19
【やぁサンタさん。今日はとてもイイ天気だねー】
雅人はニコニコと笑いながら、ガラスや酒、イルミネーションの燃えカスが散らばった道をゆっくりと歩いてくる。
近づくにつれ、その顔は生気がないように真白いのが見え、1週間前回復したあの姿ではなかった。
それもその筈、雅人の周囲にはおびただしい量の黒いモヤが集まっている。
「室長……もしかして雅人が……」
避難解除して私の隣に来た室長に聞けば、予想は外れず室長が頷く。
「恐らく、彼がこの一帯のモヤのガンだ。―――彼を倒さなければ、人々は元に戻らない」
後方で雁字搦めに捕らわれている人々がいる。
だけどぐったりしている人達ばかりで、ピンピンしている人達の姿が見えない。
先程より数が減って見えると言うと、素面の人達は記憶を消して結界の外に出したと室長は答えてくれた。
「そうですか。すみません、雅人が迷惑をかけます」
「いや……それはいいんだが……」
身内の行ないを謝る私に、何やら室長は煮え切らない返事をする。
首を傾げると、私の肩に極太の腕が圧し掛かった。
「あれだよ、庸子。かつて恋人だった奴が敵に回って、お前もやりにくかろうって言いてぇんだよ、室長サンは」
「成程」
宮さんが言うと、室長は気まずそうにしながらコクリと頷いた。
再びセオリー通りの展開になってしまったというわけだ。どちらかというと昼ドラの方に近いけれど。
「だから……代わりに僕がやりましょうか?」
近づいて来る雅人から庇うように、佐久間さんが目の前に立つ。その手の木刀が、いつでも雅人に向かうよう立てられている。
にっこりと微笑む佐久間さんに嬉しい物を感じるが、首を振って佐久間さんの元へ向かった。
隣に立つと少し困ったように眉を寄せ、木刀を下ろしてくれる。
「……本当に大丈夫ですか? 無理しているのだったら僕、怒りますよ?」
「佐久間さんを怒らせるなんて事しませんよ。それに、これは私がやらなきゃいけない事ですから」
諸々の私情を知っているからこそ、複雑そうな顔をしてから小さく笑う。そして1つ私の頭に手を置いて、『頑張って』と呟いてから室長達のいる所へ戻って行った。
周りに誰もいなくなった事を確認してから雅人に向き直る。雅人の前に立ちふさがった私と目が合うと、やや首を傾げて立ち止まった。
【なーに? 僕の相手サンタさんがしてくれるのー?】
「髭なしサンタでよければよろしく」
【わービックリー☆僕みたいなヤツにサンタさんが来るんだねー】
嬉しそうに笑い、再びじりじりと近づいていく度に、ある1つの“もしかして”が思い浮かぶ。
パキ、と小さく音を立てるガラス。それを踏む足は裸足だ。
【―――クリスマスなんて嫌い。来なければいーのにね】
そして地面を蹴ってこちらへ向かって来る雅人の瞳に、“私”は見えない。今の私は赤い帽子をかぶっているだけの変装も適当なおちゃらけたジャージだ。
顔もバッチリ見えているのに私の名前を呼ばないという事は、恐らく雅人の意識は無いという事で間違いないだろう。
それに、血が出るのも構わず悪状況の地面を走る根性は、甘ったれの雅人には無い筈だ。
向かって来る雅人の手のひらには、あのプレゼント爆弾が生成されていて、私は迎え打つ為、腕を広げた。
「ヨーコ君っ!!」
「庸子っ!」
「庸子さんっ!」
背後から私の名前を呼ぶ声。
心配の色が乗る声は、荒んでいた私の心に染み入ってきて、少しこそばゆい気持ちにさせてくれる。
―――空を仰げば、煌く星達の輝きと共に色々な思い出が頭の中に瞬くように現れてくる。
初めてのデートでバカみたいに遊んだ遊園地、へとへとになって2人で帰りの電車で爆睡して降り損ねた時から、その心地よさが無くてはならないものになっていた。
一緒に寝ると必ず腕枕をしたがる雅人に無理するなと腕挫十字固かけたくなるのを堪えて目が冴えて眠れなくなったっけ。
バレンタインのチョコをあげれば子供の様に喜んで、ホワイトデーのお返しの温泉旅行時は、浴衣にサソリ固めっていいなって目醒めたりもした。
