15
「ヨ……っ、ヨーコ君……っ!? 待、ぁ……!」
「……声、少し落としてください。壁薄い、んで……」
私をはがそうとする腕を払い、もっときつく締め上げる。
くっと下腹に力を入れれば、簡単に室長の声が上擦ってゆく。
「……は。く、ぁう……っ」
その光景が、
悩ましげな声が、
吐く息が、
私をどうしようもなく興奮させる。
だけど、何かが足りない。
「ヨ……コく、んんっ!」
―――足りないのだ。
涙を溜めて見上げる瞳に、私の歪んだ顔が見えた。
*
星降る夜空を揺蕩っていた筈の私は、一瞬で6年過ごしている自分の部屋に帰ってきていた。
左手には着替えが入った紙袋、右手には室長の腕。
腕の主を見上げれは、眼鏡のブリッジをあげつつ辺りを見回している。地球のこのボロアパートが珍しいのか、心なしかその眼差しは楽しそうだ。
しかしのんびりアパート観賞している場合ではない。室長、と私が声をかけると、何故かびくっと肩を揺らして振り返る。
「な、なんだねヨーコ君……っ」
「靴脱いでください」
さっきまで外で魔物と戦っていたのだ、勿論外履きのままここへ移動させられていた。
自分のシューズも脱いで室長にほらと促すと、慌ててスリッパを脱いで私に寄こす。
受け取った室長のと自分の靴を持って玄関に放り投げ、途中にある風呂場を指差した。
「とりあえずシャワー浴びますか? あ、シーツとか洗濯するの面倒なので中でだと楽でいいんですが。でも狭いですかね―――」
「ちょ、ちょっと待ちたまえヨーコ君、ストップだストップーー!!」
部屋に干していたバスタオルを取っていると、室長がそれを奪いに来た。
そしてぐるぐる巻きにして部屋の隅に投げ、手ぶらになった室長は私の腕を取ってリビングの真ん中にあるローテーブルの前に座らせる。室長はというと、回り込んで目の前に座った。
そして腰を落ち着けた後、テーブルにどんっと拳を叩きつけてこう言った。
「こんな状況でどうしてそんなに漢らしいのだヨーコ君は……!」
堀の深い顔を歪ませながら私を褒め千切る。
その顔に、死にそうな色は見当たらない。
「どうしてと言われましても……。やらねばならないのなら、やるしかないじゃないですか」
「そうだが……そうじゃないのだよ……!」
「シャワー入らないのなら早速始めましょう。汗臭いしまだ少し寒いけど、暫くしたら大丈夫でしょう」
エアコンのリモコンで暖房をつけると、暖かい風が顔を撫ぜる。
室長の腕を取ってベッドのある隣室へ向かおうとすると。
「っ、座りなさい! 私はそのつもりはないぞ、ヨーコ君!」
と言って、その場に座らされた。
ラグの上に座らされ、ぎしりと動かなくなった身体。
縛り付けた本人を見れば私から顔を逸らし、眼鏡を仕切りに直している。
―――すっと、身体の中の何かが冷えていった気がした。
室長の体調と魔力の残量を考えれば、ここは大人しく従わなければいけないところだけれど。
「……“動いて”。そして室長は“動かないでください”」
呟けば、まさか魔法返しが来るとは思っていなかったのか、目を剥いている室長がバランスを失ってラグの上に転げ落ちる。
床に這いつくばって芋虫になった室長の顔を覗き込んでみると、特に顔色を悪くしている様子はなかったので、行為を続行する事にした。
上司と部下じゃないという言葉を信じて、私は室長の上に跨る。
そして暑くなってきた部屋に邪魔なジャージを脱ぎ、室長の白衣をたくし上げて脱がせると、薄いシャツの下に現れる男性の背中のライン。
窪みを指でつつ、となぞれば、ビクリと簡単に反応して腰を震わせた。
「ヨ……コ君……?」
私の名を呼ぶ声はくぐもっていて力弱く、何をされるのか分かっていないと困惑気味の室長の耳元で安心させるよう囁く。
「大丈夫です。直ぐに気持ちよくさせてあげますから」
そして、こくりと鳴る室長の太い首に両手を伸ばした。
*
「どうです? これが室長の望んでいたやつです」
言って腹と太ももに力を入れて室長の身体をしっかりと締め付け、思い切り背を逸らす。
すると顎にかけていた両手が軽く上がり、室長の背も反って上半身が上がる。
背骨が無事に済みそうなくらいまで上げれば、ラグを叩く室長の姿が目に入った。
「はっ、う、ううっ!」
「さっきレベル9の魔物を倒したキャメルクラッチです。そして次は―――」
ぱっと手を離し、顔面から床に突っ伏した室長を裏返して腕を抱き、両足で挟んでロックした。
「腕挫十字固です。どうですか、肩の凝りは取れますか?」
太い腕を存分に締め上げれば、ふくらはぎに室長の荒い息がかかる。
空いている手で胸元の方にある私の足を叩いてくるので、少し緩めてあげるとその手が親指を立てた。
