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「室長……。手が痺れて痛いです」



 先日休みの日に密かに購入したバッティング手袋を以てしてでも凄い衝撃。

 200キロのボールが来ても大丈夫だと店主は笑って言っていたのに。

 室長を見れば、神妙な顔をして頷いたのが見える。


「うむ。ならば私の背中には足を使えばいいぞ」

「そうですね。それより何か脆い場所か弱点はないんですか?」

「頭の天辺が燃えているだろう? そこが脆くなっていて、弱点な筈だ」


 成程、背中の炎は頭の弱点をカモフラージュしていたのか。

 未だ天辺だけ燃えているのは気合いの入り方が違うのだろう。

 それが仇になっている気もするが。


「しかしそのままじゃ力不足で、致命的ダメージは与えられないだろう」

「どうすればいいですか?」

「そういう時にはこの呪文だ! いくぞ、ヨーコ君! “元気にモリモリ・華麗にムキムキ☆私の力よ目覚めてパワーアッーーー”―――」

「アナボリックステロイド」


 腕をもりもりしている室長から身体能力増強のお許しを貰った。

 実はこれを使うのは初めてで、少しわくわくしている。

 しかし、手を握ってみても特に変わった様子はないようだが。


【何を呑気にやってるス。襲う気も失せるス】

「それはすみません。何しろ初めての増強系魔法だったので少しうかれてしまいました」

【いやそっちの踊っているヤツス】


 名も無い魔物の視線の先には室長がいた。

 あの不思議な踊りには敵の気を削ぐ効果がついていたらしい。流石室長、補助はバッチリでした。


「再開しますか」

【おう。食ってやるス】


 私が言って距離をとれば、名も無い魔物は再び捕食者の目になり、こちらに突進してくる。

 頭の弱点を教えて貰ったものの、微妙に角度的に届かない。

 それならばとりあえず足を叩いて、地に沈んだ所で頭を狙おうかと算段を立てている私の前に、宮さんと佐久間さんが立った。


「ほら、足場いるだろ?」

「どうぞ、庸子さん」


 2人は向かい合って手を組み、足場を作ってくれた。奥の拓けた場所には白いモヤを出して倒れている魔物達。

 魔物を倒してかけつけてくれたのか。

 成程、これは熱い展開。


「ありがとうございます」


 屈んだ2人の手の上に乗り、ぐぐっと力を入れてジャンプをすれば、視界に障害の無い世界が広がった。



 まるで魔法を使って空を飛んだかのよう。



 広い空から視線を戻し見下ろせば、名も無い魔物の後頭部が見え、そこに思いっきり高山さんを振り下ろす。

 すると先程とは段違いのめり込み方を見せ、炎が一瞬猛ったように燃えた後、一瞬にして消え去った。

 魔物を超えて地面に着地すると、背後でどさりと落ちる音。



 仮に今の技に名前を付けるならば、エベレスト・ノーテン・カラタケワリとしようか―――



 そう思える程に、清々しくキマったものだった。

 チームワーク抜群の連携、加えて魔法のドーピング。何も死角がない。


 倒れた名も無い魔物から白いモヤが出れば、妙な高揚感が私の中を駆け巡った。

 そのまま興奮も冷めやらぬ状態で3匹まとめて浄化を済ませ、2人の元へ走る。

 勿論ハイタッチをする他ない。


 両手をあげたまま向かうと、慌てたような2人の顔が目に入る。その奥には室長、同じ顔をしている。

 ああ、まだ右手に高山さんを持ったままだったかと気づくと、そこで視界が黒に染まった。



 間違って宮さんの胸に飛び込んでしまったのかと悔いていると、次に目を開けた時には、いつもの見慣れた部屋の天井だった。




「…………あれ……?」


 おかしいと思って再び瞬きをする。

 だけどいくら正常に視界を戻そうとしても、そこにあるのは暗い空ではなく、白い研究室の天井だった。


 そして身体が重く、非常にだるい。

 一体どうなったのかと不思議に思っていると、冷たいものが顔の前に落ちる。

 それを取って見れば、濡れたタオルだった。


「気づいたか、ヨーコ君……!」


 気づいたかヨーコ君?