クリスマスにはキバッて高いディナーに連れてってくれたけれど、結局雅人はワインを溢して失敗して頭かいて、そして照れるように笑って。
窓辺で年越しの除夜の鐘を聞いている時、後ろから抱きついて来る雅人に背負い投げたくて必死に煩悩を払っていてばっかりだったなぁ。
次々に現れる思い出に、子供の様な笑顔を見せる雅人以外は見当らない。
視線を戻せば、迫る雅人。その顔には濁る瞳に歪み笑う口。
それはまるで別人のようで、私の知っている雅人ではない。
あと3、4歩の所まで来た雅人に向かい、広げた腕の先にある高山さんで突いて、手のひらにある物騒な物を叩き落とす。
落ちて爆発したのを見て傷む手を庇うように手を伸ばし頭を垂れた雅人に、まだ伸ばしていた左腕を曲げて少し角度を整える。そして少し出た喉仏へと押し込んだ。
【っぐ、ぅえっ!!】
反動で仰け反り、私から離れるように後頭部から地面にいってしまう雅人。慌てて駆け寄って見覚えのある服の襟を掴み、身体を反転させる。
久しぶりの雅人の背中。
相変わらず美しい。思わず惚れ惚れしてしまう。
「…………庸子?」
うっかり見惚れて動きが止まってしまった私を訝しむ宮さんの声が聞こえるが気にしない。
これは私と雅人の問題だ。
【う……あ、離せ……っ!】
腕を捻り上げながら膝立ちにさせれば、明るめの色をした後頭部が丁度胸の位置にある。
私に届く、甘い香り。
首に腕を回すとそれは一際濃くなった。
「……ねぇ雅人」
【く、かぁ……っ】
雅人を抱きしめる腕に力を込めていく。
今までの想いを全て込めるように。
雅人の手が私の腕に伸び、ぎゅっと掴まれる。
受け止めてくれるのだろうか。
―――最初で最後の、私の気持ちを。
「人に迷惑をかけてはいけませんって学校で習わなかった?」
今生の想いを込めれば。
雅人は私の胸に頭を預けた。
ずるずると下がって行く雅人に合せて膝をついて上から顔を覗きこめば、そこには穏やかな顔をして目を閉じている姿があった。
その顔があまりにもいつも通りで、思わず笑いが漏れる。
「殺したのか?」
「そんな訳ありません」
大量の白いモヤが漂う中から、いつの間にか後ろに来ていた宮さん。その言い草は酷いと思う。
文句を言おうと振り返ろうとすると、頭の上に大きな手のひらが置かれた。
そしてぐしゃぐしゃとかき回すものだから、頭が鳥の巣のようになってしまった。
「……宮さん」
「ほら、お別れしな」
「だから死んでませんってば」
軽く笑っている宮さんを尻目に浄化の呪文をかける。
「さようなら」
そう呟けば、胸のつかえが無くなったみたいにスッキリした。
覆う白いモヤは消えてなくなり、辺りを漂っていた黒いモヤも、人に纏わりついていたモヤも消えていて、私の回りはいつも通りの平穏さを取り戻している。
眠っている雅人の顔にある煤を払ってあげるとむずかる雅人。こうしているとやはり可愛い。
「ご苦労だった、ヨーコ君」
「室長」
佐久間さんと共にやってきた室長に頭を下げる。
室長は町の人々からこの件の記憶を消し去り、この空間から外に無事送り出してきたと言った。
辺りを見回し、本当に人がいなくなったのを見て、ホッと胸を撫でおろしている私の肩を室長が叩く。
「―――君はようやく選べたのだな」
見上げれば、優しく微笑む室長の顔。
「室長……」
「ラリアットからのスリーパーホールドか。見ているだけでどこか色々と縮みあがる技だな」
「……」
たまにはいい事を言うんだなと見直しかけていたのに、期待を裏切らない人だ。
「……それにしても、やけにアッサリでしたね」
佐久間さんが傍でしゃがみ、私の顔を覗き込んで来る。
ふわりと笑う笑みに、荒んだ心も癒されてゆく。
「本当に。雅人を親にするなんて間違えてますよ。せめて飛鳥レベルじゃないと私には勝てません」
「そうじゃなくてその……もっとこう、倒せなくて悩んでピンチ、とかなるかなぁと……」
今まで女の腐ったみたいにうじうじ悩んでいた私だ。
そうなってもおかしくないと心配されていたのか。
だけど。
「思ってましたか?」
「えっとー……」
目が泳ぐとは正直な佐久間さんだ。両隣の約2名も口をつぐんでいる。
