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「……今日、宮さんは戻れないそうです」
佐久間さんがレベル5の顔が3つある虎っぽい魔物に向かって、木刀を振り下ろしながら言った。左手にはスマホ。器用な人だ。
気だるげに木刀を持つ姿はとても様になっている。
「どうしてチヒロ君のところに連絡がいくのだ!?」
「電話……全然繋がらなかったらしいです」
「む」
ごそごそと白衣のポケットを探り、取り出した携帯の画面は真っ暗だった。
うっかりしていたと言う室長に、私と佐久間さんはため息を吐き、住宅路の先に現れたレベル7の魔物を追う。それは直ぐに曲がって視界から姿を消した。
「じゃあ今日は私と佐久間さんだけですか」
「そうなります。頑張りましょう。今日は中々レベルが高いので、気をつけてくださいね……」
軽やかに走りながら私に気を使う佐久間さんの息使いは、乱れることを知らずいつも通りだ。その後ろから息を切らしながらついてくる室長とは大違い。
「そういえば、佐久間さんて何かしていたんですか?」
木刀と佐久間さんを交互に見て問いかけた。
「え? ああ、昔剣道をしていました」
「それであの手練れな感じなんですね」
私がそう言うと、少し照れたように笑う。
「まぁ……竹刀じゃやらない振りですけどね。完全自己流です」
成程。この残業を手伝うのだ、やはり何かしらの心得がないとやっていけないだろう。
魔法が使えない男性なのが残念なくらいだ。きっと彼がメインでやれば、大人のお姉さん達に大ウケな戦隊物になっていただろうに。
でもあまり暑苦しさが感じられないから、レッドじゃなくてグリーンあたりだろうか。走りながら真剣にそう考え込んでいると、住宅路を曲がった瞬間女の子の悲鳴が聞こえ顔を上げる。
「や、やめて……! 来ないでっ!」
見れば先程追っていた魔物が女の子の前に立ちふさがっている。
私達に気付いた魔物はその女の子の腕を取り、空いている手で首を持った。苦しそうにもがく女の子の足が宙を蹴る。
【うわ、な、なんだお前……!】
「正社員庸子です」
【ちっ。気持ち悪ィ妙なのが来やがった。まぁいい、おいお前らそれ以上近寄るなよ。寄ればこいつがどうなるか分かってるだろうなぁ!?】
よく見ればその魔物は、ふさふさの毛に覆われた2メートルくらいのゴリラのようなイエティのような体躯と四肢を持つ風貌で、人にケチ付ける事が出来るくらいの知能がある。それはレベルが高くなるにつれ賢くなるのだ。
今もこうやって人間を人質にしているのがいい例だ。
私を筆頭に3人が動けないのを見て、女の子を持ったまま背中を見せた。
なんで見せるんだ。馬鹿か?
背中を見せたまま走り出そうとする魔物に向かって、バットを振りかぶりながら近づく。そして軽く飛んで、女の子を持っている腕の付け根に力の限り振り下ろした。
綺麗に入ったものの、思っていたよりも硬質な皮膚だったせいで腕が痺れ、手からすっぽ抜けたバットが塀を超えて飛んでいってしまった。
ガシャンと鳴る窓ガラスの音。気分はもうの●太君だ。
「ひぃっ」
【ギィ……ぁっ!】
汚い声を出して膝をつく魔物。そこから解放された女の子は、腰を抜かしながらずるずると塀側に寄っていく。
そこに佐久間さんが近寄って行って女の子を抱き上げ、魔物から遠ざけて行くのを手の指の隙間から確認した。室長はいつの間にかいない。何故。
いやしかし、今は室長の不在にかまけている場合じゃない。
逃げる2人に気づいたのか、魔物は唸りながらも私の背後を見据え立ち上がったのだ。
【待て……人間……っ!】
先程打撃をくらったとは思えない程俊敏に手を伸ばすので、痺れ震える私は反応が遅れ、バットを掴む手が空を切ったのにようやく気付く。バットは他所の家だった。ヤバイ。
すぐ目の前には魔物。
だけど生憎、私の得意分野は野球じゃないのだ。
人に似ている形だったのが運の尽き。
すぐさまがら空きの懐に入り込み、中央に向かって手を伸ばす。
「あ」
衿がない。
当たり前の事だった。
しかし伸ばしてしまった手は引っ込みつかないので、そのまま体毛を掴み、右足を力一杯腹に打ち込んだ。
浮いた巨体は私の上を通過し、派手な音を立てて頭から地面に倒れた。
久しぶりの巴投げである。
起き上がりながら確認すると、仰向けで動かない魔物。
それを見てホッと胸を撫で下ろす。上手くいってよかった。
「無事ですか?」
すぐさま佐久間さんと女の子のところに駆け寄ると、私を見た女の子が目を見開いて、そして気を失ってしまった。
「……」
「……」
変な空気が辺りを流れる。
まぁ仕方ないか、と頭をかいていると、佐久間さんの木刀が私の顔の横を通った。風圧で髪が揺れる。
素早いそれに、全然目が追い付いていかなかった。
