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 あれから1週間。

 すっかり体調も元通りになり、昼間も寝て過ごす時間も減ってきた室長のおかげで、研究室は連日騒がしい。



 室長も落ち着いたからと、辞めさせられていた朝のマラソンを再開しようと思っていたのに、私の前に寒さが邪魔をして躊躇わせるのと、響子さんのいる隣町に住んでいるお陰でそれは認められなかった。

 後から聞いた話、私が隣町に住んでいるという事で、響子さんの言っていた接触禁止条約が心配で室長がマラソンに同行していたらしい。

 だから宮さんが初日にこっちに越して来いと言った訳なのだ。情報の伝達に差異がある。

 そして室長が時々どこか遠くを見ていたりしていたのは、魔力を感知していたという事。

 あの時はまだ魔法少女の起源を教えられていなかったからね、今思えば室長も気が気でなかったのだろう。

 よって、私はこれからどこで体力を上げればいいのか検討中だ。


 2回目の給料日にも膨らんだ封筒を貰い、確実に脱借金への道を進んでいるのが分かり胸を躍らせた。

 お陰で夜の残業の方にも俄然力が入り、人型や立つシルエットの魔物の時には思わず投げにいってしまい、宮さんにバット放り出すなって怒られたりしたっけ。

 平穏・順調の文字が似合った私に危険が迫らないせいか、ブラック様はとんと見かけていない。

 こんなに姿を見ていないと、あの2回の登場がゆめ幻だったと言われても違和感はなかった。



 そんな変わり映えのない日々に、少しだけ変わった事と言えば。



「ヨーコ君! いつも頑張ってくれている君には、このマスクをあげよう!」



 ジャーンと私の手に乗せてくれたのはオカメのお面。いや、狂言の方の乙御前だ。

 白いつるんとした顔に薄い唇。まろ眉の下の細い目がとても怖い。


「こんなのつけたらバチあたりです。ていうか私が怖いので返して来て下さい」


 そう言って背負落(せおいおとし)をかける。

 床に沈んだ店長は、起き上がると私に今の技の名前を聞き出し、1つ頷いて親指を立て感想を言う。



 ―――と、いうのが日課になった。なってしまった。

 私のツッコミも身体を張るようになったのだ。



 と言うのも、私の女心(トキメキ)がこれで上がる事は周知の事実となってしまったので、再び室長の不調を防止する為に常時技使用の許可が下りたのだ。というかお願いだった。

 正直どうかと思ったけれど、私に拒否権はなかった。

 まぁ私としても、“生涯現役”という4文字熟語に憧れていなかったと言えば嘘になるし。


 室長は宮さんに腰を震わせながら1つずつダンベル(5キロ)を渡し、佐久間さんにう●い棒30本入り違う味を何セットか渡していた。


「どうしたんだ室長サン。今までこんな事なかっただろ」


 と訝しんで言っているものの、その両手にはちゃっかりダンベルを上下させている宮さん。嬉しそうな顔が見え、どうやらその手に馴染んでいるようで何より。

 その隣から聞こえるサクサクという音の主を見れば、特に疑問を浮かべる事もなく色んな味を吟味していた。

 真剣な佐久間さんは置いておいて、宮さんと一緒に室長の返事を待てば。


「昨日向こうから連絡があってな。我らが研究室は“節約頑張っているで賞”と“ナイス魔物攻略法で賞”を受賞したのだ! 流石君達だ。こんな快挙は初めてだぞ……! その賞金として少し予算が入ったから、君達にプレゼントをだな―――って、どうした?」


 凄い栄誉な事だと力説している室長には悪いけれど、異世界の現実はあまり知りたくなかったかもしれない。

 なんという所帯じみた社会。むしろ小学校で先生に貰うレベルの身近さ溢れるで賞。

 宮さんと2人、嬉しい筈の朗報に苦虫を噛み潰した。




 ―――ピルルルル。

 もうそろそろ20時になるという頃。あまり鳴らない自分のスマホから着信音が流れ、手に取って画面を見ると知った名前があった。


 3人にすぐ帰ると言って、会社の外へ出てみれば。



「や、やぁ、ようちゃん。久しぶり……だね?」



 そこには昔のあの甘ったるさを含んだ爽やかさはどこへやら、ボサボサの頭にくたびれた服、幼さの残る顔に無精髭。あかぎれのある手にこの12月の真冬に寒い穴の開いたスニーカー。



