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私、渡辺庸子(24)は、借金を返済すべくやむを得ず魔法少女という名の室長の犬になりました。
昼は通常業務、夜は魔物の駆除にと忙しいので、恋に現を抜かす暇なんてありません。
暗闇に舞い降りる1人の少女。
仮面でその素顔を隠し、
桃色の衣装を身に纏い。
右手には正義のステッキを、
左手には愛を携え今日も戦う―――
「さて、満足した? もう終わりにしましょう」
【……に、人間の癖に……! なんでその力が―――一体お前はなんなんだ!】
今日もまた、闇より来られし悪の慟哭が轟く。
「なんだっていいでしょう? 人には言いたくない事の1つや2つや3つ以上あるってもの」
右手を高くあげ、悪を滅すべくステッキに光が集まる。
【ま、待て……! もう悪い事ぁしない……人を襲わないから……!】
「じゃあね」
【やめ、やめろぉぉおおおお……!!】
その輝きに、悪はこの世から追い出されてゆく。
正義の鉄槌を下ろした少女は、悪を滅すべく呪文を唱える―――
「早くしないと終電間に合わないの。それじゃ、“さようなら”」
「カットォーー! はいカットカットーーー!!」
ようやくうるさく叫ぶ魔物が消えたと思ったら、今度は上司の叫び声が響いた。
振り向けば上司、その他サポートメンバー2人。
「ちょっとヨーコ君!? それじゃあ全然情緒ないじゃないかっ! だいたい昨日は『見たいテレビがある』だったぞ!」
「はい。お陰で最初の10分見逃しました。ていうか中2くさいモノローグ勝手に入れるのやめてくださいと何度言ったら分かるんですか」
「雰囲気出ていいじゃないか! ……じゃなくて! 最後の決め台詞は、ちゃんとこの“お痛をする悪い子は、私がデリートしちゃうぞ☆ピュアピュアクリアー”をと言ったじゃないか、腰に手を当てて内股気味に! こう!」
そう言って腰に手を当ててクネリと内股になった上司から目を逸らし、奥にいる2人に挨拶をした。
「夜遅くまで付き合ってくれてすみません、宮さん、佐久間さん」
「いやいいぜー。怪我ぁ無くてなにより」
「今日も鬼気迫るものがありましたね」
「はは。まぁ生活かかってますので」
はい、と着替えが入った紙袋を手渡され、2人に帰る挨拶をして公衆トイレへ向かった。無論、着替える為だ。
……っと。大切な確認を忘れていた。
「室長。今日はボス1匹、レベル4が4匹、レベル6が1匹で間違いないですよね?」
「うむ」
「それではお疲れ様でした」
「ちょっとヨーコ君っ!」
室長の叫びを背にトイレの個室に入り、着替えを始めた。
だけどまだ叫んでいる上司の声が聞こえる。それを宥めている2人の声が聞こえ申し訳なく思う。が、そのままトイレに突入しようとするのを阻止してください。前科持ち犯ですから。
狭い個室で壁にぶつかりながらようやくいつものスーツに着替え終え、鞄の中から携帯を出して見れば時刻は迫っていた。
扉を開けて直ぐ様駅に向かって走った。
横目に3人を見れば、手を振っている2人と、待てと手を突き出している人。一応頭を下げておく。
「私はただの社員です。演技は求めないでください」
夜空を見上げれば、星が出ていた。
渡辺庸子、24歳。
私は、魔法少女をやっている。
*
話は2週間前に遡る。
“君、今日から特別研究室ね”
午前9時。
始業の為席についた私の前に、我が社の社長サマがやってきてこう言った。
大学を卒業して、就職難の荒波にどっぷり飲まれて2年フリーターをしていた私に、慈悲深い兄が自身の清掃会社に席があると紹介してくれて。そして無事にコネ就職を果たし、ようやく慣れてきたかなという具合の半年目の私。
何の不評を買ったのか、突然の左遷である。
とぼとぼと長い廊下を歩きながら、社長に頂いた地図を見て目的地を目指す。
昨日彼氏うんぬんでトラブルが起きたというのに、翌日の左遷。足取りは非常に重い。
しかしながらたかがビル内の異動の為に、早々に目的地に着いてしまった。
地下2階へ。
「……本当にここでいいんだろうか」
エレベーターから降りれば真白い廊下が続き、突き当たりには白い扉。そのプレートには“特別研究室”の文字。
間違いなくここなのは確かだ。
しかしこんな場所、部署があったとは驚きだ。誰かが話をしていたという記憶もない。
腕時計を見れば、9時20分。うだうだ言っていても仕方がない。
意を決して扉をノックした。
「すみません、本日からここに配属になりました渡辺です」
