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 作り終えた伝票を届けようと、私はエレベーターで地下2階から地上に出た。

 ちなみにどうでもいい話、私達以外には“地下2階”の文字は見えないらしい。実際に実感は出来ないが、魔法って凄いと思った。

 普通にエレベーターから降りて背後で扉が閉まった音がすると、廊下の向こうから壮年の男性が走って来るのが見える。

 邪魔にならないよう会釈をしながら廊下の端によけると、男性は私の前で止まった。


「ああ、よかったよかったー! 君、ここの社員だよね?」

「……はい。そうです」


 一応、とつけたくなるのを飲み込んで頷くと、男性はよかったと嬉しそうに笑った。


「君に少し頼み事をしたいのだが」

「頼み事、ですか?」

「ああ。この封筒を隣町にあるこの会社へ届けて欲しいんだよ。どうやら紛れ込んでいたらしくてね」


 急ぎだから直接持って来て欲しいと頼まれたと言って、脇に挟んでいた茶封筒を私の目の前に差し出し、あて先に書かれている住所を指さす。

 よく確認しようと手に取ると、男性はぱっと手を放し私の横をすり抜けて行った。


「それじゃあよろしく!」

「えっ、あの―――」


 手を伸ばすも1歩遅く、エレベーターに乗って上へ行ってしまった。

 まだやるとは言っていないのに。

 どうしてこの会社には、人の返信を待たない人間がこうも多いのか。


 でも。


「……頼まれたから仕方ない、よね」


 会社を出られるという大義名分を手に入れ、浮足立ちながら封筒片手に伝票を届けに行った。




「室長、少し外出の許可を―――」


 研究室に戻って室長に報告をしようとして、口を押さえた。

 さっき出る時に『1人で行動してはいけない』と口煩く言っていた小姑みたいな室長はソファで寝ていて、いつものデスクで毛布に包まって蓑虫になっている佐久間さんはピクリとも動いていない。