 少々鼻につく匂いを纏わせたまあ君こと雅人が、2か月前とは随分と変わり果てた姿でそこにいた。







「はい。ココア飲む?」



 近くの公園のベンチに座らせ、自販機で買って来た暖かいココアを差し出すと、項垂れている頭を更にコクリと下げてそれを受け取った。



 相変わらず下を向いている雅人の表情は分からず、自分のコーヒーを開けて口をつける。

 白い息が缶の上を過ぎた。

 寒いけれど、ここしか場所がないのだ、我慢するしかない。


 本当は店に入ろうと思ったが、悪いけれどこんな状態の雅人を連れて入る訳にもいかず、とりあえず自分のコートを貸して公園の隅のベンチにと決めたのだ。

 缶の熱もあっという間に逃げていく程の寒さに、カチカチと歯が鳴り出す。 

 コートは雅人に貸したのだ、震える肩を抱き、早く用事を済ませて帰ろうと雅人に声をかけようとすると、先に雅人が動いた。


「ようちゃん……この前はゴメンね。俺、凄くバカな事をした……。ようちゃんにも、酷い事を言っちゃった」

「まあ君」


 あ、うっかりいつもの呼び方で呼んでしまった。脊髄反射とは恐ろしいものだな。

 私が返事したのを聞いた雅人は勢いよく顔を上げた。

 その黒い瞳には薄い膜が張られ、それでも逸らさずじっと私を映す。

 次第に歪んで見えなくなり、ボロボロと透明な滴を溢していく姿はまるで子供のようだ。


「……よっ、ようちゃ、ぁぁああん……っ!!」


 がばっと抱きしめられ、自分のコートの匂いと雅人の汗臭い匂いが私に届く。

 地面に転がったココアに、折角買って来たのに何をしてくれるという憤りが沸き上がるが、スーツの上から伝わってくる雅人の頼りない温もりに、それは鎮まっていってしまった。

 そして私をきつく抱きしめながら、というか縋りつきながら、これまで何があったかを嗚咽混じりに話し始めたのだった。



 その内容は私の想像の範疇を超えず、とても簡単なものだ。


 先輩とやらに教えて貰った台で、ひと財産当てる所か翌日の生活費さえも作る事も出来なかった雅人は、新たな金貸し屋に頼り追いかけられる事になっていた。

 とっくに会社を首になっていて収入が無い雅人は路頭に迷い、一時はホストになったりと顔を活かしていたけれど、結局骨の髄までパチンコに侵されているせいで何も続かなかったという。パチンカスのレベルは上がっていたようだ。

 作った女の所からも追い出され、家も仕事も無くなってこの寒空の下、段ボールをねぐらにして新聞紙を読まずに身体に巻いていたらしい。



「……そして、私の所へ来た、と」

「……うん……」


 世の中はもうとっくにクリスマスムードだ。

 それを見て寂しくなったのだろう。昔からそういう所もあったのは知っている。

 それにしても、私が知らない間にたった2ヵ月で中々濃ゆい人生を送ってきたようだ。面構えが別人のよう。


「……とりあえず、ココア飲もう? 少しは暖取れるよ」

「うん……」


 落ちたココアを拾って開けてあげれば、それを取って飲み始める。

 両手でその少しの暖を取っている姿はとても痛々しい。


「ようちゃん……俺ね?」

「うん?」

「ほんとに返すつもりだったんだよ……? でも途中で無くなっちゃって、気が付いたら公園で寝てた」

「……うん」


 段々と落ち着いて来たのか、べそべそしていた顔を拭いながら、てへへと私に笑みを向ける。


「この前も新聞社に一攫千金スクープ級のネタ持っていったのに、全然信じてくれなくて追い出されちゃったよ」

「どこのピーターパーカー? ……って、新聞社……?」

「そう! あっちに池のある公園あるでしょ? なんかね、でっかい怪獣と戦うピンクジャージがいたんだって! 誰も信じてくれないんだけど、ようちゃんは信じてくれるよね!?」