平らな廊下に声が響く。
そして5秒ほど待ってみると、部屋の中から何かが倒れた音がした。そしてどたどたと足音が近づいたかと思えば勢いよく扉が開けられる。
「いらっしゃい! 待っていたぞ、さあさあ早く中へ!」
現れたのはスラリとした青年で、年は30くらいだろうか。ノンフレームの眼鏡に襟足の長めのボサボサの髪、そして黒のカッターシャツによれよれの白衣。
……うん、いかにも怪しい、っていうのが第一印象だ。
青年が扉の方へよけたので、会釈をして中へ踏み込んだ。
すると扉が閉められ、背中に手を回されて不意打ちの接触に少しドキリとした。
しかし見あげた先の青年は何食わぬ顔で、目の前にある2人がけのソファへと誘導していく。
そのソファには青年よりも年がいった男の人が1人先に座っていて、その奥の窓際のデスクには私と同じくらいの年だと思われる男の人が腰かけていた。
「いらっしゃい、隣どうぞ」
「…………。……は、い」
ポンポンと隣を叩かれてしまったので嫌とは言えず、若干の距離を開けつつ浅く腰かける。
「俺、宮英徳。よろしく。あっちの紫眼鏡は佐久間」
「佐久間千博です。よろしくです」
「私は渡辺庸子です。はじめまして、よろしくお願いします」
宮さんという人は、30代後半くらいで、ゴツくて座っていても視線が上になって、凄く雄くさい。
黒い髪が短く揃えられ、太い眉に奥二重の少し細めの目。腕まくりをしているロンTから出る腕が、太ましい。
熊までとはいかないが、中々に鍛えられた筋肉が見えて目のやり場に困る。
奥にいる佐久間さんは宮さんとはうって変わって線が細く、少年に近そうなほっそりとした体型だ。
ふわふわに整えられた明るい茶色の髪、少し長めの前髪と紫フレームの眼鏡の間から覗く、気だるげに少し伏せられたパッチリ二重の瞳はまた薄い色をしていた。
私の位置からでも見える睫毛群に、軽く怒りを覚えた。ワインレッドのカーディガンがとてもよく似合っている。
観察を終え、座ったまま頭を下げて挨拶をしていると、すぐ隣でヨレヨレの人に待ったをかけられた。
「ちょっと待ちたまえ君達! 全く手が早いぞ。私はお茶入れてくるからもう少し待っててくれ」
「あ……それなら私が……」
「ここへ来たばかりで何も分からないだろう? いいから座っていればいい」
それもそうか、と言葉に甘える事にしてそのまま居座った。
ヨレヨレさんは部屋の隅にある簡易台所でお茶の用意を始めた。
とりあえず彼が戻ってくるまで時間がありそうなので、暇つぶしに室内を見回す事にした。
私が腰掛けているソファ前には大きなテレビがあり、テーブルには沢山のお菓子、棚には漫画や雑誌にDVDまで幅広くある。寝癖かと思われるものがついた佐久間さんの肩には毛布がかかっており、昼寝可能かもしれない事が伺える。
あまりキョロキョロするのもアレなので、視線が届く範囲で手に入れた情報に結論をつけるとすれば、シェアハウスかと思ったくらい会社会社していない。
その事実に何故か背筋が寒くなったが、隣の肘かけに座って来たヨレヨレさんによってその疑問はそこで一旦終了する事になった。
「はい、熱いから気を付けて」
「ありがとうございます。すみません」
「いや。さて、自己紹介だな。私はこの研究室の室長、東堂有希彦。東ちゃんでも有希ちゃんでも気軽に呼んでくれればいいぞ」
「はい室長」
背後の背凭れに肘を置かれ、いきなり心身的に距離をつめられて若干違和感を感じたが、隣に宮さんという壁があるせいでその場から動けない。
1人離れた所で涼しそうな顔をしている佐久間さんに目を向ければ、すうっと目を細められただけで状況は全く変わらなかった。
仕方なく湯呑みを握り締める事で動揺を抑え、ガッツリ身体をこちらに向けた室長には諦める事にした。これがこの人の人と話す時の普通なのかもしれないし。
視線を上げると、じっくりこちらを見ていた。
眼鏡の奥の瞳を爛々と輝かせながら。
「……それで、あの。私はここで一体何をすればいいのでしょうか」
居心地の悪さにさっさと本題に入って貰おうと問えば。
「む。もう本題いっちゃう? いっちゃっていいのかい?」
と、左遷の重い現実が吹っ飛ぶくらい軽く返された。
いよいよ本格的におかしいと思い始めた時、室長の口が重々しく開かれる。
「実は君に―――魔法少女になって貰いたいのだ」
「失礼します」
テーブルにお茶を置いて立ち上がった。
しかしソファーの両脇には成人男性が2人、回り込む事が出来ずただ立ちつくすしか出来ない。