 これはチャンスだ。


 ささっと室長の枕元に近づき、しっかり目を閉じて寝息を立てているのを確認して呟いた。


「室長。ちょっと頼まれ事をしたので、外出してきますね」


 一応声に出してアリバイを作っておく。と言っても誰も聞いていないから意味はないけれど。

 すると室長がむずがり、顔を枕に押し付けながら小さく『んん、』と言ったので、それを了承の意として受け取って外出の準備を始めた。

 隣町の会社は、自転車でちょちょいと行ける範囲にあるから全然問題はないのだ。今は昼間で魔物の心配はないし、私の自転車のスピードに付いて来れる不審者などいない。

 そうメモに書いて、デスクに貼り付けておく。


「……ん? よーこさん……?」


 非常に甘ったるい声で私の名前が呼ばれた。

 まずいとその方を見れば、佐久間さんが目を擦りながら顔をあげている所だった。隙間から見える半開きの唇などとても艶かしい。

 頑張って目を開けようとしている姿を見て、まだ完全に覚醒していないようだと急いで佐久間さんの側へ近づく。


「どうしました? あれから10分も経っていないからもう少し寝ていても大丈夫ですよ」


 ずり落ちた毛布を頭から被せてデスクの天板へと誘導すると、小さく頷いてそのまま寝息を立て始めた佐久間さん。


 危ない危ない。


 これはもう起きないうちにさっさと出かけてしまおうと扉に向かい、ドアノブに手をかけて一旦中を振り返る。

 しんと静まる光景は、中学の頃の社会の授業風景を思い出して懐かしくなる。

 この2人の勤務中の睡眠率の高さには呆れてしまうが、ここは普通の会社とは違うのだから口出す権利はない。


 それにしても、と室長を見て思う。


 朝のマラソンが無くなったというのに、室長は朝の始業開始から睡眠を貪っているのだ。

 そしてそれは昼休憩時まで続き、栄養を補給しては微睡む。それは自然の摂理だから仕方ないとしても、それから少しすれば再びソファーで横になる。


 見ている限り、最近は1日中寝ている気がする。3時間起きていたらいい方だ。

 流石に寝すぎな気がする。が、異世界人はそういう習慣があるのかもしれない。

 今度それとなく聞いてみてもいいだろうか。

 だけど寝ているだけの人に、『どうして寝ているのか』と聞いても『眠いから』としか返事は返ってこない気がするのだが。



 ……うーん。まぁいいか。とりあえず目先の仕事を片付けてから考えようか。

 仕事は大切。







「すみません。私、聖光クリーニングの者ですが」



 受付で封筒を届けに来たと伝えれば、受付のお姉さんは電話を取りどこかへと連絡していた。

 それが終わると近くの控室へ案内され、そこにあった椅子に座って待つよう促される。私が座るのを見届けて、お姉さんは静かに出ていった。

 そして静かになった部屋で1人、ほっと息を吐いた。


 いつも内勤だったから、静かに流れるような、少し固めのこの雰囲気を忘れていた。どうやら思っていた以上に緊張していたようで、手の平を見れば汗が凄い。

 周りの上司(社長含め)や先輩達はああいう人達だし、外勤は専ら魔物達との肉体言語すぎて、あまりにも上界とかけ離れた場所で過ごしてきたから仕方ないと言えば仕方ないけれど。

 気を引き締めないと、と頬を叩くと、控室の扉が開いた。


「ごめんなさい、待ったかしら?」

「いえ、大丈夫です」


 そう言って入ってきたのは、どこからどう見ても某怪盗三世の好きな美女だった。

 立ち上がって面と向かって見ると、これまた迫力がある。

 胸辺りまであるふんわり巻いたダークブラウンの髪に、優しげな垂れ目はぱっちり二重で睫毛が群生。茶色の瞳が大きい。

 ルージュの口紅は下品すぎず程よい主調で、ぷっくりした唇をこれでもかと艶めかせている。甘いバニラの香りは香水だろうか。

 黒のスーツは凹凸が激しく出ていて、そこから伸びる私の腰程まである美しい足がとても眩しかった。


 とても迫力のある人だと半ば呆けて見ていると、その後ろから顔半分覗かせる人の姿があった事に気づき、少し後ずさってしまった。


「ああ、ごめんなさいね。彼は付いてきてしまっただけだから気にしないで」


 そうは言っても。

 美女の直ぐ後ろで目を細め、ずっとにこにこと笑っていられれば気になるというもの。


 見た目はホスト風のイケメンだけれど、髪は落ち着いた黒色で、襟足も短めだ。

 少しあがり気味の眉毛に、薄い唇はずっと弧を描いたまま崩れない。

 グレーのストライプのスーツが、彼を更に長身に見せていた。


 私が不躾に見ていても、にこにこと笑みを崩さない。

 寄り添う姿から美女の秘書ではないかと推測しておいた。美女の腰に手を添えているのは見えない。ふわふわの髪の毛の香りを嗅いでいるなんてもっと見えないんだから。


「あ、すみません。こちらがその封筒です」

「わざわざ有難う」


 秘書さんから強引に目を逸らして封筒を出すと、お礼を言った美女は封筒を持つ私の手ごと掴んだ。

 そしてその豪奢なお顔を近づけ、じっと見つめられる。


「あの……?」

「ふふっ。本当に貴女の会社に若い女の子が入っていたのかと思って。珍しくて思わず見ちゃったわ」


 成程。

 あの会社の内部事情は有名だったのか。

 ベテラン勢が来る中いきなり知らない小娘が来たらそりゃビックリするか。偽物とか思われていたのかもしれない。


 最初に名刺を出すべきだったと後悔しながらポケットの中へと手を忍ばせると。


「ごめんなさい。ちょっと急用が入ったので、失礼するわ」


 ゆっくりしていって、と机の上を指差して颯爽と出ていってしまった。秘書さんも同じく。

 1人になった部屋で、ポケットに手を忍ばせたまま私は立ち尽くした。

 ……襲撃だと思われたのだろうか。


「……はぁ……」


 ぐだぐだになってしまった一連の流れに首が垂れる。

 しおしおとポケットの中から手を出して、いつの間にか用意されていたお茶とお菓子を適量頂いたのだった。




 会社を出てみれば、まだ日は完全に落ちてはいない。

 数分で終わった用事。余ったであろう時間に寄り道しちゃえよと悪魔が囁いてくるので、スマホで時計を確認しようとすれば。


 メール1件。

 着信1件。

 どれも同じ人の名前がトップに表示されていた。


 まだ30分も経っていないのに、バレるのが早い。どういう事だ。

 

「……駄目だ。お土産買っていこう。そうしよう」


 前にメモした“室長には甘いものを”という戦略を思い出し、賄賂を手に入れるべく会社方面とは反対の脇道に逸れようと自転車を押し出した時、ドスンと音が聞こえそうなくらい肩を叩かれた私は変な奇声を上げて飛び上がった。

 口から出かけた心臓を戻しながら振り返ると、そこには大口を開けて笑う宮さんがいた。珍しくスーツだった。


「ははは! 悪ぃ悪ぃ。そんなにビックリするとは思わなかったぜ」

「宮さん……」


 バクバクと激しい動悸を抑え、どうしてここにいるのかと聞いてみると、ひょいと眉をあげる宮さん。


「なんでって、出先の帰りに決まってんだろ」


 出入り?