 そう言って親が払っているというスマホを出して、あの時の写真を見せてくれた。



 犯人(リーク元)はこいつだった。



 全身から冷や汗が吹き出し、思わず身体を擦る。あの場面を見られていたとか。

 仮にも付き合っていた事があるんだから、用心するにこした事はない。


「……そうだねーちょっと信じられないけどー」

「そこに写ってる人、実物はなんかすっごく小っちゃくてねー! そんな事する訳ないとは思ってても、ほんと最初ようちゃんかと思ってビビッたよ~」

「あ、ごめん手が滑った」


 ピピッと画像を削除をすると、雅人が頭を抱えて叫んだ。

 そしてスマホを奪いにくる手が私の手に重なり、その冷たさにドキッとする。

 手を引こうとすると雅人に掴まれ、ぎゅっと握り締めてきた。


「……沢山お金があったら」


 顔をあげると、じっと私の目を見つめる雅人。

 根や心が腐ってしまっていても、瞳は2ヶ月前別れた時と同じ色をしている。普通の人の眼の色は変わらない。


「ようちゃんにお金返せるかなって。そんで、また昔みたいに、さ。ようちゃんと一緒に暮らせたらなって思って」

「……」

「もう一度、やり直したいよ、ようちゃん」



 初めて見る雅人のその力強さに、私は振り解けなかった。




 ―――なんて事はなく、残業の時間が迫っていた私は雅人の手の下から自分の手を引き抜いた。



 だけど。



「どうした、庸子。今日は随分と注意散漫だな?」



 レベル2の魔物の、腐った果実みたいな物を投げてくる攻撃からかばってくれた宮さんに窘められた。

 目の前には手をひらひらと振られ、不思議そうな顔を向けられる。


「……すみません。何でもありません、ありがとうございます」

「それならいいんだけどよ。弱いからっつっても、あんまボケッとしてると危ねぇぞ?」


 宮さんは足についた汚れを地面になすりつけた。

 佐久間さんも室長も、遠くでこちらを不思議そうに見ているのが分かる。


 はいと頷いて、目の前の魔物に集中する。

 今は私情を挟んでいる場合じゃない。



 私は頭を振り、部屋にいるであろう存在を頭から追い出そうとした。







「……ただいま」



 久し振りの台詞を言いながら部屋に帰ると、いつも通りの返事が返ってきた。


「おかえり、ようちゃん」


 リビングにあるコタツに包まりながら、風呂に入ってようやくいつもの清潔さを取り戻した雅人が私を迎えた。

 ボサボサの髪は真っ直ぐになり、伸び放題の髭は剃られ、色の無かった顔に朱が戻っていた。

 机の上には食べて中身のないコンビニ弁当の容器、飲み物、食べかけのお菓子。相変わらず片付けない奴だ。


「……デザート買って来たけど、食べる?」

「いいの? ありがとうっ」


 いつものようにふにゃっと笑う雅人を見て、内心頭を抱えるが、貼り付けた笑顔から漏れてはいないだろう。

 コンビニ袋からプリンを取り出してニコニコと封を開けていく。

 その様子を横目で見ながらマフラーを外してコートを脱ぐと、部屋の暖かい風が私を包んでくれた。


 あれから随分と季節が変わったものだと、まるで他人事のように思った。




 ―――馬鹿だ、と思いつつも。

 あのまま雅人を放っておけなかったのだ。


 私の金を使い込み、借金を押し付けて出て行った男が。

 知らない他人ではないこの男の事が。

 本当なら怒鳴って殴って色々してやりたい所だったが、弱っている人間にするのは気が引け、寒空の下放って死なれるのも嫌でつい晩御飯代とまだ手元にあった合鍵を渡してしまった。