「……言ったじゃないですか、大丈夫ですって。私はあの日、皆さんに慰めて貰ったので」
仲間の支えがあったから、こうやって雅人に技をかけるなんて今まで出来なかった事が出来たのだと言うと、3人は照れたように頭をかいた。
デレただの素直で気持ち悪いだの言いたい放題聞こえて文句の1つや2つ言おうと思ったが、室長が真っ青な顔で頭を押さえてぶるぶると震えているのが目に入り、流石に見過ごせなかった。
「室長? どうしたんですか? もしかして本当に私の事気持ち悪いと思ってるんですか?」
私が声をかけるも反応がない。
どうしたのだろうと宮さんと佐久間さんと顔を見合わせ、室長の方へ手を伸ばす。
するといきなり地面が割れ、黒い手の様な物が生えてきた。
「うわっ!? なんだ、こりゃあ!」
「庸子さん、気を付けて……。何か、いつもと違う気がします―――」
佐久間さんに腕を取られ、クレバスに嵌まるという事態は避けられたけれど、ぐいぐいと生えていくそれに、嫌な汗が垂れた。
ぐったりとする雅人を引きずるように避難しながらそれを眺めている間にも、にょきにょきと勢いよく伸びてゆく。
勢いがなくなると、それはくるくると中心に巻きこんでいって、地面から土埃が舞った。
ポケットに入れてあった予備のマスクを装着して、口への侵入を防ぐ。
何かを形取っていくそれに、嫌な予感しかない。
「……室長。あれって、なんですか? どう頑張っても味方には見えないですが」
室長に問いかけるも、ダイレクトに食らっている他3人からは何の応答もない。
予備マスクのお陰で土埃が気管に入って来ない私の勝利だ。
そんな口に土を含んで手で押さえている3人を後ろに、目を凝らして形成されるその様子を見つめた。
ようやく晴れた土埃から現れたのは、黒いマントを羽織った人だった。
ブラック様が趣旨変えな登場でもしたのかと一瞬だけ脳裏を過ぎるが、どう見ても人間の形をした別の生き物だった。
体躯は宮さんより華奢ぐらいで、何やら上等そうなファーのついたマントに、中の貴族風な服がちらりと見える。肩幅が尋常じゃないのだが、何故なのかは分からない。
ついでに後ろには真っ赤な蝙蝠の羽が見える。
頭の両脇からは真っ直ぐのと羊の曲がったような角が生えていて、瞳は明るいグリーンで、眉間の上にはも1つ同じ目があった。第3の目というやつだろうか。
口から生える牙が吸血鬼にも見えなくはないけれど、きっとアレだと思う。
「なじぇ……なじぇこんあほころにはほーは……!!」
ようやく室長が答えてくれたはいいけれど、口の中にじゃりじゃりが入ったせいで大切な場面が大惨事になった。
しかし私の直感は当っていたらしく、魔王が来たらしい。
そりゃあ、今まで“魔物”と戦っていたのだ、そのボスが魔王であっても、それが来てもおかしくはない。
だけど。
「……向こうの魔法少女が駄目だったのに、こちらに勝ち目あるんですか?」
「知らん! そんな事、FAXには書かれていなかった!」
どうやらかなりのイレギュラーであるようだ。
慌てる室長、口を洗浄中の宮さん、袖を突っ込んで無事だった佐久間さんは私と目が合うと苦笑した。
【―――おい】
後ろからかけられた声に振り向くと、宙を浮いている魔王が腕を組んでこちらを見下ろしていた。
目が合いそうになって慌てて下を向けば、追って魔王の低い声がかかる。
【貴様だろう? ここ最近異世界で余の部下達を屠っているという魔法少女は】
「……」
【どうした、何ゆえ答えん】
「……王と伺ったので、許可なく声かけてはいけないかなと思いまして」
私が下を向いたまま言うと、ははっと高く笑う声を出す。
【良い心がけだ、小娘。良いだろう、面を上げ余の問いに答えるがよい】
「……ありがとうございます」
顔を上げてその緑の瞳を捉えると、それを細め、白い牙を出して笑っているのが見えた。
顎に添える指には、禍々しい爪が生えていてとても物騒だった。