どうやらギブの意ではなく、私に感想を伝える為だったよう。
それによって私の対抗心が焚きつけられ、加減していた物を取り払えば流石に室長の足が浮いた。
「……く、ふぁあっ!?」
思わず頬が上がってしまうのも無理はないと思う。
しかし、まだまだ余裕がある室長に持てる限りの技を叩きこんでいけば、精も根も尽き果てた頃には3時をとうに過ぎていた。
*
―――ついカッとなってやった。後悔はしていない。
まさしくこの1文に限る。
熱いお茶を淹れて、今しがた風呂から上がってきた室長の前に出す。
湯気立つお茶を手に取ってそれを啜ると、彼の眼鏡が白く曇った。
1LDKの自分の城に、こんな風にまた誰かを入れる事になるとは思っていなかった。
テーブルを挟んで座り、じっと室長を見る。
いつものふてぶてしさは何所へやら、まだ少し荒い息を吐きながらゴホンゴホンとワザとらしく咳をして、視線を下に落として私を見ない。
流石に無音は静かすぎると、テレビをつけて雅人が置いていったとみられるバラエティのDVDを流せば、軽快なトークと上がる笑いに場の空気が少し和んだ気がした。
「…………その、ヨーコ君。悦かったぞ」
「それはよかったです」
「しかし、その……」
先程の行為の名残りか湯上がりの名残りなのか、まだ頬を赤くさせお茶を啜る室長は、もごもごと湯呑の中に言葉を零していく。
「……か」
「何ですか? 聞こえません」
「君は怒っているのか?」
「何にですか?」
「私から君に……その、魔力を与える方法の事についてだ」
そう言ってようやく私を見た室長。
ついさっきまで絞められて悦んでいた瞳はなく、いつも通り軽い感じのノリでもない、普通の年相応の落ち着きが乗った瞳で見据えられ、少し胸が騒ぐ。
「方法については別に怒る必要はないですよ。それが室長の世界で昔から伝わってきた話なら尚更」
「私にはそう見えないのだが」
あまり表情が分からないと言っておきながら、しっかり私の喜怒を把握している室長に内心苦笑する。
本当は、さっきまで本気で貞操を奪う気でいた。
そうする事によって全て丸く収まると思って。
今まで2ヶ月弱常に一緒にいたのだ、別に嫌いではないし。
そんな人が命を削ってまで私の何かを守るなんて、全然割りに合うわけがない。
だからこそ、私の中に怒りが湧き起こるのだ。
「―――室長、前私に言いましたよね? どうして“何も言わない?”と。“どうして誰にも頼らず、誰にも知らせず、1人で溜め込んでしまうのだ”と。そっくりそのままお返ししますよ」
自分が言われて嬉しくて。
そんな優しい人達に囲まれた日々は不変だろうとのんびり過ごしていた結果、今度は室長が身体を壊す。
なんて堂々巡り。
後に続く前にここで断ち切らないといけない。
「さぁ言ってください。私はそんな事で逃げると思う程頼りなかったんですか? それとも私では勃ちませんか? あ、顔が好みではありませんでしたか? 胸は結構ある方だと自負していますので、なんだったら顔隠して貰っても結構で―――」
「ままま待ちなさいヨーコ君! どうして君はそう開けっ広げに言うんだねっ!!」
テーブルの上に湯飲みを置いて、私の前に手をかざす室長。
私が止まったのを確認すると、その手で自分の頭をぽりぽりとかいた。
「……そうだな。君に言わせて、自分だけ真実を隠しているのも駄目だったな。地球に来てからそれが当たり前だったから忘れていたぞ」
「他のお姉さん達にも言ってなかったんですか?」
「ああ」
「よくそれで引き受けてくれましたね」
全くだ、と室長が頷く。
「私はな、ヨーコ君。いくら魔物を倒す為とはいえ、魔法少女へと変身させるべくそういう関係を迫るのはいささか抵抗があってな。お陰で昔から落ちこぼれと言われていたものだ」
「童貞ですか?」
「童貞違うわ!」
よかった、本物の魔法使いではないらしい。
それにしても、あんな特殊な性癖があるのにこんな所で初心だとは思わなかった。
しかし。落ちこぼれと言われていたクセに、どうして地球防衛の一員に選ばれたのかと聞けば、誰も立候補がいなかったからだという。酷い。
パートナー持ちはそりゃ異世界に行ってまで戦う義理はないけれども。
1年前に一緒に来たという女の子は、即席で組んだ同士だと必死に語る室長だった。
「……私の世界の男共は、言い寄り言い寄られでホイホイと身体だけ親しくなってゆく。隣町の西城も、私と同じ時に来たくせに、その晩にはもう完全に魔力を渡していた」
「響子さんをオトすとは、かなりのテク持ちだったんですね、西城さん」
「いや、同郷を舐めては困る」
何を威張った?