驚いて振り向くと魔物は起き上がっていて、今まさに私を狩らんとする態勢で突き刺さった木刀により、その動きを止めていた。
いつの間にか近くにあった佐久間さんの顔を見れば、儚げで麗しいと思っていた瞳が、刃のように鋭く、かつ妖しく艶めいていた。初めて見る佐久間さんの真剣な表情。
簡単に言えば怖かった。
魔物と戦っている時こんな風だったんだなぁと、この場に似つかわしくない感想が脳裏を過ぎる。
するとその目がキョロリと私に向いた。
「……庸子さん」
「は、はい」
「浄化をするまで気を抜いてはいけません」
「はい……すみません」
僕もですが、と鋭い瞳は形をひそませ、いつもの柔らかい笑みを零す。
「浄化を」
言われるがまま、白いモヤを出してピクピク震わせる魔物に向かって呪文を唱える。
大きかった魔物もあっさりとその場から消え、ここに残るは私達2人と気絶した女の子。
ようやく姿を現せたと思った室長は家の中から出てきた。そしてバットを私の手に渡してくれる。
「室長、女の子を見捨ててどこへ行っていたんですか」
「す、すまない……。あの……あー……」
口ごもりながら両手で私の頬や肩を撫で、手を握った。
「私は女の子じゃありません。そっちの子です」
室長の手を払い、佐久間さんに抱かれている女の子に近づき、ポケットに入れていたハンカチで目の端に溜まっている涙を拭いてあげる。
すると同じく側に来た室長が女の子の瞼の上に手をかざす。聞きなれない言語を紡いだかたと思うと、その手が淡く黄色に光った。
光が収まれば室長は傍を離れる。そして女の子は目を覚まし、頭を押さえた。
「あれ……私、どうしてこんな所で寝て……? きゃっ」
自分を抱いているのが佐久間さんだと認識すると、可愛い声をあげて飛び退く。
そして顔を真っ赤にしながら頭を下げる女の子に室長は、電信柱にぶつかって倒れていたんだと説明した。すると女の子は納得したように佐久間さんの手を取って、何度も何度もお礼を言ってから帰っていったのだった。
しかしなんてベタな嘘。
辺りを見回すも、電信柱なんてどこにもないじゃないか。
だけど、室長の力で彼女にそう思わせたのだろう。
これが室長の力。
彼しか持たない、魔法の力。
「……あ。もしかして、あの家に行ったのは私の後始末をしてくれていたんですか?」
「まぁ、そんなところだ」
そう言って室長はさっさと次へ向かう。
何故いつものようにえばらないのか。
きっと、今までもこうやって気づかせないよう暗躍してくれていたのだろう。部下の不手際は、上司の責任になってしまうのだ。
「すみません。ありがとうございます、室長」
小さくなっていく室長に声をかけた。聞こえている筈なのに振り向かない。
「……全く……よく分らない人ですね」
「はい。僕から言えば、庸子さんもよく分からないですよ」
「そうですか?」
「そうですよ」
ふふ、と小さく笑われた。
益々分からない。こんなに分かりやすく金の亡者なのに。今度はこっちの人が分からなくなってきた。いや、元々か。
ふんわりと微笑んでいる彼をじっと見ていると、『明日も会社に来ますか』と聞かれたので、勿論と返した。
すると少し目を見開き、再び目を細める。
「……ほら、変」
カーディガンで口元を隠しながらくすくす笑う。
何が変なのだ。明日は普通に平日、会社へ行くのは当たり前じゃないか。学生でもそうだ。
どこに笑うツボがあったのか分からないが、1つ言えるのは、佐久間さんに言われたくないという事。
笑いも止まないまま次へ行こうと促す佐久間さんに反論するのも無駄だと思い、言葉を飲み込んで室長を追ったのだった。
*
「ちょっと!? 俺がたった1日いなかっただけでどうしてそんなに仲良くなってんだ!? 仲間外れ反対!! イチャイチャ反対!!」
「宮さんの目は節穴ですか?」
今日も今日とてお茶を淹れて戻ってきた私に、宮さんは噛みついてくる。
ここ数週間、あいつと別れてから異性との触れ合いがない私にこの言われよう。宮さんは勝手に触ってくるから論外だ。
そんな話はいいから、早くその机の上に置かれた出張のお土産を食べさせてくれ。食べたくてうずうずしているんだが。横にいる約1名も。
「宮さん、話はいいから早く食べましょう……羊羹が僕を待ってる」
「そうはいくか! お前が手伝いするなんて初めてだろうが! こんなアカラサマなサインをどう見過ごせと!」
私が使わせて貰ってる室長の……ああもう面倒くさい。私のにしてしまえ。私のデスクにのせた4つの皿を指し、台所を指したのだ。宮さんは。
確かに、お茶を淹れるのに台所へ行った私の後ろから佐久間さんに『手伝います』と声をかけられ、それならばと任せて皿とフォークを用意して貰った。
お陰で羊羹にありつける時間が短縮されたのだ。これですよ室長、時間のエコ。
