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めぐるラストストップ  作者: ユヅル
かりそめの自由、桜の春
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「まあちゃん!治ったって本当?」

 それは唯一無二の双子の兄、李央の声だった。

「もう知ってるんですか。お母さんからですか?」

「そーだよ!さっき母さんからメール来てさ。まあちゃん全然メールも電話も返さないし、すっげえ心配したんだからな。」

 電話越しにしては騒々しい声に、茉央は鼓膜の限界を考え、僅かに受話器から耳を離した。

「それはごめんなさい。携帯も三日前位から充電切れっぱなしでした。」

「いいって、いいって。これでまあちゃんも桜見に行けるな。」

 桜、どこか忘れかけていた春の響きに茉央はかすかに心を躍らせた。

「そうですね、桜の見頃じゃないですか。春休みの間は一度は行きたいと思ってましたから。」

 桜と聞いて思い浮かんだ景色は、毎年恒例の上野公園の桜並木だった。そして、李央もまた、同じ景色を浮かべていたことが明らかになる。

「うん、じゃあ今日の四時に上野駅の公園口な。父さんは大学寄るって言って別れたから楓斗だけ連れてくな。んじゃ、また後で!」

「え?りいくん、今日って待ってくださいよ。」

 制止しようとしたものの時既に遅し。茉央は口をとがらせ、届かない文句を呟いた。

 李央はいつだって唐突だ。確か今回の沖縄旅行も、テレビで見たバナナボート特集に感化された李央の「行きたい」の一言がきっかけだった。そして李央はいつも自分の都合でしか動かない。だから自分達が仕方なく彼に合わせるしかないのだ。その自分達の第一はもちろん妹である茉央、第二が父、第三が今では元同級生の日森楓斗だ。この三者のみが李央の気まぐれな好奇心と探究心に匙を投げることなく付き合うことが出来ると、日頃から茉央は自分を含め三者称賛に値すると推しあてていた。

 茉央は受話器を戻し、隣部屋の和室の障子を開けて家で一番お気に入りの場所である縁側に出た。

 病み上がりの妹に花見に来いとは、つくづく李央は得手勝手な奴だ。

 小さく溜息をつきつつも、茉央に断る考えがいっこうに浮かばないのは、兄への愛慕によるものなのだろう。今誰が一番好きかと聞かれたら、茉央は間違いなく李央の名前を挙げるだろう。

 パジャマ姿のままサンダルを履いて庭に出て、茉央の目に一番に止まったのはちょうど花を咲かせていた李の木だった。茉央が縁側に出ると何故か李央のことばかり思い浮かぶのも全てこの木のせいだ。

 字の通り、これは李央のために植えられた木だった。李央と茉央の生まれた年に植えられた苗木は立派な幹に育ち、今や二人の身長をとうに越す高さにある。

 今年はどれくらい実がなるのだろうか。

 李は花が咲いたからと言って、実がなるとは限らない。受粉条件が厳しい年は一個も実がならないことだってある。実がなったとしても、その数も毎年ピンからキリまでと言った具合だ。一二年後の今はその予想もまた、この木の醍醐味にあたる。

 対して、茉央のための花が、玄関先を飾るように植えられた数種類のジャスミンだ。由来はもちろん、茉央の名前からである。ちなみに李央は李ではなく茉莉花すなわちジャスミンの由来のもと、茉と合わせるために莉の字で名づけられる予定であったが、それは一度双子の女の赤ちゃんであることが見込まれたためある。莉の字は女の象徴とも言える花の意味合いが強いが、何か植物を植えたいという両親の強い希望で李の字が選ばれたと言うエピソードがある。

余談はさておき、花は数種類と言っても全てが同じ時期に咲く訳ではなく、この時期は黄色い花を咲かせるカロライナジャスミンが玄関先を彩っている。父からこのジャスミンが植物学的にジャスミンではないという事実に加え、いい匂いのする花は何科である云々関係なくジャスミンと名が付けられやすいと要らぬ小話まで聞かされたときには内心複雑な心持ちがした。

 ただ、縁側まで香るこの甘く心地のよい香りは文句のつけようが無いくらい素晴らしい。 それはまるで、ジャスミンの誕生花と同じ六月生まれの自分にとっての一足早い誕生日プレゼントのようだと、茉央は悦に入っていた。

 茉央はしばらくお気に入りの場所で日守家の春の訪れを吸い込むように感じていた。

 春眠暁を覚えずとは言ったもので、春爛漫の暖かな陽気に知らずうちに眠気が誘われ茉央は気づいたら眠りについていた。

 その眠りを起こしたのが、日守家の家政婦の青梅さんであった。

「いーくら、あったかいとはいえ風邪を引きますよ、お姉ちゃん。」

 聞き慣れた田舎交じりのどこか懐かしく感じる声に、茉央はすぐに体を起こした。付き合いが長いからか、青梅さんは家政婦と言うより、祖母のような存在だと兄妹は捉えていた。特に茉央は家事仕事の仕込みまで面倒を見てもらっているのでその意味合いはより強いものであった。

「お、青梅さん?あれ、今何時ですか。」

 茉央がこんな場所で居眠りなんて珍しいとでも言うように、青梅さんは茉央の目を覗き込んだ。

「あたしが来たってことは、三時過ぎつてことよ。もしかして、お姉ちゃんずっと寝てたんかい?」

「さ、三時ですか?大変です、いそがなくては!」

 茉央はサンダルを脱いで家に上がった。思ってみればまだパジャマから着替えてもいない。故に彼女は余計に支度を早まらせた。

「どこか行くのかい?」

「約束があるんです、四時から。」

「そういや、お姉ちゃん。具合の方はどうなんだい?飛鳥さんからは大丈夫って聞いてたけど。」

 思い出したかのようにそう言う青梅さんに、茉央は煩雑に答えた。

「はい。本当の本当に大丈夫です。」

 そうかいと納得した声が聞こえた気がしたが、構っている時間はなく茉央は自室へ急いだ。 

まったくもって春の眠りはタチが悪い。

よく眠ったからなのか、夢の内容も妙に鮮明に覚えている。いま思えば、だから起きたくなかったというのが、暁を覚えない程の眠りの理由かもしれない。

 茉央は部屋に戻り、大急ぎで洋服に着替える。先程のカロライナジャスミンに感化されてか、黄色いワンピースを手にしたが、桜を見に行くということで赤系統がいいだろうと思い、唯一の赤い服であるサロペット付きの花の刺繍があしらわれたスカートを選んだ。上に合わせる服はセットで買ったリボン付きのブラウスにすることにした。クローゼットを開けて、冬の癖で厚手のコートを取り出したが直ぐに我にかえり、買ったばかりの薄手のコートを来て行くことにした。中学はブレザー服だから、せめて私服だけでもセーラー要素をと思い、母にねだった中学の入学祝い、セーラー襟にプリーツつきのロングコートだ。

耳にかけたあまり癖のない肩につくかつかないかの長さの髪をを適当に櫛でとかして、リボンがついた赤いカチューシャをつける。足元は黒タイツに白いパンプスを穿いて、茉央は急ぎ足で駅に向かった。

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