いや、今はそれはどうでもいい。
「じゃあ室長は、そんな西城さんみたいになりたくなくて、死んでも魔力は渡したくないと思っていたんですか?」
「そうではない。……ただ、相手にも選ぶ権利があるではないか」
勝手に魔法少女に選ばれて、魔力を注がれ魔物退治に夜中精を出す。
少し不便だけれど、相手の気持ち次第で詳しい話をする機会を伺っていた、と。
でも。
「室長、それって何て言うか知ってます?」
「む?」
「詐欺って言うんですよ」
うっと喉を詰まらせる室長。
条件というか本質を当人に後出しにするやり方。
相手の気持ちを大切にしているからと言っているが、実際の所そんな室長のスパルタについていけるのは、普通の女の子じゃないと言う事を分かっていない。
お陰でこうして性格が捻じ曲がった柔道馬鹿の私が辿り着いたという訳じゃないか。
「詐欺、か。それはそうだ。……すまなかった」
室長が頭を下げるので、いいえと頭を振った。
別にそこで謝って欲しい訳じゃないというと、顔を上げた室長は至って真面目な顔で私に問うた。
「時にヨーコ君」
「何ですか?」
「私の事は好きか?」
「特には」
面白い人としては好きの部類かもしれないけれど、恋愛感情でとなると、今の時点ではごめんなさいだ。中々いい身体をしていたけれど。
そう意味も込めて返事をすれば、ガクリと再び頭を垂れる。
そしてテーブルに乗せた手をぶるぶると震わせた。
「……だろう……そうだろう……っ? そういう感情がないのに、人と交わるなんて事してはいけないのだ! 簡単に身を任せていたら自分の価値が落ちてしまうのだぞ、ヨーコ君!!」
「え、何で私に言うんですか、それ?」
「君は簡単に私の魔力を貰うと言ったのだぞ! だが私はそう簡単に人に魔力をあげはしない……! ちゃんと想いが通じあってからこその女神の言い伝え、真意なのだっ!!」
どうやら室長は、M男で変態である前に、純情ボーイであるらしい。
それはとても申し訳ない事をした。
でも自分の身体を抱き締めるポーズはやめて欲しい。
「だからな、君が私を好いてくれるのならば、私は悦んで魔力を垂れ流そう!」
「喜びのイントネーションが違う気がするんですが気のせいでしょうか」
というかいきなりいつものウザ……元気さが出てきて正直困った。
夜中のテンションでずっとシモの話をしていたのに、いきなり切り替えられない。眠いというのもある。
「現に今、君は少し私に心を開いているのが私の魔力で分かるぞ。先程の行為が君をトキめかせたのだな!? なんだ、ヨーコ君も好きならそうと我慢せずに来てくれればよかったものを☆」
手を広げ、嬉しそうに肩を揺らす室長。どうやら私の満足感も筒抜けになっているらしい。つまり、私はきゅんきゅんしたのか……。
これでいいのかどうかは置いておいて、室長の負担を減らしたという事でいいのか?
