表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
切り取られた色  作者: 本郷透
1/14

1色目-出逢い-

 夕暮れの教室。昼間の温度がまだ残るその時間帯では、やはり暑くないとは言えなかった。

 陽炎が揺らめくその季節の真っ只中で、少年の短い物語が始まり、そして終わろうとしていた。


 *


 本当の始まりはどこだっただろうか。記憶を遡って考えると、丁度一年前だと思う。

 ぼくと彼女の出会い。それがすべての始まりだった。

「梓と出会って今日で丁度一年だね」

 彼女も同じことを考えていたみたいだ。

「どうしたの? 急に」

 教室に残っているのはぼくと彼女だけ。文化祭実行委員のふたりだけだった。

「ううん。文化祭の準備してて、美術室に行ったら梓に会ったんだな~って」

 ぼくはその時のことを思い出していた。


 ガラリ、と。

 自分以外誰もいない美術室の扉が開く音がした。こんな時間にこんな場所に来る人なんて滅多にいないから、ぼくは興味本位で訪問客を見た。

「ビニールテープ、貸してほしいんだけど」

 訪れたのは黒髪の少女だった。文化祭準備期間だから、大方クラス展示の何かを作ってるんだろう。

「準備室の中だよ。色んな色があるから必要なだけ持っていって」

 ぼくも美術部で展示する作品を描かなきゃいけなかったから手が離せなかった。先輩だろうと関係ない。知らない人に敬語を使う必要性を感じなかった。

「わかった」

 なんて無機質に言って、彼女は準備室の段ボールを漁っていた。

 少しして、そのうち二つを(おもむろ)に取り出すと、ぼくに訊いてきた。

「ねえ、私にはどっちが似合う?」

 赤と青。対極的な色だった。

「何でそんな……」

 展示で使うだけなのに、何でそんなことを訊くんだろう。

「真面目に答えて」

 少女の目は真剣そのものだった。それと同時にとても……冷たかった。夏だというのに、その視線だけで背筋が凍るようだった。

「……赤」

 夕陽の色が彼女を包んでいたから、そう答えた。

 彼女は「ふぅん……」と、つまらなそうに返事を返して、青いビニールテープを箱に戻すとそのまま戻ってしまった。

 変な人だ――。

 その時はただそう思っただけだった。

 彼女はその日、ビニールテープを返しに来なかった。新品同然の残量のそれが残らないというのは(いささ)可怪(おか)しい気もしたけど、それだけ必要なのだろうと思い、その日は帰った。


 翌日、彼女は再び美術室に現れた。

「カッターナイフ、ある?」

「準備室に入ってすぐの棚の上から二段目の赤い箱の中に入ってる」

 とても詳しく教えてあげると、彼女は準備室に入って行った。

「……昨日のビニールテープ、使いきったの?」

 なんとなく気になって彼女に訊ねる。しかし返答はない。

 少しむっとしたぼくは準備室の方を見た。聞こえないはずはない。だって扉は開いていたんだもの。

 カッターナイフが入った箱は高いところにあった。上から二段目の棚は身長170㎝くらいあるぼくからすれば大したことない高さだけど、150㎝くらいに見える彼女には高かったらしい。背伸びをして、それでも届かなくて必死に手を伸ばしている。

 そのうち少しだけ、箱の隅に指が触れた。彼女はもう少しだというように思い切り背伸びした。すると指が箱に引っ掛かり、箱はぐらりと揺れ、バランスを崩して重力に従って彼女目掛けて落下してきた。

「あぶない!」

 ぼくは反射で彼女を庇った。バラバラと音を立てて床に落ちるカッターは刃が出ているものもあった。きっと留め具が緩んでいんだろう。

 折れた刃がぼくの肩に刺さり、シャツが赤い染みを作った。痛いなんて思う前にぼくは彼女に向かって声を張り上げていた。

「何で届かないのに無理したの!? 椅子を使うなりぼくを呼ぶなり他に安全に取る方法があったでしょ!?」

 初めてだった。人に説教したのも、真面目に怒ったのも。

 彼女は意外だったのか、目を見開いて驚きを(あらわ)にしている。怯えてはいないらしい。

「……ごめんなさい」

 と、小さな声で謝罪が聞こえた。

「――どうしてぼくを呼ばなかったの?」

「絵を描いてたから……手を止めたくなくて……それで……」

「――椅子を使おうとは思わなかったの?」

「椅子は座る為のものだから……」

 用途を間違えてはいけない……と、消え入りそうな声で言った。

「それに……」

 まだ続きがあるみたいだった。

「私――死にたかったの」

 目から鱗が落ちたかと思った。

 は? 死にたい? こんなところで?