 と思わず出そうになった言葉を飲み込んだのに、宮さんに睨まれてしまった。

 それがまた様になるというか。

 どう薄目で見てもその筋のモンになってしまうというか。

 現に今周囲から物凄い熱い視線を頂いているので、私の主張の方が正しいというか。そんな事は言わないけれど。


「庸子こそこんな所で何してんだ」

「べ、別に遊んでいた訳じゃな―――」

「って、あっれぇ? 外出ちゃいけない庸子チャンがここにいるって事はぁ、室長サンは知ってんのかねぇ?」

「……ぐっ」


 流石宮さん。素早い状況把握能力だ。そのねちっこい言い方が腹が立つ。

 ちゃんと体調は万全で、自転車も素敵に乗りこなせる距離なのだ。そして起きる前に帰る予定だったのだ。

 だから最終手段としてケーキを賄賂に許して貰おうと思っている事を伝えると、宮さんはぶはっと噴き出した。


「はは、賄賂ね。そりゃ賢い。んで? どこの行くんだ?」

「この先に知ってる店が1軒ありまして。まぁ、そこはプリンが美味しいんですけど」

「あ、そこ知らねぇかも。悔しい。俺も行く」


 その方が雷も減るだろうし室長サンも安心だろう、と私の肩を叩きながら歩き出す宮さん。……減るだけなの?

 やっぱり人生上手くいかないのかとガックリ項垂れている私の手から自転車のグリップが離れた。

 その視線の向こう側には、いつの間にか私の自転車をひいている宮さんの姿。

 当然のように私の荷物を持つ逞しくて頼もしい後ろ姿に、こそばゆいものがある。


「ほら行くぞ、庸子」



 長い足を持て余し、歩幅を縮めてくれている宮さんの隣を追ったのだった。







「ヨーコ君! 君は一体今までどこにいて、何をしていたんだね!」



 研究室に帰れば、腕を組んで仁王立ちで私達を迎えてくれる室長の姿。

 それはまるで宿題を放り出して野球で遊んで帰って来る小学生を迎え撃つ姉のと同じだ。

 宮さんもいるならと、ついでに晩御飯の買い物までしてきてしまったのはやはりまずかったと、遅ればせながら今後悔した。

 宮さんにもとばっちりを受けさせてしまって申し訳ない。


「あの……一応メモを……」

「それは見た! 可愛らしい付箋だった! ……じゃなくて!」


 どうやら黒猫の付箋は気に入って貰えたようだ。私も気に入っていたので嬉しい。


「許可なく外出は駄目だと言っただろう!」

「すみません、本職の急ぎの依頼だったので無視する訳にはいきませんでした。それに室長は起きる気配が無かったので」

「それなら私をセントーンで起こしなさい! それならいくらなんでも一発で起きるだろう!?」

「ちょっと待ってください。私の専攻がいつの間にかプロレスになってませんか」


 無駄な知識を与え過ぎたのか、室長が私に求める物が変わってきた。

 確かに、漢達がほぼ全裸でぶつかりあう姿にはかなり熱くて嫌いではないが―――って、そんな事を言ってる場合ではなく。

 ずんずんと距離を詰めてくる室長から隠れるように、宮さんの背中に移動した。

 すると宮さんは室長の肩を叩き、まぁまぁと宥めてくれる。流石宮さん!