『ヨーコ君、ヨーコ君。私今凄く肩が凝っているのだが、腕挫十字固をやってくれないか! 思いっきり!』
成程。
室長のセクハラだと思っていたあの言葉は、対私用の女心をくすぐる為の言葉だったという事か。
それなら成功しているかもしれない。
今、心と身体が非常にスッキリしていて気持ちがいい。いや、だがきゅんきゅんだとは認めない。
「……では、残りカスみたいな魔力残量は増えたという事で間違いないですか?」
「残りカスとは失礼な。だが、うむ。ここ数ヵ月で1番いい感じだ」
さっきまで床を叩いていた手をぎゅっと握りしめて室長が頷く。いつもの笑顔でホッとした。
私でも役に立てる事があったのだと思うと嬉しい。
「それはよかったです。では室長、お疲れ様でした。私は眠いので寝させて頂きます」
玄関はあちらになりますと手招けば、目が合った一瞬ぱちくりと目を瞬かせ、室長の動きが止まった。
まさかもう1ラウンドとか言うつもりか?
あそこまでされておいて、おかわりとか体力ありすぎないか?
ひっそりと引いている私の前で、ぽつりと室長が呟いた。
「ヨーコ君。今既に夜も更けているのだが、終電とやらはもう終わっているのだよな?」
DVDから流れてくる笑い声が、小さな部屋にやけに響いた。
*
「おはようございます」
いつも通り、9時45分に部屋に入った筈だったのに、ソファには宮さんと佐久間さんが座っていて、私のデスクには室長が座っていた。
あれ、皆いる。
時間間違えたかなとテレビの時計を見れば、やはり9時45分。
「宮さん、佐久間さん、今日は早いですね、どうしたんで―――」
「おっす庸子。お前ちょっとこっち来い!」
入り口側にいた宮さんに引っ張られ、ソファの真ん中に座らされた。
奥側の佐久間さんと目が合えば、少し目を伏せながら挨拶される。袖で口元を隠しているが、言いたげに口がぱくぱくしているのが分かる。
ぎしりとソファの背に腕を回し、その巨体を丸めながら近づいてくる宮さんの顔に、興味津々と書かれているのが見えた。
「どうしたんですか? 別に昨日は室長と何もなかったですよ」
「おおい庸子! もう少し楽しませてくれよ! からかい甲斐のねぇ奴だなー、全く!」
「すみません。誤解は早めに解かないとと思いまして」
つまんねーと言いながら唇を尖らす。
だけどそのまま引き下がるのも癪だったのか、頬を引っ張られて上下させられた。
「本当に何もなかったんですか……?」
ずいっと後ろから顔を寄せられ、佐久間さんのふわふわの髪が顔にかかる。
何かあっただのなかっただの、一応紅一点だという事を忘れていないだろうか。
もし仮に何かあっていたらどうするんだ。
結局昨日帰れないという室長に、増えたばかりの魔力を使ってここへ転送したから、本当になにも無く終わったのだ。
朝から繰り広げられる開けっ広げなシモ会話に、仲が良くなってよかったと喜んでいいのか分からない。
一応どうしてそこまで執拗なのかと聞いてみる。
「あそこ……見てください、室長を」
狭苦しいソファの中から首を伸ばし、私の席に座っている室長を見れば。何やらウキウキと肩を揺らしているのが分かる。その両頬に若干指の痕が付いているのは気のせだろうか?
そして机の上で何やら布を裁断しているのが見えた。ついでに鼻歌まで聞こえる。
「……なんですか、あれ」
「分かりません……。凄く上機嫌だから、きっと昨日庸子さんとその……。距離が縮まったんだとばかり……」
「ご期待に添えずすみませんが距離は遠いままです。他の解決方法が見つかったのでその必要は今の所ありません。昨日はただ、技決めまくってただけです」
「ほらみろ! プロレスごっこか!」
宮さんはニヤニヤと嬉しそうに眉をあげた。ここら辺は、普通のアラフォーのおっさんのようだ。
そうじゃないと言っているのに、どうしてシモに結びつけてくるんだ朝から。
いざそうなったら、流石に私でも自粛して恥じらうつもりなのに。
それからも中々2人の好奇な視線は止まらず、飽きて貰うのにかなりの時間を労した。
そして浮かれた室長がようやく止まったかと思えば、その手の中に黄色と黒のリングコスチュームに似た衣装が出来上がりつつあったのを見て、ハンマーロックを決め込んで阻止したのだった。