「質問の答えですが、確かに私は魔法少女としてスカウトされ動いていますが、何分働き始めて2ヶ月足らずで知識も無く情勢に疎く。こちらにお出でになった魔物に何度も襲われ、滅するつもりもない矮小な人間である私めは、あまりの恐ろしさに抵抗せざるを得ませんでした。それに我が土地らを守らねばと思い、殿方のお力添えと共にそちらの元の世界へと丁寧に送り出してきた次第ですので、貴方の部下を屠ってきたか、という問いに対しては見に覚えがなく否を申し上げます」
鋭い目から逸らしては喰われると、じっと見つめながら出来るだけ丁寧に答えてみる。嘘は言っていない筈。
じんわりと出てくる手のひらの汗。
どのくらいの沈黙が落ちたのか、次に空気を震わせたのはやはり魔王だった。
【……っくく。ははっ、くはははは!】
悪の3段笑いが出たので、紛れもない敵だと認識する。
【くくくっ。面白いな、小娘よ。成程、あくまでもお前は自分は関係ないとしらを切るつもりか?】
「ただの一般市民でございます。右も左も分からない事ばかりで日々精進中なのですの、申し訳ございませんぬ」
段々言語がおかしくなってきた気がする。面の皮が剥がれてきた。
こんなかしこまった言い方なんてした事ないんだから仕方がない。ただならぬ緊張も相まって。
もう少しもてと自分に言い聞かす。
冷や汗が増す私を頭の先から足先までじっくり見やる魔王。
その様子はとても楽しそうだ。
【―――そうか。それならば仕方あるまい】
後ろの3人にも目を向けた魔王が、ふっと笑みを溢し言った。
そして私に背を向ける。
ひらりと舞うマントがなんとも気障ったらしい。
【後ろの脆弱な人間も、どうやら震えて手が出せないようだしな】
ちらりと肩越しでこちらを見た。その瞳はすっと細められる。
「そうなのでございやす。……と、いう事はお館様っ!」
【貴様に免じて出直そうか―――】
「おお!」
【―――なんて言うと思うのか阿呆が!!】
くるっと振り返った魔王が右手を突き出し、強い光りを放つ球を投げてくる。
長い茶番に痺れをきたしている男衆に雅人を任せて後ろに押し出し、向かってくる球を高山さんで打ち返した。
しかし、返っていく球は真っ直ぐに魔王目がけて飛んでいってしまい、私は声にならぬ声をあげた。
その球を首の動きだけで避けた魔王はコキコキと首を慣らし、白く尖る歯を見せてにやっと笑う。
【……成程、選ばれただけあるな、小娘?】
偉大なる魔王様にお褒めを頂いてしまった。
だけど完全なる濡れ衣、間違いな買被り。妙な株を上げてしまった。
野球経験のないただの柔道女子が、高山さんから離れた球の軌道なんて計算できる訳もないじゃないか。
しかし、魔王までノリがいいだなんて聞いていない。
しっかりとノリツッコミをしたのを私は見た。
感心する私を余所に何やら準備運動を始めた魔王に、遠くに逃げ走りながらどうしようかと3人に相談した。
雅人は宮さんの背中に担がれている。
「ヨーコ君! 今のヨイショはなんだったのだ!」
「いえ……力の差が月とスッポンだろうと思ったので、気分良くして帰って貰えたらなと淡い期待を抱きました」
「キャラぶれぶれの茶番だったけどなー!」
「落ち着いてください皆さん! 今はそれどころじゃないですから……!」
後ろを見て下さいという佐久間さんの叫びに振り返ると、無数にうねる黒い蛇。それはマントの先から現れていた。
それどころか魔王の手には、バチバチと光を放つ独鈷杵みたいな物が無数にある。
明らかに知恵と力のある相手に、響子さんにも心配される低魔力の私にどう戦えというのだ。
こんな初期設定で魔王を倒しに行くゲームなんて聞いた事がない。
バット1つでここまで来た私なのに、残業初めて2ヶ月になんという仕打ち。
―――残業。
その言葉にはっと思い出し、横走る室長に近づいた。
「室長。魔王は幾らなんですか?」
「む!? ここに来てその心配か!?」
「勿論です。どうせ戦う事になるのだから、スッキリとした気持ちで戦いたいです。それによっては私の力が倍増するかもしれません」
「うむむ……! ま、まさか魔王が来るとは思わなかったから設定などしていなかったぞ!!」
ぶつぶつと呟き始める室長。
どうやら設定金額を進行形で調整してくれるらしい。5万はある事を願おう。