「無事に帰って来たんだ。1回ぐらいいいじゃねぇか」

「そうやってミャー君が甘やかすから駄目なんだぞ! だから君に懐いて私にはこの扱いだ、嫌いではないが信頼度的には嫌だ!」


 懐くって私は犬か。

 室長の本当の本音も織り交ぜながら心情を漏らした台詞に宮さんと私は顔を合わせ、何とも言えない微妙な空気が流れた。

 だけど宮さんは直ぐ無情にも手をひらひら振り、私を置いて室長の脇をすり抜けて行ってしまう。


 私も、と追いかけようとする私の前に、室長が再び立ち塞がる。

 しかもじりじりと距離を詰めてくるので、私は後ずさりして離れようとするが、残念ながら直ぐ扉に背が当たってしまった。

 もう1度謝って許して貰おうと顔をあげると、室長の顔が目の前にある。


「室長?」


 声をかけるとその顔は静かに近づいて、私の顔の横に降りてきた。そして室長は耳元で、くん、と嗅ぐ仕草をしてみせる。


「こんな匂いをさせて、君は一体どこへ行ってきたのだ?」


 そのまま訝しむような低い声を、髪が揺れる位の近さで私の耳に流し込んできた。くすぐったいのとビックリしたのとで肩が上がる。

 そんな私の目の前で、真剣な瞳を寄越す室長。何これ。浮気を問いただされているようなあの状況に似ている。やましい事など何もないのに。

 ……昼間のお姉さんの甘い香りでも嗅ぎ取ったのだろうか? 犬か、この人は。


 狭い場所でじりじりと迫ってくる室長に押し戻そうと手を上げると、その手の中の存在に気づいた。すっかり忘れていた。

 急いで右手に持っていた小さな白い箱を、目の前にある室長の胸に押し付ける。


「だからただのお使いですってば。あ、そういえばケーキ買ったんですけどいりませんか? 室長が気に入りそうなケーキ屋さんがあったので選んできたんですよ」


 苦し紛れに愛想もプラスする。

 すると顔を上げた室長は、私の手から箱を奪って上に掲げた。


「む、むむっ!? ケーキ!? ……流石ヨーコ君、やるではないか。この店の名前は私のお土産リストにはない……! 見たまえミャー君、チヒロ君。ヨーコ君が私の為(・・・)に買ってきてくれたのだそうだっ!!」

「ええー……。室長ばっかりずるいです」

「ふはは! なんとでも言うがいい!」


 ケーキの箱を巡って争う様子を見て、どうやら上手くやり過ごせたようだとほっと胸を撫で下ろした。

 2人の大人げないやり取りを背中で聞きながら、コーヒーでも淹れてこようかと台所へ向かう。4人分のカップを出し終え、粉を適当にスプーンですくって入れていると背後から人の気配。

 振り返ると、まるでこなきじじいのように肩口から私を見ている佐久間さんと目が合った。


「ど、どうしました?」

「……」


 私が聞くと、コーヒーカップに視線をやり、じっとそれを見詰める事数秒。唇を尖らせながら小さく返事を返してきた。


「……室長だけずるいです。僕も庸子さんから何か欲しいです」


 賄賂でもですか?

 と聞きたくなるのをぐっと堪え、佐久間さんを見つめる。

 その少し頬を赤らめさせていじけた横顔は、どう見ても24歳男子の顔ではないが、麗しいので許す。スマホがあれば、今すぐにでも写メったものを……じゃなくて。


 しかし佐久間さん、何か欲しいって。

 貧乏だと嘆いている私の財布の中身を亡きものにしようとしているのか。


 そんな顔で迫っても無駄だ。

 今日の室長への賄賂だって、これからの生活費を切り詰めなければならないと悩みに悩んだ末の決断だったのに。

 これ以上は難しい。

 仕方ないから痛くも痒くもない方法を取らせて頂く。


「では今夜の鍋の私の分のマロニーちゃん達を佐久間さんにあげます」

「!」


 本当かと輝かせた瞳を私にくれるので、勿論だと、それどころか他の人の分も多めによそってあげようと言うと、更に目を輝かせた。

 そしてお湯を入れたコーヒーを手に取り、テーブルへと向かっていったのだった。その足取りは軽い。先程の室長のよう。


 簡単すぎる男性陣に、呆れて物が言えない。


「お前も上手くなったもんだな」

「宮さん」


 佐久間さんと入れ替わりに台所へ立つが、ガタイのよさのせいで凄く狭く感じる。


「食い物で男を釣るとは、恐ろしい女になったものだ」

「いや宮さんが先にしていたでしょう」

「あの欠食児童達にゃ効率的なのは間違いないからなー、ついつい」


 確かに、こんなに効果があるならついつい使いたくなるのも分かった。

 私が借金返し終えてもここにいる事があるのなら、是非存分に活用させて頂こうと心に誓った。



 ―――しかし私はこの晩、泣きを見る事になる。


 己の力量をまたしても見誤っていた。

 彼らを甘く見過ぎていたのだ。



 欠食児童()相手に鍋をするのは間違っている、と。



 兄に甲斐甲斐しく世話を焼いて貰って甘やかされて育った私では、その戦争にかすり傷1つ付ける事も出来ず、

 大敗を喫してボロボロに疲弊していた私に、佐久間さんの悲しそうな瞳を向けられたのは言うまでもなかった。




 人生うまくいかないものだ。





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