 よく分からない室長の台詞に、身体を起こそうとすれば、室長の手によってそれは制される。


「まだ動いては駄目だ。君は倒れたのだから」

「倒……れた……?」


 ああ、と室長が頷く。

 そして私の手からタオルを奪うと、それをテーブルの上に置いてあるボウルの中に入れている。


 その間に辺りを見回せば、左手側にテレビが見えるのを知り、ソファに寝ているのだと分かった。

 身体の横には佐久間さんのふわふわの髪が見え、足元のひじ掛けには宮さんの黒い頭が見えたが、動かないところをみるとどうやら眠っているらしい。

 掛け時計を見れば6時を指している。

 いつの間にこんな時間になったのかと不思議に思っていると、タオルを絞り終えた室長は、それを私の額に乗せた。


「軽い栄養失調と、寝不足から来る過労だと医者が言っていた」

「栄養……失調……今の時代にそんな事……あるんですね……」

「私も驚いたぞ! 最初に色をつけて金を渡した筈なのにどうしてこうなるのだ!」


 あくまでも2人が起きないように、私の耳元で小声で怒鳴る室長。

 息がかかってこしょばい。今笑いそうになると言ったら益々怒られてしまうだろう。

 大人しく黙って聞いていると、室長は1つ溜息を吐いた。


「加えてこの初冬に冷たい池の水を被ったのだ。風邪もひき始めだという。何を食べていたらそんなに弱くなるのだ」

「……ご飯と……ふりかけ……。3日に1回は卵もつけました。12個パック入りですので。……やっぱりビタミンが足らなかったのですかね?」

「ビタミンどころの騒ぎじゃないから!!」


 真剣な目に応えるように、包み隠さず話したが、逆に怒られた。


「じゃあまさか……、主な栄養源は晩飯だけだというのか!?」

「凄く助かってました。ありがとうございます」

「それは痩せるし倒れるに決まっている! どうして日本人は米を食べられればオーケーなノリなのだ……!!」


 どこでそういう情報を得ているのかは知らないが、文化的なノリは仕方がない。

 現に兄もそういう感じで白米を私に与えたのだろうし。

 しかし、それで体調不良か。

 どうりで私らしくない熱くハイな感じになっていたわけだ。ハイタッチなんてハイの極みじゃないか。


「ああ、違った……そういう事を言いたいのではなくてだな……」


 室長は髪をくしゃりと掴み、眼鏡を直して私を見て口を開く。


「色つけた金は、君の生活費の為だ、というのは分かっていただろう? 何故、それに手をつけない」

「……借金返済の……足しに」

「……金で君を縛りつけている私が言う台詞ではないが、私は返済の期限を設けていない筈だ。君のペースで無理なくやればいいと思って、あえて言わなかったのだぞ」


 それはなんとなく分かっていた。

 金を貸すだけ貸して、期限を一切言わなかったから。

 だから、出来るだけ早く返そうと決めたのだ。


 優しさに甘え切らないうちに、と。


「女性のプライベートに口を挟む事はしてはいけないと聞いていたが、君がこうなってしまった以上、それを守る事は出来ない」


 宮さんと佐久間さんの寝息が聞こえる静かな部屋に、室長の声が、私の鼓膜に直接流れてくる。

 私を見る金色の瞳。

 近くで見ても、やっぱり綺麗。


「どうして君は、恋人が借金作って押し付けられたのに何も言わなかったのだ。私が見ていたと知っていたのに、愚痴も不満も零さず何事もないように振る舞って、あまつさえ飯も食わず身を削ってそれを返そうとする。新しい環境に苛酷な労働、寝る間を削って身体を鍛えていて、どうして誰にも頼らず1人で溜め込んでしまうのだ。君がそう境界線を引くお陰で中々踏み込めないではないか。―――最近になってようやく我々に興味を示したようだが、もう少し歩み寄って欲しいと思うのは駄目なのだろうか」


