動かし廃墟の中へ入っていってしまう。
それを追いかけて2階へ上れば、ぽっかりと広がった空間に出た。
柱も壁もない、真っ暗の吹き抜けた空間。
部屋に一歩踏み込むも、魔物が見当たらない。更に上へ行ったのかと、上の階に昇ろうと壁伝いにある階段へ向かおうとした瞬間、首にぬめった何かが巻き付いた。
「うっ」
それは身体や足に巻きついて、ギリギリと締めあげられていく。見える視界で黒い物だと確認し、根元を辿れば先程の魔物が天井から落ちてきた所だった。
本体から無数に伸びるそれは、ウネウネと動いてぬらめいている。
触手だった。
まさか私にセオリー的な何かが降りかかるとは想像もしていなかった。
だって今まで邪道による邪道を走っているつもりだったのに。
目的は私だったのか。
しかしどう見ても早朝枠ではなく深夜枠のものだった。まぁ、18歳以上しかいないから当たり前か。
冷や汗を垂らす私に構う事なく、くん、とひき、身体が逆さまになる。服から出る素肌に当たる奴の触手が、凄く気持ち悪い。
高山さんを奪われ、両足に巻きついている触手がそれぞれ違う方向へ力を入れていくので、あっけなく大股開きになってしまった。
フリフリのスカートが、重力に負けて腹に落ちてくる。ジャージを穿いていてよかった。パンツ丸出しになる所だった。
心底ほっとしていると、そこでようやく3人が入って来る。
「庸子!」
「庸子さん……!」
「ヨーコ君!!!」
そして私の状態を見た若干1名……じゃないな、3人の表情は、心配しているそれじゃなかった。
素早く視線はジャージの方へ行くと、皆で一斉に眉を寄せる。
……全く男ってやつは、本当どうしようもない。
「何じっくり見てるんですか。早く助けて下さい」
腕も後ろに捕まり、重力に負けて頭がブラブラしてしまう。もう既に血が上り気味である。きっと顔が赤くなっている。
そして腹に巻きつくせいで、口から何かが出てしまいそうだ。
「す、すみません……今助けます……!」
いち早く戻ってきたのは佐久間さん。ムッツリがガッツリと変態に勝った瞬間だ。
木刀を両手で持ち、走りながら下から上に降り上げようとして―――
「う、わ……っ!?」
横から伸びてきた触手に捕獲されてしまった。
口を塞がれ、木刀が落とされた。そして身体中に触手が這いまわり拘束する。
私より強く巻かれているようで、苦しいのか、塞がれた口から時折悩ましい声が聞こえる。別に私の顔が赤いのは元からですからね、佐久間さん。
「佐久間の見ても嬉しくもなんともねーよ!」
その映像美を見て不本意だというように魔物に抗議する宮さん。
「ヨーコ君は苦しくないのか!? どうしてだ!!」
私を責める室長。
なんて平和。
そんな宮さんと室長が触手に絡め取られるのは省略しておこう。
結果、仲良く皆で魔物の触手に捕らわれ、宙を漂っていた。
ぬるぬるは気持ちが悪く、生理的な涙が出てきてもう我慢出来ない。
「室長、早く抜け出したいので、あいつに効く魔法を教えて下さい」
「わ、分かった。これはやむを得ない」
華麗にエビ反りになっている室長は己が苦しいのか、直ぐに是を唱えてくる。
しかし再び口を開こうとした瞬間、ずぼっと触手が入り込んだ。……うぇ。絶対嫌だ……。
呻く室長を見て反射的に私も口を閉じると、その上から触手が巻きついてきた。間一髪。
間一髪、じゃない。
周りを見渡せば、攻撃出来そうな人がいない。
宮さんも佐久間さんも無残な体勢になって捕らわれている。これは色々沽券に関わるだろう、私は見ていないフリをした。
しかし私も私で、声が出せなければ魔法も出せないし浄化も出来ない。
凄くピンチだ。
そうこうしているうちに私の身体に巻きついている触手が動き、その行きつく先を見れば、縦にぽっかり空いた魔物の口。
「んー! んー!」
精一杯喚いても何も言葉にならない。
唾液が顔に滴る。
もう駄目だ―――!
そう思った時、辺りが眩い光りに包まれた。
そして聞こえる筈のない大きな太刀筋が聞こえたと思うと、低く耳障りな叫びが轟いた。
瞬間、身体に巻きついていた触手の拘束が緩み、身体が頭から落下するのを感じる。
次来る衝撃に目を閉じると、身体が誰かの腕の中に落ちた感触がした。
落ちたというのにビクともせず、肩と足裏に触れる手は力強く、がっしりと包んでくれる腕の中は安定している。
先に着地した誰かがキャッチしてくれたのだろうかと目を開けると、黒いマントが視界に広がった。
そして。
「―――大丈夫か?」
私にかける声は、聞いた事の無い声だった。