きっと佐久間さんも早く食べたいと切に思って、俊敏とは言えない私の手伝いをしてくれたのだと思っていた。
成程、それは佐久間さんの親愛からの行動だったのか。
ごめんなさい佐久間さん、勘違いしていました。
「……昨日、素晴らしいものを見せて貰ったので」
「着たのか!? ついに庸子が着たのか!?」
「私はいつも通りです。そして女の子を気絶させました」
「は!?」
がっくり肩を落としたかと思えば、目を見開いて再び顔を上げる忙しい宮さんに、内心ため息を零した。
まだあの衣装に拘っているのか。
やはり自分が着たのだから、抜け駆けは許さないとでもいうのか。
その隙に佐久間さんが羊羹を頬張る。負けじと私も手を伸ばす。
「ひょほえはえへふ」
「なんだって?」
「……巴投げです。バットも無くて危ないと思っていたのに、こんな小さな身体で倍ほどある魔物を投げたんですよ。それはもうテレビを見ているかのような鮮やかさでした」
「バットが無かったぁ!?」
大丈夫だったのかと凄い剣幕で宮さんが詰め寄って来る。この通りピンピンしていると胸を張れば納得してくれた。
しかし佐久間さん。
もぐもぐと咀嚼をしながら至って真面目な顔をして私を褒めちぎるとは上級者すぎる。
私の柔道友人は皆出来て更に迫力があるのだが、ここは黙って甘受しよう。いささか誇張表現があったのは目を瞑るか。
「佐久間さんも、いつものんびりしているとは思えない程剣士で凄かったです。これで袴を着たらバッチリですね、きっと」
そして褒め言葉には褒め言葉にと昨日思った事を言えば、少し頬を赤らめ歯を見せて笑った。どうやら照れたらしい。
室長室長、是非夜鍋でもなんでもして佐久間さんに袴を。そう思ってソファーを見れば、毛布をぐるぐるに被った室長のはみ出した足しか見えない。
むぅ。今度起きている時にでも真剣に衣装の相談をしなければならないな。
人がそう考えている隙にもまた羊羹が減っている。犯人を見れば両方の頬が膨れている。なんて横着な。
私と目が合うと、そそくさと自分の席に戻って毛布に包まった。
……やっぱり、食べたかっただけじゃないんだろうか。
宮さんを見ると、頭をぽりぽりとかいた。
「……まぁ、相手は食い気しかねぇあいつだしな。そう簡単に浮いた話にはならねぇか」
「私の色気不足ですか」
「男気は十分だったがな」
そう言った宮さんだけど、危ないからバットは片時も放してはいけないと言いつけられる。どうやら、いつの間にかバットは私のチャームポイントになっていたようなので、素直に頷いた。
ならば親しみと敬愛の意を込めて、今日からあの金色のバットは高山さんと呼ぶ事にしよう。
しかし。
あの男っ気浮いた話ゼロの暗黒の学生時代を終えた私に、まだ色気より男気が勝るとはこれいかに。
だけどこの豆だらけの手を見れば悲しいかな、納得をせざるを得ない。
それを佐久間さんは認めてくれたのだろう。
“明日も会社に来ますか”
あれは恐らく、怖い目に遭っても私がセンターを張れる器であるのか、次の日出社出来る気概を持っているのかどうか、試した言葉だったのだ。
そして合格したのだろう。
それは素直に嬉しい。と思う。努力が認めて貰えたという点で。
まぁ、女装する日々に終止符を打っただけの私を仲間として見れというのも、剣士の佐久間さんには難しかったのかもしれない。
そして今日、ようやく本当の懐に入れて貰えたのか。とても嬉しい。
ありがとうと心の中で手を合わせていると、毛布に包まった佐久間さんが身じろぎ、その中から声が聞こえてきた。
「……明日、袴持ってきます。高校の時のですけど……。庸子さんも、折角室長が作ってくれたんですから着てあげてくださいね」
「ぶっ」
私は口に羊羹を入れたまま盛大にむせた。
むせる私の背を撫でる宮さんがニヤニヤ笑っている。その目は断れないだろうと語っていた。
身から出た錆、口は災いの元。
撤回するにももう遅い。
そして佐久間さんと入れ替わりに起きた室長が、ソファーの上に立ち上がる。
「やるなチヒロ君、ナイスアシストだぞ! やはりムッツリは言う事が違うな!」
「なんの事ですか室長。もう嫌ですね寝ぼけないでください羊羹あげますから」
まだ切っていない羊羹を声高らかに笑う室長の口にインさせた。大きく開いていたから入れ易い事この上なし。
「佐久間が庸子の言う事聞くんだ、もうこれは佐久間の言う事も聞いてやらにゃならんよなぁ?」
「ちょっと佐久間さん、私の感動を返して下さい」
当の本人は最早微動だにしない。
既に夢の中へ旅立っているというのか。
そして私の前に、再びはらりと華麗に舞う衣装。それは1番小さいやつで、私のものだと思わせる。
その素早さに魔法を使ったのかと思うくらいで、呆れてしまった。
私の前に再び現れたふりふりのピンクの悪魔。
……どうしてくれよう。