 小さく溜息を吐くその仕草に、いつもとは違う人に見えてしまう。


「……いくら私達が気を配ってみせても、所詮男の気遣いなんて当てにはならない上、君は表情に出にくい。ついつい調子に乗って君の元気に甘えてしまったが、気付かずにこうやって女の子を倒れさせてしまう体たらくだ。……全く、どうしようもなくて申し訳ないな……」


 室長の少しごつめの大きな手が、私の頬に触るか触らないかの絶妙な動きをする。

 しかしそれは場所を移動し、タオルの上に置かれた。

 少しの重量が、気持ちいい。


「―――だがな、ヨーコ君。借金を作って逃げるような男よりは、頼れるつもりであるぞ、私達は。言っただろう? 君は1人じゃないと」


 室長の瞳が私から逸れ、2人の方を見た。

 佐久間さんと宮さんの身体が近くにあるせいか、少し暖かく感じる。


「2人も、つい先程まで起きていたのだ。心配でずっと君についていたのだよ。帰ればいいと言ったのに、な」

「……それは……本当に私を心配してくれたんですね……」

「それはどういう意味かな、ヨーコ君?」


 室長の瞳が戻り、いつもの様子になった。

 そして私の頭をくしゃくしゃとかき混ぜたかと思うと、頭を掴まれて室長の方へ向かされる。

 色を変えたオレンジ色の瞳が視界いっぱいに入り込んで、顔に髪がかかる。

 少しくすぐったいそれに目を瞑った。


 すると、いつもの聞きなれない言語で言葉が発せられると、私の重かった身体が一気に楽になった。

 再び目を開ければ、ニッと笑う室長の顔。


「……治癒するなら……始めからしてくれればいいのに……」


 意地の悪い事をしてくれる。

 思わず漏れた呟きに、室長はひょいと片眉を上げた。


「それでは君が反省しないじゃないか。私達を心配させた罰だ。時間外魔法使用なのだぞ、ありがたく受け取るがいい」

「む……不甲斐無い部下ですみませんでした。ありがとうございます」


 なんだか室長が大人のように見えるじゃないか。

 ふわふわとまだ現実味がない頭で考えられるのは、別に嫌な気分はしないという事。

 それがとてもいやだ。


「ヨーコ君、訂正だ」

「え?」

「私はこの会社で働いていないのだから、君は部下じゃないぞ。我々は命を助け合う仲間なのだ」


 ぐっと親指を立ててウインクする姿に、今までのいい雰囲気が一気に陳腐なものになった。流石室長。堂々とニート宣言。


 でも、これが室長なのだ。

 私の上司であり、仲……間? である人。


「魔物は言語を話すものもいる。それ故に心を病む人もいた。君も、知らずそれに身体を蝕まれていたのかもしれん……もしそうならば―――」

「それは……そこは、大丈夫です。やり辛いと思う事はあっても痛む胸はありませんでした」

「そ、そうか」


 猫を被る必要も手間も与えさせてくれない。

 だからなのかもしれない。


「……室長。私、この仕事嫌いじゃないですよ」



 演じる事なく、簡単に素をぶつけられてしまうのは。



「あの日室長が馬鹿みたいに現ナマぽんっと置いたせいで、借金催促に怯える未来が速攻で無くなって。その日から今日まで夜中力いっぱいバット振り回して魔物ボコボコにして。家に帰ったら泥のように眠って。お陰で借金作って逃げた彼氏の事なんて、思い出す余地も暇もありませんでした」


 毛布の中から豆だらけの手を取り出す。


「会社終わってジャージに着替えて魔物退治、なんて、……借金あるくせに能天気な考えですけど、部活みたいで楽しんでます」


 日々の努力の賜物。

 凄く愛おしい物に見えるのだ。


「……学校卒業して、部活で頑張ってたあの頃を懐かしいと思う日が度々あるんですよ。それが叶ったって思って、……凄く、嬉しかった。だからちょっとはしゃぎすぎました。長年猫被っていたから勘が鈍ったんですかね、大分ペース配分間違えてしまいました。すみません」