「ようちゃん、冷蔵庫に甘くないゼリーあるよ」


 冷蔵庫を見れば、私の好きなゼリーが入っていた。

 ちらりと雅人を見ると首を横に垂れ、だらしなく目尻を下げて笑う。

 こういう所も相変わらず上手い。腹が立つくらいに。


「……後で食べるね。私お風呂入ってくる」


 これ以上同じ空気を吸っていては、またなあなあになってしまう。

 残業で疲れた身体と頭をスッキリさせてから立ち向かおう。ついでに半分被った猫も流れてしまえばいい。



「……」


 そう意気込んだのに、風呂から上がってみればベッドで熟睡している雅人の姿。口を開けている間抜けな顔がなんとも憎らしい。

 まぁ、普通の人からすれば2時前って寝てる時間だが。釈然としない。


 布団を捲れば小さくむずがり、暖を求めて顔を枕に押し付けていた。

 先ほどの死にそうな顔はどこへやら、その安らかな顔に苛立ちを覚え頭を叩く。いつも眠っているうちならば何でも出来た。


「……駄目だなぁ、私」


 今も昔も相変わらず臆病な自分に、乾いた笑いが出たのだった。







「―――さん、庸子さん」



 私の名前を呼ぶ声にはっとすると、手元のフライパンにある八宝菜があり得ないくらい沸騰していた。ぐつぐつである。

 慌てて火を消すと、隣に立った佐久間さんが紺色のセーターの袖を顎に当てて首を傾げた。


「料理中に考え事は危ないですよ……?」

「……はい。すみません、気をつけます」


 私が言うと、少し身を屈めて顔を近づけてくる。

 雅人と同じ系統の優男の顔に、上ていた視線を思わず下げてセーターから覗く薄く開いた唇に留めた。


「……最近ぼーっとしてる事多いですね」

「そう……ですか? 気のせいですよ」

「悩み事なら聞きますよ……? 僕、こう見えても口は堅い方です」


 ね、と小さく笑いかけてくる佐久間さん。

 しかし、こんな純朴栽培な佐久間さんに、“昔の借金男が1週間前に戻ってきて、借金返済中の身の上の癖に部屋に住まわせているんです”と言うのもはばかられる。

 とても言えない。

 言いたくない。


 こんな汚い話題で佐久間さんの耳を穢してはいけない。


 自分のあるのか分からない株を下げるのも嫌で、曖昧に笑って猫を預かっているから心配していると言うと、『確かに』と言って肩に手を置いた。

 その方を見ると、1本の毛を取ってそれを眺める佐久間さん。


「―――毛先が茶色い黒猫君なんて、珍しいですね?」


 言ってごみ箱に毛を捨てて、私の肩を掃う。

 珍しく余韻が無いハッキリした物言いをくれる佐久間さん。

 固まって動けない私に、ふわりと笑いかけ。しっかりとその薄い色の瞳に見つめられ、冷や汗が止まらない。

 まだ振り返った姿で止まっている私に向かって、食器出しますね、ともう1度笑ってから食器棚に向かったのだった。


 その背中に戦々恐々としていたのに、食事中に室長が、


「最近再び魔力使用可能量が減ってきているぞ、ヨーコ君。それによく遠くを見つめているのは何故だ! ……ま、まさか誰か他に心奪われる者がいるのか!?」


 私というものがありながら浮気をするなんて許さないとか言うもんだから、口から八宝菜を八方に噴いてしまったのは仕方がないと思う。

 室長の顔に飛んだ八宝菜を拭き取りながら、自分の顔を触る。



 いつも通りの動かない表情筋の筈なのに、どうしてバレるのだ。

 どうして皆は分かるのだろうか。



 本当、魔法使いみたいじゃないか。



 季節は12月17日。

 クリスマスまであと1週間と迫っていた。




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