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楓斗は李央の即時の習得を拱手傍観して目の当たりにするたびに、鬱蒼とした嫉妬が心に浮かび上がるばかりで、自分と相手に嫌気がさすのだ。
「さあ、私の六日間はともかく、楓斗くん、あなたの六日間はどうでしたか?」
自分のことを聞きながらも、茉央の顔には李央がいつどこで誰と何をしたのかを知りたいとハッキリ書いてあったので、楓斗は苦笑いをした。
「俺じゃなくて、李央のことだろ。」
「どっちでもいいんですよ。いや、李央に尋問は無意味です。むしろ、私に返ってきますから。いや、それはそれで非常に喜ばしいことですけど。とにかく、分かればいいんですよ。私聞きたいこと山程あるんですから。」
そう言う茉央の表情は自分に対する確かな嫉妬の念を感じて少し寒気がした。茉央は甚大と言っても過言ではないくらいに、李央に依存している。おまけに幼年時代を過ぎたと言うのに、駄々のような独占欲も剥き出しだから、暴走したら止まらない。だから、「山程」の言葉に覚悟をしなくてはならなかった。しかし、その前に楓斗は茉央に伝えたいことがあった。
「待って、すぐ終るからこれだけは言わせて。」
「なんですか?」
「あの、茉央さんも日守家の人だからってことだからなんだけど、あ、ありがとう。」
予想だにしなかった素直な感謝の言葉に、茉央はきょとんとした顔をした。
「あの、俺またタダで旅行連れて行ってもらっちゃって。お父さんにも、李央にも言ったんだけど、俺稼げるようになったら絶対一番にこの借り返しますから!」
「何を言い出すかと思いましたら、そんなちんけなことですか。」
「ち、ちんけって。お金はお金だよ。日守家には有り余る程あるから、その大切さが分からないだろうけど。」
「分かってますって。別にそんなに気を病むことはないですよ。所詮、父の研究費ですから。」
「研究費?」
「いつも言ってるじゃないですか。父は私達のことを一般的に言う我が子として見てないって。父にとって私達はこの世のありとあらゆる生物と人類を比較するための材料なんですよ。つまり、私達は人類代表。今回は恐らく、李央の行動を通して動物の本能と人間の知的好奇心の共通性なんかを見出してるんじゃないんですか。そして、楓斗くんは李央という研究材料の人格に影響と促進を与えるファクターと言ったところじゃないでしょうか。だから何も気にすることはありません。全部好きでやってるってことですよ、父も李央も私だって。」
同行をともにした日守父を彷彿とさせる真面目腐った妙に納得を誘う理屈に、楓斗は本質的な理解もままならないまま頷いた。
「は、はあ。まあとにかくそう言うことだから。」
「さあ、次は私の言いたいことを聞いてもらう番ですからね。」
茉央は幼子のように大きな瞳を輝かせ、楓斗に詰め寄った。
そこからは桜並木を歩いていることも忘れるくらいの茉央の嵐のような質問攻めが続いた。その全てが李央に関することで、大半が李央の日常行動によるものだったのでここでは後のストーリー展開に僅かながらでも影響するであろうと思われる、所謂楓斗の印象に残った会話からピックアップしていくことにしよう。
まず、一つ目は李央の食生活についてだ。
茉央は李央専用の栄養管理士にでもなるつもりなのか、李央の食生活を抜かりなくチェックしてる。楓斗は以前その異常性を恐る恐る指摘したところ、
「食物は生物のカラダをつくるのです。健康になるのか、不健康になるのかも何を食べたかによって決まりますから。」
と最もな正論を何食わぬ顔で言われた。ちなみにカロリーチェックは勿論のこと、大まかにだが食事時間や咀嚼回数も知りたがるから空いた口が塞がらない。
二つ目、それは遅れをとって歩く二人にしびれを切らしたのか、李央が人混みをかき分け、キックボードを携えながら二人の元へ駆けてきたことにより、会話が一先ず終わるすぐ前の話題だった。ずばり、それは李央の恋愛事情だった。
「寝る前に恋バナ?いや、別にそんなのしてないよ。」
「嘘ですね。楓斗くん嘘つくの下手ですからすぐに分かりますよ。さあどんな話をしたんですか、根こそぎ聞き出しますからね。」
無意識のうちに目が泳いでいたからだろうか。見抜かれてしまってもなお楓斗は繕った。
「いや、嘘も何も無いって。」
「じゃあもっと範囲を狭めて尋ねてみますか。李央に今意中の人はいるんですか、いないんですか。」
茉央の声は妙に張っていて、類を見ない程必死でどこか痛々しく思えた。恐らく、楓斗とは比べ物にならないくらいの嫉妬対象が現れる恐怖と不安に早くも今から押しつぶされそうなのだろう。やはり、依存というのはつくづく厄介だ。
「それはいないよ、いや断言してもいい。」
茉央は半信半疑の目で楓斗を見つめた。だがそこに嘘がないことを察知したのか、途端にその表情は曇り空が晴れるように喜色満面となった。
「どうやら本当のことみたいですね。あれ、でもなんでさっき楓斗くんは嘘をついたんですか?」
そう聞く茉央はいつもの余裕綽綽とした様子で、先程の狼狽は嘘のようだった。
「それは。」
楓斗はすこしまごついた。
「まあ、いいですよ。李央がまだお子様だと分かったならそれでいいんですよ。はあ、ずっとそうならどんなにいいんでしょうか。」
茉央は遠い目で李央がいると思わしき方を切なげな眼差しで見つめた。楓斗は茉央の切ない思いを汲み取ってしまい、不覚にも共鳴してしまうのであった。楓斗にも同じようなことを望む者がいた。