「……落ち着こう……」

「私は充分落ち着いてる」

「いや……ぼくが……」

 彼女は納得したみたいに「ああ、そう」とだけ言った。

「もしかして昨日持っていったビニールテープも……自殺の為に?」

「――だとしたら? あなたには関係ない」

「そうかも知れないけど……」

「けど――なに? 言っておくけれど、私はあなたに対して悪いだなんて思っていないから。あなたが勝手に助けて、私の望まない結果を招いた。私にとっては迷惑行為そのものだったの」

 彼女は視線を逸らしてふてくされたみたいに言った。

「台無し……」

「…………ごめん……」

 とりあえず謝ったけど、ぼくは一体何に謝ってるのだろう……。

 話すこともなくなり、その場に沈黙が流れる。少ししてぼくは肩の痛みを思い出して患部に触れる。シャツに着いた染みはまだ乾いていなくて、ぼくの指先にも赤い色が着いた。

「……刺さったの?」

 そうか……この人の背丈じゃ、ぼくの背中なんて見えないか。

「うん。でも大丈夫。かすり傷だから……」

「ちゃんとした治療を施さないと悪化する。保健室に行った方がいい」

 彼女は表情も変えずに淡々と喋る。その無機質な声は一方的に喋っているだけではないかと疑うところもあるけど、その通りだから素直に従う。


 案の定、保健室の先生には驚かれた。こんなところにこんな傷作る人なんて珍しいからね。

 そんなに深い傷でもないから消毒して止血して治療は終わった。

「深くはないけれど、しばらくは動かさない方がいいわね」

 保健医は最後にそんなことを言っていた。

「え……。じゃあ筆を持ったりは……」

「やめた方がいいと思うわ」

 なんということだ……。文化祭まであと一週間もないというのに、作品が描けないなんて……。

「患部が肩だもの。傷口が開きやすいの。解るでしょう?」

「はい……」

 そう言うしかなかった。とはいえ、諦めきれない。作品を描くのはぼくの生き甲斐。唯一の趣味だというのに、それをするなと言われたらぼくは何を楽しみに過ごせばいいんだ……。

 絶望が脳を支配する。

「最低一週間は安静にしていなさい」

 先生は更に追い討ちをかけてきた。

「先生……」

「なにかしら?」

「どうしても……だめなんですか?」

「さっき言ったことが理解できなかったの?」

「そうじゃなくて……」

「何か他に方法はないのかってこと?」

「……そう」

 彼女は会話が苦手らしい。言いたいことはあっても、それを表現する言葉を知らないみたいだった。

「ん~……」

 先生は腕を組んで考える。ぼくとしてはいい答えが出ることを期待したいんだけど……。

「ないわね」

 それは叶わないらしい。神様……ひどいよ……。

 思わず涙が出るかと思った。しかしそこをぐっと堪えて現実に思考を戻す。

「じゃあ……文化祭で展示する絵は……」

「諦めなさい」

 本日二度目の心の傷が出来上がった。

「先生……絵が描けないってことは……字も……書いちゃだめですか……?」

 彼女が持ち合わせていない言葉を必死でかき集めて質問する。先生の返答次第では授業中、板書を写すこともできない。

「肩だからね~……。いっそ固定しといた方がいいかしらね」

 はい、ぼくの学校生活は無意味になりましたー……。言ってて悲しくなってきた……。なんだよ……絵描くだけの学校生活って……。

 でもケガじゃしょうがないか。板書はクラスの誰かに頼んで……。


 そこでぼくは重大なことに気が付いた。

 ぼく、クラスに友達いないや……。

 入学してからというもの、休み時間はずっと絵を描き続けて気付けばクラスで孤立していた。だからと言ってクラス外に友達がいるかと言われたら答えはNOで、休み時間席を立たないぼくは自然と人と関わらなくなっていた。