宮さんにニヤニヤ笑いを頂き、室長には手を取られて再びソファーに縫い付けられてしまった。くそ。
「まぁまぁちょっと座って。最後まで聞こうか! 君にとって悪い話ではない筈だぞ?」
「悪い夢のように思いますが」
「はははっ! 面白いねぇ、君!」
「そうですか。光栄です。室長も面白いですよ、その冗談」
あははと私も笑って返せば、部屋に2人分の笑い声が響いた。
帰りたい。
しかし手は室長の手に捕縛され、ソファーに縫い付けられている。
「残念ながら、冗談じゃないのだよ、これが。―――私の指を見ててごらん、火が出るぞ」
そう言って私の手を取っていた手を上げ、目の前に翳した。
そんな訳ないと、手が開放されたその隙に逃げようと思ったが、どうしてか動けない。
まるで、本当にソファーに縫い付けられたかのように。
ギシギシと鳴るソファーの音を聞きながら、固まる私に室長は目を細めて微笑み。
人差し指を立て、ぽうっと小さな火を出した。
「詳しい話といこうか? ヨーコ君―――」
白い部屋に、やけに室長の声が響いた。
頬を伝い流れる汗は、熱いせいではないと信じたかった。
*
室長の話曰く。
・地球には魔物という悪い奴がいて、夜な夜な人を襲ったりたまに乗り移って悪さをしたりしている。
・その魔物を退治すべく、密かに作られたのがこの“特別研究室”。
・昼は普通の社員の皮を被り、夜は魔物を滅すべく魔法使いとなり、町の平和を守る為古今東西暗躍している。
「…………はぁ」
話を聞きながらメモを取っていたが、ファンタジーありきで話されていて、置いてかれてる感が半端ない。
文字の羅列を見てもよく理解出来ない。
まぁでも、実際それらしきものを見て体感してしまったから、頭ごなしに否定&拒否ができない、それが悲しい。大人になって変な順応性が身に付いてしまったのだろうか。
「今まではだいたい我々3人でやってきたのだが、それだとどうしても上手くいかないのだよ。元々サポート役程度しか力がないのでな。女性の力が……君の力が必要なのだ」
よろしく、と宮さんに手を出された。
しかしホイホイ取ってたまるかと膝の上で手を握り締めていたのに、勝手に奪われ合わされてしまった。もりもりの筋肉は無駄ではない。
次いでシャンプーのいい香りが漂ってきて、振り向けばいつの間にかソファーの背に腰かけていた佐久間さんに見下ろされていた。
「ずっと待っていました……。来てくれて嬉しいです」
すっと顔の前に手を出される。
手を見て本人を見上げると、微かに浮かべられた笑みに思わずドキッとしてしまった。
しかし、こんな風に超歓迎ムードを出されると今更断り辛い。戸惑う私を尻目にやはり強制的に手を合わされる。
「いえ……あのですね、私まだ何もやるとは言って……」
「ああ、仕事内容に魔物退治が追加になるだけで、今まで通り聖光クリーニングの社員だから安心すればいい。朝はちょっと遅くなって10時出勤、14時昼休憩、20時退社になるが」
どうやらただの社畜である私には拒否権はないらしい。
頭が痛い。
どうして勝手に選ばれるんだ。って、それはどの魔法少女も同じだったか。
だけどまさか自分の身に降りかかるとは思わなかったけど。
ソファーに深く腰かけてぐったりと背を丸めれば、宮さんにばしばしと叩かれた。
「まぁ俺達が全力で守ってやるからよ、命の危険はないから安心しな」
「トキメク台詞なのに今は全然嬉しくないです何故でしょう宮さん」
「魔法少女は、憧れる職業ランク高かったですよね……?」
「それなら10年前にヘドハンしてくださいよ!」
「流石にウチといえど中学生は雇ってないのでな」
「そこなの!?」
中2の頃であるならば、2つ返事だったかもしれない。
どうして10年の時を超えて黒歴史を新しく紡がなければいけないのだ。
24歳の来年アラサーの私には、そんな履歴はいらない!
ていうか、佐久間さんまで説得にくるとは何事だ。あまりそういうのはノらなそうな感じなのに……!
「魔物退治は残業扱いになるんだが、勿論弾むぞ」
「……え」
がばっと顔をあげれば、目を細めニィッコリ、とでもいうように満面の笑みを浮かべた室長と目が合った。
「そういえばヨーコ君。君、金が必要なのだろう?」
「……な、何でそれを……」
まだ親しい友人にも話していない事を、たった昨日起きた出来事を言い当てられ絶句した。
「借金400万、君はどうやって返すつもりだったのかな―――?」
それは今日どうしようかと頭を抱えていた、昨日起きたトラブルの内容だった。