 もうあのブリッコの日々には戻りたくない。

 いや、戻れないのが正しいか。


 化けの皮が外れて出てきたのも化け物だけれど。


 女ゴリラ上等。


 私はそれで青春時代を転がり落ち……走り続けてきたのだ。


 ご飯が食べられない事なんて苦にならない。

 新しい服なんてなくても、ジャージがあれば十分じゃないか。

 楽しい事や、やりたい事をやれるなんて、幸せな事だ。



 この役目に、やりがいを感じているのは確かなのだ。



 多少反抗的ではあったが、好きなのだ。この魔法少女とやらが。

 肩書きだけの、他の人が聞いたら憤怒する勢いのものだが。


 素面時では絶対に言えない事をそそくさと口にすると、目の前の室長が下を向いて肩を震わせていた。


 ……やっぱり部活扱いしたのがまずかったのだろうか。

 いや、それより最初についポロッと出てしまった“馬鹿”に反応したのだろうか。

 恐る恐るソファの背に後ずさって貼り付くと、顔をあげた室長の目から大量の汗が吹き出ているのが見えた。


「うおお……! ヨーコ君……!! わっ、私は猛烈に感動したぞ……っ!!」


 がしっと逃げた身体が掴まれる。


「君が……この仕事をそんな風に思っていただなんて! やりがいを感じていただなんて! そうは見えなかった!!」

「室長、サラッと失礼な事言ってますよ」

「それでいい、それでいいんだぞヨーコ君! もっと私に君の思いをぶつけてきなさい! 言葉も手も足も総て何もかも……っ!! 君の為になるのならば、私は悦んで地べたに這いつくばろうっっ!!」

「室長が喜ぶだけじゃないですかもういいです満足しましたから」


 いつもの室長が顔を出し、肩をがくがくと揺さぶられる視界で、佐久間さんが苦笑している姿が目に入った。

 もしやと足元を見れば、宮さんがひじ掛けに頬杖をついてニヤニヤ笑っている姿がある。


「………………もしかして……起きていたんです……か……?」


 私が言えば、裾に顔を隠しこくこくと頷く佐久間さん。


「……部活、成程と思いました。僕も、そういう感じ……分かりますですね」


 次いで頬杖ついてニヤニヤしている宮さん。


「くくっ。なーんでこんな面白い事になんのかねぇ。まぁ、庸子の漢っぷりというか、(もののふ)っぷりが伝わったというか。あんな事言う女、初めてだ。見直したぜ?」


 2人の台詞に、顔に熱が集まるのが分かる。

 長々とした自分語りを、室長はいいとして、2人にまで聞かれてしまったというこの度し難い現実。


「……室長……、今すぐ魔法使って記憶消していいですかね!? 時間外の始末書でもなんでも書きますので今すぐにでも……っ!」

「だ、駄目だぞヨーコ君! 見てみるがいい、私はもう目が8割方開いていないだろう!? 夜が明けてしまう、早く寝ようではないか!」

「そうだぜ庸子ー。俺ら仲間じゃねぇか。隠し事はナシだぜー。っくく」

「ふふっ。これで一層絆は深まりましたね。明日から……じゃなかった、今日から頑張りましょうね」


 そう言ってぽてりと再び毛布に沈みこむ佐久間さんからは、直ぐに寝息が聞こえてくる。早い。

 気持ちよく眠るイケメンを蹴り倒して起き上がる程、鬼にはなれない。


 しかし、一応私は女だからそういう心配もしているのだけれど……、とそんな私の思惑とは裏腹にばたばたとソファ周辺に巨体を落としていく男達。 


 据え膳食えとは言わないが、こうも無反応だと逆に腕を広げて構えたくなる。が、寝息だけを立てる男衆にわざわざ何かをする気もないけれど。


 しばらく三者三様のその顔ぶれを眺めた。


 私を心配して会社に泊まってくれる優しい人達。

 とてもくすぐったい。

 思わず顔がにやけてくる。


 ふと気になって毛布の中を覗いてみれば、乾いたジャージ。

 なんだかんだ、ここでも魔法を使ってくれたのだろう。



 まぁ。

 何かあれば時間外魔法でも禁術でも使ってとっちめればいいかと、襲ってくる睡魔に身を任せた。




 それは、とても気持ちのいい眠りだった。





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