「授業中……どうしよう……」

 少しだけ青くなって頭を悩ませていると、少女が袖をくいっと控えめに引っ張った。

「ノート、見せる」

 二つの単語を口にされ、一瞬どういうことか解らなかったけれど、彼女の優しさだったらしい。

「ありがとう」

 ぼくはふわりと微笑んだ。彼女は意外だったのか、さっきと同じような反応を見せた。

「じゃあ、また明日」

 彼女はそのまま鞄を掴むと帰ってしまった。明日、また会えるのか。

 なんだろう。ちょっとわくわくする。こんなの絵を描く時以外では初めてだ。楽しい。

 上手く言い表せないけど、明日学校に来るのが楽しみになった。


 浮かれた気分で帰宅すると、家事も捗った。料理はいつにも増して楽しかったし、ごはんも美味しかった。洗濯も普段のつまらなさとかだるさとかがなかった。


 あ……。名前訊くの忘れてたな……。まあ、いいか。明日訊こう。

 毛布にくるまっても口元が緩むのを抑えられない。遂には諦めてそのまま寝た。


 翌日の朝、教室には彼女の姿があった。そうか……。同じクラスだったのか……。

 今まで全然気付かなかった。

 ぼくは彼女の席に近寄って、話し掛けた。

「おはよう」

「……挨拶に何の意味があるの?」

 彼女は依然として冷たい氷のような目をしてぼくを見る。その奥には触れてはいけない深い深い闇が広がっているみたいだった。

「意味なんてないよ。ただ、挨拶すると一日を気持ちよく始められるでしょ?」

「わからない。私に挨拶する習慣なんてないから」

 彼女は目を伏せた。嫌なことでも思い出したのだろうか。

「とにかく、あいさつされたらあいさつを返すものだよ」

「……おはよう」

「おはよう」

 ぼくは微笑んだ。正解だよ、きみがしたことは正しいよ、って言うみたいに。

「きみの名前、訊いてもいい? 恥ずかしながら知らなくてさ」

泉堂(せんどう)美影(みかげ)……」

「美影か……いい名前だね」

「名前なんてただの呼称。その呼称が表すものを特定出来さえすればそれでいいもの……」

「そんなことないよ。きみの名前は世界で一つだけなんだよ? この世界70億人のうち、たったひとつしかない大切なきみだけのものなんだよ」

「そっちの名前は?」

 彼女はぼくの話に微塵も興味がないようで、ぼくの名前を訊ねた。

「梓。御上(みかみ)(あずさ)

「梓……」

「そう。よろしくね。美影」

「……名前を呼ばれたのは、五年ぶり」

 彼女は――美影は驚いていた。こんな珍しい名字なんだから、誰もが美影を名字で呼んでいたのだろう。それにしても――五年? 家族には名前を呼ばれないのだろうか。

 これ以上訊いてはいけない。美影は人付き合いが苦手みたいだから今はここまでにしよう。ぼくも人付き合いは得意ではないけれど、ぼくよりひどいらしい。


 予鈴が鳴った。

 クラスメイト達は与えられた席に座っていく。ぼくも真ん中の席に座る。

 それから、ホームルームと称しての担任の長い話を聞いた後に授業となった。一限目は数学だった。ぼくは鉛筆も持てないから、ひたすら教科書を読んでいた。先生もぼくの腕を見て何も言わなかった。


 二限目は体育。当然ぼくは見学。そして何故か美影も見学だった。

「どうして美影まで見学してるの?」

「具合悪いから」

「嘘つくのはやめなよ」

 嘘が見抜かれたことに驚いた美影がこちらを見る。しかしすぐにまた顔を正面に向けて言った。

「……梓が休んだから」

 ぼくが驚く番だった。え? なに? 何でぼくが休んだからって美影まで休むの?

「梓が休んだから、私も休んだ」

「なんで?」

 いまいちその理屈がわからない。

「深い理由なんてない。ただ、つまらなそうだっただけ」

 それを人はサボりと言う。でも確かにドッジボールなんて美影みたいな大人しい女の子にはつまらないかもしれない。ぼくも非力だからこういう競技はあまり得意ではない。でも盛り上がれるから割りと好きだ。美影は賑やかなのは苦手なのかな?

「賑やかなの、苦手なの?」

「疎外感しか感じられない。私がその場に相応しくないだけ」

「てことは嫌いではないの?」

「嫌いではない。ただ、私は空気を乱すからあの和には入れない」

「美影は優しいんだね」

「私が……優しい……?」

「みんなのためなんでしょ? 美影が一人でいるのって」

「違う。壊れた雰囲気が嫌いなだけ」

「それでもそれは他人から見ればみんなのためにしているように見えるよ」

「他人からの評価なんて気にしたことない。いつだって不当なものなんだから……」

 美影は自分の腕に爪を立てた。

 ぼくは言葉を発することができなかった。美影が抱えるものがぼくの手に負えないように思えた、という前に、深い闇に踏み込む勇気がなかったからだ。

「……美影、お昼ごはん一緒に食べない?」

「どうして?」

「ぼく、腕がこんなことになってるからごはんも作れなかったんだ」

 嘘だけど。本当は先生が言ったことを無視して家事とかしまくってる。

「だから、購買でパンとか買わないとお昼ごはん食べられないんだ。だから、一緒に来てくれない? 片手だと何かと不便だからさ」

 ね? いいでしょ? と言うと美影もコクリと首を縦に振ってくれた。


 そしてお昼ごはんを購買で買って、立ち入り禁止のはずの屋上へ行った。

「美影は笑わないの?」

 パンを頬張り、ふと浮かんだ疑問を美影にぶつける。

「笑……う……?」

「うん。ぼくや他の人みたいに笑ったりしないの?」

「笑い方なんて……忘れた」

「じゃあ、思い出してみようよ。ほら、真似して」

 ぼくはそう言って笑った。

 美影は戸惑っていた。しかし、じっとぼくの顔を見ると、やがて不器用に口角を上げた。目は笑っていなかったけど、上出来だった。

「そうそう! そうやるんだよ、美影!」

 ぼくは大げさに褒めた。美影は褒められたことをもう一度、そしてまたぼくが褒め、また笑う……という行為を繰り返していた。そんなことしてるうちにあっという間に昼休みは終わった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